第3話 連盟術師ポー・ロレンツォ(上)

 ◆


 連盟術師、ポー・ロレンツォ。

 杖の名は『悼みいたみの箱』。

 彼は世界中の不幸を集める。

 不幸とは何か。

 不幸とはあらゆる理不尽だ。

 省みられる事の無い、報われぬ魂、業をポーは集め、掬い上げ、救いあげる。


 彼の術の根源はまさにその “理不尽” であった。


 連盟の術師とはただでさえ畏怖されているが、ポーに関しては格別だ。

 何せ彼は一国を丸々滅ぼしている。

 それも、生まれ育った国を。


 それと、彼自身があえて露悪的に振舞っているというのも彼が忌避される要因でもあった。


 他者の不幸を喜び、それを見る為に世界中を行脚するなど悪趣味の極みではないか。


 だがポーにとってはそれで良いのだ。

 自身に好意を抱く人間など居てはならないとすらポーは考えている。


 そういった思考は、過去にトラウマ的な悲劇に見舞われた者によく見られるものであった。


 ◆


 彼は亡国の貴族、その嫡男であった。

 ポーとは彼の国の言葉で “慈しみ” を意味する。


 嗚呼、その名前の何と皮肉な事だろうか、ロレンツォの家は人身売買を生業をしていた。

 要するに奴隷商だと言う事だ。


 そんな家が何故貴族に?と問われれば、その答えは金である、と答えざるを得ない。

 そう、ポーの父、アルザス・ロレンツォは平民の人生何回も何十回分もの金を堆く積み上げ男爵位を買った。


 アルザスは酷薄な男であった。

 いや、極度のサディストと言うほうが正しいか。


 ある日、アルザスはポー少年の前に二人の男女を立たせた。

 男女は裸で、全身に生傷があった。

 そんな二人の男女を屈強な男達が押さえつけている。


 それより何よりも…


「父上、何故彼等は目と口を縫われているのですか」


 ポーがアルザスに問うと、アルザスは口元を歪めながら答えた。


「何かを見る事、話す事。その権利が彼奴等にはないからだ。彼奴等は虐死奴隷と言う。国に対して大罪を働いたものだ。通常、奴隷と言うものは主人が自由に扱ってよいモノだ。しかし虐死奴隷は違う。決められた期間の内に死ななければならない。つまりどういう事か分かるか、ポー」


 ポーの目には、アルザスの瞳がギラギラと黒い光を放っているように見えた。


「…どういう事でしょうか、父上」


 アルザスは乱杭歯をむき出しにして、唸るように嗤いながら答えた。


「何をしても良いということだ」


「…でも、かわいそうです…」


 喘ぐような囁き声でポーは反駁する。

 その場の異様な圧をポーは感じていた。圧はぬらぬらと形を取り、幼いポーの喉を締め付けてくる…そんな錯覚すらも彼は覚えた。


「可哀想と言うのはな、ポー」


 アルザスがニタリと笑い、テーブルの横に添えられていた樫で作られたステッキを手に取る。


「可哀想と言うのはな、ポー」


 アルザスは再び繰り返し、ステッキを振りかざす。

 何をするのかは明らかであった。

 ポーは止めようとするが声が出ない。


「こういう事をッ!言うのだ!」


 激しい打擲音が執務室に鳴り響く。

 何度も何度も鳴り響く。

 悲鳴は聞こえない。

 なぜなら、叩かれている女性は口を縫われている。

 だから呻き声しかあげられないのだ。


「これだッ!これがッ!可哀想と言うんだッ!」


 血が舞い散り、うめき声は激しく、そしてすぐに静かになった。


 ポー少年は押さえつけられている男の方を見た。

 目を縫われているが、透明な液体が滴っている。

 暴れようとしているが男達がそれを許さない。


 ポー少年は何が正義で何が悪なのかわからなくなってしまった。

 彼は自身が尊き存在、貴族であると。

 貴族とは善の体現者であると教えられ育ってきた。


 しかし、目の前の光景、これを為す者が善なのか。

 ポー少年にはそうは思えない。

 だが、彼の人生経験ではなぜそれが善ではないのかを説明する事が出来なかった。


 あるいは彼等には “これ” をされるだけの理由があるのかもしれない。アルザスは大罪を犯した、といっていたではないか。


 ポー少年は後からアルザスに教えられた。

 打たれ、死んだ女は男の妻だったそうだ。


 ところで二人の大罪とはなんだったのか?

