3.交換条件

「あんた、私の家の庭に来てたでしょ?」


北村雫から教室の外に呼び出され、そう言われたのは、僕達が忍び込んだ日から一週間後の事だった。雫からは微かに香水のような香りが漂ってくる。


僕は背中を冷や汗が伝うのが分かった。人の家に忍び込んだ事がバレた事もそうだけど、初めて話す相手に「あんた」と呼ばれた事に意表を突かれた。何か不思議な感じがした。


「いいのよ。興味あるなら、今度映画を見せてあげる」


「ホント?」


「ただし、その代わり一緒に行ってほしいところがあるの」


「え? どこ?」


僕は違法な場所に行ってほしいと言われるかと思い、身構えた。


「海」


「泳ぐの?」


「ううん。見るだけ」


僕はほっと胸を撫で下ろした。海を見るのは違法ではないからだ。いや、もちろん彼女の家に行って、そこの劇場とかって場所で映画――おそらくPGがついている――を観る事は、何らかの法に触れる事間違いないだろうけど。あの敷地には、警察も見に来たって噂だし。


後で雅紀にそれとなく訊いてみたけど、雫はあいつの所にはそんな交換条件を持ちかけるどころか、話しかけもしなかったらしい。小心者の僕は見込まれたみたいだ。


***


次の日曜日に僕は彼女の家を訪れた。門の前でスマホを取り出し、聞いておいた彼女の番号を鳴らした。


黒髪の彼女が門を開けた。後について歩く庭の広さに僕は驚いた。おそらく四季の植物が植えられてあるのだろう。専門の業者に任せず、家族が管理しているっぽい。

薔薇、桔梗、百日紅……。おばあちゃんに教えてもらった名前の草や木が、僕を出迎える。

やがて見えてきた赤い屋根の建物に向かい、僕は引き寄せられるように歩いた。

建物の入口に彼女の父と思われる中年の、ちょっとお洒落な感じの人がいた。昔風のカフェとか経営していそうな人。


「君かい? アウトローな高校一年生って」


「アウトローってなんですか?」


「無法者って事さ」


僕は何と答えていいか分からず、呆然としていた。

すると相手は、くすくすと笑って「いやいや、いいよ」と答えた。「さあ、好きな席に座って」


その場にいた雫に僕はきいた。「なんで雅紀に、ここに来る話をしなかったの?」


「なんでって、あんたは映画を観たがってるんだろうなって思ったからよ。もう一人は好奇心だけだもん」



好きな席と言われても、この誰もいない部屋に並べられたビロードの椅子のどれに座っていいか、僕は戸惑った。そして結局、真ん中らへんに座ってみる事にした。もう生涯、二度と劇場という場所には来る事がないような気がしたから。それならいっその事、真ん中に堂々と座ってやれという気分で。


僕の後ろの一つ右側の席に雫は座った。


映画は始まった。それは一つの映画ではなくて、様々な映画の寄せ集めみたいだった。その多くは、今では法に触れるとして、一般に観る事の出来ないものだろう。


中華風の着物を着た美しい青年が白いヒラヒラとした着物の世にも美しい妖魔の女の子とラブコメみたいなやりとりをしたかと思うと、水中に潜り、口づけを交わす。


スクリーンのトーンは変わり、別な映画のシーンとなる。中華系繋がりで、外国の街角のショーウインドウの前で再会する中華系の男女の映像。再会を普通に驚いているとか、喜んでいるとかいうのでなく、ただ柔らかく笑いかけるだけ。不思議で、少し哀しげかな。バックに流れている、ちょっと温かで切なげなメロディのせいかもしれない。女の方は、何だか雫に似ていた。


また画面が変わり、夕暮れの街角の写真館前。そこに飾ってある、彼の娘であろう女の子の写真を見つめている中年の男性。今は個人情報保護の観点で、店舗に一般の人の画像は飾れないのでこれもアウトだ。



次もまた、外国の街角繋がりだろう。通りを歩いていてすれ違う若い男女。青年は女に気が付くけど、話し掛けず無視して通り過ぎて行く。たぶんそこには愛情があるんだろうけど、敢えてすれ違う。何か今の時代に似ているな。


今度はコンサートと言われる映像が流れる。今もコンサートというものはあるけど、スタジオで録ったものの配信だけだ。でも映像ではきらびやかな衣装を着て歌う歌手や演奏者の前に大勢の人がいて、涙ぐんでいたりする。――不幸の矢が抜けない日でも――

自分の目の奥が熱くなり、何かが頬をつたうのが分かった。


後ろを見ると、雫の頬にも涙がつたっているのが見えた。


そういうわけで僕は罪人の一員となり、雫と海に行く約束を果たす事になったんだ。


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