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 夏休みも中盤。

 由花はいつものように教室で課題を進めている。ちらりと時計を見れば、午前10時42分。雫との約束の時間まで、20分を切った。

「もうそろそろだなぁ」

 雫と出会ってからというもの、由花は休む暇もなく遊びに連れられた。とは言っても、どれもこれも学校内の教室をこっそり使ってやるものばかりだったが。

「雫先輩、案外強引なんだよね」

 あんなにも柔らかい雰囲気を纏っているのに、雫は結構押しが強かった。他人の意見を尊重しそう、という由花が抱いていたイメージが即座に崩れる。

「まぁ、それもそれで良いんだけどさ」

 誰に向けてでもなく、由花はただ微笑んだ。雫の性格は、別に嫌いではない。

 その時、不意に足音が聞こえてきて、教室の扉がガラガラと開かれる。由花が振り向いた先には、二人の女子生徒が入って来ていた。見覚えのある顔。彼女のクラスメートだった。

「あれ、もしかして和田さんじゃない?」

「あ、本当だ。久しぶりだね」

 2人が由花の存在に気がつき、手を振った。

「あ、久しぶり。えっと……確か、日比野ひびのさんと山里やまざとさん、だっけ?」

「そうそう。でも、なんか堅苦しいから実夜みやでいいよー」

「私もこずえって呼んで」

 実夜と梢は割とフレンドリーだった。そのおかげか、2人と話したことがなかった由花でも会話に窮屈さを感じない。

「分かった。じゃあ私も由花でいいよ。ところで二人は何しに来たの?」

「私、ロッカーに教科書入れっぱだったからその回収」

「私も同じく。由花は何してたの?」

「私は人と待ち合わせ」

「へー、そうなんだ。学校で待ち合わせなんて珍しいね。一人?」

「うん、そうだよ」

「じゃあ『アグリさん』に気をつけないとね」

「『アグリさん』?何それ?」

 初めて耳にする単語に、由花は思わず聞き返す。すると、少しだけ2人に驚かれた。

「えっ、由花知らないの?結構有名だよ、うちの学校で」

「有名?それって、七不思議、みたいな?」

「そうそう」

 実夜が頷く。だが、由花にはまだしっくりとこない。

「なんでこの時間に気をつけなきゃいけないの?幽霊なら普通は夜じゃない?」

「あー、私たちも最初はそう思ってたんだけどね」

 実夜と梢は「分かる」と言いたげに首を縦に振る。どうやら、理由か根拠があるらしい。梢が説明を続ける。

「話を聞くところによると、アグリさんは真っ昼間、今ぐらいの時間帯が一番現れやすいんだって。それで、友達になれそうな子を見つけたらあの世に一緒に連れていっちゃうんだって。だから、『いざないのアグリさん』なんても呼ばれているんだよ」

「へー、初耳」

「アグリさんを鎮めるために、アグリさんが出やすい2年生の教室には遊び道具がいっぱいあるんだって」

「遊び道具?」

「そうみたい。カードゲームとかオセロとかアナログなものなんだけど」

「ふーん」

 高校の七不思議なら高校生の幽霊が出てきそうだが、遊び道具で鎮めるなんてまるで幼児扱いだ。そう思いつつ、由花は何か引っかかりを覚えた。雫と遊んだものが、2人の話と合致する。

 しかし、まさか雫がアグリさんな訳がない、と彼女はその考えを取り払った。

「だから由花も気をつけてね」

「うん、分かった」

 そもそも、七不思議なんてただの偽りだろうに。バイバイ、と二人に手を振ると、由花はまた教室に一人ぼっち。

「アグリさん、かぁ……」

 そんなの本当にいる訳ないだろう、と彼女は思う。だが、やはり雫の顔が浮かび上がってしまうのだ。

「いやいや、そんな訳ないし。そんなのあり得ないし。てか、そろそろ行かないと」

 由花は荷物をまとめて教室を出る。心なしか、彼女の足取りは弾むように軽かった。由花の中で、いつしか雫との時間は楽しみとなっていたのだ。

「あ、来た。やっほー、由花」

「おはようございます、雫先輩。今日も暑いですね」

「うん。そうだね」

 雫は開け放たれていた目の前の窓から空を覗く。真夏日という名がぴったりな、大きな太陽がギラギラと輝いている。由花は雫の隣に並んで立った。心地が良いのは、そよ風のせいか、それとも雫の隣だからなのか。

「先輩、この学校の七不思議って知ってます?」

 先ほどのことが頭によぎり、由花は何気なく訊いてみた。

「七不思議?あんま聞いたことないなー。何かあるの?」

「はい。さっきクラスメイトから聞いたんですけど、昼間に出る幽霊がいるらしいんですよ」

「昼間、って今ぐらいの時間?こんな明るいのに?」

「そうなんですよ。驚きですよね、こんな真っ昼間から幽霊なんて」

「昼夜逆転してたりね」

 雫は冗談めかした口調で笑う。由花もつられて笑顔を向けた。

「その幽霊、アグリさんって言われているらしいんですけど」

「アグリさん……?」

 雫の表情から笑顔が失せる。だが、話に夢中な由花は気づかずに続けた。

「なんでもその幽霊、友達を探しているって言われているらしいんですよ。寂しがり屋なんですかね?」

「そう、かもね……」

 雫の手が微かに震えている。俯いた拍子に影が落ちた顔は、見えないものの明るい表情をしていないことだけは確かだ。

「雫、先輩……?」

 ようやく雫の異変を悟った由花は声をかける。ハッと我に返った彼女は、無理にでも口角を上げた。

「それよりさっ」

 雫は唐突に話題を変える。

「今日は何しようか?」

「そう言ってどうせ先輩が決めるんでしょ」

「へへー、そうだね。じゃあ『ウミガメのスープ』かな!」

「やっぱりカード系なんですね。それも大人数用の」

「やっぱ気になっちゃうんだよ。さ、行こ!」

 雫は由花の手を引いて走る。

「もう、待ってくださいってば」

 そう言う由花の口元は、とても嬉しそうに綻んでいた。雫の、噛み締められた口元など、目には入らなかったのだから。

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