第一章

秘匿されたエージェント


 大きな扉の前で一呼吸置く。「ジュン・クロムエル、参りました。」


 三メートルも有るかという大きな扉である。ここグランドリバーサイド戦術部門は、廊下の壁も床も天井も荘厳な趣になっている。ただの廊下なのにと考えてしまうのは私だけでは無いだろう。


「入りなさい」低音の声が響く。


 音もせず大きな扉が左右に開いた。正面に佇むシンプルなデザインの執務机は、この部屋に似つかわしくないと思ってしまうが大きさは巨大だ。その机の向こう側で戦術長ロン・ゼリングが書類に齧り付いている。


「ジュン・クロムエル、入ります。」一礼し、執務机の方へ進む。


「どうだ、30日の休暇は足りたか?」ゼリングが机に目を伏したまま言う。

「招集により参じましたが、休暇は26日目となっております。」執務机の前で直立不動の姿勢を正す。


 ギロリとゼリングがこちらを見る。右口角を少し上げニヤリと笑う姿にはなんとも言えない渋さが滲み出ている。


「それはすまない事をした。申請のあった君の休暇地からの距離を考えると一週間は短縮された事になるね。そこに掛けなさい」会談用の濃紺ソファに手を振る。「はっ。」ソファに腰掛け姿勢を正す。




 しばらくして秘書室の扉が開き、ピンク色のリボンを付けた三つ編みを右手前から流している可愛いらしい女性が飲み物を持って来てくれた。クオーターの彼女は、今は無き日系の血が色濃く出たロストシード(失われた種)に属すると言っても過言ではないだろう。艶やかな黒髪に漆黒を湛えた瞳は整った顔立ちを際立たせている。ため息が出るほどだ。


「サユリありがとう。貴女が淹れてくれる珈琲はいつも美味しいもの。」

「今日のはちょっと濃いめなの。なので甘いお菓子も一緒にどうぞ。」


 歌う様な彼女の温かな声は心を和ませる効果が絶大だと常に感じてしまう。いい香りの珈琲と共に小皿が置かれると、そこには手に入りにくい茶菓子が並んでいた。


「これってなかなか手に入らないお菓子よね。一つ頂くわ。」口いっぱいに広がるフルーツの香りと程よい甘さは正に絶品。手に入りにくいのも頷けると言うものだ。

「はあ、噂に違わずってこの事ね。とても美味しいわ。」トロけそうだ。

「それでは、ごゆっくり。」微笑みながら秘書室に戻って行く。


 サユリが淹れてくれた珈琲を飲みながら茶菓子を味わう。この場所でなければ最高なんだけどと思ってしまうのは罪か。




「待たせたな。」ゆったりとした歩調で戦術長が対面に腰を下ろす。

「先ほど自分も食べたが、上品な香りで絶妙な甘味は噂以上だな。」


「はい、美味しく頂きました。」姿勢を正す。


「半年ぶりの休暇を削ってしまってすまなかった。次回申請時に加える様に通達を出しておくよ。」はにかむ様に小声でゼリングが言った。


「いいえ、気にしないでください。緊急招集に応じる事は任務の内ですから。」優しく応じる。


 戦術長ロン・ゼリングとは、私が特務エージェントB級昇格後の訓練期間の中程から世話になっている付き合いだ。特務エージェントに昇格した当時、外骨格年齢を14歳に設定したのは幅広い任務に挑戦する為であったが訓練同期達は事あるごとに『お子様』と揶揄して突っかかってきた。私はあまり気にしていなかったが、戦術長がやって来てからは庇ってくれるため同期との衝突は少なくなって行った。戦術長ロン・ゼリングが亡くなった娘さんと私を重ねていたと言う事実は最近知った事である。


 A級昇格へ向けての訓練はもちろんA級プラスを承認された時も、精神的、身体的にもとても厳しい状況だった。思い出すのも辛くなる程だ。当時のロン・ゼリングからのサポート全般は今の私をA級プラスへ引き上げた大きなファクターと言っていいだろう。




「早速だが、特務エージェントB級が三人戻らない事案は知っているか。」数分の沈黙の後、戦術長は重く声を発した。

「休暇中に噂を耳にしました。単独任務から戻らない者の救出の為に二人が派遣され、共に不明となったと。時期や詳細は存じておりません。」少し驚きながら答える。他の任務の話しが伝えられる事は稀だ。空気が少し重くなってくる。


「飛び級で特務Bに昇格した者だ。経験は浅いがやり手と聞いていた。特務として最初の任務だったので軽い内容に向かわせたと報告を受けていたが。派遣地に到着後五時間で消息を絶った。」ゼリングは手元の資料を見ながら話し始めた。暗い影が目元に落ちている。


「これが三人の資料だ。見てくれ。」もう一つの資料束を受け取る。


 しばらく資料を確認した後、「飛び級で特務Bに、成程。与えられた知識はA級に近いですね。精神感応率もとても優秀な様です。」資料を捲る。「救援として派遣された二人は・・・武術と戦術がA級に近い数値を叩き出してる所を見ると、新設されると噂の部隊要員ですか。」


