第二の拠点
湾曲に広がった断崖の左側に洞窟らしき窪みを発見した。
生き物の出入りを確認する為に見渡せる場所を探しながら対岸に渡る。川から少し入ると腰の高さ程の草原となり低木の林に続いていた。
林の中に入って行くと10m程の小高い丘が見えたのでその場に止まって様子を探る。低木と草の葉のざわめき以外は特段聞こえてこなかった。しばらく様子を見てから丘に近づき登ってみる。
登ると頂上の中心にもう一段2m程のこんもりとした小山があった。周囲を警戒しながら探索を続ける。小山の上は見晴らしは良いが鳥類が怖いので確認するだけに留める。小山を降りると低木の間から洞窟付近を見渡せる場所があった。周囲が薄暗くなってきていたので急いで付近の枝葉を集め簡単な迷彩サイトを作る。
『エマ』意識を集中し心の中でエマに話しかける。
〈はい、マスター〉
『洞窟の出入りを監視したいので暗視モードは使える?』
〈赤外線及び熱探知モードであれば稼働可能
〈監視であれば聴力強化モード30%も稼働可能です〉
『では、聴力強化と赤外線熱探知モードをオンにして』
〈オンにします〉
景色が暗転し赤外線モードでの視野へと変更された。視野の左下に四角い窓が現れ通常モードの視野が映し出される。次第に周囲の音が拡大して行く。
『私の背後を中心に視界の死角に対して聴力を強化』
〈調整しました〉
前方の音がミュートされる様な感覚を覚えた。聴力強化がすでに発動している状態で死角を強化調整した為にその様に感じたのだろう。
周囲を見回す。対岸の崖の上にある木の間を小動物が渡っている姿を認識できた。薄暗闇の中、通常の視界であれば確認できなかっただろう。簡易迷彩サイトに入り横になる。上空からは草の塊に見える様に工夫した。いつも通り行動糧食と水分補給後にタブレット錠剤を各10錠ずつ飲む。
周囲が夜の帷に満ちた辺りで獣の気配が漂って来た。音を立てない様に膝立ちになり警戒戦闘態勢に移る。殺意を出さない様に無の境地に入る。「・・・おかしい、草の葉以外の音が聞こえて来ない。」やがて重苦しい様な気配が薄くなり消えて無くなった。
『エマ、今のは何だったのか分かる?』
〈五感に影響する空間波を検知していました〉
『つまりは殺気って事か。方向と距離は分かる?』
〈後方からの伝搬を検知しています
〈距離の測定は不可能です〉
『・・・測定不可能って?』
〈現状の測定可能範囲を超えています〉
「近くでは無いって事か。崖の向こう側かな。遠距離からの圧としたらかなりな脅威ね。」しばらく考え込むが気を取り直して洞窟付近に神経を集中させる。
光が薄く刺してくる朝の時間帯、暗視モードを解除した。あれからは特段な動きは無かった。谷間に十分に日が刺して来た時刻、洞窟へ向かう。
川を少し戻った辺りで対岸に渡る。周囲を警戒しながら進んで行くと、1m程度の入口が見えた。入口周囲に出入りした痕跡は見当たらなかったので既に放置された場所なのかも知れない。奥に足を踏み入れたが、3m程度の円形空間が広がっているだけで痕跡は無かった。
「入口のカモフラージュと周囲の警戒網が必要ね。その後は竃か・・・ 煙の影響が周囲の生態系にどの程度影響するのか分からないから拠点より離したほうがいいわよね。」
登る事が難しい程の崖に囲まれている為、崖下までの周辺探索と同時に資材調達を行い、大きな枯葉や枝を集めて戻った。入口をカモフラージュした枝の残りを横木にして円形に枯れた落ち葉を撒く。音を出す簡易警戒網のつもりだ。周囲20m付近にも円状に同様の簡易警戒網を設置した。強風が無い事を祈ろう。
気がつくと周囲が薄暗くなっていた。昨晩は寝ていないので疲れは溜まっているが体調は良い、順調に回復している様だ。洞窟の中に向かう。
バックパックから簡易キャンプ用具を取り出し、電磁加熱カップと固形体力回復スープ錠剤を一つ取り出す。カップに川から採取していた水を入れスイッチをオンにする。
シュラフの圧縮を解いて壁側に広げていると電磁カップの取っ手の部分が薄く2度光った。カップの蓋を開けスープ錠剤を入れると程なくして良い香りが漂って来た。
「はあ、美味しい。久しぶりの温かなスープね。少しトロミがあって鳥系の味かな、私好みだわ。」この固形体力回復スープ錠剤は個々のエージェントに必要な強度な栄養価を時間を掛けて体内に吸収させる事を目的に作られている。また、嗜好品としての味も一級品と言えるだろう。いつもの行動糧食から棒状クッキーを取り出しスープと一緒に夕食としてゆったりと食べた。
『エマ』
〈はい、マスター〉
『聴力強化を入口から外の周囲に設定して睡眠できるかしら』
〈可能です。警戒範囲を定めてください。該当する箇所からの侵入音が起こった場合に振動アラームにより強制覚醒を行う事が出来ます〉
『いいわね。今晩は、その方法で寝るわ』
『外周部の簡易警戒網付近でセット』
『エマ、お願い』
〈発動します〉