 これはポーが長じてから知った事だが、男の妻を見初めたこの国の上級貴族が男に妻の提供を迫ったが、男は断わったそうだ。


 それが大罪として扱われた。

 この国ではそのような所業が平然と行われていた。


 ◆


 ある日、ポー少年は父アルザスに奴隷のあしらい方を教えられていた。


 曰く、奴隷とは人にあらず。道具である。

 曰く、ただし道具というのは “扱い方” が決まっている。用途に応じた取扱方をせよ。


 曰く、曰く、曰く


 アルザスの言葉は乾いた地に染み入る雨のようにポー少年へ浸透していく。

 その雨は毒の雨であった。


 ◆


 ポー少年は青年の手前に差し掛かる年齢へと成長した。

 その頃には既に彼もまたアルザスと同様に、いや、アルザスほどには酷薄ではないが、十分に冷徹といえる奴隷商として成長を遂げていた。


 そのまま成長していけばポー青年はアルザスの写し身の如き存在に成り果てていただろう。


 ◆


 ある日、ポーの国と隣国で戦争が起こった。


 突如の宣戦布告は隣国にとって青天の霹靂であった。いや、不穏な兆候がなかったわけではない。ポーの国の国王は少し前に王位を継承したばかりだが、その王の様子に不審なものが見られるようになっていたのだ。


 王がまだ王太子であった時、その輝く様な英明さはポーの国に光を齎す事を誰の目にも予見させた。前王は暗愚ではなかったものの、よく言えば平凡、悪く言えば事なかれ主義者であった。


 だが王太子が王となった時、その様子が次第に変わっていった。


 陰が、魔が、邪が。


 若き王に宿り、そして日々それらの負の要素は肥大化していった。


 ・

 ・

 ・


『国王陛下に宿りし魔を祓わねばならぬ』


 宮廷魔術師長にして魔導協会2等術師、義の人であるガイラルディ・エルマンドラは王に魔が宿ったと看破した。彼は現王の変容が“なりかわり”によるものであると考えたのだ。


 “なりかわり”と呼ばれる魔族は一種の精神寄生体であり、人を宿主として記憶と精神、肉体を乗っ取る。

 ただし、本人が強い魔力を持っている場合は乗っ取りの成功率は著しく下がる。


 なぜなら強い魔力を持つという事は強い自己を持つという事であり、それは己の中に強固な内面世界を構築しているということである。

 そういった内面世界に軽々しく足を踏み入れるという事は“なりかわり”にとっても命がけとなる。


 現王はその点、強い魔力を持たず、その若さゆえか精神的にも強靭とも言えない。

 “なりかわり”に乗っ取られる可能性は十分以上にあった。


 ともあれ彼は弟子を数名連れ、王の下へと向かった。

 場合によっては王を弑逆してでも、という覚悟を抱いて。


 結論から述べれば、ガイラルディの試みは失敗に終わった。

 王の下には王国近衛騎士隊が待ち構えており、ガイラルディとその弟子達は皆殺しにされた。


 彼とその弟子達の行いは王家への叛逆と見做され親族全てに捕縛の手が及んだが、ガイラルディたちは既に家族を国外へ逃した後であった。

 レグナム西域帝国の協会術師に家族を託したのだ。


 王は歯噛みをするが、レグナム西域帝国へ追手を出すわけにはいかなかった。

 かの帝国はかつての覇権主義こそはなりを潜めているものの、国すべてが巨大な蜂の巣のようなもので、侵略行為に対しては極めて攻撃的に対応する。


 ともあれ、ポーの国が前王の代まではクラル王国とはそれなりの付き合いであったに関わらず、現王の代になった途端にクラル侵攻に至ったのはそういった背景があったのだ。


 ◆


 両国の軍事力の差は歴然であったが、降伏の条件として国が隣国に提示したのは隣国の何もかもを収奪しようかと思われるような惨いものであった。


「クラル王国との戦争は年内に決着がつきそうだ。軍事力の差は歴然であったから勝利を疑ってはいなかったが、先の会戦で大勝を収めた事でほぼ趨勢は定まったように思える。大量の奴隷を仕入れる好機だな」


