第4話 連盟術師、ポー・ロレンツォ(下)

 ◆


 ――マルケェス


 ポーが呟くと視界が暗転した。

 しかし暗幕は直ぐに開き、いつのまにかポーは白い空間に居た。


 黒い箱、そしてそれに腰掛けるマルケェス。


「さあ、もう一度聞きましょう。ポー君。君は壊れたいですか?それとも壊したい?」


「どちらがより楽になるかといえばそれは前者でしょう。なぜなら君の精神はもはやこれ以上の負荷に耐えられない。人が人である証とは、その精神にあると私は思います。狂ってしまえば君はこれ以上は苦しくなりませんよ。君は自分がポーであったという事すらも忘れ、忘我のままに意識は雲散霧消するでしょう」


 マルケェスはニコニコと、何が嬉しいのか分からないが、とにかく嬉しそうにポーへ話を続けた。


「壊したい。これを選んだならば、ポー、この箱が見えますね?これの使い方を教えてあげます。この箱はね、君が君を護るために作ったのですよ。この中には君が消化しきれない、そして救いきれない業が、理不尽が入っています」


「君は生来術師としての才があったのでしょうね。術師とはその者個人個人で異なる“世界”を持っているものです。真に優れた術師とは、外側からではなく内側から力を引き出す。君の世界とはまさにこの箱です。君の世界は余りに切なく、そして悲しい。見なさい、私のお尻が浮きかけています。こうしてぎゅうっと抑えつけているのに。なんという業か!」


「ポー。個人的な見解を述べさせていただければ、私はこちらを選んでもらいたいですね。そして君はこの箱の中に沢山沢山たくさんの理不尽、業、報われぬ、救われぬ出来事を詰め込むのです。悲しき業は君の箱の中でつかの間の安らぎを得るでしょう。そして、十分に休ませてあげたならば解放してあげなさい。魂は浄化され、巡り、あるいは次の生こそは幸せを得るかもしれませんよ…」


 ――壊すのです、理不尽を


 マルケェスの囁きが密やかに残響する。


 ポーは選んだ。

 どちらを選んだかなど言うまでもなかった。


 ◆


「…?おや、坊っちゃん。そういう趣味があったんで?ええ、ええ。構いませんとも。別れの接吻ですね。ええ、素晴らしい。報われぬ愛の美しさたるや!」


 “葬儀屋”は含み笑いを漏らした。

 だが直ぐに異変に気付く。


 ポーの眼が


「おや、おや?坊ちゃん。貴方は青い瞳ではありませんでしたか?紫…?」


 ポーの眼が美しい紫色に変じていた。

 6体の遺体から青白い球体が浮かび上がり、スウっとポーの瞳へと吸い込まれていく。


「ハァァァ…マーリオ、アリュール、ケッセ。ジョアン、アダール、そしてファシルナミエ。理解る。君達が何をされてきたのかを。その間に何を感じ、何を想い、何を恨み、何を心に抱き死んでいったのかを」


 ぎょるり、とポーの紫色の瞳が“葬儀屋”を見据えた。するとあろうことか、“葬儀屋”の瞼をどこからともなく現れた糸が縫いとめたではないか。


「ぎゃあッ!ぼ、坊っちゃん!?これは!これは一体…」


 喚く“葬儀屋”の唇に、ポーは人差し指をあてると、その口は縫いとめられた。


「僕は貴方にこれ以上は出来ません。なぜなら彼等は…この六人は貴方にその死を利用されたとはいえ、貴方自身が彼等を苦しめたわけじゃあないからだ。その眼と口は…彼等のちょっとしたお叱りのようなものです。でも、この先どうなるかは分かりません。貴方からはこれまでの死体をどう処理したか、そういう事を話してもらう必要がある。ともあれ今はそこで大人しくしている事です、その眼と口はあとで開いてあげますから。分かりましたか?…ああ、わかっています、ファシィ。父に会いに行くとしよう。ああ、その前に地下ですね。うん、うん、分かっています」


