第53話 踊る芸術サロン③
この城伯令嬢の
ある時は
ある時は弦楽器のヴィオラ・ダ・ブラッチョの奏でる音色を。
そして今宵、城伯令嬢は『世にも美しいものを持ち込むこと』をご所望のようであった。
「まずはこちらをご覧ください! 私が取り寄せたのはこちらの作品です!」
意気揚々と胴間声を張り上げたのは、中年ぐらいの商人であった。
確か交易品を取り扱っているとか何とか言っていた気がするが、名前は忘れてしまった。
彼の手元にあるのは、一つの絵画であった。なるほど、『世にも美しいもの』としては十分考えられうる選択肢である。
「とても素晴らしいでしょう! この絵は『天使と聖母』と呼ばれておりまして、さる大画家が残した稀代の傑作で――」
朗々と続く説明をよそに、俺はその絵画に魅入っていた。
(……へえ、ロマネスク様式っぽい絵画だな)
天使が聖母の背中を抱いている絵。
例えるなら、フラ・アンジェリコの『コルトーナの受胎告知』に似たような雰囲気の、端正で綺麗な絵であった。ゴシック様式の彫像を思わせる顔立ち。
より細かいことを言うと、今ここにある絵は、金箔と
「制作にかかった時間は非常に長く、テンペラ画であるが故、下地は膠引きに石膏地塗り、そして石膏削りと丁寧に行う必要がございまして、そのためこの作品につぎ込んだ労力たるや――」
「なるほど、良い絵ね」
パーシファエ嬢は、ばっさりと説明を切り捨てた。
口ぶりは褒めているようだが、その声色はどうにも違うように聞こえた。
「ふぅん、白いバラは純粋さの象徴で、赤いバラは受難の象徴だったかしら? 白い鳩は聖霊様を暗示するから、これは天使様が聖霊様のお告げをもたらしにきた一幕ね。絵の中にある細かいモティーフにも余念がないわね、素敵」
「あ、えっと、その……」
「いい絵よね?」
パーシファエ嬢の言葉に返事はなかった。
絵を持ち込んだはずの男よりも、この令嬢の方がよっぽど絵の良さを汲み取っているらしかった。男は少しだけ顔を紅潮させたが、「……まったく、左様でございます」とこのお嬢様に同調するだけで終わった。反論もなければ、追加の解説もなかった。絵の売り込みに来たのであれば、いかにもお粗末な展開であった。
実際のところ、絵は素晴らしかった。令嬢の目に十分適う逸品であった。
ただし、説明が的外れであった。どんな高名な画家が作ったかとか、どれだけ高価な材料を使ったかとか、どれだけ時間を費やしたかとか、そんなことは
この中年の商人よりも、パーシファエ嬢の方が遥かに
(可哀想に。あれだけ自信満々だったのに、もうしょげ返ってる)
令嬢はくすくす笑っていた。
ただ単に、金箔や
そんな手厳しさが垣間見えた瞬間であった。
「……では、私の方からもこちらをお出しさせていただきます」
やや硬い面持ちで、若い女商人が続けて手を挙げた。この状況で、先のやり取りを見ていたのに自ら飛び込むとは恐れ入る。勇気があると言うべきか、向こう見ずというべきか。
「(……真珠の首飾りか)」
「(ゾーヤから見てどう思う?)」
「(見事だな)」
俺たちは短く囁き合った。
女商人が取り出したのは、見事な大粒の真珠をあつらった首飾りであった。
深みと艶を帯びた光沢。真珠母の織り成す構造色。干渉縞により生まれる虹色は、まさしく"遊色効果"と呼ぶにふさわしい。
天然での産出が稀であり、美しい光沢に富む真珠は「海の宝石」として長くに渡って重宝されてきた。特に古代オリエントの時代、王族たちはペルシア湾からもたらされた真珠を愛用してきたとされる。ペルシア湾にはアコヤガイとクロチョウガイが生息しており、そこから真珠が採れたのだ。シャットルアラブ川(チグリス川・ユーフラテス川)から流れ込む水が、ペルシア湾の遠浅の地形に栄養を堆積させるため、たくさん貝が育つのだ。
きっとこの異世界イルミンスールでも、同じように真珠のよく採れる地域があるのだろう。
「(だが工夫が足りないな)」
ゾーヤの感想は、期せずして正鵠を射ていた。
「素敵じゃない、真珠の首飾りね。これは確かに美しいわ」
パーシファエ嬢は口元を緩ませてそう称えた。
大きい真珠と、金銀の装飾。下品にならない程度に拵えた細工が、見るものをうっとりさせる。だが
優れた意匠があるわけでもなく、面白い趣向を凝らしているわけでもない。
「何かこの真珠について面白いお話があったら聞きたかったのだけれど」
「あ、えっと……」
「ふふふ、無理にはいいわよ」
先ほどの中年の商人とは違って、今度は語る逸話がなさ過ぎた。否、逸話がなくても別に良かったのだが、
結局のところ、天使と聖母の絵画と同じく、『物はいいがそれだけ』に過ぎなかったのだ。
「ふぅん、細かい金属細工で花の装飾をあしらった印鑑ねぇ? 綺麗ね!」
「! ええ、そうです! お嬢様には是非とも、我が商会を御贔屓にと――」
「これって、こんな精緻な技術を持っている職人がいるってアピールよねぇ? 本人証明に使ってもらえたら今後とも長いお付き合いがあるでしょうし、計算高いわねぇ?」
「ええと、いやはやお嬢様は流石ですな……」
「残念ねぇ、我がミュノス家には既にお抱えの彫金職人がいるのよ。大きな工房を抱える親方なの。ミュノスの名前でお墨付きを与えている以上、彼の顔をつぶすわけにはいかないわ。私個人が出す私文書にならたまに使ってあげてもいいけど……あまり期待しないでね?」
「まあ! なんて華美な扇子かしら! 珍しい羽根を使っているわね、どんな魔物なのかしら」
「流石はお嬢様、お目が高い! いつもお嬢様は扇子を使ってらっしゃるので、是非とも我が商会謹製の特別な扇子をお渡ししようと――」
「残念ねぇ、私のこの扇子は大叔父様に下賜いただいたものなの。この扇子以外を使うことはできないわ。あなたの扇子は、そうね、廊下に飾るぐらいはしてあげてもいいけどね?」
「……ああ、なるほど、それはそれは」
「
ちぎっては投げ、ちぎっては投げ、とばかりに、白牛の令嬢は商人たちを切って捨てた。
酷い侮辱の言葉を投げたり、面と向かって罵倒したりするようなことはなかったが、まさに
その令嬢の独擅場はずっと続いた。
商人たちは軒並み太刀打ちできなかった。残すはただ一人となった。
「――で、最後は貴方ね? もっと早く出てくると思ってたのだけれど」
いよいよ俺に矛先が向けられる。
恥は早くかいた方が良かったのよ、と聞き捨てならない言葉までついてきた。ちょっとした冗談のつもりなのだろうが、背筋のぞっとするような言葉である。証拠に、俺以外の商人たちがぎょっとしていた。ゾーヤも警戒を高めて身を強張らせていた。
だが俺は、意にも介さず、へらっと笑って返した。
「自信がありますのでね。お嬢様にとって忘れられない夜になるでしょう」
「! まあ、素敵! 楽しみだわね」
流石は英邁なる令嬢。場の盛り上げ方をよく知っている。
緊張感が高まっているのを感じ取りつつも、俺は背後のゾーヤに目くばせをした。
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