第六章

さらわれた姫

 一つの影がリングル城下町に忍び込んだ。


 城下町の歓楽街にある古びた廃屋の奥、棚の置物を回すと左側の壁の一部が音も無く開いた。周囲を警戒しながら奥へ進む影。


 突き当たりに下に降る階段がある。そこを静かに降りる。


 地下の通路を突き当たりまで進み右側の部屋へ入る。部屋の中心に小さなテーブルが有り、その上に紙が一枚置いてあった。部屋の中をゆっくりと確認し静かにテーブルに近づき懐から小さな霧吹きを取り出す。


 紙の上から満遍なく霧吹きを吹きかけた。


 しばらくすると煙と共に字が浮き上がる。その内容を確認し痕跡を消しそっと部屋を後にする影。




 リングル城下町の警備司令室。壁面一杯に貼られた城下町と城の見取り図がある。その一部が赤く点滅した。


 詰めていた警備主任が確認すると、城下町を囲む一部の外壁に侵入警報が灯されていた。城下町の外壁や城壁の上部に隠された法術が埋め込まれている。埋め込まれた法術の上部にある程度の圧力が乗ると警備司令室の見取り図が連動する仕組みであった。主に対魔獣用のトラップとして設置されている。


 警備主任は直ぐに城下町警備隊に出動を発令した。


 警備部隊の基本構成は、2名の剣士と1名の法術士の組み合わせである。出動発令と共に一番隊3名が迅速に行動する。二番隊と三番隊は他方向から警報発令場所まで向かう。


 警備主任は、王城警護部へ初動報告を行う。


 城下町警備主任からの初動報告を受けた王城警護部の主任補佐官は、城内警護を1段階引き上げた。一名体制の歩哨箇所を2名にし巡回回数を二倍にする。


 王城警護部主任補佐官はリングル騎士団と法術隊に伝石でんせきにより第一報を報告した。伝石とは法術により言葉を波動として伝える装具である。本部系統には大きな伝石と対の小さな伝石が使われる。対の数は元になる伝石の大きさにもよる。部隊長には必ず本部との対の小さな伝石装具が持たされている。


 リングル精鋭騎士団が辺境伯の居室へ急行する。精鋭法術隊は居室のある階層のバルコニーに出て戦闘態勢を整えた。


 リングル城下町警備司令室の見取り図が再び点灯した。四番隊から六番隊まで出動を発令する。




 城内の外壁寄りに位置する騎士団駐屯所に近衛騎士団が詰めていた。本来ならマリーナ姫の側仕えとして近辺に存在しなければならない筈で有ったが、リングル城ではリングル精鋭騎士団の半数が辺境伯の近辺警護に当たっている為、城内に入る事ができずにいた。


 駐屯所の守衛が近衛騎士団団長を呼びに来た。伝石を持っている。


 近衛騎士団長ロイドが伝石を受け取って耳に当てると「近衛騎士団長殿ですか。」と叫ぶ声が聞こえてくる。


「私ですが。」

「至急、姫様の居室までおいで下さい。」


 何事が起こったのか。

「三名ついて来い。」大声で叫ぶと城内へ向けて走る。その後ろから三名の屈強な騎士団員が続く。


 城内に入るとマリーナ姫の居室に急ぐ。上階へ階段を駆け登っていると周囲の騒がしさが大きくなってくるのに気づいた。


 居室の前にリングル精鋭騎士団の真紅の騎士隊が数名いる。側まで行くと待つ様に指示があった。居室の前から「姫様っ。」と大声で叫ぶロイド。


「何事だ。どけ。」ロイドは額に青筋を立て恫喝する。近衛騎士団は王国直属である。如何なる場合でも辺境伯の軍などに止める権利は無い。今まで駐屯地に居たのはマリーナ姫と辺境伯の関係を慮っての事であった。


