第32話 蟲使いの刻印② 悠久の刻印士、ニドゥイ

「ご主人様がどんな人って? うーん、そうだねえ、どう説明しよっかなあ」


 キャンドル作りの手を止めて一息休憩を入れていたパルカは、新しく来た二人にそんなことを質問されて回答に困っていた。

 カトレアもハユも主人に雇われて日が浅い。日が浅いが、かといって全然こき使われている様子はない。もう少し細かく説明すると、ケンタウリス族のカトレアは、荷物運びや身辺警護ならびに雑務をこなしてくれているが、ハーピィ族のハユは両手が羽根なので細かい作業ができず、日がな歌ってばかりである。そして二人とも、世間一般の使用人や奴隷たちと比べると、全然大量の仕事をこなしているわけではなかった。

 むしろ、美味しいごはんと快適な家を提供してもらっているにも関わらず、与えられている仕事内容は楽な方であった。

 こんな好待遇が続くと、何か裏があるのではないかと勘繰ってしまうのも頷ける話である。パルカも当初、こんな生活をしていいのかと訝ったものである。


 心配そうにハユは続けた。


「これから、怖い仕事、くる?」

「来ない来ない、うちのご主人様は全然そういう怖い人じゃないから安心して」


 怖い仕事というのは、例えば娼婦まがいの仕事で色んな人からお金を稼いでくることを強要されたり、臓器売買、魔術実験の被験者、などであろう。

 ハユは元々、身寄りがないので娼館に身請けされた孤児で、給金を貰わずに生活していたと聞く。そんな彼女は、商品価値のない孤児の末路や、大したことのない娼婦の末路をよく見てきたせいなのか、『自分もいずれそうなるに違いない』とどこか暗い考えを持っているように見えた。

 不安を拭うように、パルカは努めて明るく答えた。


「あのね、ご主人様が不思議な鏡を持っているのは知ってるよね? あの世界を渡る鏡」

「……うん。口止め、約束した。誰にも言うな、って」

「よく分からないけど、ご主人様の元々居た世界からは、たくさんのお宝がざくざく取れるんだよ。ね、見たよね? 砂糖も胡椒も持ってくるし、あんなに陶磁器やら琥珀やら持ち帰ってくるんだもん」


 一体どこからあれだけ高価なものを取り寄せてきているのか。

 このことは正直、パルカも詳細を知らない。一番古参のゾーヤでさえ分かっていないと言っている。アルルなんかは、どうでもいいやとぽやんと理解を放棄しているが、普通に考えたらおかしな話である。

 使用人を五人ほど身請けしてもなお有り余るほどで、それどころか立派な家さえも買い上げてしまうほどの財力。


 主人のハイネリヒト殿(国の最高学府で学問を修め、参政権を持つほどの身分らしいので、おそらく名家の御令息であり、敬称付きで呼ぶのが適切だとゾーヤに教わった)が一体どんな素性の人物なのか、さっぱり分からないが――ただの道楽貴族というわけではなさそうである。

 そもそも道楽にしては、やっていることがおかしい。女遊びや賭け事でお金を消費している様子がない。


「あの不思議な鏡といい、どこからか持ってくる貴重なものといい、ご主人様がお金に困ってないのは間違いないから安心しなよ! ハユに怖い仕事をさせるほど食い詰めることにはならないと思うよ」

「……うん」


 パルカはレプラコーンである。基本的に妖精はあまり悩まない。ほとんどの妖精は考えるのが苦手なのだ。パルカもその例に漏れなかった。


「だから、ご主人様が無事に帰ってくるのを待ちましょ? ね?」


 何故かはわからないが、ご主人様は蟲使いになることに執心している。虫を操ることができたらもっとお金を稼げると言っていたが――。

 腕のいい刻印士が地下にいるからといって、わざわざそのために地下迷宮にまで出かけるとは、肝の入り用が違うというものだ。


「うーむ、ご主人様がそんな危険な場所にいくというなら、私も連れて行けばいいと思ったが……そういうわけにはいかんのだろうか?」


 カトレアは不満げな表情を微塵も隠さずに零した。

 護衛役として雇われたカトレアは、今回の留守番にまだ納得がいっていないらしい。

 どうせなら自分も地下に随伴したかったのだろう。


 だが、彼女も彼女で『残された使用人たちを守る』という重要な仕事を任されている。


(奴隷なんていくらでも代わりがいるって思っているような主人なら、わざわざ護衛のカトレアをこの場所に残さないもんね)


