第7話柏木美奈

「あれ?…アテナ?」


 ふと気づくとユウヤは”知らない場所”に立っていた。確かに先程まではアテナとともにいたはずなのだが、彼女の姿はない。一瞬の出来事にユウヤは戸惑う。


(さっきまで一緒にいたはずなのに…てか、ここどこだ…?あの血痕も無くなってる…)


 先程までアテナと調べていた壁を見ると、血痕は消えている。まるでそこには最初から何もなかったかのように。

 ユウヤは綺麗なその壁に違和感を覚えた。言葉では形容できない、勘のようなものだったがその違和感はたしかなものだった。あるいは、運命、というものだったのかもしれない。


(…ここに壁なんてあったか?確かここには道があったはず…)


「…あれ?誰かいるの」


 突然の声にユウヤは肩を跳ねさせる。声の方に振り返ると、数メートル先に立っている人影が目に入る。ユウヤはアテナの教えを思い出して反射的に逃げる姿勢を取った。


(プレイヤー!?まずい、今はアテナがいないから迂闊に近づいたら…殺される)


 脳裏をよぎる殺し合いの恐怖。このままでは一方的な殺害をされかねない。固まる足を無理矢理動かしてユウヤは逃走を測った。

 

「待ってユウヤ君!」


「…え?」


「ユウヤ君…なんだよね?」


 その人物はユウヤの名前を知っていた。ユウヤは驚き、その足を止める。廊下の向こうから小走りでやってきた人物はユウヤと同じく制服を身に纏った女だった。

 デスゲーム、という響きに似合わない清楚な雰囲気はその凶器的なスタイルと相まって破壊力抜群だ。


「…ユウヤくんッ」


 艷やかな漆黒の髪が舞い、細身のその体はユウヤの胸元に飛び込んでくる。

 情けないことに名前を呼ばれたことでユウヤは動揺してしまい、逃げることをすっかり忘れてしまっていた。

 突然の出来事にユウヤは驚きを隠せなかった。このデスゲームの中で不用意に近づいてきたその人物の顔を気まずそうに見つめる。


「え!?ちょ、ちょっと…?」


「あっ…ご、ごめん!…ユウヤくんの顔見たら安心しちゃって」


 戸惑うユウヤの様子を見て、女は照れくさそうにユウヤから離れる。どうやら女はユウヤのことを知っているらしかった。

 幸いにも、どさくさに紛れて腹にナイフを突き立てられるなんてことはなかった。見た感じでは凶器を所持しているようには見えない。

 ユウヤは混乱した脳と彼女との距離感を整理して問いかけた。


「えっと…俺の知り合い?」


「え!?…私のこと覚えてないの?柏木だよ!柏木かしわぎ美奈みな!」


「柏木…美奈…?」


 ユウヤは必死に思い出そうとするが、彼女に関する情報は何も出てこない。だが、女の自分に接する態度を見る限りだと親しい仲だったようだ。それ故にユウヤは忘れてしまっているのが申し訳なく感じた。


