第54話 踊る芸術サロン④:ベルベットの中の月

「まずはこちらをご用意いたしました」


 俺の手元に用意されたのは、天鵞絨ベルベットの生地に包まれた何かであった。

 目を引く深紅、自然な毛並み、そして深い光沢感。

 まさにそれは貴族に相応しい織物である。


「あら、素敵な天鵞絨ね。染色も深くて綺麗。光沢感が強いけど、これは……」

「どうぞお触りください。是非、お嬢様の手で開いていただければと」

「ふぅん、触っていいのね?」


 天鵞絨ベルベットは、経糸たていとパイルの比較的毛足の長い織物である。

 パイル織りとは、布生地の表面に輪っかパイルを出した織物のこと。そのパイル部分がそのまま残っているものをループパイル、切ってあるものをカットパイルと呼ぶ。よく見る日常品としては、ループパイルのハンドタオルやバスタオルが分かりやすいだろう(カットパイルしてあるタオルは高級品が多い)。


 天鵞絨ベルベットはカットパイルで作られている。

 今回の生地は、地組織グランドをポリエステルで作っているため頑丈で、毛並みパイル部分は柔らかいレーヨンにしている。

 それ故に、手触りが段違いにいい。


「えっ」


 素朴な声。パーシファエ嬢は目を丸くしていた。

 この手触りの良さこそ、天鵞絨ベルベットの真骨頂である。

 シルクの代用品として研究されたレーヨンは、その手触りだってシルクのそれに負けていない。そもそも繊維の細さが違う。軽やかなそれを、毛足の長いカットパイルで仕立てているのだから、そこいらの適当な織物なんかでは太刀打ちできるはずがない。

 想像以上に滑らかな手触りだったのか、彼女は人前だというのに眉を顰めていた。


「絹……? いや、でもそんなはずは」

「……」

「深紅染めした、絹の天鵞絨ベルベット……? 嘘よ、それなら普通だわ、包む袋なんかにしないわ……」

「……」

「柔らかなパイルがあるのは分かったわ、でも……こんな均質に鋏を入れられる仕立て屋がいるはずが……」

「……」

「あ、解説ないんだ……」


 ない。

 ゾーヤが後ろで顔を覆っていた。ごめん。


「では、開きますよ」

「ほんとに解説ないんだ……」


 ない。


「――えっ」


 若干、皆を置いてけぼりにしている空気が漂っているが、そんなことは気にしない。

 えいやと天鵞絨ベルベットの布を取り払う。天鵞絨ベルベットあくまでおまけ・・・・・・・で、包まれている中身の方が本命なのだ。


 そこに現れたのは――いかにも深紅に合いそうな、これまた見事なガラス細工。


 整った美麗なカッティング。

 曇りなきクリスタル。

 現在、二五〇以上の日本大使館・領事館で公式に使用されており、ガラス食器メーカーとして日本を代表する企業の逸品。


「カガミクリスタルより<月朧>です」


 江戸切子の伝統工芸士がデザインとカットを手掛けた、重ね色目グラス。

 その中でも、江戸切子の技法として非常に難しいとされる「菊つなぎ」を多用し、さらに流麗な曲線をグラスに刻み込んだものを、俺はこの場にぶつけたのだった。











 ――――――――――

 元ネタ:『江戸切子 伝統工芸士・鍋谷聰作 重ね色目ロックグラス<月虹>』

 https://www.kagami.jp/product/t755-2972-wuk/


 色々悩みましたが、サン・ルイ(フランス)、バカラ(フランス)、スワロフスキー(オーストリア)等はいつでも出せると思ったので、今回は見送りました。

 江戸切子を掘り下げきれてないと思ったので、カットグラスの中でも江戸切子に再登場してもらいました。

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