 クラル王国とはポーの生まれた国の隣国にある月の女神を奉じる小国だ。

 魔術の触媒に有用な月鉱石という青白い鉱石を産出する鉱山を有しており、これがクラルの産業を大いに支えている。

 クラル王国の、文字通りの生命線であった。

 だがその鉱山を重要視するのはクラル王国だけではない。ポーの国もまたクラルの鉱山を注視していた。


 アルザスの言葉にポーはそうですか、とだけ返す。

 この頃になるとポーの感情表現は酷く希薄になっていた。


 ある種の野生動物は死を偽る事で外敵から逃れようとするそうだ。

 ポーの薄い感情は彼自身の精神を守るための一種の防衛反応であったのかもしれない。


 気付けばポーは自身の精神世界に1つの箱を幻視するようになっていた。

 箱には一体なにが収められているのか。

 ポー自身にすらそれは分からない。

 だがポーの箱はどんどん大きくなっていった。


 ポーが己の“箱”を幻視した日を境に、彼は夜な夜な屋敷の近くの森林を彷徨い歩くようになる。


 深夜徘徊の理由は単純だ。

 ストレスである。


 日々の生活で非常なストレスが彼の精神へかかっているのだ。


 ポーが住まう屋敷の地下には、常に半死半生となるまで痛めつけられた虐死奴隷達が繋がれていた。アルザスは自身のストレスの発散の為に彼等を嬲り、或いは殺している。


 ポーがその事を考えるたびに彼の中の“箱”はどんどん大きくなっていくが、何故か箱には1人の禿頭の男が腰掛けていた。


 ポーはその男とは当然の事ながら面識などはない。しかしポーが心中の“箱”を想うと、男はいつも箱に腰掛けており、あろうことか笑みをすら投げかけてくるではないか。


 ――嗚呼、僕は狂っているのかもしれない


 ポーは思う。

 しかしそれは誤りだ。

 彼が狂うのはこれからである。


 ◆


 ポーの国とクラル王国の戦争は極めて短期間の内に収束する事となる。


 国とは何か?

 国とは人である。

 人が集まり国を為す。


 そういう意味でポーの国はクラル王国を徹底的に蹂躙し、陵虐し、陵辱した。


 群れ、群れ、群れ、人の群れ。

 この群れは全てクラルの国民だ。

 クラルの国民が裸にされ、首に縄を打たれて荒野を歩いている。


 クラル国民は奴隷として、商品として選別されていった。

 老いた者、病気の者、そういった者は殺され、大地は血で紅く染められる。

 それはさながら鮮血の絨毯の様であった。


 ◆


「王女が逃げ出したそうだ。王家に伝わる抜け道とやらが見つかったらしい。月の女神の再来、麗しき月光のファシルナミエ王女か…ふ、ふ、ふふふ。儂の商会で取り扱えたらさぞや莫大な益が齎されるであろうな。とはいえ国から追手がでておる。直ぐに捕まるだろうよ」


 アルザスの言葉にポーは能面のような無表情さと沈黙を以って答えた。

 そんな態度をとられてもアルザスはポーを咎めようとはしない。

 なぜならポーが商会の実務を取るようになってから売上げは減るどころか増大しており、なによりも


(なによりも、あの眼よ。アレは人の眼ではない。だがあれで良い。あの眼を親である儂に向けられるのであれば、ロレンツォ家は息子の代で更に栄えるであろう)


 アルザスはぶるりと震えながらも思う。


 ◆


 ポーはその日も深夜に森を彷徨い歩いていた。

 冷たい夜気がポーの頬を撫でると、彼はそこに癒しはなくとも慰めを見出す事は出来た。


 ガサリと木立が揺れる音がする。

 獣だろうか?


 ポーは音のする方へ顔を向け、様子を窺う。

 何も出てこない。


 ――藪をつついて蛇を出す必要はない


 ポーはそう思うがその時なぜか霊感が囁いた。


木陰を覗いてみろ、と。


 豈図らんや、木陰の奥に居たのは1人の少女であった。蜂蜜色の髪の毛は泥を被り薄汚れている。ぶるぶると震える様子はまるで殺される直前の野兎の様であった。年の頃は14、5といった所であろうか。

 ポーはこの時、齢18を数えていた。


 彼の目の前で少女は背を丸めて酷く怯えている。


「あなたは誰ですか?」


 ポーは短く誰何するが少女は答えない。


 ポーは徐に上着を脱いで、少女の肩にかけた。

 何故そんな事をしたのかといえば、ポー自身にすら分からなかった。


 だが、明らかな弱者に憐憫の情を覚えると言うのは真っ当な人間であれば当然の情動ではないだろうか?

