3.兆蛇村

 僕は、兆蛇ときだ村について調べることにした。

 雛果に夢の話はできなかった。ただの夢だと片付けてしまえばそれまでだし、あの質問を覚えてない彼女に話しても、どうにもならないと思ったからだ。


 兆蛇ときだ村。林業で栄えたものの、数年前に廃村になり、地図から消えた。

 離れた地域だからか、図書館の郷土史には載ってなかった。ウェブにも目新しい情報はない。見つかるのは「村人が突如消えた村」「謎のパワースポット」なんて面白おかしく書かれた都市伝説と、廃墟探訪のブログ記事くらいだ。

 兆蛇ときだ村は、想像以上に閉鎖的なところだったらしい。あまりに情報が無くて、近所でできる事はあっという間にやり尽くしてしまった。

「あとできることといえば……」

 現地調査。それくらいしかなかった。


 □ ■ □

 

 朝。テレビでは、明るい声のアナウンサーが最近話題のスイーツやアイテムの特集をしている。

「ねえ、雛果。試験終わったら休みあったよね」

「うん。あるよ」

「その日に、行きたいところがあるんだけど」

「どこどこ? 私、海見に行きたいな!」

「海はまだ寒いんじゃないかな? そうじゃなくて。兆蛇ときだ村に行こうと思って」

「え」

 兆蛇ときだの名前に、トーストを噛んだ雛果の手が止まった。さくり。と軽い音が吸い込まれて消える。

 無言で飲み込み、カフェオレを一口。

「道案内で一緒に行ってくれたらって、思ったんだけど。どうだろう」

「あー……そうだねえ」

 この反応は予想済みだった。故郷とはいえ廃村。まだ建物とかは残ってるけど、高校生を連れて旅行に行くような場所じゃない。気は進まないだろうと思ってたんだけど。

「いいよ。一緒に行こう」

 彼女は普通に頷いた。思ってた以上に快諾だったので、こっちが戸惑ってしまう。

「大丈夫? 無理そうだったら言ってね」

「いやいや、ちょっと前まで住んでた村だよ? たまには里帰りもしないと。それに」

「それに?」

「どっちかって言うと、数学のテストの方がやばい。あとりくん、今度教えて?」

「文系に聞くのはやめてほしいな」

 だよねえ、と雛果はひとしきり笑って、こっちに身を乗り出してきた。

「ところで、どうして急に村に行こうと思ったの?」

 村にまったく関係なかった人間が、急に自分の故郷に行きたいと言いだしたんだ。当然の疑問だろう。

 けど、「僕があの村を知ってるのか確かめに」とは言えなかった。

「大学の課題で。山奥の村に残るものについて調べてて」

「村に残ってるもの?」

「うん。風習とか、言い伝えとか」

 ああなるほど、と頷かれた。

「それで兆蛇ときだ村も題材に」

「そう。石碑とかも資料になるし、ちょっと行ってみようと思って」

「そういうの残ってたかなあ……」

 むむむ、と考えながら食べ終えた皿を片付け始める。

「見つからないというのも大事な資料だって言うから、無ければそれでいいんだよ」

「そうなんだ」

 そうなんだよと頷いて、僕も食べ終えた皿にカップを乗せる。

 はい、と雛果が手を伸ばしてきた。ありがとう、と皿を渡す。

「雛果は何か覚えてるものあったりする?」

「うーん。そういうのはお父さんが詳しかったんだよね。……ああ。名前を知られると神様に見つかっちゃう、とかはあったなあ」

「へえ。実名敬避俗じつめいけいひぞくみたいなものかな」

「実名、けい……?」

「親とか主人以外から名前を呼ばれることを避けるとか、上の人を名前で呼ばないよう、役職名で呼んだり、みたいな」

「ああ、そんな感じかも? 別に目上とかじゃないんだけど。兆蛇ときだではね、子供は10歳になるまで違う名前で呼ばれるんだ」

「雛果もそうだったの?」

 うん、と彼女は頷いた。

「でも、10歳になるとその名前は神様にあげるの。名贄めいしの儀、って言って。生まれた時に用意しておいた人形にその名前をつけてお焚き上げする。神様にあげた名前だから、二度と使えない」

