運命の白い糸

橘 静樹

運命の白い糸

 僕には大切に育て、見守っている毛が一本だけある。

 腕毛である。

 全く毛深い体質ではない僕の全ての毛力をこの一点に集約しましたと言わんばかりに、僕の左腕には一本だけ、それはもう太くて見事な10cmほどの白い毛が生えているのである。

 幼い頃、親から「それは宝毛だよ。縁起がいいから大事にしなさいね」と言われた瞬間から宝物になった僕の腕毛には、これまで何度も喪失の危機があった。

 特に小学生の頃は多かった。小学生男子の頭の中がどれほど何も考えていないかは、みなさんの記憶通りのはずである。

 腕毛を大事にしているなんて話をしたら、逆に抜きたくてたまらなくなるのが小学生だ。

 それまで『よぉ兄弟』なんて呼び合っていたブラザーズが、腕毛を知った瞬間から『毛ぇ剃ぉるブラザーズ』に変身するのは恐怖以外の何者でもなかった。

 もぉやめろよぉと懇願したところで、奴らは僕をぐるりと取り囲み、まるでダンスを踊るように明るく毛を狙ってくるのである。勧告が効かない、『毛ぇ剃ぉるブラザーズ』による『毛ぇPOP』であった。その所業は、まさにゲスのけわみ。

 それでも何とか僕は純毛を守り抜き、一緒に成長することができた。お風呂の中でも体を洗うときにうっかりミスで抜けたりしないよう、大切に育て続けた。

 そんな僕も、恋をした。腕毛は大事だけれど、腕毛と同じくらい大切にしたい人ができた。

 そして迎えた初デート。まだお互い手も繋いでない状態だ。初めて行った映画館で事件は起きた。隣に座ったときに、彼女が言ったのだ。

「あれ? なんか腕に白い糸が付いてるよ。取ってあげるね」

 僕はハッとした。見ると、薄暗い映画館で、僕のことさら太くて長い白い毛は、キラキラと誘惑するように輝いていたのである。

 その瞬間、僕は嫉妬した。

 彼女が腕毛を抜こうとしている危機感よりも、まだ僕も触れたことがない彼女の手に先に触れるのがお前なのかと、腕毛に嫉妬したのだ。

 考えるよりも先に、僕は動いていた。

 伸びてきた彼女の手が毛に触れるよりも早く、僕が彼女の手を握った。しかも、恋人繋ぎになった。

 映画が始まっても、お互い何も話さなかった。ただ、手は繋いだままだった。

 そして危機一髪、腕毛を守り抜いた僕と彼女とのお付き合いは続き、守るべきものが増えた。

 今も僕の腕には、彼女との縁を結んでくれた運命の白い糸が輝いている。

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運命の白い糸 橘 静樹 @s-tachibana

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