明日を掴むなら ~サンドラ幕間特別編~

該当キャラクター:サンドラ・エーデルフェルト

プリースト+ドルイドのヒーラー兼バッファー。元々は貴族家の使用人であったレプラカーン。偶然神の声を聞いたわけでも、聖職者として経験を積んだわけでもない経緯で神官になったため、教義や人を助けることに異様な執着をしている。

この話は地方クラスの依頼を終えた直後の話である。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 久しぶりに、お仕えしていたお屋敷へ行く。

 ユラハお嬢様がウェンリッドへやってきて、冒険者になってから数か月。庶子とはいえ当主様が可愛がっておられたあのお嬢様が、ようやっと酷い環境から脱出できたのは喜ばしい……が、当主様は気落ちしてらっしゃらないだろうか。

 蘇生されたとき、当主様は「これでユラハだけを冷遇することはできなくなったな」と快活に笑ってらっしゃったけれど……それで、当主様は良かったのだろうか。穢れを受けて、人々から白眼視されるようになってさえ、娘に憐憫したのだろうか……。

 あっ、いけないいけない。……始祖神ライフォス様は、そんなことを本心では望んでいらっしゃらないであろうに。

『あの野良上がりの偽神官め』

「う、あ」

 また、幻聴が聞こえ始めた。

『始祖神様からの啓示を受け取ったことのない恥さらし』

『どこぞの神官を脅迫して神官の力を強奪した汚らわしい輩』

『よくもまぁ気味の悪い笑顔でいけしゃあしゃあと話しかけてこれる』

「……始祖神様、狂気を治めてくださいませ」

 サニティを願えば、幻聴は小さくなってやがて消えた。

 ウチが神官になったのは、当主様を蘇生させてもらった時の魔法使いさんが、レベレイションをウチに行使してくださった時。

 そこまではよかった。でもその後神殿へ向かって、嫉妬ややっかみからくる悪口を聞いてしまってから、発作のようにその幻聴が聞こえるようになってしまった。

 普通はなんらかの形で神様の声を聞いたり、神殿で高位の神聖魔法が扱える神官からレベレイションされたりといった形で神官になる。どっちも熱心な信仰があってこそ成り立つ。

 でもウチはそのどちらでもなかった。熱心な信仰もそれまではなかった。

 偶然どこの馬の骨かも分からない神官に魔法をかけられただけ。それだけで神官になってしまった。

 ならばせめて、誰かを支えて、より神官らしく生きよう。そう決めて、ウェンリッドへと来た。

 ……それでも、神殿の人の悪口は止まなかった。

 無能の癖にいっちょ前に階位を上げている。自分たちは数えきれないほど努力しているのにズルで偉くなっている。

 そんな風に、悪口が増えただけだった。

 特に堪えたのは、無能という言葉だった。

 同じ屋敷に仕えていた、キアラ姉さんに口癖のごとく言われた、罵りの言葉。

 ウチが原因かどうかに関わらず何か悪いことが起こるたび、ウチのせいにして無能だから、無能のせいで、と悪し様にこき下ろした。姉さんはユラハお嬢様を召使扱いして嘲笑ったこともあったし、マリーさんへ悪質な嫌がらせをしていたのも見た。

 さっきの幻聴は、そんな姉と神殿の人が重なって見えてしまったからかもしれない。

「サンドラさん、着きましたよー……サンドラさん?」

「あ、はい。ありがとうございます~」

 いつの間にか、お屋敷に到着していたようで。慌ててお礼を言って馬車から降りる。

「……」

 一歩ずつ、一歩ずつ、ゆっくりとお屋敷へ近づいていく。

 今も、多くの使用人たちが動く音が聞こえる。

 もうそろそろ、「姿なき職人」で姿を消そうか、などと考えていたその時だった。

「サンドラ、あんたのこのこ帰ってきたの?」

 今一番会いたくなかった人に、声をかけられてしまった。

「……っ、あっ、キアラ、姉さん……」

「何よそんな馬鹿みたいにびくびくして。こっちが悪者みたいな態度をそうやってすぐ出して。そんなんだからあんたはいつまでたってもグズだってのに」

 姉さんが鋭い目つきで、えらい剣幕で、まくしたてるように責める。

「ちがっ、その」

「はぁー。みんなにあんたが帰ってきたこと知らせなくちゃ。みんなー、あのグズのサンドラがのこのこ戻ってきたってさ! あの出来損ないで、ドジで、意気地なしで、そのくせ自尊心とプライドが馬鹿みたいに高くて人をカスみたいに見てるサンドラがだってさー!」

