第三層:迷いの森ビバレンス

第16話森

 しばらく階段を登っていると、再び闇に包まれた空間へと入った。辺りを見回しても暗闇が広がるばかり。見えるのは足元の階段のみ。

 うざったくなるほどに長い階段を登るユウヤは主催のある言葉を思い出す。


「…あ、そういえばなんだけど…最初に主催と話した時に俺のことをエキストラプレイヤーって言ってたんだ。アテナはなにか知ってない?」


「エクストラプレイヤー?…外の世界から来たからということか?…すまない、私にも分からない」


 エクストラプレイヤー。追加の参加者という意味であるが、このゲームに置いてこの言葉には何の意味があるのか。気になったユウヤはアテナに問いてみたが、それは彼女にも分からないことだった。


「今のところ深い意味があるようには思えないが…あいつのことだ。きっとなにか意味があるはずだ。それを知るためにも上に進まなくてはな」


アテナは息切れ気味のユウヤに手を差し伸べてそう話す。

 相変わらず表情は冷たいものであったが、ユウヤは彼女に暖かい感情を感じていた。


「さぁ、次の階層まではもう少しだ。…担ぐか?」


「あれ結構酔うから遠慮しとく…」


 ユウヤはようやく見えてきた扉の光に向かって沈みそうな足を必死に動かした。



 扉の先には深い森林が広がっていた。見渡す限りの樹木は一つ一つが大きなもので、一人ぐらいなら簡単に隠れられそうな太さだ。

 アテナとユウヤが一歩踏み入ると、自然な木の香りが鼻をかすめる。さらには野鳥の鳴き声まで聞こえてきた。本当に森に迷い込んだかのような感覚だった。


 上を見上げると、木々の葉の隙間から暖かな木漏れ日がユウヤの瞳に差し込む。太陽があるのかすら分からなかったが、あまりの高さに上への脱出は不可能であることは明確だった。


(…当然だけど、前の階層で全然雰囲気が違うんだな。本物なのかな…)


 ぐるっと辺りを見回してみるが、当然見えるのは木とその他植物ばかり。生き物の気配はあまり感じられない。

 ユウヤは隣で不思議そうに辺りを見回しているアテナの姿が目に止まった。


「…どうしたのアテナ?」


「…以前来た時と全く違う。前はこんな森じゃなかった」


「え…階層ごと変わったってこと?」


「信じられないが、そういうことらしい。…相変わらずここの造りはわからんな」


 前の階層の校舎もそうであったが、以前のものとは造りが変わっているらしかった。

 となるとこの階層はユウヤとアテナ共にどちらも知らない階層。より一層慎重に進む必要がありそうだ。


「とにかく、ここは慎重に進もう。…さっきのようにはぐれてしまっては二の舞いだ」


「うん。アテナから離れないようにするよ」


「とりあえずは…進むほかあるまいな」


 アテナはどこまでも緑が続く先を見据える。この視界の悪さではどこに敵が潜んでいるか分からなない。ユウヤとはぐれないようにしつつ、この階層のプレイヤーを探さなくては。

 アテナとユウヤは深い森へと足を踏み入れた。



 木々の間を縫うようにユウヤ達は進んでいく。幸いなことにプレイヤーの姿は見当たらなかった。

 木の幹に触れてみると、ゴツゴツとしていてそしてなめらかな手触りだ。時々見かける花も華やかな香りを放っている。

 ユウヤが見る限りはどれも本物に近いものだった。


「…これって全部本物なのかな?」


「見る限りはそうだな。どれも生きている。…不思議だ。階層で限られているはずならこの場で独自の生態系を作っていることになる。そんなことが可能なのか…?」


 アテナの疑問は至極真っ当な疑問だった。

 人が瓶の中に生態系を作ろうとしても残るのはゴキブリだけだと言われている。それほどに生態系を作るというのは困難だ。ましてや、それを継続させるなんて不可能に等しいことなのだ。


「…まぁ、奴ならやりかねないか」


「奴って…主催のこと?」


「あぁ。あいつの正体は最終層に到達した私でさえ未だに分かっていない。機械人形

でなければ人間でもない。もはや概念的存在なのかもしれないな」


 概念的存在と聞いてユウヤはたしかに、とつぶやく。何もなかった空間から急に現れるし、顔はない。少なくとも生き物ではないと判断するのが妥当だ。もしかしたら幽霊なのかもしれないとユウヤは考えるが、そんな思考は今はどうでもいいと放棄した。