 ロイドの後ろをカバーする様に抜剣して3人の近衛騎士隊員が固める。真紅の騎士隊が剣の柄頭に手を当てグリップを握り戦闘態勢に。しかし抜剣はしない。


 そこにブラウエル辺境伯が薄着のまま現れる。


「ロイド殿、お待ちくだされ。」

「辺境伯殿。何事ですか。姫様はどこです。」


「まずは、剣を納めて頂きたい。」ロイドの後ろに控える3人を見る。

「納めなさい。」ロイドは3人に指示する。


 部屋の奥に姫様の寝所が見えた。ロイドは人を掻き分けて走り寄る。


「姫様はどこだ。」大声で周囲に恫喝する。


 ロイドの恫喝により、周囲の騎士団は動けなくなる。真紅の騎士隊は辺境伯様の身辺に集まる。一触即発の事態だ。


「マリーナ姫は攫われました。」辺境伯が肩を落とし答えた。

「どこに。今どこに。なぜ判ったのか。」ロイドが詰め寄る。



 ブラウエル辺境伯が判明している事を時系列に沿って話し始める。


 最初に城下町外壁の侵入警報が点灯した。直ぐ様、警備主任が警備隊に3方向から急行させ、王城警備部へ初動報告を入れた。王城警護部主任補佐官が城内の警護を1段階引き上げた事により、報告を受けた騎士団と法術隊が辺境伯居室へ急行。


 丁度その時、先行していた警護隊から痕跡が見当らないとの初動報告が入った。そして、騒ぎに気付いた辺境伯が薄着のまま騎士隊を引き連れてマリーナ姫の居室に向かうがバルコニーの窓が開け放たれマリーナ姫の姿が消えていた。その直後、外壁の侵入警報が再び点灯し、別働隊を至急に向かわせた。


「先程、追跡専門の部隊を出したので今は報告待ちの状態だ。」と辺境伯。

「すまぬロイド殿、俺も辛いのだ。」


 その言葉を聞いてロイドはハッとする。辺境伯はマリーナ姫様の親類であった。自分よりお辛いであろうに。


「些か言葉が荒くなり陳謝致す。」ロイドは丁寧に謝った。


「いや気にせずとも良い。ロイド殿は姫の事が大切なのだな。」

「身命に代えましても。」


「良い返事だ。マリーナが羨ましい。報告が来るまで、城下町に近い騎士団駐屯所を本部に。自分も着替えたら直ぐ向かう。それまでロイド殿はそこでお待ちください。」辺境伯が僅かに頭を下げた。


 辺境伯が周囲の騎士達に指示を下し着替えに居室へ向かった。


 ロイド達は、騎士団駐屯所に戻る。


 駐屯所に着くと近衛騎士団の隊員達が落ち着かない様子で聞いて来た。「団長、何事ですか。周囲の様子が不穏です。」

「ああ、マリーナ姫様が攫われた。」小さい言葉を紡ぐ

「えええ。」周囲が騒然となる。直ぐに近衛騎士団達は装具を整え出発体制を整えた。半数が馬を取りに行く。

「ここに捜索の本部を置くことになった。」場所を開けて整える様に。ロイドが暗いまま指示を出す。




 城内の騒ぎにマリーナ姫の侍女達が気づき、姫様の寝所へ向かおうと部屋を出た所で止められた。四人は自分達の部屋へ戻り、ミシェルが風の法術を発動して周囲の言の葉を集め始めた。


「なんて事なの。王女様が攫われたわ。信じられない。」ミシェルが悲しく暗い顔をして呟いた。「え、此処は辺境伯の居城よ。なんでそんな事ができるの。」キニュがキツく言う。エリーもルミネも言葉が詰まる。


「追跡専門部隊を出したって。今は報告待ち状態ね。」ミシェル。


「どうしょう。私たちで何かできないかな。」

「王女様が心配だわ。」キニュが呟いた。

「ああ、ジュン様がいらっしゃったら・・・。」エリーは心から望んだ。


「待って、この波動は・・・。」ルミネが絶句する。

「どうしたの。」キニュは顔を向けた。

「この波動はジュン様。」


 ルミネは念波の法術を使い、マリーナ王女の波動を感じようと懸命に努力していた。その時エリーが呟いた言葉が心に引っかかった。「ジュン。」と言う言葉が耳に届いた時、意もせずにジュン様の波動を感じようとしたらしい。


