ロティさんをお迎え
炎の精霊もといロティは、レミアに根負けしてケーキを焼くことになった。
翌日にロティから事の顛末を聞いたオロンは、相変わらず穏やかに微笑んでいる。こうなると思っていたのだろう、全く驚いていない。
「思ったよりも早かったね。何があったんだい?」
「気が向いただけだ」
「あはは、急に気が変わるような君じゃないだろう」
「昔、似たようなバカがいたと思ったくらいだ。
それに……」
ロティはかすかに目を伏せ、少しの間口を閉ざす。
「……あの得体の知れん知識。その情報源を探るくらいの価値はあるだろう。
俺にとっても、お前にとっても」
「ああ、そうだね。それを抜いても、あの子の話は面白そうだけれど」
「なら、面倒な話はお前が聞いてやれ。俺はごめんだ」
そう言って小道の方へ目を向けるロティ。
耳を澄ませると、遠くから少しずつ足音が近づいてきているのが分かった。
「ロティさーん、お迎えに上がりましたー」
通い慣れた道を進みながら、レミアはすっかり顔馴染みになった炎の精霊を呼ぶ。
いつもロティがいる開けた草地には、見知らぬ青年もいた。
「来たか」
ロティが腕を組んだまま、レミアの方へ視線を向ける。
「ほえ、お客さんがいらしてたんですね」
ロティと違って、とても穏やかそうなヒトだ。
物腰柔らかな雰囲気に感化され、レミアもちょっぴり大人しく慎ましい気分になる。
「お前の話についていけそうな精霊を呼んだ。こいつにも同行してもらう」
「なるほど、助っ人さんでしたか!」
「ふふ、助っ人です。どうぞ、よろしくね」
ロティと一緒に来てくれる精霊だった。
レミアは日を改めるべきか逡巡していたが、それを聞いてぱっと笑顔になる。
ロティが素っ気ないクール系お兄さんなら、こちらの精霊は柔和で甘えやすそうな紳士系お兄さんだ。二人のかっこいいお兄さんに囲まれると、なんだかそわそわしてしまう。
「どうもどうも、レミアです。ええと、精霊さんのお名前は……」
「僕はオロン・アーデ・イング・カスタグランと呼ばれているよ。土の精霊なんだ」
「………。オロンさん!」
やはり半分くらい聞き取れず、レミアは彼にも愛称をつけて呼ぶことにした。
オロンも敢えて少し悪戯したのだろう。ロティから聞いていた特徴を寸分違わず再現するレミアに、気を悪くする素振りもなく笑みを深める。
「こんな調子で店をやっていけるのか、こいつは……」
「ふふ、いいじゃないか。短い名前の方がお互い認識しやすいし」
顔合わせを終え、レミアはさっそく二人を屋敷へ案内することにした。
◆ ◆ ◆
レミアの実家リューベリエ家は、それなりに裕福な家柄だ。
王都の中でも、程よく静かな郊外寄りで良好なアクセス環境。
前世で言う優良物件の条件を適度に満たし、広々とした敷地を持っている。
人間の文化に不慣れなロティでも、彼女の立場が一目で分かるほどだ。
「お前、貴族だったのか」
「えへへ、そうみたいです」
屋敷の入口から少し離れた塀のそばで、ロティは意外そうな呟きを零す。
「みたい」というどこか他人事めいた言い回し。
それを謙遜と受け取ったのか、彼は気に留める様子もなく塀越しに屋根を眺める。
「よく一人でのこのこ外に出られたな。小悪党には格好の餌だろうに」
「それはアレです、地方から出てきたお上りさんみたいな雰囲気でごまかします。
でもバッグはしっかり握りしめて、警戒心をアピールです」
「例えはさっぱり分からんが、全く貴族に見えない点では狙い通りということか」
「自分で言っておいてなんですけど、そんなに風格ないですかねえ……くすん」
今まで気づいてもらえなかったということは、本当にそう見えていないのだろう。
言葉には出さないが、オロンもロティと同じ感想を抱いているようだ。
「ロティは素直じゃないからね。親しみやすいと言いたいんじゃないかな」
「どう聞いてもそうはならん」
話し込んでいるうちに、レミアはふと辺りに目を向けた。
なんとなく周囲がざわついている。
ちらちらと視線を感じて、居心地が悪い。
「あれぇ、私そんなに目立ちますかね……」
さっき全く貴族に見えないと言われたばかりなのに。
やっぱり隠していても気品がにじみ出るのだろうか、と前向きな冗談を言おうとしたが、二人が浮かない表情だったのでぐっと喉の奥に呑み込んだ。
「お前より俺たちの方だろうな。魔法を多少かじった奴が見れば精霊だと分かる」
「人が多い場所にはあまり精霊が来ないからね。
上手く隠せる子もいるだろうけれど、力を全て抑えるのはちょっと難しいかな」
特にロティはこの国の人間と装いが全く異なる。
精霊でなくとも目立ちそうだ。
しかし格好が珍しくても、精霊だと断定できる理由にはならない。
レミアはじっと目を凝らしたが、人間と精霊の違いはよく分からなかった。
「んー、ロティさんの髪先がちょっと燃えてるような、そうでないような……。
オロンさんはもう、完全に人間そっくりです」
「ふふ、土の精霊の特徴は分かりづらいかもしれないね」
「とにかく目立つと面倒だ、さっさと案内しろ」
「は、はい。もうすぐ着きますよ!」
正門からではなくわざわざ裏門へ。
レミアについていきつつ、ロティは用心深く周囲を見回す。
「俺たちが精霊とはいえ、家に入れていいものなのか」
「ばれなければ大丈夫です!」
自信満々に答えるレミア。