 ある程度進んだところでユウヤは立ち止まる。彼の目が木の幹に黒いあるものを捉えたのだ。

 ユウヤは木の幹に近づくと、黒い痕に触れる。パラパラとすすのようなものが手についたユウヤはそれがなんなのかを察した。


「…銃痕か?」


 アテナが背後からそう言う。木の幹に2、3発ついているその痕はたしかに銃痕だった。


「これって…誰かが戦ってたってことだよね?」


「そうなるな。しかし銃痕か…」


 アテナは顎に手を当てて考える仕草を取る。なにか思い当たる節がある様子だった。

 ユウヤはアテナに問いかけようとしたその瞬間、動きを止めた。彼の耳が異音を捉えたのだ。


「…ん?」


 ユウヤは音の法へと目線を向ける。相変わらず鬱蒼とした森が続いているばかりだったが、数秒後に付近の草むらがガサガサと動きはじめる。


 アテナが思考していると、目の前の草むらから白い影が飛び出してきた。

 プレイヤーかと身構えるユウヤだったが、それは機械でもなければ幻影でもない、正真正銘本物の兎だった。


「兎!?なんでこんなところに…」


「野生生物までいるのか…本当に生態系が出来上がっているのだな」


 大きな耳をひょこひょこさせた兎はこちらを警戒している様子はない。罠、という線も考えられなくはなかったが、アテナの周辺察知はそれが生命体であることを示していた。

 ユウヤの横でなにか思い立った様子のアテナはおもむろに柄に手をかける。


「…ちょうどいいな」


 次の瞬間に耳を掠めた風切り音。目の前の兎はぐだりと横たわり、その腹部からは血が流れ出ていた。


「…え」


「ユウヤ、食事メシだ」




 しばらくして川を発見したアテナとユウヤは焚き火を起こすために枯れ木を集めていた。

 驚くことにこの森には川もあるようで、アテナによれば本当に飲める水なのだそう。水質検査もできるとは、本当に便利なんだなとユウヤは感心するばかりだった。

 森に川がある事自体は普通のことなのだが、この謎の空間にあることでその違和感は小さいものではなかった。


「よし、これぐらいあれば十分だ。ここに寄せろ」


「よいしょっと…これでいい?」


 アテナは枯れ木の山の前に立つと、手をかざした。


放火バーナー


「うおっ…」


 アテナの手から炎が巻き上がり、枯れた木の枝に着火する。日を付けるにしては少々ダイナミックな気もしたが、当人は気にしていないようだった。


「そんなこともできるんだ…」


「本来は死体焼却のためのものだ。火力は申し分ない」


「…なんか聞かなかったほうが良かった気がする」


 アテナは木の枝をポンポンと放り込んでいく。日が安定したところでアテナは枝に突き刺した捌いたウサギ肉を火にあたるようにかざした。

 この兎は先程捉えたもので、すでに下処理は終えている。ユウヤは終始心苦しそうな様子だったが、無心で捌くアテナに軽く恐怖を覚えていた。


「…ところでなんだけど、こんな目立つことしてていいの?プレイヤーに見つかったりしない?」


「そこは心配しなくていい。私の周辺察知は半径5キロまでの敵を確認することができる。あの校舎では妨害ジャミングがあったから機能していなかったが、ここなら万全だ。今のところは敵影もない」


「機械人形って便利だね…」


「人類最高傑作だからな。周辺探知を完璧にかいくぐれる機械人形などそういない。いたらいたらで迎撃すればいい」


(…もしかしてアテナって脳筋?)


 機械人形でもそれぞれ個性がある。アテナの場合は少し考え方が強引なようだ。


 数分の沈黙が流れた後にアテナが兎の刺さった串を抜く。こんがりと焼けたその肉にはきつね色の焼き目がついていた。

 

