第37話 芸術サロンへのお誘い

 もうひとつ、あれからの話を少しだけ。


「うおおおお、確定申告が面倒くさい……! 何じゃこりゃあ……!」


 多角的ビジネスを手掛けていると、頭を悩ませてしまうことが一つでてくる。

 事業収益と事業経費の計算が非常に煩雑なのだ。


 経費計上をあきらめてしまうという手もある。

 例えば今の俺は、砂糖や胡椒を日本で買って、それを異世界で売っているが、これを事業経費として計上しても「じゃあそれを元手にどこに売りつけているんだ」とか「どんな風に加工して加工品から利益を得ているんだ」という説明がつかない以上、あきらめたほうがいいようなものも存在する。


 だが、俺はあきらめが悪いので、ごく少量(全体の1%にも満たない程度)は料理作り・お菓子作りで消費されたり、スパイスを防除業で使いますという名目で費用にできないかあれこれ画策していた。

 もちろん、まだ事業をおこしてもない防除ビジネスで費用計上するのは無理なので、市役所の市民相談室でたまに税理士協会が実施している無料相談会であれこれ聞いているのだ。


 で、確定申告の計算作業はゾーヤ達にやらせる。

 動画の撮れ高にするためだ。


 ・「コスプレアイドルにやらせるような内容じゃなくて面白い」

 ・「ガチの罰ゲームで草」

 ・「涙目かわいい」

 ・「ケモ娘がExcalの関数を触ってるの凄い違和感あるな」


 コメント欄はいつものように賑やかである。確かにExcalなんて事務作業でしか触らないことがほとんどだ。幻想世界ファンタジーとあまりにも乖離している奇妙な光景だ。


 実は俺は、好奇心旺盛で頭がいいゾーヤに積極的にPCを触らせている。

 Excalの関数とかマクロとかも教え込んでいるので、彼女に数値処理を一任している。結果ひんひん言ってた。


「まだれしーと・・・・とやらが残っているのか……? どれだけ帳簿付けして管理しないとだめなのだ……?」


 やはり彼女は賢い。今自分に与えられている作業が帳簿管理の作業だと見抜いているらしい。


「いや大丈夫だよ。音響機材費と、PC機器と、マイニングの電気代をちょっとだけ流用した費用と、家賃の一部と、料理の食材費と、ハンドクラフトの材料費と……って計算すると、もう結構投入したと思う」

「……そ、そうか……」


 きりっとした大人のお姉さんという風体のゾーヤがこれだけくたびれているのは、これはこれで味がある。限界OLっぽくていい。眼鏡が似合いそうである。

 ワーウルフの特徴のおかげで更に愛嬌もある。

 良い撮れ高になりそうである。


「今度君に伊達眼鏡買ってあげるよ。おしゃれだろう」

「? う、うむ?」


 ベッドに寝っ転がってぐだっとしているゾーヤは、よく分からないといった顔を作っていた。

 眼鏡はこの時代でもそれなりに高価な道具で、貴族の身だしなみに使われたりすることもしばしばあった。それもそのはずで、透明で表面の研磨が行き届いたレンズを調達するのに費用が掛かるからである。

 そんなものを簡単に買ってあげると言われて、当惑しているのだろう。


「元々アルバート氏に伊達眼鏡を贈呈しようと思ってたんだ。ついでにゾーヤにも買ってあげるよ」

「……う、うむ? そうか? 何というか、主殿あるじどのが私に眼鏡を付けさせたいだけのような気もするが……」


 中々鋭い。

 すらっとした体躯のゾーヤは、裸エプロンに眼鏡をかけさせたり、OLっぽい恰好に眼鏡をかけさせたりすると結構いい格好になるんじゃないかなと思っている。白衣なんかも似合いそうである。


「……まあ、そんなことでよければいくらでも構わない。どんな眼鏡を貰えるのか楽しみだ。好きに撮影してくれ。この身は主殿あるじどのに全て捧げているからな」


 ゾーヤはどこか誇らしげな様子で同意してくれた。最近、動画コメントでちやほやされるのを見るのがちょっとした楽しみらしい(俺が翻訳してあげないと文字が読めないと言ってたが、コメントそのものがどんどん増えていく様子が純粋に楽しいみたいである)。

 今度はどんな動画を作ってやろうかな、なんてことをゾーヤが言い出したものだから、俺は思わず苦笑してしまった。異世界人が動画配信に前向きだなんて、変な話もあったものだ。






 ◇◇◇






「ミュノス城伯令嬢が俺に会いたいと言っている……?」


 貴方のおかげで無事に刻印を施してもらえました、と帝国質屋:天秤座Libraのアルバート氏にお礼を言いに向かったところ、物のついでにそんなことを言われてしまった。

 はっきり言って予想外の内容だった。

 ミュノス城伯と言えば、この一帯を治める貴族であり、この街ミュノス・アノールはミュノス城伯の所領地ということになっている。

 そんな人物の御令嬢さまに、どうやら俺は目を付けられてしまったらしい。


「ええ、独自の販路・・・・・から非常に美しい工芸品を持ち込んでこられるとのことで、興味を示しておられます」

「…………」


 独自の販路という言い回しが非常に気になる。

 案の定、ゾーヤも同じ部分に引っかかりを覚えたらしい。


 うかつには喋れない話題である。

 何せ俺の交易は、異世界と日本を行き来することで成立している。

 つまり、ミュノス・アノール市壁の検閲をきちんと通過して外部から荷物を持ち込んでいるわけではない。


 この交易都市ミュノス・アノールでは、変なものが外部から持ち込まれていないか街壁の入口・出口のところで衛兵が見張っており、怪しい荷物はそばの詰所で検分されることになっている。

 そして俺は当然、関所を通過して荷物を運んでいるわけではないので、脱税を疑われる心配が残っている。


 一応、商業ギルドに所属している身なので「商業ギルドの大規模輸送団の仕入れ・搬出を活用しており、その荷物の中に自分の商品も紛れ込んでいる」「売上報告はギルドに行っており、商売にかかる税金もギルドに適切に納めている」という方便は立つと思うが、下手に目立ちたくはない。


(領主の興味関心ごとは税収だから、しっかり多めに税金を納めておけばそう目くじらを立てられる話ではないと思うが……少々気がかりだな)


 こう見えて俺は、徴税官たちには多めに心付けを寄付・・している方である。そう言った意味では、規範的な市民としてあれこれ優遇してもらっているので、大ごとにはならないと思うが――。


 販路だけは知られたくない。


「で、城伯令嬢は私にどのような御用向きで?」


 話を逸らすように質問を返すと、アルバート氏は苦笑して「いや何」と短く言って、一旦咳払いした。見透かされただろうか。なるべく自然な態度を装ったつもりなのだが。


「御令嬢は、世にも美しい工芸品を見せ合うサロンのようなものを開きたいとの御意向でしてね。実はその面々の中に、ハイネリヒト殿も是非、と声が掛かっているのです」


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