つまり、許可は取っていない。
ロティはすっと目を据わらせた。
「家の入口には随分と人間がいたようだが?」
「あ、ケーキを焼く所は本館からちょっと離れてるんです。
パンを焼く窯を借ります。だから本館には行きません」
「そっちには人がいないのかい?」
「はい、今日はパンを焼く日じゃないので誰もいないはずです。
あ、料理長にはちゃんと窯を使うってお伝えしてますよ。
決して誰も覗かないように……って、しっかり念も押しました!」
「その言い回しは、覗きに来る奴が出そうだが……」
こそこそっと人がいないのを確かめ、ささっと次の茂みの陰へ動く。
庭園に低木が多くて助かった。
自分の家なのに忍び込んでいる気分だ。
ロティとオロンは姿を消す能力を持っているらしい。
空気に溶け込むように姿が薄れたかと思うと、次の瞬間にはレミアの背後に現れる。
会話のためだけにわざわざ顕現してくれている。
その気になれば、姿を消したままパン窯まで行けるのだろう。
全くもって羨ましい力だ。
無事に見つかることなく、パン窯の前までたどり着く。
素朴なレンガ造りの部屋には、焼いたパンを置く机にいくつかの椅子。
パン生地を寝かせる棚に洗い場と、厨房と比べると設備は少ない。
しかし簡素な菓子を焼くだけなら、材料と道具を持ち込めば問題ない環境だった。
ここにロティの力を合わせて、初めてちゃんとケーキが焼ける。
一息ついた後、レミアは予め用意していた書類を二人に渡した。
「へえ、これが人間の労働契約書か。しっかりした文章だね」
「もちろんです。従業員の心理的安全性、互いの訴訟リスク回避、責任の所在を明確化、ビジネスにおける必須事項が満載です」
「ヒトを煙に巻くようなことを言っているように聞こえるが……中身は本当にまともなんだろうな?」
レミアお手製の契約書を一枚一枚、丁寧に見ていくオロン。
前世で学生だった頃を思い出す。
提出したレポートを読む教授はこんな感じだったのかもしれない。
今のオロンからは知的な風格を感じて、つい呼吸を忘れそうになる。
この世界で教授をやっていてもおかしくないくらいだ。
「そうだね……特には、精霊にとって不利な条項も見当たらないかな」
優・良・可。
ひとまずいずれかには該当する評定が下り、ほっとするレミア。
しかし卒業論文と同じで、まだ質疑応答があるはずだ。
ごくりと唾を飲み、どんな質問が飛び出すかと身構える。
「でも、給料……人間のお金かな? それって必要なのかい?」
「いや、いらん」
「いりますよ!?
労働の対価にお支払いするものです、無給で契約なんてダメです!」
ぎょっとするような問いかけに、思わず叫んでしまう。
そこでロティとオロンの価値観が一致しているのがなんだか恐ろしい。
「ふうん……? その給料というものを支払わなければ、君にとっては得だろう?
それでも自らに不利な条件を盛り込むのかい?」
「や、不利っていうか、それで対等なんです。もし従業員をタダ働きさせてたら、ブラック雇用主です。間違いなくお客さんにも取引先にも信用されないです」
人間と精霊の価値観は異なる。
ロティを説得する過程で何度も味わったことだ。
しかし、どうやら思いのほか根深いものだったらしい。
これは誠心誠意を込めて、少しずつ異文化理解に取り組まなくてはならなそうだ。
「ああ、なるほど。人間の社会において行うべき約束事のようなものか。
というわけだから受け取ってあげなよ、ロティ」
「受け取ったところで、不要なものは捨てるなり燃やすなりするだけだがな」
「わーっ! お金をそんな風に扱っちゃいけません! だったらロティさんのお給料は積み立てしておきます。必要になったら持って行ってください」
どうにか労働契約書を最後まで読んでもらい、末尾に署名をお願いする。
人間の文字は読めても書いたことがないというロティのために、オロンがお手本を別の紙に書いてくれた。
めんどくさがりながらも、ロティが契約書に名前を書いてくれる。
これで契約成立だ。
正式な雇用関係を結べたことで、レミアは踊り出しそうなほど舞い上がった。
「そうだ、ロティさんって触ると熱いですか? 火傷しちゃいますか?」
「力を使っていない間は問題ない。わざわざ触れに来る輩もいないが」
「大丈夫なんですね! じゃあ握手! 握手したいです!」
ロティが言い終わる直前に言葉を重ねるレミア。
両手を差し出してくる彼女に、ロティは面食らいながらその手へ目を向けた。
「握手なぞ、してどうする……」
「握手は友好の証です。あと、私のテンションがとてもとっても上がります!」
「これ以上うるさくなる気か、お前は」
握手を渋るロティに、レミアは両手を出したままキラキラ輝く目で見つめ続ける。
無言の攻防が続いた後、ロティはおもむろに息をついて彼女の片手を握った。
「ほら、これでいいのか」
「……! はい、とってもいいです! 最高です!!」
レミアの顔がぱあっと更に明るくなった。
握られなかった方の手も添え、ぶんぶん上下に振る。
触れたところからじんわりと伝わってくる熱は、人よりも少し温かい。
したいようにさせてやりながら、ロティはじっとその様子を見守っていた。
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