第18話平和主義の暗殺者

「…そういえばだけどアテナ、顔どうしたの?」


 先導するパーカーがアテナに語りかける。それまで続いていた沈黙が絶えられなかったのかもしれない。機械人形にそんな感情があるのかは定かではないが。

 アテナを知っている彼女もまた動かない彼女の表情が気になるようだった。


「…感情機能が故障してしまってな。あいにく動かない」


「へ〜…アテナの笑顔が見れないのか。さみしいな」


 彼女の言葉には偽りはなかったように思える。眉を下げた少し残念そうな表情は偽りでも、言葉の響きにその感情は隠れていた。

 

 アテナとパーカー。ただならぬ関係であることはユウヤが見ても分かる。学校の友達、あるいは職場の同僚、あるいは同じ釜の飯を食ってきた兄妹。どれにも当てはまる関係性であるとユウヤは感じていた。

 敵である可能性が高いパーカーに馬鹿正直に質問を投げかける気にもならず、ユウヤは終始だんまりを決め込んだままだった。


 しばらくして、開けた草原に出る。ちょうど真ん中には山奥で見かけるような立派なログハウスが建っていた。


「ここだよ。私のパートナーが中で待ってる」


 ユウヤとアテナは草原の手前で足を止めた。

 パーカーは不思議そうな表情で二人の様子を見ていたが、その理由に気づくのに数秒もいらなかった。


「あぁ、罠なら無いから安心して。アテナの探知なら分かるんじゃない?」


「お前のことだ。不可視の罠の可能性だってあるだろう?」


「そこまで疑う?いいから来なって」

 

 疑われたことが気に食わなかったのか、パーカーは眉を潜めて怒った素振りを見せた。

 パーカーはアテナの手をぐいっと引っ張った。

 普段のアテナなら触られる前にその手を振り払うことなど容易いはずだが、パーカーの行動が予想外だったのか、彼女はされるがままに引っ張られた。

 ユウヤは追うようにして草原に踏み入る。パーカーの言う通り、罠は仕掛けられていない様子だった。


「ほら、行くよ」


「…お前」


 パーカーはアテナの手を引いてずいずいと歩いていく。ユウヤはアテナから遠くないかつ罠があっても逃げられる距離感で後ろをついて行った。

 結局あるかも分からない罠が発動することはなく、ユウヤはログハウスへとたどり着いた。


 パーカーは木製の扉をコンコンコンと特徴的なリズムで叩くと中へと入る。入るように促された二人はアテナを先頭にして中へと入った。

 二人は上がってすぐにリビングへと通された。窓から差し込んでくる光は日光なのかはたまた人工的なものなのかは分からなかったが、それに匹敵する暖かさだった。

 そして、ユウヤの瞳は窓際の椅子に腰掛けている一人の男性を映す。ログハウスには似合わない、黒のスーツを着た男は鷹が刺繍された特徴的な眼帯をしていた。


「グレイ、連れてきたよ」


「ご苦労。…これは驚いたな。まさかお前らとは」


 パーカー同様、彼はユウヤの事を知っているようだった。顔にそう書いてある。

 年齢はパッと見では30かそこら。若々しいわけでもなければ、年老いた風貌でもない。彼に宿った青い瞳はアテナのものよりも少し暗い。

 おおよそ生気が感じられないその瞳は死体を連想させる。彼女の死に顔が頭にちらついてユウヤは顔を振った。そうすることで少しは気を紛らわせることができた。

 アテナはユウヤを庇うように彼の前に出て男に向かって言う。

 

