実話・最短時間で走れ。問題解決のカギはその新幹線に

柴田 恭太朗

爽やかな初夏に冷汗をかく

 初夏になるとキュートなフルーツを目にするたび、思い出す事件がある。


 そのフルーツとはアメリカンチェリー。あの色が黒く、別名ダークチェリーとも呼ばれる輸入品の果物だ。現在は流通量が増えたため、おそらく多くの方がご存じのことと思う。


 では、こんな格言はご存じだろうか?

 『アメリカンチェリーが赤らむと、輸入業者の顔が青ざめる』


 それはかつて、このフルーツにまつわる特殊な事情があったからだ。鮮度が命のアメリカンチェリーが空港に持ち込まれると、それまで予定していた荷物カーゴあと回しにして、優先的にチェリーが積み込まれるからだ。アメリカンチェリーの出荷時期になると、輸入品の到着スケジュールがグダグダになる。


 ◇


「納期に間に合わない? 明日中に部品がないと工場が止まるぞ!」

 電話の向こうで取引先の購買さんが怒気を含んだ声を上げた。

「申し訳ございません、アメリカンチェリーが先に出荷された都合で、本日予定の便が明日着になってしまいました」

 私は受話器を握りしめて頭をさげた。購買さんにとってラインを止めないことは至上命令である。製造工程に欠かせない部品がなければ、生産ラインが止まる、資材調達ができないこと、それは購買さんの経歴に致命的な傷となる。それは説明されなくたって、痛いほどわかる。そしてそのミスの原因は顧客側ではなく、こちら側に存在した。


「チェリーぃぃ?」

 購買さんの語尾が怒りで尻上がりになる。あまりにもバカげた理由だからである。バカげているがそれが真実なのだ。できることなら、私だって一緒に怒りたかった。


 私はひら謝りに謝った上で、解決策を30分後に提案することを約束し、一度電話を切らせてもらった。


 解決策と言っても、むろん何も考えていない。

 まず第一に浮かんだ案が会社の車に積んで高速をひた走って納品すること。取引先の工場は東北にあり、高速道路を飛ばしても半日以上かかるし、万が一の事故を考慮するとリスクが大きすぎた。


 次は新幹線を利用する方法。これなら目的地の近くまで早く確実に到着する。しかし、広大な敷地を有する工場が交通便利なところに建設されているわけがない。新幹線で近くまで行けても、そこからローカル線を乗り継ぎ、さらにタクシーを利用しなければ行きつけない。新幹線を利用して納入する方法でもとうてい間に合わない。


 他の手段はどうだろう? バイク便は遠距離の配達をしてくれない。航空機も顧客の工場へ飛ぶような都合の良い航路はない。車も新幹線もいま検討したようにダメ。まったくの八方ふさがりだった。


 そうこうするうち、こちらから申し出た回答期限の30分は、みるみる迫ってくる。


――こんな格言があった。

『せっかくついている頭は、せいぜい最大限に使え』

 誰あろう……私の格言である(笑)


 せっかくついている頭で考えを巡らせるうち、ひとつの記憶が浮かびあがってきた。それはかつて購買さん――確か博多のご出身だったから、これ以降、博多さんと記させていただく――その博多さんの車に同乗して工場を訪問したときの記憶がヒントとなった。


――これなら間に合うかも知れない!

 私はオフィスに常備してある時刻表を引っつかむと、アイデアを検証した。

――行ける。これなら行ける!


 私は約束した「30分後」まで待たず、博多さんに無茶を承知で解決案を提示し、合意を得た。


 ◇


 翌日。

 来ない。昼過ぎにオフィスに到着するはずの商品が到着しないのだ。

 じれじれと待つ私の元にソレが届いたのは午後三時を回っていた。


 私以上に納品を待ちわびているはずの博多さんへ、即座に電話をかけた。

「○○時〇〇分着の新幹線でお持ちします。仙台駅のくだりホームでお待ちください」


 解決策とは、こういうことだ。

 時刻表を元にして、西村京太郎ミステリーばりに割り出した最短納品方法が、仙台駅で受け渡す方法だった。そこから先は顧客の高速トラック便なり、博多さんの自家用車なりで最短経路で運んでいただけるだろう。その手段を選ぶのは博多さんの担当だ。


 電話を切った私は、両手に丈夫な紙製の手提げ袋をぶら下げて会社を出た。手提げ袋の中には今日中に納品しなければいけない部品、(これ書いても問題ないだろうな)価格にして2500万円分のパーツが収められていた。もし納品遅延が発生した場合、停止する工場ライン、ひいては販売計画を含めた損害は一体いくらになるのだろう? 何億? 何十億? ……想像したくもない。


 時節は初夏の午後。本来ならば一年のうちでも過ごしやすい季節の一、二に挙げられるシーズンだ。しかし、スーツを着て走る私のワイシャツは冷汗でびっしょりと濡れていた。もちろん暑いからではない、間に合うかどうかを心配するがゆえの緊張からだ。


 当時、東北新幹線は上野駅始発しかなかった。

 会社の最寄り駅から上野駅へ向かうルートは複数あり、そのうち地下鉄を使う方法を選択した。東北新幹線のホームに少しでも近いところが良いと思ったからだ。


 それが失敗だった。利用した地下鉄――具体的にいえば銀座線――が、しばしば遅延することを失念していた。その日も例外でなく、ヤキモキする私の祈りも届かず、予定より2分遅れての上野駅到着となった。


 新幹線のホームまで何台かのエスカレータをくだらなければならない。

 腕の時計を見れば、発車時刻まで残すところわずか2,3分。


 私は重い紙袋を両手に提げ、エスカレータを猛然と駆け降りた。

 エスカレータ上に人がいなければ一段とばしに駆け下り、乗客がいれば心の中で(ちょっくらごめんなさい、2500万が通りますよ)と詫びながら……。


 発車ホームに到着すると、すでに発車のベルが鳴り響いている。


 私は両手のバッグが破れないよう気遣いつつ、新幹線の乗降口を目がけて駆け込んだ。体が車両にギリ入り切った瞬間、背後でシューッと音を立ててドアが閉じる。後ろ髪が扉の閉じる風を受けた。確かにそんな気がした。


 危機一髪だった。

 映画みたいだなと思った。


 車内放送で車掌が何か怒っていたような気がするが……ごめん、博多さんを待たせているんだ。


 ◇


 乗ってしまえば上野から仙台まで、することはない。新幹線の窓外を流れるのは、いつもの見慣れた景色。私は緊張をゆっくりと解きほぐしながら、ときおり「やっぱりこれ映画みたいだ」と、日ごろ味わうことのできないスリルに富んだ体験を面映ゆく反芻していた。


 仙台駅で待っていた博多さんに、両手に提げた紙袋を渡す。

 博多さんは挨拶もそこそこにブツを受け取ると『これ帰りに食べて』と南部せんべいを手渡してきた。彼は強面なところがあり、正直なところ私はやや苦手だったのが、ぶっきら棒なところがある半面、心根の優しい人なのだ。


 私は無事納品したことを社に連絡し、そのまま仙台に一泊する許可を得た。

 ともあれ、そうして私の危機一髪事件は無事に終わりを迎えた。


 この文章の締めくくりとしてぜひ明記しておきたいことがある。

 それは仙台駅近くの店で食べたおでんが格別美味だったこと。味の沁みたおでんとキリっと冷えたビールのうまさ、生涯きっと忘れることはない。アメリカンチェリーの思い出とともに。


 終

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

実話・最短時間で走れ。問題解決のカギはその新幹線に 柴田 恭太朗 @sofia_2020

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