「…すんません。自分記憶喪失で…」


「記憶喪失!?大変だね…それで私のこと覚えてなかったんだ…私、柏木美奈。ユウヤ君とはクラスメイトだったんだよ?」


 柏木美奈と名乗るその女は整った端正な顔立ちで、したたかな雰囲気を纏った美少女だった。何処かで見覚えのあるようなその顔をユウヤは注視する。

 もう少しで思い出せそうな”なにか”が引っかかっていたが、それを思い出すことはできなかった。


「…でもよかったぁ…まさか知ってる人がいるなんて」


「…あ、そっか…ここにいるってことは、柏木さんも…」


「…うん。私もプレイヤーだよ」


 ユウヤは柏木との距離を縮めないようにいつでも逃げれる姿勢を取る。

 突然の出来事に混乱していたため失念していたが、ここは既にドール・ゲームの中。相手との命の取り合いが始まってもおかしくはないのだ。


 今のユウヤは武器は持っていないし、護身術が使えるわけでもない。力の制御だって曖昧だ。そんな中で襲われてはユウヤに勝ち目はない。逃げることが得策だ。

 ユウヤは再び逃走を試みる。そのユウヤを柏木は引き止めた。


「あー!ちょちょっとストップストップ!…戦う気は無いの!」


「…え?」


「…実は私、パートナーと離れ離れになっちゃって。今一人なんだ。ユウヤ君も一人…だよね?だから、今は一緒に行動しない?私も武器とか持ってないからさ、ね?」


 柏木からの提案はユウヤの足を引き止めた。見たところ、彼女が武器を隠し持っている様子はない。近くに機械人形らしきものも見えなかった。


 ユウヤは今一人。知らない空間で一人というのは危険が伴う。一人よりも二人のほうが安全なのは確かだ。

 それに、彼女と話せば自分の過去がなにか分かるかもしれない。そんな期待を込めてユウヤは返事を返した。


「パートナーと再開するまで、でどうですか?」


「…うん!そうしよう!えっとそれじゃあ…まず屋上目指してみない?上から見下ろしたら見つかるかも」


「そうしましょう。それじゃあ…階段探しますか」


 ユウヤと柏木は二人で校舎内の散策を初めた。

 ユウヤは未だに不信感の残る彼女に警戒は怠っていないが、それは相手も同じようで柏木も一定の距離は離れている。旧友とは言え、流石に心の何処かで疑っているのだろう。


「…ユウヤ君は記憶喪失なんだよね?どこまで覚えてるの?」


「えっと、それがほぼ覚えて無くて…」


「そっかぁ…それなのにこんなところに迷い込んじゃって大変だね」


「…柏木さんは外での記憶、あるんですか?」


「うん。ある程度はね。…でも私も曖昧なところがあって、なんでここに来たかは覚えてないんだ」


「そう、ですか…」


 ユウヤよりは症状は軽いが、柏木も同じく記憶の一部を失っているようだった。

 この症状は自分だけのものではないのかもしれない。ユウヤはそう思うのと同時に自分の記憶になにか鍵が握られていることを確信した。


「ユウヤ君はここに来てどれぐらい?」


「さっき来たばかりですね。柏木さんは?」


「私はちょっと前かな。…ここに来たはいいんだけど誰もいないからどうしようもなくてさ。パートナーともはぐれちゃうし」


「…もし、パートナーが見つかったら俺のこと殺すつもりですか?」


 ふとユウヤは問いかけてみる。恐怖心よりも好奇心から出た言葉だった。

 ユウヤの言葉を聞いた柏木は豹変して襲ってくるわけでもなく静かにその言葉を噛み締めた。

 そして柏木はユウヤに逆に問いかけた。


「…それはどうかな。ユウヤくんはあの人に会った?」


「あの人?」


「うん。あの真っ黒な人」


 真っ黒な人、というのはおそらく主催のことだろう。そう解釈したユウヤは相槌を打った。


「あの人に聞いたんだけど、プレイヤー同士での協力もありなんだって。だから協力もあり、かな?ユウヤ君だったら信じられるし」


「…どうして俺のことを信じれるんですか?」


 今度はシンプルな疑問だった。

 デスゲームという殺し合いの舞台で他人を信用するという行為は非常に難しい。一歩間違えれば自らを破滅に導く可能性だってあるのだ。

 リスクとリターンが見合っているかと言われれば、そうではないとユウヤは思う。ゆえに彼女の言葉には疑問を抱かざるを得なかった。


「それは私がユウヤ君のことをよく知ってるからだよ。ユウヤくんは嘘はつかないじゃん?…あ、ほら、クラスメイトだし?」


 柏木はふふっと微笑んだ。彼女はユウヤを知っている。そのためある程度は信用しているらしい。

 以前のユウヤは誠実な人間だったらしい。今のユウヤがそうかと言ったら正しくはないだろう。


「…前の俺はどんな奴だったんですか?」


「そうだねぇ…大人しい子だったけど、どこか芯のある子だったよ。よく弱い子を守ってあげてたりして…皆のこと助けてあげてた。…そういえば私達が通ってたところもこんな校舎だったよね」


