モールスモール

豊口栄志

モールスモール


 花のつぼみのほころぶ季節。ぬるまっていく空気を伝うように、その病原体は九州地方を始点に日本列島を北へ向かって席巻した。

 感染発症すれば同種の生物の肉を求めて襲いかかる怪物へと変貌してしまう。

 人間を人肉を求めるゾンビへと変える悪夢の感染症。

 ゾンビとなった者たちは日中は屋内でおとなしく過ごし、夜になると人の血肉を求めて街を徘徊する。

 まともな言葉を話さず、夜の暗がりから人を襲う怪物だ。

 ゾンビもののパニックホラー映画のように人々は恐怖と不安に漬け込まれ、錯綜する不確定な情報を燃料に、無分別で無思慮な行動を起こしだす。

 私は襲いかかってくる奴らから逃れるように都市部を離れた。

 同じような経緯で似た境遇の者たちが集まり、やはり映画のようにショッピングモールに閉じこもった。

 シャッターを下ろし、人の出入りを制限でき、有り余る物資を囲い込めるモールは現実的にも良好な環境といえた。

 我々はモールの中ではそれぞれが自然と役割を負い、小さな社会を形成していった。

 大量の冷凍肉を小分けにさばき、他のメンバーに配る。評判はなかなか。

 中庭に作った菜園を手入れ。収穫が楽しみだ。

 やたらに大きなテレビで深夜のニュース番組を眺める。新しいショッピングモールが建つらしい。

 小さな世界の小さな生活。安息の時間が流れていく。

 この閉じた世界の外で、人々は感染症と闘いながら、新しい日常を作っているのだと、私は穴ぐらの中から観察している。

 そんな時間は、しかし半年も続きはしなかった。

 モールに逃げ込んだ女性のひとりが妊娠していたからだ。

 すでに出産は目前。外と連絡を取る暇は残っていない。

 私たちはそれぞれが必要に思う物資を持ち寄り、緊急の分娩手術を執り行った。

 手にゴム手袋をはめてアルコール消毒。顔にはマスクやゴーグル、頭には水泳キャップ。

 念入りな消毒処理を施し、とうとう女性の胎内から新しい命が生まれ出でた。

 私はすぐに女性から子供を引き離し、消毒済みのタオルに包んで衣装ケースに新生児を詰め込んだ。

 このままではダメだ。早くこの子供を助けなければ。

 産声を上げる箱を抱えて、私は緩慢な足取りでモールの外へ向かう。

 シャッターが数ヶ月ぶりに口を開く。

 まぶしい光の中に進み出る。

 そこには喧騒が広がっていた。

 ショッピングモールを取り囲むように、ぐるりと遊歩道モールが輪を描いている。

 そこを行き交う人々が足を止め、いっせいに私をじっと見つめた。

 誰かが手を叩く。そこから雪崩を打ったように拍手の渦が巻き起こる。

 大仰なスタンディングオベーション。

 ゆっくりと周囲に視線を向ければ、そこがどこだか分かった。

 ショッピングモールだ。閉じこもったモールを取り囲んで、さらに巨大なショッピングモールが完成していたのだ。

 モールの中の巨大なモニターが映像を切り替える。

 そこには私が映っていた。

 水泳帽とゴーグルにマスクをつけ、灰色の肌をしてところどころ肉が剥き出しになった人食いゾンビの姿が。

 スピーカーがモニターのナレーションを拡散する。

『今、ゾンビになった母親のお腹から、新しい命が生まれました』

 そうだ。だからこの子が感染する前に早く保護してもらわなければ。

『人を襲わないようにショッピングモールに立て篭もった感染者のひとりが、食人衝動の治まる日中に、我々の前に姿を現したのです。小さな命を託すために』

 そうだ。そのとおりだ。だから、早く。

『我々がこの数ヶ月間、見守り続けた営みの、最も尊い輝きがここに結実しました』

 モニターが私のよく知るモール内の映像を映す。

 暗がりの中で立ち尽くすゾンビたちの姿。生肉を噛みちぎるゾンビの姿。そして出産を終えてぴくりとも動かなくなったゾンビの姿。

「うっ……おっ、う……ッ!」

 見ていた。見られていた。

 我々の小さな世界を。防犯カメラの回線を伝って、まるで動物の生態を追うドキュメンタリー番組のように。

 知らなかった。気付きもしなかった。日中は活動しないせいで、テレビはもっぱら夜にしか見ていなかったからだろうか。

『新生児には母子感染の危険があります。これから厚生省防疫課の職員へ移譲されます。まもなく原虫の宿主となる虫を遠ざけるために殺虫剤が噴霧されます』

 深夜のテレビ番組で見たような気がする。感染症はマラリアのようなものだとか。食人衝動から意識を逸らすために見ていたせいで、ちっとも頭に入っていなかった。

 ならば治療薬もあるのだろう。手遅れでなければ……。

 やがて外側のモールから白い霧が立ち込める。

 殺虫剤の霧をかき分け、宇宙服みたいな防疫服を着た男たちが現れた。

 これで終わりだ。これでこの子供は助かるのだ。

 衣装ケースを差し出すと、彼らは奪い取るように掴み取る。

 こいつらは知っていたのか。こうなることを。

 ゾンビを襲う人々から逃げのびた私たちの生活を覗き見て、命懸けの出産を見せ物にして、用意周到に我々の意を汲んで、訳知り顔で感動に酔い痴れる。

 半分腐ったはらわたがカッと熱くなる。

 私はマスクを外していた。



  モールスモール 完



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