「そろそろだな。ユウヤ、食え」


 アテナは焼き上がった兎肉をユウヤにずいっと差し出す。見事にこんがりと焼き上がったその肉は既に先程の可愛らしい生き物ではない。食料だ。


「い、頂きます…」


 ユウヤは兎を食べることへの抵抗が拭えなかったが、貴重な食料だ。意を決して恐る恐るかぶりつく。

 食べた感想としては、鶏肉に近い淡白な味だった。

 ユウヤは目覚めてから何も食べていない上に前の階層で嘔吐していたため空腹ではあったのだが、どうしても脳裏に兎の可愛らしい顔がちらついて良い気分ではなかった。

 どうしても気を紛らわせたかったユウヤはアテナに訪ねた。


「…今のうちに聞いておきたいんだけどさ、前のゲームってどんなかんじだったの?」


 尋ねられたアテナは近くの倒木に腰を下ろして語り始めた。


「以前のゲームは今ほど安全ではなかった。なんせ、プレイヤーがそこら中にいたからな」


 アテナの口から語られた話は意外なものだった。

 以前のドール・ゲームはそれぞれの階層に何十何百というプレイヤーがいたのだとか。今ほど安全ではなかったし、今よりも殺伐としていたという。

 なによりもこのデスゲームに何百という人間が参加していたことにユウヤは驚いていた。


「同盟を組んで上を目指す者、争いはせずにその階層にとどまる者。その間での対立も昔は絶えなかった。…今となれば残ったプレイヤーは少ないようだが、何名かはユウヤのように外に出ることができたのかもな」


「…俺みたいに戻ってきた人もいるのかな?」


「さぁな。だが、一度出たのに戻ってくるなど愚か者も良いところだ。そういないだろう」


(…俺ってなんでここに戻ってきたんだろう?こんなところ絶対戻りたくなるはずないのに)

 

 ユウヤはここへ至った理由を考えてみる。

 金に困ったから?

 会いたい人がいたから?

 誘拐されてきたから?

 いくつもの候補は上がってくるが、どれも違うとユウヤは確信している。

 薄れた記憶の中でアテナに出会った時のあの感情。彼女を、アテナを助けたいという思い。それが自分をここに導いたのだとユウヤは信じている。

 ただの記憶の断片であるが、ユウヤがそれを疑うことは無い。なぜなら、アテナという彼を待っていた存在がいるから。助けてくれた恩人アプロがいたから。


「…お前はここを出る時私にこういっていた。必ず私を助ける、と。お前らしいいかにも愚直な言葉だ。…今は覚えていないようだがな」


「…すんません」


「いいのだ。今はこうして戻ってきてくれたのだからな」


 相変わらずの仏頂面だったが、ユウヤはアテナが怒っているようには思えなかった。以前の記憶、というやつだろうか。頭が忘れていても心の何処かで覚えている。

 沈黙に耐えきれなかったのか、彼女の表情に覚えた懐かしさがそうさせたのかはわからない。ユウヤは口を開いた。


「…俺さ、前のことはよく覚えてないし、ごめんだけどアテナのことも覚えてない。…でもさ、アテナを助けたいっていう気持ちは今も心に残ってる。だから俺、アテナと一緒に外に出るよ。今度こそ」


 アテナの瞳を見つめながらユウヤは自分の思いを伝えた。アテナは彼の表情を見て頷く。そして、気の所為か少し笑ったように見えた。


「…その表情、前のお前と一緒だ。今も昔も変わらないなお前は」


「そうだといいな。…アプロのこともあるしね」


 ユウヤはポケットの中に入ったままだったアプロの核を手に取る。受け取ったときよりは輝きを失っているが、彼女のぬくもりは残っている。

 託された思いのためにも上に行かなくてはならない。自分に託された使命を全うするためにユウヤは決意を固める。


「思い出話は済んだかな?」


 それまでの空気を切り裂くようにその声は響いた。

 瞬時にアテナがユウヤの前へと出て剣を握る。彼女も気づかなかったということはおそらく機械人形。それも特異な潜伏能力を持った、タマモ以上の機械人形。


「ユウヤ、構えろ」


 アテナが睨んだのは一本の木の幹。おそらくその裏に相手は潜んでいる。

 生きをするのも億劫になるほどの沈黙が辺りを包んだ。心臓の音がどんどん激しさを増していく。

 

 ユウヤは沈黙の刹那に思考を巡らせる。

 このまま戦闘に入るか?そうなった場合は今の自分には何もできない。そう考えるとここで逃げるのが得策だと考えるが、アテナは既に臨戦状態に入っている。

 アテナを置いて逃げては決意の意味がない。ここは戦うべきだ。そう結論付けたユウヤはアテナの後ろで構えた。

 手持ち無沙汰の状態では微塵も戦力にならないだろうが、棒立ちよりかはマシだろう。

 ユウヤは手汗の滲んだ拳をぎゅっと握りしめた。

 



「…」



「…」



 焚き火の火が消えたその時だった。


「…っはははっ、やだなぁ私だよアテナ。そんなに警戒しないでよ」


「…パーカー?」


 先程までの緊張感が嘘のようにほどける。木の幹から出てきた機械人形を見て、アテナの動きが固まった。

 白髪が美しいその機械人形は明るく笑ってみせた。

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