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「暇だなぁ……」

 教室にある左端の席にて、和田わだ由花ゆいかは呟く。背中を木製の椅子の背もたれに預け、天井を仰ぎながらゆらゆらと椅子の足を上下させていた。

 今は7月下旬。空の色は一年の中で最もと言っていいほど深みがかった群青に染まっている。夏休みに入って数日しか経っていない今日。だが、早々と彼女は暇を持て余していた。

 文化部(実質帰宅部)に所属している由花は、もちろん、夏休み中の活動も予定と言えるものも何一つない。かと言って、彼女には親友と呼べるほど仲の良い友達もいなかった。つまり、誰かと遊ぶ約束すらないということ。

 部活もない、友達もいない。そんなJKに残された道は、課題を終わらせること。

 高校生、それも大型連休に出される課題は、義務教育中の宿題の比ではない。趣味や嗜好にばかり目を向けていたら、課題など到底終わらせられるわけがない。

 故に由花は、早々に課題を終わらせて、何をするかはのんびりとあとで考えよう、と計画していた。

 しかし、だ。

「なんで誰も来ないんだよぉー!」

 集中できるように学校まで足を運んだは良い。だが、教室には人っこ一人いないのだ。

「まぁでも、当たり前と言えば当たり前、か……」

 誰が好き好んで、せっかくの夏休みに学校で課題を終わらせようとするのだろう。課題をやるにしろ、きっと殆どの人は塾に行くはずだ由花ぐらいだ。学校に来る人なんて。

「はぁ……。なんか馬鹿馬鹿しい」

 彼女は机の上に広げていたワークをリュックに詰め込み、肩にかける。

「かーえろっ」

 誰もいないなんてつまらない。正直、彼女は誰かに会いたかったのだ。

 教室を出て、昇降口へ向かう。廊下に響くのは、由花の足跡と蝉時雨だけ。

「ねぇ、貴方って暇人?」

 そう声をかけられたのは、中央の吹き抜けのフロア。聞き覚えのない声だった。

「えっ?」

 由花は驚いて振り返る。が、誰もいない。姿どころか、人影さえなかった。

「気のせい、かな?」

 もしかしたら、暑さで幻聴が聴こえたのかもしれない。だとしたら、早く帰らなければ。由花は再び歩き出す。

「ねぇってば。貴方、暇なの?」

 また、聴こえた。由花は慌てて振り返る。ついでに左右も見渡すが、やはり人気はない。

「なんなの、これ……」

 由花は苛立ちから頭を掻く。

「まぁ、いっか」

 取り敢えず、早く家に。そんな思いが強かったせいか、警戒心が薄れていた。そのせいで、振り返った瞬間に目の当たりにした光景に、脳が追いつかなかった。

「ちょっと。暇かどうか聞いてるんだけど」

 手を伸ばせば簡単に届く距離。そこに、少女は居た。腰まで届きそうな黒髪ロングに、黒曜石のような瞳。おまけに、彼女がいるのは、さっきまで誰も居なかった空間で……。

「うわああぁぁぁあっ!?」

 言うまでもなく、由花は肝を抜かれた。彼女の絶叫に、外界の蝉はしばし鳴くのを止める。

 尻餅をついた由花は、金魚のように口をパクパクと動かした。

「なっ、なんですか貴方!?い、いつからそこに!?」

「えー、ずっと居たよ?」

 少女は朗らかな微笑みを浮かべる。どことなく大人っぽい印象がある。

「嘘だっ!」

「本当だって。というか私、ずっと貴方に声掛けてたんだけど」

「声が聴こえても姿が見えないなら居ないと同じですって……」

「ふふっ、そっか。驚いた?」

「この状況で驚かない方がおかしいですよ」

「確かに」

 少女はクスクスと笑った。とても優しそうに。そんな姿を見て、由花は少し落ち着く。この人はちゃんと人間らしい部分があったことに安堵を覚えたのだ。

 同時に余裕が生まれ、さりげなく少女を観察した。整った顔立ちに、華奢な体つき。雰囲気から、おそらく自分より年上だろうと思う。

 少女は、由花が知る人間とさほど変わらなかった。唯一、夏なのにも関わらず、冬用の制服を着ているところを除いて。

「それで、そろそろ私の質問に答えてもらおうか?」

「質問?」

「うん。ほら、さっきから言ってるじゃない」

「あー、私は暇人かどうかってことですか?」

「そうそう、それ!」

「見て分かりません?生粋の暇人ですよ」

「良かった!」

「……は?」

 意外な言葉が出たことに、思わず声が漏れる。慌てて口を押さえたが、少女は特段嫌な顔はせず、むしろ謝罪を述べた。

「あ、ごめんね。別に馬鹿にしてるわけじゃないの。実はさ、私も絶賛暇人中で……」

「はぁ……」

「だから!私と同じような人がいないかなーって探してたわけ」

「そしたら私を見つけた、と?」

「うん。ほんと良かったよ、見つかって」

「見つけてどうするんですか?まさか暇人同盟でも組もうって話じゃありませんよね?」

「あ、ほぼ正解」

「マジですか……」

 何かの漫画で得た知識を適当に言っただけなのに。あり得ない、と言いたがな由花に少女は輝く瞳を向けた。

「本当だよ。まぁ正確には、同盟組んで暇を凌ごう!って話」

「暇を凌ぐ?」

「そそっ。だって悲しいじゃん?折角の高校生活。折角の大型連休。折角の夏。こんな時にただぼーっと1日を過ごすだなんて勿体無い!だったら同じ暇人同士でなんかしたいなーって、ね」