 “葬儀屋”は震えながら首肯した。

 まるで自身の背に冷たい骸が圧し掛かってきているかのような不気味な圧力を感じていた。


 ◆


 執務室。

 ノックの音。


「…なんだ、ポーか?入りなさい。言いつけた仕事は済んだのか?“葬儀屋”は幾ら出したんだ?」


 アルザスが書類から眼を上げずに答える。

 足音が聞こえる。

 机の前で誰かが立ち止まった。

 ポーだ。


「ポー。なんだ?お前が無口なのは勝手だが、仕事の話ならはっきりもの、を、い」


 彼はその先を口に出す事が出来なかった。

 なぜなら口が蜂蜜色の糸で縫い付けられたからだ。


 アルザスは眼を目一杯に開き、目の前の息子…ポーを見つめる。


 それは確かにポーであった。

 だがその目は紫に染まり、目元と口元は共に半月の上弧を描いていた。


「クレア、ミリアム、ジャックス、バロー、ロイド、ナナ、フォールズ」


 ポーはアルザスの耳元で囁いた。

 アルザスは残酷だが莫迦ではない。

 その名が誰の名前なのか分かった。


 ――儂が殺した、奴隷、の


「父上。今言った人達だけではありません。僕は他にもいろんな人から話を聞きました。みいんなみいんな、僕の中に居るんです。みんな父上と話したがっていますよ…」


「でもね、父上。僕が今父上と一番話してもらいたい人が1人いるんです」


 ポーはパン、パンと手を叩いた。


「ッ!?~~~ッ!!」


 アルザスの両の腕の根元に赤い線が入ったかとおもえば、彼の太い腕がぽとりと床に落ちた。


 アルザスは激しく暴れる。

 だがその肩を強く押さえつけるものがあった。

 細い手だ。

 だがその細い手には大柄なアルザスが身動きも出来ない程の剛力が込められていた。


 アルザスはゆっくり背後を振り返る。

 そこに居たのは、蜂蜜色の…


「父上、僕はきめました。報われぬ業があるならば、救われぬ魂があるならば。僕がそれらを全てを集めましょう。世界中の不幸を僕の中に収めましょう。死者は口を持たぬゆえに話ができない。死者は肉体を持たぬゆえに恨みを晴らせない。であるならば、僕が彼等の口となり、手となりましょう。その為には僕は部外者である必要がありそうですね。僕自身が巻き込まれるというのは得策ではない…。なぜならば、僕の目的のためには収集者である僕、そして理不尽を与えるもの、その被害者が必要だからです。僕自身が被害者となったり、理不尽を与えるものになってしまっては、これはもう何がなにやら分からなくなってしまう。聞いていますか父上?」


 ポーの長広舌が終わると、アルザスはいつのまにか両の手足を落とされ絶息していた。


 だがポーが眼を見開くと、ポーの身体全体から紫色の光る靄が立ち昇り、アルザスの身体から抜けて空に昇ろうとしていた蒼い球体を絡めとる。


 蒼い球体はアルザスの身体へ強制的に戻され、アルザスは息を吹き返した。


「終わらないのです、父上。業が晴れるまでは。父上が与えてきた痛みが父上が受ける苦しみと等価になるまで、続くのです」


 その日、ロレンツォ邸に響いたのはくぐもった絶叫だ。


 絶叫は続いた。

 何日も何日も続いた。


 ◆


 ある日、ポーは執務室で豪奢な椅子に腰掛けながらぼんやりと床の物体を眺めていた。


 既に原型は留めていない。

 肉の塊である。


 ポーの眼はそれを見ているようで見ていない。

 彼は己の視界に薄っすら映る人々を視ていた。


 靄の様な人々はポーに軽く頭を下げると、やがてその形を崩し、宙へ溶け消えて逝く。

 そんな中、ただ1人だけ残った人影があった。


「ファシィ。そうですね…次は王様に会いに行きましょうか」


 人影はゆらゆらと揺らめき、ポーと重なっていく。


 光の反射だろうか、重なった二つの影はどこか青年と少女が口付けているようにも見えた。


 ◆◆◆


 因果応報という言葉がある。

 その者が為した原因に対し、結果は応報するのだ。

 しかし、その者に原因が無い場合は?

 ただただ結果が、それも惨い結果が降りかかる事がないと言えるのか。


 ある。

 人はそれを理不尽と言う。


 連盟術師、『悼む箱』ポーの固有の術の起動条件は理不尽な悲劇、不幸である。


 不幸にも理不尽にまみえ命を落とした者の恨み、憎しみ、負の感情を触媒とし、自身に応報の権能を与える。


 応報の権能とは、その者に降りかかった不幸、理不尽をそれを与えたものへ返すという力だ。

 また一時的に仮初の命、肉体を与え、自身の手でその者へ応報させるという事も出来る。


 ポーの術に抵抗は出来ない。

 結果は必ず発現される。


 例えば不幸にも辻斬りにあって死んでしまった者がいたとしよう。

 その者がポーの術により彼の箱の一部になったとする。


 そうなれば、辻斬りをしたものが世界の何処へいこうともポーには居場所が分かり、たとえ鍵が掛けられた部屋に閉じこもろうとも、その鍵は自ら開かれるだろう。


 そして、たとえ全身をプレートアーマーで覆っていようと、被害者と同じ箇所に同じだけの深さの傷が刻まれる。


 刻まれた後はどうなるのか?

 死ぬのだ。


 その者が強靭な肉体をもっていようと関係はない。なぜならば被害者は死んでしまったのだから。犯人もまた死なねばならない。


 そこにあるのはただ結果だけであって、過程は飛ばされる。

 よっていくら自身を鎧おうと無駄なのだ。


 そして、理不尽さが解消され因果が正しく応報された時、被害者の負の念は触媒として完全消費され、その魂は負の呪縛から解き放たれ浄化され、天へと還る。


 この還天を以って彼の術は終了する。


 ※


 なお、連盟の術師達は彼については複雑な気持ちを抱いている。

 それは彼があえて露悪的な振る舞いをとっているからだ。

 その辺の聖職者などより遥かに尊い行いをしているのだから、むしろ堂々と誇るべきだろうと詰る者も居た。


 しかし彼には、ポーには分かっていたのだ。

 顕現した力の質からして、今後生きている限り自身が安穏な人生を歩む事などは出来ないであろう事を。


 そうであるなら、人を遠ざけようとする彼の振る舞いにも一定の理解はできるというものである。

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