「興味深い話だね。どんな神様なの?」

「うちのご祭神は大屋毘古神おおやびこのかみだよ」

「大屋毘古神……林業だと、五十猛神いそたけるのかみの方かな?」

 その名前だと同名の別神が居るはずだけど、兆蛇は林業で発展した村だ。信仰する神様もその関係なのだろう。

「かな。村の人達とか結構熱心に信仰してたし、儀式もよくやってたから、しっかり残ってた方なのかも。私も時々手伝いはしてたけど――って、こんな時間だ」

 テレビから視聴者を送り出すコメントが聞こえた。続けて始まった軽快なオープニングに、二人揃って視線を向ける。

「そろそろ行こうか」

「うん」

 テレビを消して玄関へ向かい、いつものチェックをする。 

 僕も雛果も変わりない。今日も大丈夫。


「あ、そうだ」

「うん?」

「綾ちゃんならもうちょっと何か知ってたりするかも。聞いてみるね」

「ああ。うん。よろしく」


 返事としては「小さい頃引っ越した人に聞くより、雛果ちゃんの方が詳しいでしょう」だった。


 □ ■ □


 休日。

 電車とレンタカーで辿り着いた村には、廃墟と人工的な道だけが残っていた。車を降りると、きんと冷え切った空気が頬に痛い。天気の良い空に、鳥の声と木々のざわめきがよく響く。

「迷わないで良かったね」

「そうだね」

 頷いて、山で切り取られた空を見上げる。


 前もって地図で確認してきたし、ここまではほぼ一本道だった。

 それを抜きにしても、初めてとは思えない道のりだった。

 やっぱり僕は、この村に来たことがあるかもしれない。そんな気持ちが強くなる。


「あとりくん、顔色悪くない?」

「そう? 運転で疲れてるのかも」

 この村に入ってから、時々呼吸が空回りしてる気がする。運転して疲れてるんだ。そう言い聞かせる。

 休憩がてら昼食を取って、村を見て回った。 

 誰かが住んでいた家、公民館、学校。古くなったアスファルトを辿る。

 人が住まなくなって数年で、窓は割れ、黒く煤け、草は好き勝手に生い茂っていた。

「何もないね」

「そう、だね」

 歩き回っただけなのに、なんだかやけに喉が乾く。覚えてるはずがないのに、既視感が頭を掠めて頭が痛い。

 天気が良くて、穏やかだ。なのに、僕はこの村にいい印象を抱けないでいる。何かは分からないけど、澱むものを感じる。全てが薄暗く見えるような、そんな感覚がある。

 何の根拠もない。頭を軽く振ってその感覚を追い出す。

「久しぶりに来てみてどう、懐かしい?」

 足を止めて、遠くを眺めている雛果に問いかける。学校などは懐かしさがあったんじゃないかと思うけど、彼女の答えにはしばらく間があった。

「私さ」

「うん」

「――お父さんとお母さんがどうして居なくなったのか、覚えてない」

 ふわっと思い出した、みたいな口調で彼女は言った。

「えっ」

「だって。私が村を出る前までは、居たの。なのに、居ない」

「……」

「どこ行ったんだろう……なんで、私。ひとり……なんだろう……」

 涙が零れたのが見えた。頬を転がった涙がマフラーを濡らす。

「大事なことが、あった気がするのに。今まで忘れてたことにも。気付かない、なんて」

「雛果……」

 大声を上げるでもなく、座り込むこともなく。雛果は静かに泣き続ける。こういう時、普通はどうするんだっけ。どう声をかけて良いか分からない。寄り添うしかできない。

 近くに座らせて背中をさする。しばらくすると、すん、と鼻をすすって顔を上げた。

「落ち着いた?」

 袖で目を擦りながら頷く。

「だいじょうぶ……」

「あんまり辛いなら無理しないで、今日は帰ろうか」

「そうだね」

 頷いて立ち上がった雛果の視線が、少し遠くへ向いた。

「そうだ。最後にもう一カ所、行ってもいいかな」

「うん」

 いいよと頷くと、彼女は静かに「こっち」と案内をしてくれた。

 

 彼女について行くと、村の奥まった所に石段があった。形がわずかに崩れ、隙間から草が伸びている。登る分には問題なさそうだけど、人が入らないようにするためか、両脇の木にロープが幾重にも渡してある。

 石段の先は開けているらしい。鬱蒼と繁る木々の影の先に、ぽっかりと明るさが残っている。

 なんだろう。あの向こうは明るいのに、近づきたくない。そんな気持ちが沸く。

「こっちだよ」

 雛果はロープを越え、石段の上を見据えて登っていく。気持ち悪い。なんか行きたくない。けど、雛果は行ってしまう。手首を無意識にさすって付いていく。


 石段はそんなに長くない。30段も登ればそこには――なにもなかった。

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