 柏木の足がある教室の前で止まる。無人の教室に並べられている机達からはどこか懐かしく感じるものがあった。

 教室を眺めていた次の瞬間、ユウヤの視界が歪む。いないはずの生徒達の姿、存在しないはずの教師の声、見えないはずの自分の姿。幻覚のように現れたその影達にユウヤは思わずたじろぐ。

 ふらついたユウヤは壁にもたれかかった。すかさず柏木が駆け寄ってくる。


「ユウヤ君!?大丈夫!?」


「…ぅ…すいません…今、幻覚が…」


「無理に立ち上がらなくていいよ。少し休もう」


 立ち上がろうとするユウヤを柏木はその場に座らせた。ユウヤは壁に身を預けて座り込む。


(今のは…もしかして、俺の記憶…なのか?それにしては妙に鮮明だった…徐々に戻ってきてるのか?)


「ユウヤ君、大丈夫?幻覚って…もしかして前の記憶?」


「多分ですけど、そうっすね。度々見えるんです。多分学校での記憶が戻ったんだと思います…」


「そっか。私達、学生だったもんね。校舎はよく見てた景色だし、それがきっかけになったのかも」


「…っ、すんません、少しの間動けそうにないっす」


 立ち上がろうとするユウヤの頭にびりりと頭痛が走る。まだ動くには厳しそうだ。柏木はユウヤの隣に座り込む。


「大丈夫だよ。ここには私達以外誰もいないから、ゆっくり休もう。…ふふっ、なんか懐かしいね。よく二人でこうして話してたっけ」


「…俺と柏木さんって、どんな関係だったんですか」


 ユウヤの問いに柏木は顎に人差し指を当てて考える素振りを取った。


「う〜ん、どんなって言われると難しいかな…でも、結構仲良かったんだよ?二人で帰ってたりしたし」


「…へぇ」


「ホントだよ!?嘘だと思ってるでしょ!」


「…別に。ただ、信じられないなって」


 確かにユウヤに対する柏木の接し方は親しき仲のそれだが、ユウヤはそれに違和感を感じていた。どこと指摘できる訳では無いが、ユウヤの精神がそれを否定している。彼女という人間の中の塗り固められたなにかを。


「えぇ〜?あんなにお話してたのにぃ?ユウヤくんは酷い人だよ…」


「…なんかすんません」


「…ャ…ユウ…ユウヤ」


 その声は唐突にユウヤの耳に響いた。

 確かに聞こえたアテナの声。頭痛のことなど忘れ、ユウヤは思わず駆け出す。


「アテナ?…アテナッ、どこだ!」


「ちょ、ユウヤ君!?」


「アテナ!」


「…だ!この…なら私の…」


「どこだ、どこにいるんだアテナ!」


 ユウヤは声を頼りに校舎を駆け回る。何度も名前を呼ぶが、彼女の姿は一切見えない。どこまでも無機質な壁と廊下が広がっていくだけ。やがてユウヤの足は止まる。追いついた柏木がユウヤの腕を掴んだ。


「はぁ、はぁ…ユウヤ君?」


「…今、アテナの…パトーナーの声がしたんです。でも…」


「むやみに探しても見つからないよ。ここがどこかも分かってないんだから…」


 柏木からかけられた言葉でユウヤはわれに帰る。直後に彼女の心配そうな表情がユウヤの瞳に映る。軽く錯乱した状態でどう考えても無謀なことをしていた自分にユウヤは少し失望した。


「…そうですね」


 少しうつむいてユウヤはそう呟いた。柏木はそれを見て安心した様子だった。


「でしょ?とりあえず、今は校舎の屋上に向かおう。話はそれから」


「…はい。行きましょう」


 ユウヤと柏木は再び屋上を目指して歩き始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る