第5話 新たな工房の発足に向けて

 刺し身を買って、肉を焼いて、酒を飲んで。

“渡り鏡”をあちこちに設置して、いい食材を安く仕入れられるようになってからというものの、食生活は少しばかり贅沢なものになった。

 もちろん毎食が贅沢なものではない。あくまで動画の撮れ高になりそうなものがある時だけなのだが、それでもたまに豪勢な食事にありつけるのは素晴らしい。

 お陰で、一ヶ月の撮影スケジュールを考える楽しみが増えた。人生が好転し、毎日が楽しく感じられるようになった。


(今のところはまだ、ガソリン代や食材費や消耗品費のほうが高く付いているけど、いずれはこれらも動画収益で回収できるんだろうな)


 極論、鮮魚が欲しければクール便を使った冷凍輸送で取り寄せればいい。わざわざ遠出して魚市場に足を運んでいるのは、どちらかというと趣味のようなものである。


 今、旬の魚は何か。どうやって食べるのがいいか。

 一緒に飲むならどんな酒がおすすめか。


 そんな情報をあれこれ聞いてみるのが楽しいものなのだ。こればかりは魚市場に足を運ばないと出来ないことである。


(いやあ、蟹をすりつぶして作る汁物があるなんて知らなかったもんな。やっぱり人に話してみるもんだ)


 かにこ汁、あるいはがん汁と呼ばれる料理があるらしい。

 何でもモクズガニと呼ばれるやや小ぶりの(でも淡水で取れるカニにしては大柄の)カニをたくさん捕まえて、ミキサーで粉々にして、その汁を煮込んで食べるのだという。

 寄生虫がいるので火を通さないと危険ではあるが、カニを殻ごとすりつぶしたそれは、まさしく旨味の塊なのだという。

 市場の人に教えてもらった変わり種料理。こういう知識は、自分一人でインターネットを漁っても中々出会えないものだ。


(きっと皆、悲鳴を上げるだろうな)


 最近気付いたことだが、陸育ちのみんなは、エビやカニなどの甲殻類にあまり馴染みがない。昆虫みたいな見た目のそれを気持ち悪いとさえ思っているらしかった。


(罰ゲーム企画としては面白そうだな。市場に行ったらモクズガニは10匹2000円とかで売ってるし、インパクトもあるから撮れ高としては十分だな)


 ただでさえ不気味な見た目の生き物を、よもやぐちゃぐちゃにすり潰すなんて知ったら、みんな目を剥くに違いない。

 今から反応が楽しみであった。






 ◇◇◇






「皇室の宝物庫に入ってもおかしくないほどの逸品を献上しておきながら、御用商人になろうともせず、あまつさえ売り捌く権利まで手放したというのですか……?」

「これほどの逸品、欲しがる人たちが数多現れることでしょう。豪商や貴族たちと顔繋ぎできるせっかくの機会だというのに、なんと勿体のない……」

「私なら名前をどこかに残すというのに、全く名前を表に出そうともしないなんて、何と欲のないことでしょうね」


 パーシファエ嬢の住まう邸宅にて。

 かつての夜会サロンで見かけた商人の面々が一堂に会して、新たな事業新工房設立計画に口々に意見していた。これは言わば、意見集めと実現性検討のための会合である。果たして俺があの日大口を叩いた例の内容が、真に投資に値するものなのか。

 それを判断するには、実際にあの日に一緒にいて俺の商品を目の当たりにした人たちでないと不可能だろう。

 当然、俺とゾーヤもその場に集められていた。


「少々補足させてください、あのときお見せした品物は一点ものです。あれらはパーシファエお嬢様にお渡しするためだけに取り寄せた特別品ですので、同じものをお渡しするのはできません。皆様が実際に売り出されるのは、代わりになるものです」

「同じようなものですよ……」


 目の前に置かれているのは、また別の切子硝子と、また別の白磁器、そしてまた別の蛍手の陶器である。

 いずれも良い品ではあるが、パーシファエ嬢に渡したものとはまた異なる。

 例えば切子は、大手通販サイトで矢来魚子やらいななこの綺麗なものを適当に見繕った。白磁器は、同じマイセンの<波の戯れ>というシリーズの商品が面白い造形だったのでいくつか買った。蛍手の陶器に至っては、水晶彫や雫彫り等、窯元が登録商標を取っているものがあったので、そこから透かし彫りの透明度が非常に高いものを選んで持ってきた。


「こんなに素晴らしい商品を、一体どこから見繕ってきたのか……気になるところです」


 軽い探りを入れるような言葉だったが、俺は曖昧に微笑むだけで流した。


 誤解のないように言っておくと、パーシファエ嬢に渡したものの方が優れているとか、後から持ってきたものの方が格が劣るとか、そんなことはない。


 ただ、パーシファエ嬢に渡したものと同じものを流通させるつもりはない。希少性を保つ観点から、それはしない。それらには、誰もが憧れる絶対的な傑作として君臨し続けてもらうつもりである。そしてそれに耐えうるだけの逸品をパーシファエ嬢に渡したつもりである。


「いやはや、ハイネリヒト殿を敵に回すわけにはいかなくなりましたね。商人として底が知れません」

「そうですね、こんな素敵なお話を持ってきて下さるなんて、これからもハイネリヒト殿とは仲良くしていきたいです」


 俺の持ちよった商品を手に取りながら、皆が口々に賛美した。

 先ほどから俺を褒めるような言葉がやたらと続いた。だが、字面通りの意味ではないだろう。

 言葉の表面では相手を賛美しているが、内心は疑念で溢れているはずである。「なんと謙虚な人だ」と褒めながらも、なぜ自ら利益を削るようなことをしているのか、なぜ利権を独占せず複数人で分かち合おうとするのか、と探りを入れている。商人とはそういう生き物なのだ。


