第52話 踊る芸術サロン②
「交易品を取り扱うシュタイン商会を営んでおります、ウルマー・シュタインです。この度はお声がけいただきまして、大変光栄です」
「アンナ・ヴォルターズです。父に代わってヴォルターズ商会を取り仕切っております。お嬢様には是非ともお会いしたいと思ってました!」
「我がティーク商会は家具の取り扱いに強みがあります! どうぞよろしくお願いします!」
招待された邸宅の応接室で、商人たちが令嬢相手に口々に挨拶を行っていた。さながら花に群がる蜂のようである。
我が商会はここに強みがある、我が商会には歴史がある、我が商会に是非ともお仕事を――。
皆がこぞってパーシファエ嬢の機嫌取りと自己紹介に勤しむ中、俺は少し距離をおいて観察を続けていた。
(サロンってこういうものなのか? 参加者が商人たちに偏っているような気がするが)
素朴な疑問が浮かぶ。
もちろん俺も、サロンの正しい姿を目の当たりにしたわけではない。だからこういう貴族への売り込み合戦の様相めいた一面があるのだとしてもおかしくはない。
だが、地球史におけるサロンのあり方を考えると、やや異様な光景ではある。
サロンの歴史は、中世フランスのランブイエ侯爵夫人カトリーヌ・ド・ヴィヴォンヌ抜きには語れない。
一説によると当時のフランスの宮廷は、ニンニクの匂いを漂わせた男が闊歩し、ナイフで歯の間をほじったり、階段下で立ち小便したりしていたと言われている。昔のフランスは宮廷人といえども、殆どが粗野だったのだ。
カトリーヌ夫人は、ルネサンスを迎えたイタリアの地で洗練された社交を見て育ってきた。それゆえフランスの宮廷の有り様を良くないことと考えた。
見かねた彼女は1610年頃、自宅でサロンを開き、洗練された言語や所作、そして教養を追求した。かくしてフランスに、プレシオジテの風潮(言語や作法に洗練を求める風潮のこと)が誕生した。
フランスの宮廷でマナーが洗練されていったのも、彼女の功績が大きいとされている。この風潮があまりに行き過ぎて、プレシオジテを滑稽なことと馬鹿にするような人たちも後に現れたが――それは余談である。
話を元に戻すと。
サロンの場が貴族様への売り込み合戦になっているのは、自分の想定と少しずれていた。もちろん多少は自分を売り込む動きもあるとは思っていたが、みんな前のめりすぎるように感じた。
(この世界イルミンスールの文化水準を、ルネサンス期を迎えているかいないかぐらいだろうと勝手に思ってたけど、地球の歴史と同じだろうと高を括るのはいけないかもなあ)
あるいは、地域差というやつがあるのかもしれない。
16世紀後半、既にルネサンスを迎え文化水準の豊かになったイタリア・ローマの社交会と、まだまだ粗野で蛮風なフランス宮廷の社交会のように。
この地にまだルネサンスの洗練された考えは根付いてないのかもしれない。
何あれ、今いるこの街、ミュノス・アノールの様子だけでイルミンスール大陸全体を推論するのは早計というもの。木を見て森を見ずとなりかねない。
わかりやすく言ってしまえば、ミュノス家はこの街の王様である。
そしてパーシファエ嬢はこの街のお姫様。
ここにいるみんなは、そのお姫様に気に入られようと躍起になっている商人たち。そういった理解の方がまだ実態に沿っているかもしれない。
サロンとは何なのか、サロンの作法はどうすればいいのだろうか、などとあれこれ小難しく考え過ぎていたのかもしれない。わざわざ地球の図書館でサロンの歴史なんかを調べたものだが、どうも取り越し苦労だったようである。
(まあ、挨拶ぐらいはしておかないとな。ゾーヤがちょいちょい俺をせっついているし)
俺の挨拶はずいぶん簡単なものだった。挨拶のやり方にあまりこだわりはなかった。こんなところで熱弁を振るったところで、パーシファエ嬢に好かれるはずもない。
ただ、周囲の口煩い商人への牽制として「先日はお世話になりました」と関係を匂わす言葉を混ぜておいた。案の定、商人たちの俺を見る目が少しだけ変わった。
"よく分からないうちに紛れ込んできた邪魔な田舎者"から、"仲良くしてみる価値のある若造"へ。
利に敏い商人たちは、俺に対する敵愾心をわかりやすく取り除いてくれた。まあ、心底どうでもよかったが。
「さて、皆も円卓に座ると良いわ。今日は近場から取り寄せた
パーシファエ嬢が告げるなり、侍女がグラスを持ってきた。
正直ワインには疎い俺だが、恐らくとても上等なワインだということは分かる。果実と木の樽の香りに加えて、やや焦げっぽいようなキャラメルのような香りが潜んでいる。
(ひと昔前のワインって感じだな。昔は、樽香には高級というイメージがあったもんな)
あまりワインには詳しくないが、日本でも昔は、樽の香りが強いワインが有り難がられていたと聞く。
今はそういう樽の香りが強すぎるワインは煙たがられるらしいが、こちらの世界ではまだ趣向として評価が高いのだろう。
それにしても、まだ未成年のパーシファエ嬢がワインを呑むのはよいのだろうか。
もっとも、そんなことを誰も注意できるような人はいなかったが。
「美酒をたしなみながら、皆で持ち寄った美しいものを愛でる。そういう会合にしたいの」
期待してるわ、とパーシファエ嬢はにんまり笑っていた。
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