第7話 判事の影
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ラカニシュに対するヒルダリアの嫌悪感が殺意へと正しく化学反応を起こしたが故であろうか、先立って撃ち込んだ魔法剣による氷爆の一撃は、刹那の内に二撃、三撃と積み重なっていった。
魔法を使用する際には指呼が伴うが、ヒルダリアは魔族らしからぬ工夫でこれを省略している。
ヒルダリアが振る青褪めた大剣の剣身には、少なくとも現存する如何なる人類国家でも取り扱わない特異な文字が刻まれているのだが、この文字はかつてイム大陸が魔族達の楽園であった時代に使われていた公用言語であった。
更に言えばこの言語は魔族にとって魔法という神秘を扱う為に必要な詠唱言語でもあるが、ヒルダリアは詠唱という少なからず集中力や注意力を割く行為を厭い、これを剣に刻んだのだ。
ヒルダリアが剣に魔力を込め、それを振るえば魔法が起動する。
魔法は魔術とは違い、使用する魔法名を発すれば起動するものだが、それでも僅かに隙というものが生まれる。
しかしヒルダリアの工夫はその僅かな隙を消し去る事に成功した。
これは彼女の戦闘者としての有能さを意味するが、残念ながら同胞魔族からは冷ややかさを以って受け止められている。
ヒルダリアは先進的で開明的な考えを有しており、武器や魔道具の類も積極的に利用するのだが、これが他の魔族には卑として捉えられているのであった。
というのも、基本的に魔族という種族は、敵対する者を自身の肉体ないし魔力により直接的に叩き潰すことを佳しとしているのだが、ヒルダリアはその美学に真っ向から噛み付いている為だ。
『“なりかわり”などの卑劣な真似をしておいて、いざ直接殺し合うとなれば拳と魔にて臨むが良とは洒落臭い』とは彼女の言である。
これはどちらの考えが良いとか悪いだとかそういう事ではないだろう。
戦略と戦術の解釈がヒルダリアと他の魔族とで異なっているに過ぎない。
彼女自身が合理的な思考を貴ぶ性質であるというのもあるが、戦略レベルではだまし討ちも辞さない癖に、いざ直接戦うとなれば武器は卑であるなどとは、魔将ヒルダリアの殺戮ドクトリンに照らしてみれば不合理の極みであった。
ちなみに彼女の同格の魔将にオルセンという拳と魔を重んじる男がいるのだが、ヒルダリアとオルセンは互いの主義主張の違いから何度も争っている。
そのオルセンだが少し前に人間に撃退され命からがら逃げ帰ってきたと聞いて、ヒルダリアは呵呵大笑と嗤い飛ばしたものだ。
オルセンが言うには勇者にやられたとの事だったが、ヒルダリアはそれを一笑に付した。
四代勇者は既に上魔将マギウスが殺害していた為だ。
五代勇者が現れたとしても自身の力を十全に扱える様になるまでには相応の時間を必要とするであろう。
それはともかくラカニシュに対するヒルダリアの連撃は苛烈に過ぎた。
協会式魔術には術者の前方、直線上50メトル程の範囲に氷の槍を敷き詰める様に突き出す氷槍裂波という恐るべき術があるが、それを連続で放っているが如き光景を作り出している当のヒルダリアには、本来浮かんでいるべき勝利への確信や自身の力への賞賛といったものは欠片も浮かんではいなかった。
代わりに浮かんでいるのは多分の嫌悪、そして僅かな焦燥、それより更に少ない恐怖である。
恐怖の少なさはそれが恐怖だと自身でも自覚していないが故であろう。
嫌悪や殺意の対象への過剰な攻撃が意味する所は、自覚無自覚に関わらず、恐怖感やそれに似た何かを対象へ抱いている事の証左だ。
恐怖心の根源は何か?
それは己の理解が及ばない事だ。
理解が出来ない事、物、人に対して人は、というより生物は恐怖を抱く。
ヒルダリアにとって眼前の存在は理解の埒外であった。
合理的なヒルダリアだからこそ、ラカニシュの非合理を嫌悪している。
なぜ殺さないのか?
なぜあのような姿で生かしておくのか?