「はぁ。つまり貴方は、暇を無くしたいと?」

「簡単に言えばそうだね」

「そのために見知らぬ人に声を掛けられるって凄いですね」

「ありがとう!私ってこういうところだけが取り柄らしいからー」

「褒めた訳でもないんですけど……」

 由花は呆れる。どうやらこの人は相当なポジティブシンキングの持ち主のようだ。

「まぁ気にしない気にしない。それよりさ、今時間ある?暇ならもう早速遊ぼうよ!」

 どう?と少女の期待に満ち溢れた瞳が問いかける。どうやら由花は、面倒くさい人に目をつけられてしまったらしい。はぁ、とため息をつく由花。

「時間ならいつでもたっぷりありますけど、その前に一ついいですか?」

「ん、どうしたの?」

「貴方の名前、聞いてないんですけど」

「あっ、忘れてた」

「そこ一番大事じゃないですか」

 初対面にいきなり暇かどうかを訊くのはもちろん、まさか名前すら知らない相手と遊ぼうとするなんて。

 少女は「うっかりしてたー」と笑い飛ばす。

「私はしずく、3年」

「そうですか……って3年生!?」

「うん」

 満更でもない様子で頷く雫。焦りの欠片も見えない彼女に対し、なぜお前がと言いたいほど由花が代わりに慌てた。

「受験生じゃないですか!大丈夫なんですか暇だとか遊びたいだとか言っちゃって!?」

「あー、うん。大丈夫だよ!」

「ぜったいに大丈夫なんて言わないでしょうこの時期」

「本当に大丈夫。私受けるところ、もう受かるも同然なぐらい低いから!」

「えっ、あ、そ、そうですか。てか、それを大丈夫って言えるんですか?」

「細かいことは気にしない。私が良いって言ってるんだから良いんだよ。それより、貴方は?」

「あ、私ですか?由花です。和田由花。1年生です」

「おっ、ピカピカの1年生だね!」

「それ小学1年生限定の言い方じゃありませんか?」

「言い方に決まりはないよ」

「アバウトですね」

「そうかもね。ま、それはさておき、早速行こうか」

「えっ、行くってどこにですか?」

「まぁ付いて来たまえよ、後輩ちゃん」

「はぁ……」

 本当になんなんだ、この人。不思議な先輩、雫に連れられてやって来たのは、2年生の教室。「あのー、雫先輩。ここ、2年生の教室ですよね?」

「そうだけど、それがどうかした?」

「勝手に使っちゃって大丈夫なんですか?」

「3年生という先輩の権限があるからだいじょーぶ!それに今は人もいないし」

「そうですけど……。と言うか、教室で何するんですか?」

「おっ、待ってましたその質問!」

 雫は嬉しそうにそう言うと、本棚をゴソゴソと漁り始める。

「私がやりたいこと。それはね……」

彼女は一度振り向いて得意げな笑みを浮かべたあと、何かを持って立ち上がる。そして、手にしたものを勢いよく由花に見せた。

「じゃーん!プロポーズゲーム!」

「……」

 由花は唖然とする。もう言う言葉もない。

「まさかのまさかですけど、これを二人でやるんですか?」

「そのまさかだけど?」

「いやいや、絶対二人だけでやるゲームじゃないですって」

「別に良いじゃーん。要はプロポーズするための相手がいれば良いことだし」

「いやそれ、一番良かった人に指輪渡すってゲームで、指輪が無くなった速さを競うものですよ」

「良いの良いの、少しぐらいやり方変えても」

 雫はどうしてもこのゲームがやりたいようで、一歩も引かない。先輩だから、ということもあり、由花は大人しく彼女の誘いに乗った。

「それじゃあ私からね」

 雫が嬉々としてカードを7枚取る。

「じゃあ由花ちゃんは30秒数えて」

「わかりました。じゃあ行きますよ。よーい、ドン」