「ねえさん……やめて……ごめんなさい……」

「ご主人様が襲われたときに身を挺して庇うことすらせず逃げ回ってたくせに人の手柄を盗み取った臆病者の面の皮が厚い裏切者が! いけしゃあしゃあとこの屋敷に踏み入ろうとしてるのよー!」

 ウチの細々とした願いは、姉さんの大声にかき消されていった。

 たしかにお屋敷に仕えていた時のウチは、不器用でとろくさいところがあった。でも、いつも姿勢を低くしてすら姉さんに折檻されていたほどのウチが、そんな目で誰かを見る余裕なんて、ちっとも無かったのに。

 ユラハお嬢様がいるからって旅行への同行を拒んで、旦那様が死ぬほどの悲劇が起こった後になって、嘘をついてまで無理やり罰を押し付けた姉さんに人の手柄を盗み取ったなんて、言われたくなかったのに。

「ほら見なさいよサンドラ。屋敷にいる全員、あんたのことを軽蔑してるわよ。こんなにみんなから嫌われておいて、よくもまぁ平然と顔を出せるのね」

 姉さんが耳を掴んで、無理やり頭を上へ向かせた。

 ……窓からウチを見ている人全員が、蔑む目でウチを見ている。ひそひそ話をしている。舌打ちをしている。嫌そうな目をしながら避けていく。

 ……あぁ、ウチ、そんなに嫌われてたんだ。

「それにさぁ、あんたご主人様からの密命すらまともに果たせないまま戻ってきたんだって? とんだ恥さらしにも程があるわよ」

「みつ、めい……?」

 ウチはそんなもの知らない。お屋敷を出るときに旦那様は何か使命を言っていただろうか。そんな覚えは無いのに。

「はっ、ほんとノロマね。あの妾腹の穢れたクズを、ここから遠く離れているあの蛮族街で殺して来いって、そのためにわざわざあんたの元に寄越したってこと、どう考えたって分かるでしょ? 始祖神を信仰してる連中ならノリノリでやってくれる奴らばかりだろうに、仲間集めどころか自分の手で殺すことすらできない始末。呑気に誰かを助けるーとか子供じみたことばっかのたまってなんもできないあんたに任せたのが馬鹿だったって、ご主人様も大変お怒りなんだから」

 あの、旦那様が? ありえない。ユラハお嬢様を旅行に毎回連れ出そうと必死になっていらっしゃった旦那様が、そんなことをウチに託してくるなんて、おかしい。

「……な、んで、ユラハ、お嬢様、を」

「はん。あんたまだあの穢れてるのをお嬢様なんて呼んでるのね。ぶりっこもほどほどにしなさいよ。いいこと? ミルタバル様を信仰する家に生まれてきたのに、真剣に信仰するどころか裏切って始祖神に寝返るような馬鹿は、あの間抜けな教義の中で唯一まともな、『穢れを認めない』ことを通して穢れたのを潰しまくってやっと人様に認められるわけ。なのにあんたはその穢れたのとなかよしこよしした挙句あろうことか穢れたのを支援するとかいう禁忌をしでかしたわけ。そんなことしてるんだから始祖神も呆れてそのうち神聖魔法を取り上げたってなにもおかしくないわね」

「ちが……ちが……」

 姉さんの、心を締め付けるような語り口。そしてここでまた聞こえてきた、神殿の神官たちの幻聴。耳を塞いでも聞こえてくる。否定した端からそうだそうだ、とくすくすと嘲笑う声が聞こえる。

「あぁ、最後にちゃんと、これは言っておかなくちゃ」そう言って、ウチの耳を姉さんはちぎれそうなほど強く引っ張った。


「人を自分の手で殺さず、他人任せにするような卑怯者が、最強の支援者なんて偽善を騙るのも大概にしなさいよ。その意識が、ご主人様を殺した。あんたがご主人様を殺したんだから」

「偽物は、さっさと消えなさいよ」

 その瞬間、様々な幻聴と幻覚が一気に押し寄せる。

『人殺しの偽物神官』

『血に濡れた手で救済を騙る愚か者』

 赤い、赤い、様々な人が、ウチを糾弾している。

 知っている人たちが、ウチを恨んでいる。

 みんな、みんな、ウチがいなければ。

 もう、何もかも、手放してしまおう。


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「……貴様、そこで何をしていた。キアラ・エーデルフェルト」