「・・・間違いない。ジュン様が生きていらっしゃる。」

「え。」


 みんな一斉に立ち上がった。互いの顔を確認するように見て頷き合った。ジュン様の御霊が安置されている英霊の里へ四人共に急いだ。




 英霊の里はとても大きな空間である。城の中に鎮座しているとは思えない程だ。此処には代々の武功を挙げた偉人達が祀られている。一方向は控え部屋への扉となり、他の1方向には巨大な勇者の壁画があり、他の2方向は外に開かれている。


 英霊の里の中央に位置する雛壇の上に、煌びやかな台がありその上に英霊の旗が掛けられたままのジュンの丸い塊が安置されていた。


 ルミネは駆け寄り旗の下から手を差し入れジュンに触れた。他の3人は後ろに従い、その光景を見つめている。


「間違いない。かすかな波動が伝わって来るわ。」

「みんなお願い。癒しの風を。」


 エリーとミシェルは直ぐ様、慈愛の恵みに風を乗せ癒しの風を送り込む。キニュはミシェルに触れ力を分け与える。ミシェルが癒しの風の要だからだ。


 ルミネは目を瞑り手からの波動を感じ取る。


「神聖なる全能と慈愛の神よ。願わくば我ら四姉妹の願いを聞き入れたまえ。我らは此処に眠る英雄の波動を見つけたり。どうか英雄に我らの癒しの風が届かん事を心から願う。その英雄の名はジュンなり。」ミシェルが厳かに述べる。


 周囲に光が満たされて行く。祭壇に捧げられている花々が生き生きとし光が神々しい黄金色へと変化した。


「我らが望むのは、ただ英雄ジュンの帰還なり。」声高々に空に叫んだ。


 周辺に光が溢れ、弾け飛ぶ。やがて弾け飛んだ破片が小さな光の粒となりジュンの周囲に降りて行く。ジュンに掛けられた英霊の旗が風圧で優しく飛ぶ。


 丸く黒い物体に光の粒が入り込み、ジュンの人型が透けて見え始める。

 空間にパリッと言う音が響いた。


 ルミネが後ずさる「割れた。割れたわ。」

 周囲の3人は疲れ果て蹲っている。


 ルミネが「ジュン様ぁ。」駆け寄りジュンを抱きしめた。

「うう、痛いわルミネ、ちょっと痛いかも。」ルミネがジュンに頬ずりして涙を流している。


『RIRI、何があったの』


  〈怪竜と呼ばれる巨大な鳥との戦闘時、最大出力を限界付近まで出した為、ジュンの装甲及び被膜に多大な損傷を受けました。緊急救命の必要が発生した為、自動解除を発動し最大出力を停止すると共に対ショック吸収モードに移行。その後、強制保護モードを発動しました〉


  〈全身を回復用緊急被膜で覆いながら回復まで時間の経過を待っていた所、外部からの回復に与する力の波が覆い一気に外部損傷が癒えました。この癒しの力に関しては理論上の説明が不可能です〉




 3人が立ち上がり抱きついて来た。


「く、苦しいょ。」みんな涙している。なんだろう。


『みんなの状態はなぜ』

 〈ドローンによると、ジュンは死んだ事になっています。監視用ドローンはそのままジュンの同行監視に移行させました。現在は底活動モードとサバイバルモードで自動運行されています〉


『え、死んだの。そうだよね、そうなるか。』

  〈マリーナ姫が誘拐されています〉


「マリーナが誘拐されたの。」思わず口に出して叫んでしまった。

「うん、ジュン様がいてくれたらと願ったの。」エリーが囁いた。


「お願い、起こして。そして説明して。」



 ジュンは四人に支えられて煌びやかな台から静かに降りた。

『だるいわ。戦闘復帰は』

  〈小一時間程で軽戦闘まで回復します〉


 キニュが控えの間を見に行き、誰もいない事を確認したので目立たない様に控えの間にみんなで移動した。


 控えの間には豪華なソファがデンと置かれていた。

 ソファに座らせてもらい、今までの経緯の説明を受ける。

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