第31話 蟲使いの刻印① 地下迷宮の街に向かう

 地上に戻らず、迷宮の中だけで過ごす連中がいる。

 まつろわぬ民。帝国貴族に恭順しない人々という意味合いだが――何のことはない、要するに地上に戻れなくなってしまった罪人のことである。指名手配を受けている賞金首もいれば、迷宮内への追放刑を受けているものもいる。


 交易都市ミュノス・アノールの抱える管理迷宮、『ミュノスの巣』。

 その中に、中継地点としての地下街がある。


(都市の中に迷宮があって、その迷宮の中に都市があるなんてややこしすぎるな)


 街の内部にさらに街があるようなものだ。

 俺は頭の中で、都市とは一体何なのだろう、と考えていた。


 まるでマトリョシカのような入れ子構造である。

 都市の中の迷宮の中の都市。

 流石に迷宮内の地下都市は、ベースキャンプのようなものだと想像されるが、それでも、あんな危険な場所の中に人が生活圏を作っていることが驚きである。


 迷宮内部では、地上の物品が高く売れるという。

 それも当然であろう。需要と供給のつりあいというものだ。迷宮の中で採集することができないものは高く売れる、そんなのは当たり前の話である。

 日光がないと育たない野菜類はもちろん、砂糖や胡椒などの高価な調味料、日常的に利用する衣服、鉄鍋や鋏などの加工品に至るまで、迷宮内で自給自足するのが難しいものが高価でやりとりされているという。


 その一方で、迷宮から産出されるものは安くなる。

 魔石を筆頭に、魔物を解体して得られる素材、鉱石や迷宮内の植物、迷宮遺骸と呼ばれる魔道具類――そういったものたちは廉価になりがちである。


 ちょっと理屈は違うが、芸術品なども迷宮内では値崩れしがちである。命の危険と隣り合わせの世界において、芸術品など無用の長物なのだ。


 そこに交易のチャンスが生まれる。

 実のところ、この街には、迷宮内の地下都市に潜って行商・・をする商人もいたりする。同じ街の中なのに行商ができるというのも変な話だが、そういうものなのだ。


 ちょっと慣れてきた冒険者がまさにそれである。地下街で高価で売れるものを地上で仕入れて、迷宮に潜って、売り捌く。

 そこに売り手と買い手がいる限り、いかなる場所でも商売は発生しうる。

 交易都市ミュノス・アノールの地上から、迷宮『ミュノスの巣』内部の地下街へ。


(『ミュノスの巣』は入り口付近こそ危険度の低い迷宮だけども、初心者狩りの連中が入り口付近にたまにやってくるらしい。ゾーヤとカトレアを雇っておいて本当によかった)


 迷宮『ミュノスの巣』内部は、これでもある程度治安を維持されている方らしい。

 初心者狩りが出ないよう入口付近は衛兵が巡回している他、初心者狩り狩り・・なる連中もいる。

 初心者の冒険者は集団を組むことをまず覚え、パーティ単位での索敵や戦闘を繰り返して経験を積むのだ。






 地下迷宮『ミュノスの巣』の第一階層。

 迷宮の道は、光苔と夜光石で照らされてほんのりと明るい。ランタンがなくても十分道なりに歩いていくことは出来そうである。だがそれはランタンを持って行かない理由にはならない。

 暗がりの中を生きる魔物たちを寄せ付けないためにも、強い光が必要なのだ。


「地下迷宮に潜る日がくるなんて、思いもよらなかったな……これも主殿あるじどののおかげだ」


 興味津々に迷宮の壁面やら夜光石やらを調べようとするゾーヤだったが、同行者である冒険者の若者に諫められていた。斥候役のその若者は、「迷宮の罠を作動させたら承知しないぞ」と凄んでいた。

 現在、俺とゾーヤの二人は、地下に潜る冒険者パーティに路銀を握らせて同行させてもらっていた。最近売り出し中の新進気鋭の冒険者たちらしい。名前は聞いたことがなかったが、装備は確かに上等そうなものを使っていた。

 何でも四人しかいないのに第三階層まで到達できたと豪語するものだから、その腕前は確かなのだろう。


「ゾーヤは地下に潜りたかったのか?」

「ああ。我ら黒狼族の御先祖様がこの地下迷宮の遺跡に祭られていると聞いてな、死ぬ前に一度はご報告に上がりたいと思っていたのだ」


 それが何を間違ったのか剣闘士になるしかなかった、と彼女は自嘲した。

 ちょっと気まずいので、俺は話題を変えることにした。


「……地下街は、確か第一階層と第二階層のつなぎ目にあるらしいな。聞けば泉から水が湧いているというから、思った以上に上等な街なんだろう」


 迷宮の造りは不思議なもので、階層という概念が存在する。深度という方が適切かもしれない。階層と階層の間に、明確な線引きがあるわけではないのだが、明らかに出てくる魔物の質が変わり、雰囲気が一変する境界がある。そこを階層の狭間と呼ぶことが多い。


 階層の狭間まで進むと、大抵の場合、そこには関所ならびに迷宮街がある。

 地下にわざわざ関所がある理由は簡単で、強い魔物をそれより上層階に上げたくないから物理的に壁を作っているのだ。そんなことをしなくても魔物は、階層の狭間をなぜか嫌う・・・・・習性があるらしいが、群れが暴走して稀に乗り越えてくることもあるので、やはり関所はあるに越したことはないという。

 俺たちが迷宮街と呼称しているものは、実態はというと、関所に付随して出来ている避難所のような集落だ。


 そして、階層の狭間を超えてそれ以上進むためには、関所で通行証の提示を求められる。冒険者ギルドに所属しているなら自分のタグを提示すればいいし、冒険者に同行して潜っている場合は許可証と身分証を見せればよい。

 身のほど知らずなやつが自分の能力を超えて深く潜るのを防ぐ役目もあるし、犯罪者が地上に逃げるのを防ぐ役目もある。迷宮地下街における関所は重要な設備なのだ。


 もちろん、わざと抜け道を狙って、関所を通らずに深く進むこともできるが、その場合命の保証はない。

 そもそもそんな抜け道は中々見つからないのだが、見つけたとてその抜け道はすぐに埋め潰されるし、抜け道を作るのは重罪である。


「第二の狭間……か、意外と早かったな」


 目の前には、関所があった。名前はそのまま『第二の狭間』と言うらしい。第一の狭間が地下迷宮の入り口なので、迷宮に潜って最初の狭間なのに『第二の狭間』になるらしいが……その辺の理屈はよく分からなかった。


 ともあれ、とうとう目当ての場所にたどり着いた。二日は歩いたのでかなりの距離ではあるのだが、魔物との遭遇はほとんどなかった。想像していたよりはるかに安全な旅程だったと思う。もっと戦闘に巻き込まれることを覚悟していたので、何だか山歩きのような感じで拍子抜けしたぐらいである。


 ここまで連れてきてくれた冒険者にお礼を言って別れつつ、俺たちは地図を頼りに刻印士を探すことにした。


 探す刻印士の名前は、ニドゥイ。

 この第二の狭間の中で暮らす、刺青だらけの不気味なダークエルフデックアールヴ/døkkálfarだという。



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