 威厳のある男性が、メイド服を纏ったレプラカーンに問いかける。

「あぁ! ご主人様! 独活の大木で何も役に立たない愚妹が、愚かにも無断で戻ってきたので説教をしていたところですわ!」

 キアラは、輝いた目で男性へ話しかける。

「……サンドラを屋敷に呼びつけたのは私だ。無断などではない。なのに性懲りもなく元同僚である自分の妹を虐待するとは。いい加減にしろ」

「まぁ虐待なんてそんな。これはただの教育です。あの穢れ女を消し損ねた愚妹に、今度こそ仕事をしてきなさいと言って聞かせているのですよ」

 自慢げにそう語るキアラは見ていない。主であるテニーレイス氏が、拳を震わせているのを。

「……私はそんなことを命令などしていない。ましてやサンドラにすることはない。誰から指図を受けたか今すぐ言え」

「あらあら。これはわたくしも含め屋敷中の全員が思っていることですわよ? あんな女っ気も無い石頭がご主人様を陥れて、その報いでやっと死んだと思ったら今度は穢れた娘を残していって。だからどうしようもない木偶の愚妹に、始祖神官の立場を使って穢れ女を消すっていう立派なお役目を与えたのですよ」

「仕え始めてから無駄に耳障りでよく回る口をさっさと閉じろ、キアラ・エーデルフェルト」

 怒りに満ちた目で自分を見つめる主に、ようやくキアラの目が向いた。その威迫にキアラは抗おうと足掻く。

「ご主人様、どうかお考え直しを! よく考えてくださいませ。穢れ女と愚妹を連れて行ったあの日、ご主人様は穢れ女と愚妹が呼び寄せた猛獣によって殺されているのですよ!? 蘇生という外法によって後継者争いが起こらなかったのは不幸中の幸いではありますが、穢れ女と愚妹のせいでご主人様は人生を狂わされたのです! 穢れ女やサンドラなんかより、わたくしの話を聞いて」

「お前に黙れと言っていたのが伝わらなかったか、キアラ・エーデルフェルト」

 威圧する瞳を目にして、キアラは震えて膝をつく。

「ジルキアが残したユラハに対して、唯一まともに接してくれていたのは、お前が愚妹と罵っていたサンドラだった。お互い、厄介者扱いされていた二人が笑顔で過ごしている様子を見て、私は救われていた。ユラハはあんな環境でも良い子に育ってくれたし、サンドラは細やかな気配りに優れていた」

 懐かしむ顔で、テニーレイス氏は回想する。

「そんな二人を、むざむざと獣の餌食にしようとは思わない。だからこそ私はあの時、二人を庇って死んだのだよ」

「ご主人様、あの外法は……」

「蘇生を受けたものはその直前までの一時間の記憶を失う。私もその時の記憶は想い出せておらん。だがその当時の私もそうしたことは容易に想像できる。……獣の撃退に貢献したサンドラを詰り、責め立て、罵倒したことは高くつくぞ」

 主の言葉をせせら笑おうとしたキアラは、その直後に硬直する。

「全くだね、目をかけて助けられたことに甘んじず、最高位に近しいところまで育ってくれたこの子を、褒めるどころか心を折るようなことをするような姉がいると困っちゃうよ」

 そこに現れたのは、手と背中に二本の杖を携え、フードで顔を隠した人物。

 少女のような声が、その下から聞こえる。

「久しいな、恩人殿」

「お久しぶりさね、テニーレイス卿。あの時のように名乗らず去っていこうとも考えたけれど、ちょいと事情があってね」

 キアラからサンドラを守るように、その人物は立っている。

「……まったく、これだから神殿の連中は嫌いさね。慣例がどうとかいってこんなにいい子を追い詰めるなんてね……ルイティラ・ボルドラスの名前も薄れちまったかぁ」

 はぁ、とため息をつき、杖でサンドラに触れ、ルイティラと名乗った人物は語り掛ける。

「顔を上げな。下ばっか向いてるとライフォス様が心を痛めてしまうさね」

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 唐突に、幻聴や幻覚が消えた。

 かけられた声の言うままに、顔を上げる。

 そこにいたのは、旦那様が死んだあの日、蘇生を施し、ウチに神聖魔法を授けてくれた……赤毛に、緑の目を持つドワーフの女性だった。

「久しぶり、お嬢ちゃん。あのナイトメアの嬢ちゃんは元気かい?」

 その温かい声を聞いて、思わずあふれた涙をぬぐって。

「……はい。ユラハお嬢様も、今はウェンリッドという街で、生き生きと暮らしています」

「そうかそうか。いいことだ。お嬢ちゃんのような優しい子が神官として人々を幸せにしようと頑張っているのを、ライフォス様はしっかり見ていらっしゃるよ」

「……でも、ウチはしょせん偽物、で」

「アタシがきちんとライフォス様にパスを繋げたんだから立派な神官に決まってるじゃないか。周りの阿呆な言葉に惑わされるんじゃないよ。過激思想に染まりきらず真面目に頑張ってきていたからこそ、お嬢ちゃんが扱える加護は増えたんだ。そうでないならとっくにライフォス様が加護を取り上げているさね」