バックパックから取り出し広げていたシュラフの上に横になり指先付近にあるサイドボタンを押すとシュッと言う音と共にサイドカバーが迫り上がり体を優しく包み始めた。背面では空気が取り込まれ適度な弾力ある硬さの寝床となる様に調整されて行く。視野の中に〈シュラフシステム稼働します〉と言う文言が映し出され柔らかな音楽が囁く様に流れてくる。やがて意識が混濁して眠りに陥ると外側に皮膜が広がり硬質化して行く。
完全なクリーンルームと化したシュラフには体内外の損耗を急速に回復するシステムが備えられている。足元から高濃度回復ガスが優しく包み始めた。
3時間程経過するとガスは外に排出され正常な空気で満たされ、外側の硬質化した皮膜は柔らかくなり取り込まれて行く。
振動アラームが警報を告げた。その瞬間、意識の覚醒と共にシュラフのサイドカバーが引き込まれた。即座に警戒戦闘態勢に入ると共に入口付近へ移動する。
『エマ、状況説明』
〈警戒範囲外からの音が20m先の警戒網に入りました〉
すぐさま音の推移に意識を集中させる。
『エマ、警戒モード前方に展開』
〈使用できる範囲で展開します〉
前方の音が拡大して行く。カサカサと微かな音が聞こえて来る。使用出来る赤外線と熱探知モードにより右対岸の20m程の所に小動物らしき物が移動しているのを確認した。監視していると範囲外に移動して行った様だ。しばらくそのままで待機していたが、その他の動きが無かったので監視を解いた。
『エマ、他に動きはあった ?』
〈脅威になる生物の接近は確認していません〉
『警戒モードを就寝前に戻して』
〈戻しました〉
『再び休むのでお願いね。明るくなったら起こして』
〈はい、マスター〉
ジュンは再びシュラフの上に横になると直ぐに睡眠に入った。シュラフの外側からサイドカバーが迫り上がり体を優しく包み込んでゆく。
周囲が明るくなり始めた時、振動アラームが優しく響きゆっくりと目覚めた。かなり回復した様だ。もう少し早くシュラフシステムに入れれば良かったのかも知れないと思いながらも頭を左右に振って考えを改めた。ボロボロの状態で訳の分からない場所に放置されながらもエマに助けられて此処まで来たのだから、逆に幸運と言えるのかも知れない。
空腹を強く感じる。
バックパックに出した物を片付けて行く。ここを拠点とするにしてもどの様な事が起こるかも分からない為、身軽にしておくのが一番であろう。それに戦術訓練で嫌と言うほど叩き込まれた事でもある。
「何度もテントを設営して片付けてを繰り返したわね。しかも疲れがピークである時は数え切れないほどに。・・・嵐の中では最悪だったな。」
「・・・」戦術訓練を思い出していた時、意識が朦朧とし始めた。両手を突いてくず折れてしまう。
『・・・エ・マ』
〈統合システム再起動中〉ジュンは意識を失った。
「・・・っ、何・があったの・・・。」3時間程度で意識が戻り始めた。
〈ジュン、RIRIです。記憶統合と各強化システムの再結合を行いました。認識できますか〉
RIRIとはジュン専用の固有名称を持つ量子知能(Quantum Intelligence)QIの事でありAIの上位版に位置している。特務エージェントA級プラス専用とされ与えられているのは極少数である。RIRIの特徴である可愛い声はジュンの外骨格年齢14歳に合わせて設定された。
『・・・ああ、RIRI会いたかったわ』
『まだ頭がぼうっとしてるわ』
〈事前にお知らせできずに申し訳ありません。説明を行いたいのですが、もう少し待ちますか〉
『いえ、大丈夫よ。説明して』
〈開始します〉
RIRIからの説明は2時間程掛かった。RIRIがダウンしてからの記録を持つエマージェンシーシステムとの記録統合を行った結果、ジュンの生命がかなり危ない状況であった事。エマージェンシーシステムが予想以上の効率で活動を行った事により統合システムであるRIRIの再起動が大幅に早く成し遂げられた事。再起動に際しエマージェンシーシステムの安全判断を考慮しながらも一刻も早く必要に迫られていたため、強行的に再起動に入った事。
現在の体内細胞に代表される各種細胞、強化骨格に代表される各種強化部位、量子リアクターに代表されるエネルギーシステムなどへのダメージと回復状況、コンバットスーツの改修状況、体内マイクロ通信システムと高度リンクの通信障害状況。
記憶部位の再構成を行った故に半日程度の間、思い違いなどが発生する割合が上昇している事の注意点。
継続中である任務の説明及び状況。とりわけ任務中に強度な外的要因を受傷した直後に、稼働中であった統合システム全般に過大な負荷が掛かり強制保護モードに移行した事。移行からエマージェンシーシステムが立ち上がるまでに状況ロストが発生している事などが丁寧に説明された。
多岐にわたる説明は再構成がなされた記憶部位のお陰ですんなりと納得する事ができた。
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