怪しい洋館

第1話 御者がいない

 まだ正午を過ぎたばかりなのに、辺りはまるで日暮れ時の様だった。


 何度も通った筈の慣れた道とは明らかに違う…

と気付いたのは

ゴツゴツと乱暴な振動が、尾骨のあたりに途切れる事なく伝わって来た頃。


 そろそろお尻に痣ができてしまいそうだわ…

カーテンをめくり、御者に声をかけようと外の様子を伺うと、我が目を疑う状況だった。


 「フィル、御者が居ないの。」


 キャビン前に居るはずの御者の姿がなく、馬は自分達だけでせかせかと進んでいた。


 「それにここ、どこなの?いつもの療養所への道とは違うみたい」


 「おかしいね…御者はどこへ行ったんだろう?振り落とされる…程の荒ぶる様子も無かった筈だし」


 明らかに異常なこの状況。

それでも取り乱す事なく、隣で眠っている愛娘の髪を撫でながら、穏やかに首を捻る私の夫。

あぁ、今日も素敵…。


 …駄目、リム。自分をしっかり持ちなさい。今は夫に惚れ直すよりも、この状況を解読しなければ。


 目の前の夫に惚ける自分を制して思案する。


 暴走こそしていないものの、従う対象を失ってしまった馬達は一体何処へ向かうつもりなのか…不安が募る。


 「この子たち、ちゃんと止まってくれるかしら?」


 「僕が窓を伝って御者台へ行こうか。馬の扱いなら…」


 「何言ってるの、フィルはじっとしてて! 具合の悪い人にそんな事させられないわ」


 中腰で移動しようとする夫を慌てて止めた。


 夫は病弱で、今日も、普段から利用している夫専用の療養所へ向かう予定で、馬車を走らせていた。


 日の光をあまり浴びる事が無いため、年中、青白い肌。

 いつも優しい笑みを浮かべる瞳の下には、うっすらと黒い影を落として。

 少し癖のある艷やかな黒い髪が目元にかかり、その影はより一層深くなる。

 薄い唇の赤はほんのり青みがかり、その周りの頬は痩け、頬骨が存在を主張する。

 毎日私や娘の体を優しく包み込む腕と胸板は、枯れ枝トタン板の様にか細く、今にも折れてしまいそうな危うさ。


 …あぁ、なんて儚げで素敵なの。フィルスターライン。この国の病弱な国王様。

私の最愛の旦那様。


 なんて、呑気に現を抜かしていたから、バチが当たったのかしら。

 次の瞬間、馬達のけたたましい悲鳴と共に馬車は大きな衝撃を受け、何事かを確認する余裕も無く、私達は気を失った。

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