 例えば道のど真ん中に弱りきった野良猫が倒れていたとして、せめて道の端に避けてやるくらいの憐憫の情動は真っ当な人間なら持っているのではないだろうか。


 中には弱った者を見れば興奮し、更に虐げたくなる者もいるだろう。例えばポーの父親のアルザスのように。


 しかしポーという青年は感情の多くが磨耗してしまったとはいっても、いまだに多少の情動を残してはいた。


 肩にかけられた上着を見た少女は暫しきょとんとし、やがて俯き、小さい声で答えた。


「ファシルナミエ、です…クラル王国の…」


「王女」


 ポーが後を引き継ぐと、少女…ファシルナミエは怯えを見せ、ややあって小さく頷いた。


 ポーは思う。


 ――厄介な事になったかもな


 だが、不思議と父へ引き渡そうとは思わなかった。


「僕はポーと言います。この国の貴族…の息子。ただし、あなたを害する積もりは無いです。今の所は」


 ◆


 ファシルナミエを屋敷に連れて行くわけにもいかないので、ポーは彼女を森の一角にある狩猟小屋へつれていった。


 深夜徘徊の理由として、彼はアルザスへ夜行性の獣を狩る事を趣味としていると説明している。

 貴族が狩りを嗜むというのはこの国でもある種の常識めいたものとして知られているので、アルザスもそこはとやかく言わずに息子の為に狩猟小屋を建てたのだ。


 鍵はポーだけが所持しており、屋敷の者達も主人の息子の所有物へ手を出そうとは思わない。


 森の狩猟小屋はファシルナミエが隠れるにうってつけの場所であった。


 何となく憐憫のような何か、人の情の残滓…そのような曖昧模糊としたナニカに身を委ねたポーは、小屋へ匿ったファシルナミエに飲み物や食料を提供した。これは例えるならば捨て猫や捨て犬にミルクをくれてやるような心境に似ていたかもしれない。


 話を聞くに、彼女は王家の抜け道から数名の侍従と共に城外へ逃れたとの事だった。

 何人かいた侍従達は追手から彼女を護る為に身を投げ打ち、1人、また1人と斃れていった。


 何がどうなってロレンツォ家の敷地まで流れたのか、そしてポーと出会うに至ったのかに理屈だった説明はない。

 陳腐な言い方をするならばそれが二人の運命だったのだろう。


 ファシルナミエはポーの気まぐれでつかの間の平穏を得る。


 しかしポーもファシルナミエも、この平穏は永遠に続くものではない事は分かっていた。

 いつかは誰かがポーの行動に勘付くだろう。


 国の追手だって阿呆ではない。

 逃走ルートを洗っているうちにロレンツォ家までたどり着いてしまうだろう。


 ファシルナミエはお嬢様であり王女様であって、手練の斥候ではないのだ。

 逃走痕などはそこかしこに残っている。

 追手がそれを見つける事はポーにとってはそれほど難しい事のようには思えなかった。


 薄ら寒い破滅の気配を孕んだ二人の交流は、見かけ上は穏やかに進んでいく。


 ◆


「あのう、ポー。なぜわたくしにここまでしてくれるのですか?」


「僕もわかりません、ファシィ。多分…偽善だと思います」


「ご自分で偽善だという人は珍しいですね…」


 ・


「ファシィ、確か冒険王ル・ブランが好きだといっていましたよね。紀行本が書斎にあったのですが読みますか?僕もこれは読んだのですが、どうにも眉に唾をつけてもなお信じがたい事ばかりが書かれていて首を傾げてしまいました」


「まあ!嬉しいです、ポー。ええ、わたくしはル・ブランが大好きなのです。確かに彼の本には頓狂な事ばかりが書かれておりますけれど、夢があってよろしいのではないですか?人はパンのみで生きるわけではないのですから」


「それにしたって山脈に巻きつく巨大な蛇のバケモノがいるなんて、僕は信じたくはありませんよ…」


 ・


「窮屈な思いをさせて申し訳ありません、ファシィ。でもいつまでもこのままで、とは思っていません。なんとか外へ、外国へ逃すためのツテを手に入れますからね」


「有難うございます、ポー。でも無理はしないでください、わたくしを匿っている事が知られれば貴方もタダではすまないのでしょうから」


「僕は多くの本を読んで学んだ事があります。それは人はどう生きようと、人生のどこかでは無理をしなければならない場面が1度は来るということです。その場面が今だと僕は思っています」