 由花の合図と共に、雫は勢いよくカードを捲る。が、次の瞬間にはその表情が歪んだ。

「うわぁ、何このカード!?言葉繋げられるかな?」

 雫は頭を抱えるも、由花は容赦なくカウントを続けていた。

「20……19……18……」

「うわっ、ちょ、ちょっと待って!」

「13……12……11……」

「ひゃー!できないよこんなの!」

「3……2……1……ゼロ。終了です」

「うわー、ムズイ、舐めてた」

「まぁ、取り敢えず見せてくださいよ」

「ううっ、こうなっちゃったよ……」

 雫が体を上げると、歪みながらも一本の線になったカードの列が一つ。

『僕は』『どこまでも』『君に』『追いかける』『パーフェクト』『楽しみさ』

 由花は言葉も出なかった。予想できないことはなかったが。最早それは、プロポーズでもなんでもない。

「そもそも日本が成り立ってないし、どこまでも追いかける、なんてストーカーじゃないですか」

「いやー、愛が深くて良いかなーって……」

「深すぎて逆に引かれますよ」

「そんなに言うんだったら由花も作ってみてよ!」

「えー」

「えー、じゃない!私のことをそんなにも言うんだったら、由花はできるよね?」

「そんなプレッシャーかけないで下さい……」

「それじゃ、よーい、スタート!」

 由花は素早くカードをめくり、一つ一つの言葉に目を通す。

「22……21……20……19……」

 由花は10秒ほど考え事に耽っていたが、何か思いついたのか、素晴らしい速さで手を動かし、カードをずらしていく。

「3……2……1……0、はい終わりー。それで、由花は出来た?」

「一応できましたけど」

「おっ、じゃあ早速見ていきますか」

 雫はニヤニヤと笑いながら、由花の手元に並べてあるカードの陳列を見た。その刹那、彼女の目が見開かれる。

「えっ、これって……」

 そこに作られた言葉。それは、完璧なプロポーズの台詞だった。

『君は』『女神』『僕『の』『胸』『は』『メロメロ』『一緒に』『暮らさないか?』

「えっ、ええっ!?何かの完璧な言葉の選び方!?カードの引き良すぎない!?」

「まぁ、こう言うのは慣れてるんで」

「くー、ずるいよ……って、慣れてる?」

「あっ」

 由花は咄嗟に口を手で覆った。しかし、雫は彼女がつい漏らしてしまった言葉を聞き逃さなかったようで、驚き一色だった表情が次第ににやけてくる。

「えー、なになに慣れてるってどういうことー?」

「いや、別に……」

「もしかして告白されまくってるとか!?もしや、それを通り越してプロポーズまでされていたり……」

「そんなんじゃありませんって!ただ、少女漫画とか、よく目にするので……」

「少女漫画!?よく読むの?」

「そりゃ、読みますよ。だって憧れるじゃないですか、ああいったラブストーリーって。だから、自分も好きな人からロマンチックな言葉をかけられたいなって……」

「あは、あははっ!」

「ちょ、笑わないで下さいよ!」

「ごめんごめん。由花があまりにも可愛くて……あははははっ!」

「っふふ、あははっ!あはははは!」

 二人の少女の笑い声は、蝉の合唱を打ち消した。

 そんなこんなで、由花は雫という先輩と、暇人同盟という謎の関係を持つことになった。

 少し身勝手だけど優しくて包み込むような雰囲気を持つ雫。先輩への態度は少しきついが実は可愛いところのある由花。面白いほど息が合う二人は、夏休みの暇という暇を消し去るべく、毎日のように遊んだ。

 そうして、二人の距離はどんどん縮んでいった。



 



 

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