 これもまた、あの主人なりの配慮なのであろう。わざわざこの家に押し入り強盗が入るとは思わないが、念には念を入れているのだと思われた。

 大事にされているということに感謝しながら、パルカはカトレアとハユと(あとアルルと)のんびりした午後を過ごしていた。






 ◇◇◇






「ニドゥイだ。おれの刺青が欲しいやつぁ、どいつだい?」


 酷くしわがれた声。

 その女は、すっかり色が抜けた銀の髪をしていた。見た目が若く美しいように見えるが、これでも数百年生きているというのだから、やはり幻想世界ファンタジーかと思わされてしまう。

 褐色の肌は、いかにも彼女がデックアールヴダークエルフだということを主張していた。


 刺青もすさまじい。顔面から全身にかけて、ほとんど刺青だらけの気色悪い見た目をしている。それぞれの紋様ごとに何かしら意味があるのだろうか。時々、ゆらりと柔らかい光を帯びては消える不思議な動きをしていた。

 流石は刻印士、自分の身体も刻印だらけということなのだろう。


 それはさておき、自分のことをオレと呼称する女性に出会ったのは初めてである。


「俺だ。名はハイネリヒト。虫を操れるようになりたくて来た」

「そうかい、あんたか」


 ニドゥイは煙草を吸って、深く息を吐きだしながら言った。

 隣のゾーヤが小声で「薬草の匂いだ、もしや彼女は何か患っているのかもしれない」と耳打ちしてくれた。


「とんでもねぇ色男だって聞いたぜ。どんな顔してるのか拝みたかったねェ」

「……? 目が見えないのか?」

「ほとんどナ」


 ひひひ、と笑うニドゥイはどこか不気味な雰囲気があった。ちろりと見える尖った歯が印象的である。


「安心しなァ、よくよく目を凝らせば、刺青ぐらいは入れられるさァ」

「できれば目立たない刺青がいいんだが」

「じゃあ足の裏にでも入れるかい? 痛くてたまらないがねェ」


 ニドゥイの提案はもっともだが、少々気乗りしなかった。なぜなら足の裏は皮膚の代謝によって刺青が消えやすい場所だからである。

 そう正直に伝えると「安心しなァ」とニドゥイは冗談でも言うような口調でしゃべった。


おれの刺青はよ、宝石を砕いてすり潰して使うから、そう簡単には消えねェんだ。身体になじむように魔術も一緒に被せてかけるからねェ」


 そういう魔術があるなんて初耳である。

 そもそも、宝石なんかで刺青を入れて身体は大丈夫なのか、とふと思ったが、確認してみると大丈夫だとのこと。きつい炎症反応を起こしたやつは過去に存在しなかったという。どの程度過去なのかも気になったが、熟練の刻印士がそう言うのであればそうなのだろう。


「なるべく皮膚の色と同じ色が嬉しいんだが」

「……はァ、なるほどね、そういう注文もたまーに受けるけどサ、おれの刺青を自慢したくないなんて珍しいねェ」


 私の主殿はそういう人なのだ、とゾーヤが補足していたが、ニドゥイは何か品定めでもするかのようにじろりと俺を眺めてにんまりしていた。よく見えない目でも、何か見える・・・のだろうか。


「刺青が怖いかい?」

「怖い」

「ははーァ、そうかい坊や、可愛いなァ」


 坊や呼ばわりに気を害したか、ゾーヤが眉を顰めて腰の剣に手を伸ばしかけていた。

 だがニドゥイはそれを全く意にも介さず、俺にするりとすり寄って囁いた。


「安心しな、おれは素直なやつぁ好きだ。二の腕を出しな。おれが頑張ってやる。痛くないように、そして肌の色に近い刺青にしてやるよ」




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