 ・


「ポー、もしこの国から逃れられるとしたら貴方も一緒に…」


「ええ、ファシィ。その先は言う必要はありません。僕も同じ気持ちです」


 ・


 気付けば二人は愛称で呼ぶようになっていた。

 なお、ポーはどう頑張ってもこれ以上短縮しようがないのでポーのままである。


 二人は他愛もない会話を重ね続けた。

 一応、ポーとしても彼女を国外へ逃す手を考えてはいる。

 しかし、そもそものツテがない。

 だからそのツテを作る為に最近のポーは領地外に出る仕事も積極的にこなすようにしていた。


 ある日、ポーは小さい取引先との商談を全面的に任せられ、王都へと向かった。


 王都に住まう貴族へ愛玩用の奴隷を渡しにいくのだ。その貴族は奴隷をすぐ“壊して”しまうため、所謂売買の回転が早い。


 ファシルナミエとの交流で多少なりとも人間性が回復してきたポーではあるが、だからこそ一層に家業の業の深さが厭わしい。


 ともあれ、下手にアルザスに逆らい動きづらくなってしまっては元も子もないのでポーは唯々諾々と、しかし鬱々と従っていた。


 取引は首尾よく済んだ。


 受渡しの時に奴隷の女性の真っ黒い穴のような瞳から伸びた視線が、まるで物理的な力を持ったかのようにガリリリとポーの胸に突き刺さる。


 錆びた錐が突き刺さるかのような幻痛を胸に覚えつつ、ポーは努めてその視線に気付かないフリをした。


 領地に戻ったポーは夜、森の小屋へと向かった。

 しかしファシルナミエは小屋の何処にもいなかった。


 森の何処にもいなかった。


 ◆


「おはよう、ポー。なかなかやるじゃあないか、息子よ。既に捕らえていたとは!しかし水臭いな、なぜ儂に告げてくれなかったのだ?」


 朝、執務室に向かうとアルザスはニヤニヤと笑いながらポーの肩を叩いてきた。


 ポーは厭な予感で胸を焦がしながらも何の事かを尋ねる。


「何って…コレだよ、コレ!」


 アルザスはパンパンと手を叩いた。

 すると従者が布に覆われた長い台を押して持ってきた。台の下部には車輪がついている。


 ポーが気になったのは布の下だ。

 台に乗っかっている “何か”がこんもりともりあがり、布がその上から覆いかぶさっていた。


 布の下がポーには気になって仕方が無い。

 しかし、布を取りたくない。

 布の下を絶対に絶対に視界に入れたくはなかった。


「王家に提供してもよかったのだが、儂らの如き商人上がりのなり上がりへの恩賞など多寡が知れていよう。であるならば、“有効利用”をしようではないか、なあ? ハハハ!!」


 アルザスはそう放言すると、一息に布を取り払った。


 布の下には両の手足を切断された全裸のファシルナミエがいた。

 瞼と口は念入りに縫いとめられている。


 ポーは絶叫をあげ、意識を失った。


 意識を手放す寸前、ポーの耳朶をアルザスの低い声が打った。


 ――儂が気付かないとでも思っていたのか?


 ◆


 ポーは真っ白い空間にぽつねんと立っていた。

 空間の中央には黒く、大きな箱がおいてある。

 箱には喪服を着た禿頭の男が座っていた。


「やあ、ポー。私はマルケェス・アモン。君の心にお邪魔をしています。この箱は君のモノでしょう?なんと美しく、悍ましい。しかし、気付いていますか?この箱が君の中で大きく大きく膨れ上がってきているのを」


「ポー、無垢なポー。純粋なポー。賢いポー。箱がこのまま大きくなり、君の心の容量を超えてしまえばどうなるか。君は壊れてしまいますよ。パリン、とね。今は私がこの箱を抑えていますがね。ほら、ぎゅうっと。しかし君はいずれ選ばなくてはいけません。え?何をって?ウフフ、決まっているでしょう。壊れるか、壊すか、ですよ」