「そうだ。言うなれば我が戦術部門の秘蔵っ子だよ。それが、壊滅した。」

「・・・え、壊滅って。」


「体内マイクロ通信が途絶えた。」体内マイクロ通信とは、特務エージェントに秘匿されている相互通信方法の一種である。個人の識別信号を含め生体信号などの生存に関する内容は常に送信している。


「信号が途絶えただけならば、マイクロ波による妨害の線は。」

「いや、記録には途絶える寸前に停止信号と思われる内容が確認されている。」体内マイクロ通信にて停止信号とは、生存していない事を意味する。


「三人共ですか。」

「一人目は定時連絡ロスト後の1時間後。他の二人の内一人は定時連絡の15分前、残りは一人目と大体同じだ。」しばらく沈黙が流れる。


「敵側が強力な兵器を開発しているとの情報を掴んだ。その実態を調査する為に向かわせたんだが危険認知度はBとの判定が降りていた。」

「開発が完了していたのかもしれない。」囁く様に戦術長が呟いた。


 兵器開発における調査任務は通常B級以下に課せられる。しかし、開発された後の調査任務は全く別だ。そこには未曾有の危険が隠れている。危険認知度の判定不足だったのだろうか。資料を精査しテーブルに置く。




「A級エージェント以上の隊員には特殊保護指令を出す予定だ。」


「・・・えっ、特殊保護指令って、隊員の判断による秘匿指令ですか。」

「そうだ。本部との連絡は定められた者を介してのみ、隊員の状況も存在も全て隠し生存を最優先にするという内容だ。」


 状況は予想を遥かに上回っている、過去に出された事の無い特殊保護指令は、言うなれば隊員に本部を信用するなと言う事だ。


 私が言葉に迷っていると、「ジュン、君は私が直接担当する。副官としてサユリを任命した。任務詳細の確認が終わったらすぐに痕跡を消してくれ。」


「了解しました。詳細確認後、痕跡消去を実行します。体内マイクロ通信はエフェクトキーを使用し、そのキーはサユリに渡しておきます。」今までに無く真剣に答えた。


「今後、君が特殊コードを認識する迄はこの状態が続くと考えてくれ。」


「特殊コードの受け渡しはQIでよろしいですか。」


 このQIとは量子知能(Quantum Intelligence)の事でありAIの上位版である。A級プラス専用のQIは、戦術(Tactics)武術(Wushu)武装(Armed)知識(Knowledge)に加え、高度リンクシステムを搭載している。QIには個別ネームが所有者により設定され、そのネームは全てへのアクセス権も兼ね備える為、所有者以外には秘匿とされる。QIは所有者の識別にさまざまな部位、固有細胞による生体認証、強化システム内特殊コード、ジェネレータ固有情報などを使用する。しかし、それらが虚像として作られた悪意ある仮想空間にてハッキングされた場合に認証が突破される事が研究にて判明したためQI個別ネーム設定を義務付ける事になった。所有者にとっての最後の砦と言える。


「その様に対応してくれ。」


「さて、これが今回の任務詳細だ。」ゼリングからケースに入った小さな円状のチップを受け取った。


「確認してもよろしいですか。」

「ああ、構わない。」


 私は、左腕に装着されているターミナルを開けチップをケースのまま読み込ませた。QIを通して情報精査が瞬時に行われ認知する。



「これは、極小リアクターによる兵器化の図面ですか。この数値は中規模の都市は壊滅する程の威力が。これが開発段階を超えたと言う事ですね。

「しかも敵対する組織は・・・

「この兵器が私達の中枢を狙っていると言う・・・

「なので特殊保護指令を・・・

「内部からの漏洩ですか・・・


「了承しました。」私はチップを取り出し、ゼリングへ渡した。


「任務の詳細、対応する時系列は漏れていると考えてくれ。この任務には別の特Aブラスにも対応させる。任務の性質上互いのコンタクトは取れない。君には十分注意して対処して欲しい。」特務エージェントA級以上の隊員は互いの存在を知らされていない。


 サユリが来てお茶を取り替えてくれる。「ジュン、これが私の認証コードです。受け取ってください。」サユリから渡された認証コードを入力し確認する。


「サユリ、確認が済んだわ。ちょっと待ってね。」QIに指示を出し、私を特定するための体内マイクロ通信エフェクト用キーを、受け取った認証コードを介してサユリにアクセスし受け渡す。


「ジュン、確かに受け取りました。・・・通常認証では貴女にアクセス出来ない事を確認。エフェクトキーによる認証によって貴女を特定しました。確認完了です。」


「・・・たった今、本部及び戦術部門で君の存在をロストしたとの緊急通信が入った。」


「君の全てのデータは秘匿され、君の存在は消された。」

「ジュン、君の活躍と生存を心から願っている。」ゼリングは暗く呟いた。

「ジュン、気をつけて・・・」サユリの瞳は潤んでいた。


「戦術長ロン・ゼリング、サユリ・・・」


「特務エージェントA級プラス、ジュン・クロムエルこれより出発します。」ジュンは立ち上がり直立不動の姿勢にて正式な敬礼を行なった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る