「…先に言わせてもらうが、ユウヤは今記憶喪失状態だ。聞いても何も出てこないぞ」


「…なるほど。かなり込み入った話になりそうだ。まぁとりあえず座れ」


 男は四つの椅子が並べられたテーブルを指差す。ユウヤとアテナ、男とパーカーに分かれて対面に座った。

 ユウヤはプレイヤーと話し合うという謎の状況に困惑しつつ、アテナに促されて心を落ち着かせる。

 男は怪訝そうな表情でユウヤに問いかける。


「…記憶喪失というのは本当か?」


「はい」


「…そうか。私の名はグレイ・エスメル。こうして対面するのは初めてだな」


 グレイと名乗る男はユウヤにそう告げた。

 対面するのが初めて、ということは以前から一方的な面識があったのだろう。アテナの反応を見てもそれが分かる。


「お前は上の階層に行ったと聞いたが…なぜこの階層に戻ってきている?」


「…戻ってきたんだ。外から」


「…外から?」


 グレイは信じられない、とでも言いたげな表情だったが、それを言葉にすることはなかった。当然の反応と言えるだろう。

 驚くグレイの代わりにパーカーがユウヤに問いかける。


「どうやって外から?ていうか出れたの?」


「そこは記憶喪失で覚えてなくて…」


「…なるほどな。ということは今お前は”上に行く権利を持っていない”のだな?」


 妙に強調されたその言葉には人を押しのける重みがあった。気圧されたユウヤはこくこくと頷く。

 グレイは非常に厄介そうな顔をして背もたれにもたれかかった。


「少し昔話をしよう…私は以前英国で暗殺者ヒットマンをしていてな。機械人形に負けず劣らず人間を殺してきた。あるときは依頼主から頼まれた獲物ターゲットを。あるときは紛争に傭兵として。国のお偉いさんを殺ったときもあったな。…半分殺し屋みたいなもんだ」