「ポー。覚えておきなさい。私の名前を。マルケェス・アモンの名を。君がもうこの世界に耐え切れなくなった時、君がこの世界の理不尽に絶望して消えてしまいたくなった時、君が自身の無力を呪いたくなった時、それらが限界に達したと思ったならば、呼びなさい。私の名を。その時にもう一度問いを投げましょう、壊れるか、壊すかを」


「しかし私には、君がどちらを選ぶか分かる気がします、なぜなら君は無力だからです。無力ゆえに力を求める。力無きは罪だ。みなさい、君は自身の無力という罪ゆえに」


 箱に腰掛けるマルケェスの姿がどろりと溶けた。

 そして再び形を成した時、その姿は


 四肢の無い蜂蜜色の髪の毛の少女。


 ――ファシルナミエ


 芋虫のような姿のファシルナミエが口を開いた。


「あなたが無力だから、私はこんな姿になりました、ポー」


 ポーは絶叫し、夢の世界で再び気を失った。


 ◆


「……っ。は、ァ!!ファシィ…ファシィは!?」


 ポーは飛び起きる。

 周囲を見渡すと、そこは自室であった。

 時刻は朝の時分の様だ。

 鳥の鳴き声が聞こえる。


「厭な夢を見てしまったな…」


 ポーは独りごち、身支度を整えると部屋を出てアルザスの執務室へ向かった。


 アルザスは何やら書類のようなものを見ていた。

 ポーに気付くと着座を促し、今日するべき仕事内容を告げる。

 仕事内容はポーにとっては全て既知のものだ。

 しかし量が少ない。


 その事をアルザスに尋ねると、彼はどこか嬉しそうに答えた。


「うむ、王都へと向かう。クラル王国との戦争においてわが国は大勝を収めた事は知っているな?その戦功表彰が王都で行われる。我が家も戦費を大いに供した。表彰の対象だぞ。金を出すのも立派な貴族の義務だからな、ふはは!そうだ、“葬儀屋”がこの後に来るからな。引渡しの仕儀は任せたぞ」


 “葬儀屋”とは隠語であり、要するに死体処理業者である。

 極度のサディストであるアルザスは虐死奴隷を好んで仕入れ、“壊”す。


 その処理を例えば森などに埋めてしまっては獣などに掘り起こされてしまうかもしれない。

 腐敗した遺体が疫病の原因となる事は広く知られた事だ。


 だから業者に任せるという寸法である。


 彼等は違法に遺体を集め、活用する。

 人の身体というのはいろいろと使い道があるのだ。例えば魔術の触媒として。


 強い術というのはそれだけ特殊な触媒、あるいは体質を要する。


 人を呪うにせよ、癒すにせよ、肉、骨、髪の毛にいたるまで余さず有効活用が出来る。

 ただし、遺体というのはこれはこれで手に入れ難い代物である。


 “葬儀屋”はこの仲介を生業としている。

 遺体を受取り、それなりの礼金を渡し、遺体は外道術師やら医療術師やらへ引き渡す。


 ◆


 屋敷の裏口にやってきたのは黒いローブに身を包んだ怪しい男であった。

 彼こそが葬儀屋だ。


「ええ、ええ。では6体ですね。ええ、ええ、かまいませんとも。私共は何体でも引き取りますよ、ええ」


「ええ、ええ。いつも通りに地下から、ね。構いませんとも。運搬はお任せください。ところで旦那様はどちらへ…?ああ、そうですか、ええ、ええ、構いませんとも」


「ふむ、ふむ。確かに6体ですね。それでは運び出します。しっかり布を敷きますのでお屋敷は汚しませんとも、ええ」


「ええ、ええ。随分良いモノがありましたね、ええ。となれば少し私どもも出すものを出さねばなりませんね。ふふ、王族の遺体というのは格別なのですよ、ええ」


「はい?ええ、かまいませんよ。どうぞどうぞ。お別れの言葉をかけてあげるおつもりで?坊ちゃんはお優しいですね」


 ◆


 ――夢ではなかったのか

 ――嗚呼、なぜ


 ポーは“それ”の頬へ手を伸ばした。

 既に腐敗が始まっており、匂いが鼻をつく。

 蜂蜜色の髪の毛は色褪せ、白磁の如き肌は青褪め、陰の気を放出している。


 ポーはファシルナミエの青白く変色した硬い唇へ己のそれを落とし、ぽつりと呟いた。


 ――マルケェス

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