 商売は信用。騙し合いではない。だが騙されないために探り合い・・・・にはなる。


「…………探る場所はそこじゃないわよ、おっちょこちょいね」


 話し合いの席にて、パーシファエ嬢が一言苦言を放った。それだけで場の空気が急激に引き締まった。

 口元を扇子で隠した彼女の表情は読み解けない。


「疑うべきは、儲け話の壮大さではなく、工房設立と運用の実現性の話よ。儲かる可能性はもの。一目で分かるわ。ここにある品々は。論点は最初から、商品がどうこうじゃなくて商売方法よ。私たちは道具の話ではなく使い道の話をしているの」


 これはパーシファエ嬢なりの助け舟だろうか。

 あのまま商品の話がずっと続いて「どうやって調達しているんだ」等と詳しく根掘り葉掘り聞かれると厳しいものがあった。こうやって話を逸らしてくれたのは実にありがたいことだった。


「工房設立には、領主の認可、同業者組合商人ギルドへの届け出、そして人の用意が必要ね。領主認可と届出は問題ないと思っていいかしら」

「既に商人ギルドには話を通してますとも」

「流石ね、アルバート」


 ここにきて、アルバート氏がようやく口を開いた。この世界に来た当初は、ただの質屋のおじいちゃんかと思っていたが、長年同じ街で金貸し業を続けられる人脈は侮れないものがある。あっさりと『話を通した』なんて言っているが、俺みたいな若造にはそんな手管はない。


「ただ、形としては一般的な工房ではないほうが望ましいでしょう。お嬢様名義でもいいのですが、ミュノス家が専属職人を任命して設立した工房としたほうがよいかと」

「元よりそのつもりよ。工房設立のパトロンにもミュノス家が付く。これで工房は、領主施策の名のもと動けることになるわ。商人の自由な商売活動で動くものじゃないから、商人ギルドの管轄から外れて強権を発動することもできるわ」


 生産高、使用できる道具数、職人の数。

 工房の親方の選定。ならび工房の就労規則の検討。


 思った以上に膨大な事務作業が必要そうであると気が付いて、俺は少々辟易としていた。


(中世ヨーロッパの工房って、確かツンフト制度だったっけな)


 ツンフト制度というのは、13世紀ごろの中世ヨーロッパで見られるようになった制度である。


 11世紀ごろ、商人たちは行商ではなく都市に定住するものが増えてきたため『商人ギルド』なる相互扶助団体を作りだした。

 営業権の防衛、遠隔地取引の安全などを目的に結束されたその団体は、最初の頃こそ『遠隔地と取引を行う行商人』が多く在籍したが、徐々に手工業者などの職人たちも在籍するようになり、中世都市の自治にも大きな影響を持つようになった。

 特にイギリスでは、商人ギルドの役人が都市役人となるといった事態も多々見られた。


 だがしかし、『商人ギルド』は商人が中心である。仲介業者である商人は幅を利かせる一方、生産者である手工業者たちの地位は低いままであった。

 それに業を煮やした職人たちは、職人ギルドツンフトなる組織を立ち上げた。

 原料の確保、技術の共有、販路の確保、価格の協定、技術水準の維持――熟練の親方達を中心とした職人たちは、こうしたツンフトによって身分を守られることになった。


 よく世界史などで習う『ツンフト闘争』とは、こうした"商人団体"と"職人団体"の対立のことを指している。


(確かこの世界ではまだ比較的、職人と商人の権力格差がそこまでないんだっけ。商人ギルド内の意思決定に職人が一定数以上入っているからというのもあるが……)


 話はこちらの世界の商人ギルドに戻るが、実態としては、日本における"座"や"株仲間"の方が近いかもしれない。商人も職人も商工業者として一緒くたに入り混じっている。

 そして今の話は、工房設立となると商人ギルドへの申請が必要だということを言っていたのだ。


「まあでも、商人ギルドにもいくらか利益を与えた方がよさそうね。どういう塩梅がいいかしら」

「今日の議題はそれでしょうな」


 ほとんどパーシファエ嬢とアルバート氏で話が整理されていく。政治の一幕を垣間見た気分である。政治とはつまり、人脈集めや利権集めだけでなく、こうした実務の切り盛りまでも試される領域である。

 パーシファエ嬢がそばにアルバート氏を置いている理由が分かった一瞬でもあった。確かにアルバート氏は、ただ単なる金貸しと言うにしては――見識も人脈も広い。


(やっぱり場に飲まれると良くないな。さっきまで俺は『底の見えない商人』だったのに、今この場ではもう『色々持ってきてくれただけの人』にしかなってない……)


 これもまた一つの勉強である。多分、やろうとすればもっと露骨なこともできるのかも知れないが――あえてそんなことはしていないのだろう。これもまた、俺を鍛えようとしてくれているアルバート氏の配慮なのだろうか。

 もしそうなのであれば、とてもありがたい話である。いきなり窮地に追いやるのではなく、一つ一つ丁寧に場数を踏ませてくれるなんて、そんなことを他人にお願いしても普通はやらせてくれないものだ。


 そんなことを考えているとパーシファエ嬢と目が合った。

 目を逸らされた。頬を染めている。扇子で顔を隠されてしまった。

 俺に惚れるなんて色々と勿体ないと思うのだが、何というか、これはこれでどう対応しようか悩ましい問題である。


 商売は信用である。このお嬢様とはもう今後、切っても切れない関係になるだろう。背後のゾーヤから冷ややかな視線を浴びつつ、果たしてどう身を振ればいいだろうかと、俺は物思いに沈むのだった。

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