 ……この人の言葉と手が、はびこっていた幻聴や幻覚を消し去っていく。自分を否定する言葉が、薄れていく。

「……最強の支援者を目指すとしても、やはり自分の手を汚すことは、やっぱりしなきゃいけないんでしょうか」

「どうしてもつらいなら、神様が代わりに手を下さっていると思うことさね。まぁ、無理に考えを変えなくたって大丈夫。そこらの取るに足らない連中なんかより、実際にかけられた感謝の言葉を大事にしなさいな」

 言葉が耳から心に染みわたり、想像の怨嗟の代わりにかけられてきた感謝の言葉が戻ってくる。

「……穢れも、必要以上に避けたり、は」

「アンデッドになりかけならいざ知らず、ちょっとくらいの穢れを気にするのは馬鹿らしいっての。それともなにさ。穢れで人を見るようになっちまったのかいお嬢ちゃんは」

「いいえ、そんなことは!」

 慌ててウチが言葉を返すと、その人は笑って頭を豪快に撫でて。

「まぁそれより、お嬢ちゃんの姉とやらの方がよっぽど罪深いと思うねぇ。加護もどこまで続くやら」

 そう、キアラ姉さんの方へ体を傾けたその人のおかげで、キアラ姉さんの様子が分かった。

「……なんで、なんであいつを罰してくれないの、ミルタバル様……」

 聖印を握った姉さんは、何度も祈っているのに何も起きない。

 ウチがお屋敷から出たとき、何度も何度もゴッドフィストを撃って高笑いしていた姉の姿は、もはや見る影も無かった。

「せっかく、サンドラを追い出して神官の地位を確保できたはずなのに……」

 その直後、杖が当たった姉さんは崩れ落ちた。

「ね、姉さん!」

「……卿、まだこの屋敷に魔神使いがいるね」

「デモンズシードか。……ユラハを追い出そうとした奴に心当たりがある。恐らくそいつのせいだな」

 姉さんは、どうやらデモンズシードによって何らかの形で操られていたみたい。ウチに対する仕打ちは前々から酷かったとはいえ、まんまと操られていたのは可哀想ではある。

「さて、一仕事終わったしもうそろそろ次の場所へ行かなくちゃね。あ、そうそう」

 そう言って、あの人は私に近寄る。

「ガンツのことはよろしく頼んだよ」

「え……」

 気づいた時には、あの人は消えていた。

 ガンツさんは、ドワーフのおじさまだったはず。たしか、ガンツさんもあの人もボルドラス、と名乗っていたのをかすかに覚えている。

 ……母親、という単語が浮かんだ時には、あの人が何歳なのか少し気になった。

「さて、いざこざはあったが屋敷へ上がっていこう、サンドラ。使用人皆、懐かしがっているぞ」

「で、でも、あの人たちは……」

「うん? あれはキアラの馬鹿に呆れていたんだよ。不甲斐ないことに、サンドラやユラハがいなくなった後、屋敷の中は次の犠牲者を誰にするかでしっちゃかめっちゃかになってね……。時間はかかったが再教育に成功して、今はキアラの幼稚さに困っているのがほとんどだったよ」

「は、はぁ……」

 苦労のほどは知れないものの、お屋敷もいい方向へと向かっているみたいで、安心した。



 もう、糾弾の幻聴は聞こえない。

 もう、穢れを避けねばという強迫観念は無い。

 もう、つまらない言葉で揺らぎはしない。

 今、ウチが目指すのは理想ではなく、自分なりの方法で他者を助けようと、手を尽くすこと。

 一から自分へ問いかけなおして、ようやく見つけた答え。

 ……自分一人で助けることができないとしても、できることは悔いのないように尽くす。

 それが、きっとウチのやるべき事。

 それこそが、「最強の支援者」となるための大切な姿勢。

 そう、心に抱いて、今日も歩みを進めていく。

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