第18話 異世界行商その⑤:ベルナルド『エキュム・モルドレ』
「……ほう、腕のいい刻印士をお探しですかな」
「ええ、この街でも顔の広いアルバートさんでしたら、もしやご存じなのではないかと思いましてね」
フランス最大規模の高級磁器ブランド、ベルナルドの食器を持ち込んだ俺は、商談を片手間にアルバート氏に相談を持ち掛けた。
前の商談でも分かったが、うちのゾーヤは弁が立つし頭も回る。俺の役割は、横からちょっと口を出すぐらいで十分であろう。
「ふむ……。刻印系の魔術師であれば魔術ギルドに訊くのが早いでしょうな」
「でしょうね。でも、どこの馬の骨とも知れない流れの行商人の自分なんかに、腕のいい刻印士を紹介してくれる保証はありません」
隣で広げられている商談は、佳境にはいっている。
今回は持ち込んだものが良すぎた。
ベルナルド窯と言えば、現在もフランス有数の磁器生産が盛んな地域リモージュの窯の一つ。ナポレオン3世の御用達窯の名誉を受け、ナポレオン3世の皇妃ウジェニーにこよなく愛され、トップブランドとしての地位を築き上げた歴史と伝統ある由緒正しい磁器ブランドなのだ。
その中でも『エキュム(Ecum)』といえば、ベルナルドの押しも押されぬ人気シリーズ。海の泡をイメージした皿の淵の装飾は、前菜を盛っても肉料理を盛っても目に映える。上品で現代的な『エキュム・モルドレ』の金装飾は、この時代からすればあまりにも"美しい"だろう。
現代の一流ホテルや高級レストランでも採用されるぐらい、ベルナルドの食器は洗練されている。
証拠に、ディケは絶句していた。値切り文句を思いつかないのだろう。ゾーヤの自慢げな様子がちらりと横目に入った。
しばらく間が空いた。紅茶を一口含んでアルバート氏は柔らかく尋ねてきた。
「……ご用件によるでしょうな。どういった刻印をお求めで?」
「虫を操りたい」
「ふむ」
アルバート氏であれば信頼して大丈夫であろう、と俺は詳細を説明した。
考えている虫は、蟻、蜂、他にもいくつか。
基本的には害虫を操りたい。とはいっても害虫を人にけしかけるのではなく、害虫を家から追い出したり殺したりするのが目的である。
虫を飼って育てることも考えている。
……など。
「なるほど、なるほど……。それなら、我が商会の取引先に掛け合って、つてがないか探してみましょう」
「助かります」
これでアルバート氏に借りが出来た。
どこかでお返ししないといけないだろうが、それはそれ、これはこれである。
これからの副業生活を考えるにあたって、虫を使役できるかもしれないというのは非常に大きな魅力であった。
そもそも、現代から持ち込んだ数々の名品をまず真っ先にアルバート氏に持ち込んでいるのだから、それで貸し借りはちゃらということにしてくれたら非常にありがたい。
「……今回は、こちらで足りますかな?」
「構いませんよ。今後も御贔屓にしていただけたら助かります」
アルバート氏から提示されたのは、金貨七〇枚と、匂いくらましの指輪と、深呼吸の指輪。
匂いくらましというのがよく分からなかったが、自分から漂う匂いがぐっと減って、魔物に感知されにくくなるといった効果があるらしい。
深呼吸の指輪は、大したことなさそうなその名前に反して、肺活量が一気に増えるとのこと。息切れしにくくなる他、息を止める時間も伸びて、潜水も得意になるという。
ディケ嬢は非常に悔しそうな表情を浮かべていたが、まあ、これは仕方あるまい。
見事な金装飾、その精巧な
「こちらこそ、どうぞ我が商会を御贔屓くださりありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願いします」
握手を交わす。
金貨七〇枚と魔道具二つで成立した、という意思表示である。
付き合いが長くなって分かってきたことがある。
アルバート氏は、俺に対してなるべく公正に応じているように感じられる。
ある程度の打算はあると思うが、絶好のカモだと思ってしゃぶり尽くそうとしてくるような短絡な真似はしておらず、どちらかというと"その方が利益が大きい"と判断して動いているように見える。
こんな一対一の商取引でふっかけようなんて、一瞬で破綻すると分かっているのだろう。他の商人に相見積もりをかければ、不当な値付けはあっさり見破られる。
それよりは、『他の商人のところと相見積もりかけたけど、このアルバート氏の提示した条件が一番良かったな』と思ってもらう方が長期的に利する――。
そういう考えが裏にあってもおかしくない。
というか実際に相見積もりをかけたことがある。そして実際に、アルバート氏の条件が一番良かった。
見る目がないので安い値段で提示してきた奴。俺をカモだと思って買い叩こうとしてきた欲の皮が突っ張った奴。そんな連中を何人か目の当たりにした。
その点、アルバート氏の態度はどこか余裕があり、そして貫禄があった。
まるで『自分のところにいつか帰ってくる』と分かりきってたかのように――。
(……囲い込む素振りがないんだよな。『よそに行かずにうちだけと取引してくれるなら買取価格を割り増しする』みたいなことを言い出してもおかしくないと思うが、全然そんな態度を見せない)
アルバート氏の商談のやり方は少し風変わりな気がする。
また同じ商品を入荷する予定があるかとか、商売の近況はどうだとか、そんな雑談の方が多く、個々の商談の利益の最大化にはこだわっていないように見受けられる。
正直、ディケ嬢のように、一つの商談に一生懸命に来られる方がやりやすいのだが。
受け取ったエキュム・モルドレの皿を丁寧に箱の中にしまいながら、アルバート氏は柔らかい微笑みを浮かべている。
来る者拒まず去る者追わず、ということだろうか。俺からすると、老紳士アルバート氏は未だに底が見通せない人物であった。
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