先立っての大地からの骨槍を突き出す術を行使する際も、ヒルダリアにはラカニシュの悪意や敵意のようなものは一切感じ取る事はできなかった。
感じ取れた感情は慈悲であり、慈愛である。
ヒルダリアの、本人は決して認めぬ今はまだ小さい恐怖心に駆られての苛烈な猛攻に釣られたか、彼女の部下の遠距離攻撃が出来る者達もラカニシュへ執拗な攻撃を加える。
その時、雪原に錆びた金属同士を擦れ合わせた様な声が響き渡った。
――血肉、通わぬ、法を禁、ず
一拍後、ラカニシュへ攻撃を加えていたヒルダリアを含む魔族の面々の肉体に深い傷が刻まれた。
青血が吹き上がり、雪原に降りかかる。
それはまるで真っ白いキャンバスに一面に描き詰められた青い薔薇にも似ていた。
(……ッな!馬鹿な!反射術式!?いや、違う…我等の攻撃により与えられる傷痕と、反射された傷痕の質が違う…)
自身に刻まれた深い裂傷は、さしもの魔将をして大地に膝を落とさざるを得ない程に重い傷だった。それでもヒルダリアはラカニシュの術の正体を探ろうと考えを巡らせる。
◆
ヒルダリア達を傷つけた術には連盟術師『判事』ルードヴィヒの影が垣間見える。
やや薄くなった頭頂部、垂れた眦、ぽっこりお腹がチャームポイントであった生前のルードヴィヒは、そのマスコット染みた外見に似合わぬ恐るべき術師であったと言わざるを得ない。
少年時代、彼は法という概念の公平性に魅了され、そして生涯を通して法を学び続けた。
ただこれはあくまで趣味の領域だ。
日々生活をしていくうちに、たまたま興味を惹かれた事に熱中し、それについて学ぶことはままある事であり、ルードヴィヒの場合もそれは同じである。
だが彼の場合は気質と興味の対象が相性が良かったのだろう。
興味を持ち始めた時期も早かった事も幸いした。
スポンジが水を吸い込むようにルードヴィヒは帝国法を学び、血肉とし、長じる頃にはいわゆる裁判官…判事と呼ばれるまでに至った。
名を遂げ、愛する妻、そして子宝にまで恵まれたルードヴィヒはまさに人生の頂を極めたかのような錯覚を覚える。
だがその錯覚はしかし、錯覚ではなく事実であった。
ただしく彼の人生の絶頂であったのだ。
絶頂は永遠に続くものではなく、当然下降する事になる。
これは万人に言える事である。
問題はその速度とタイミングだ。
下降は天空から急降下する猛禽の如き速さで、そして警戒が意味を為さないタイミングで不意打ちをして来た。
彼の公平さから生まれる判決の数々を都合悪く思う者は少なからず存在していたが、その者達がルードヴィヒの弱点をこれ以上ない程的確に突いたのだ。
ルードヴィヒが強く在れる理由は家族の存在だが、これは同時に最大の弱点でもある。
結句、ルードヴィヒは家族の命を質に取られ、とある犯罪組織の面々に断じて下すべきではない判決を次々に下すにいたり、それを問題視した彼より上位の者達によって今度は彼自身が裁かれる事となった。
当時のレグナム西域帝国の皇帝は牢固というよりは狷介で、更に残酷性を伴う苛烈な気質を有していた。
その苛烈さは内外へ向けられ、外に向けられた苛烈さは領土拡張主義へと顕れる。
そして内に向けられた苛烈さは厳しすぎる法体制に顕れた。
ルードヴィヒは判事と言う身でありながら誤った判決を意図的に、そして連続して下したのだ。その罪は非常に重い。
彼にも事情はあるが、そんなものが斟酌される事は無い。
結果として彼は死罪を下されるに至る。
彼の家族は誹謗中傷、時には物理的な危害すらも受け、ルードヴィヒの妻は自殺を考えるようになった。
だがルードヴィヒの人生の変節を齎す者が死刑執行の前日の夜に訪れた。
翌日、執行人が牢を訪れた時、ルードヴィヒの姿はどこにもなく、同時にその家族も姿を消していた。
周辺への聞き込みによれば、ルードヴィヒの家族は黒い喪服を纏った禿頭の男に連れられてどこかへ行ったという。
ルードヴィヒを陥れた者達?
彼等はもうどこにも居ない。
去ったのではなく、もう何処にも居ないのだ。
ともあれ様々な運命の変転を経て連盟の術師となったルードヴィヒ。
愛する家族はマルケェスの手により外国で健やかに暮らしていることもあり、ルードヴィヒは己の根源を更に磨き上げた。
結句、非常に癖のある彼にしか扱えない術が生み出されたのであった。
彼の術はその“場”に法を敷く。
それはその場の者が極々自然に、無理なく守れるものでなければならない。
なぜならば法とは極一部の者が努力や才覚をもってかろうじて守れるようなものであってはならないからだ。
そして“法”を破れば、ルードヴィヒの“場”はその罪に対し罰を与えるだろう。
もちろん、ルードヴィヒ自身が破った時も同じだ。
“場”は彼自身を罰する。
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