 ぞわり。背中から汗が吹き出るのがユウヤは自分でも分かった。

 ただならぬ雰囲気に警戒はしていたが、相手はまさかの暗殺者。殺し屋と言い換えることもできるだろう。

 このゲームには暗殺者もいるのかと焦る以前にユウヤの手足は恐怖で固まってしまっていた。


 脳が段々真っ白になっていく。手足が鉛ように重い。今にも逃げ出したいというのに、手足はおろか頭まで思い通りに動かなかった。

 そんなユウヤをグレイは鼻で笑った。


「…同じ反応をしやがる。相変わらず純粋な奴だな」


「ユウヤ、落ち着け。…こいつが襲ってくる気配は無い」 


 小刻みに震えるユウヤの手にアテナの手が添えられる。添えられた手からは人間のぬくもりに近いものが感じられた。これも機械人形の機能の一つだろう。

 グレイは眼帯に触れながら再び語りだす。


「この傷もその時のものだ。…追い詰めた獲物ターゲットを殺すのにためらってな。ヤケになった相手が振り回したナイフが俺の目に当たってしまったのだよ」


「…話が見えてこないな。何が言いたい」


 しびれを切らしたアテナが机を叩いてグレイに詰める。何の狙いがあるのか分からなかったが、彼の瞳は間違いなくユウヤを映していた。


「…俺は平和主義でな。もう誰かを殺すのも、誰かに狙われるのも懲り懲りなんだよ。ここなら誰にも襲われずに平和な時間を過ごすことができる」


「さっさと言え。お前は私達に何の取引をしている」


「この階層にいる参加者は俺とパーカーだけだ」


 一瞬、空気が凍りついた。グレイの口から放たれた言葉は嘘か真か、この階層には彼とパーカーしかいないのだという。

 このゲームの性質上、あり得る話ではあった。だが、何しろそうした場合のメリットが少ない。にわかに信じがたい話だ。

 ユウヤの思考が動くよりも先にアテナの口が開かれる。


「…なぜそう言い切れる。お前にはこの階層に他の参加者が残っていないと言い切れるのか?」


「この階層に来たプレイヤーは私が一人残らず殺している。毎日パーカーに入口の監視を任せているからな」


「…やはり最初から見ていたのか」


「いやごめんて。そんなに怒んないでよ」


 今のアテナの表情は人によっては怒っているようにも見えるが、おおよそはっきりとした感情を感じられるものではない。

 それにも関わらずパーカーは彼女が怒っていると判断した。旧知の仲だからこそ分かるなにかがあるのかもしれない。


「お前らが上に上がりたいというのなら、この俺を殺す他手段は無い。…だが、俺はもう殺し合いは懲り懲りだ。そこで一つ取引だ」


 グレイが持ちかけた取引はこうだった。

 次にやってくる参加者との戦いに協力する代わりに自分達とは戦わない。

 持っている限りの食料も分け与える。

 戦闘の知識も持っているだけを授ける。

 この三つだった。いわゆる、同盟関係になろうということなのだろう。暗殺者という肩書には似合わない平和的な案だった。

 ユウヤはこれほど都合のいい提案に二言返事で乗るほど純粋ではない。ようやく血の巡ってきた脳を必死に動かして、言葉を絞り出す。


「…どうして、そんな提案を?」


「言っただろう?俺はもう殺し合いなんて懲り懲りなんだ。俺が求めるのは平穏。なんの危険因子が一つも存在しない、穏やかな日々。優雅なものは求めない。ただ生きて、ただ時間が過ぎて、ただ寝れればいい」


 グレイの言葉に偽りは無いように見えた。彼の望む平穏はこのゲームの中では安定しないものだ。それがゆえに戦いはできるだけ避けたいのだろう。

 上の階層に行けば戦闘が起こる。安全を取るならばこの階層にとどまるのが最適解だ。次の階層に進まないのはそれが理由なのだろう。

 

「どうだ。この提案、呑む気はあるか?」


 アテナは隣のユウヤの顔を覗き込む。未だに顔色は良いとは言えない。彼女の感情機能は故障してしまっているが、彼を想う気持ちはまだ彼女の中に存在している。

 アテナは両手を彼の震える手に添える。

 ユウヤはごちゃごちゃになった脳内を整理しつつ、少しずつ吐き出すように答えた。


「…それは、できません」


「…ほう?」


「…今の俺には記憶が無いし、この場所に帰ってきた理由なんて分からない」


 謎の空間で目覚めてからここに至るまで、ユウヤの記憶は途切れ途切れのものだった。以前のゲームのことも、なぜここに戻ってきたのかもはっきりは分かっていない。

 だが、ユウヤの心には常にアテナがいた。彼女の姿にはどこか安心感があった。記憶は無くとも、体と心は覚えている。彼女という、かけがえのない存在を。

 今のユウヤの心に宿る想いは一つ。彼女を、アテナを助けたい。


「でも、俺はアテナを助けたい。記憶を取り戻したい。取り戻して、アテナと外に出たいんです。だから、条件は呑めません」


「…同意見だな」


 ユウヤの決意に頷いて応えるアテナ。残った記憶は揺るぎない決意へと変わっている。

 グレイはやはりか、という表情だった。


「そうか。…嫌な目をしている。俺の嫌いな目だ」


 口ではそう言いつつも、グレイの表情は微笑んでいた。なにか物思いにふけるような、そんな表情だった。


「それじゃ、交渉決裂?殺るしか無いね」


 張り詰めた空気が緊張感を孕んだものになっていく。しかし、先程までの怖気づいていたユウヤはいない。既に彼の覚悟は決まっている。

 目の前の暗殺者を、グレイを殺らなくては。アテナを助けるためにも。決意は拳に現れる。

 しかし、不意にユウヤの体は浮遊感に襲われた。アテナに担がれていたのだ。


「え、アテナ?」


「…パーカー。私が気づかないとでも思っていたか?」


「あはは…流石にか」


「ユウヤ、飛ぶぞ」


 ユウヤの返答も聞かずにアテナは壁を破壊して飛び去る。直後、爆発音と爆炎と共にログハウスは消え去った。


「は…!?」


幻影ホロだ。…前の階層での経験が運良く役立ったな」


 まもなくアテナは木の枝へと着地する。土煙を上げながら地面に着地すると、そっとユウヤを下ろした。


「あいつらはこの森のどこかに潜んでいる。私達を殺しにくるつもりだ。構えろ」


 このゲームの醍醐味、殺し合い。この階層では既にそれが始まろうとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る