異世界、精霊、ケーキ屋さん! ~前世の知識を駆使して、情熱のままに! 異世界初ケーキのお店、開店です!~

すみれ菊

1章:ケーキ屋さん奮闘記

1-1:異世界初のケーキ!

炎の精霊


 人と精霊が共に暮らす国、シュトライアール王国。

その王都近くにある静かな森の中、少し開けた場所に一人の炎の精霊がいた。



 姿は人間の男性に敢えて似せており、20代前半の人間に見える。

この国ではあまり見かけない、よく日に焼けた肌や茶色がかった赤い髪。

さらにその髪先は炎のように揺らめいている。


 上半身は大判の布を雑に肩から腰へ巻き付けたような出で立ち。

風通しの良さに加え、本人の無頓着さがにじみ出ている。

その装いもあり、この国の人間が見れば明らかに異質な存在だと分かる。



 王都近くを住まいに選んだのは、ひとえに日当たりの良さゆえだ。

寄ってくる魔物を追い払い、顔見知りの精霊が訪れてはつつがなく応対する。


 そんな日々の繰り返し。

かれこれもう数十年は続けている。

飽きを覚えつつあるものの、かといって新たな刺激を求めようとはしない。


 大きく育った木に登り、枝に座ってぼんやり過ごすのが彼の日課だ。

そこから小道を見下ろしていると、たまに人間が通りがかる。



 そして、人間の隣には他の精霊がいることもあった。


 この国では、人間と精霊が契約を結ぶことがある。

お互いの思惑が一致したとき、彼らは契約を結んで行動を共にする。


 大抵の場合、人間は精霊の力を借りて強力な魔法を使うため。

精霊は力を発揮する機会を得て、より己を高めるため。

そこにどんな感情が絡んでいるかは、契約している当人たち次第だ。



 かつては、炎の精霊のもとにも大勢の魔法使いが訪れていた。

彼らの目的はただ一つ、精霊と契約を結ぶこと。


 しかしそのお眼鏡に適う者は誰一人おらず、いつしか魔法使いたちは諦めた。

この精霊は人と契約を結ぶことに興味がないのだ、と。


 そうして誰も来なくなって、長い年月が過ぎた。



 そろそろ骨のある魔法使いが一人くらいはやってこないだろうか。

他愛ない考えが彼の脳裏をよぎり始めたとき、「彼女」はやってきた。


 シンプルなワンピースをまとった、とうてい魔法使いには見えない格好。

しかし服にあしらわれたボタンや袖口の刺繍は、目立たないながらも上品なデザインに仕立てられている。

少なくともその辺の村娘というわけではなさそうだ。



 そして、強い意志を宿した瞳。


 炎の精霊はその瞳に一瞥を返し、確かに視線を交わした。



「ケーキを焼きたいんです。貴方の力を貸してください!」



「意味が分からん、帰れ」



 迷うことなく、断った。




◆ ◆ ◆




「うーん、やっぱり急ぎすぎましたかねぇ」


 炎の精霊から即座に断られた少女――レミアは、帰り道を歩きながら一人反省会をしていた。


 しょんぼりと落とした肩の前で、金色の髪が力なく揺れる。

若葉のような緑色の瞳が、俯いているおかげでしおれた葉っぱの色になっていた。


 言われた通り大人しく帰っているのは、そのまま彼が姿を消してしまったからだ。

運よく一度訪れただけで会えて、一目でお目当ての精霊だと分かって、つい気が逸ってしまった。



「誰もケーキを知らないし、今のオーブンじゃ焼けないし……。

 うう、ケーキ屋さんへの道のりは険しい……」


 誰もいない道の上で、ぽそぽそと呟く。


 レミアがケーキを知った……もとい、思い出したのは一週間ほど前のことだった。


 前世の記憶、と言えばいいのだろうか。

その中でも特に際立って輝く、ケーキの記憶と強い憧れ。


 前世の夢を思い出した時、それまで灰色だった世界が一瞬で彩りに満ちた。

生まれてから十六歳になるまでの長い時間、ずっとぼんやり暮らしていたことがあまりにも勿体ない。それほどの情熱が湧き上がってきたのだ。



 今のレミアはリューベリエ侯爵の一人娘として生を受けている。

まだこれといって政治や花嫁修業に明け暮れてはいない。

いつでも菓子作りに挑戦できる環境。

これは天命だと思い、意気揚々とケーキ屋を志すことにした。


 しかしその肝心のケーキは、この国のどこを探しても存在しない代物だった。


 違う世界に生まれ変わった――いわゆる異世界転生というものなのだろう。

かつて当たり前だったものは、ここでは当たり前ではなかった。


 文明はなんとなく前世でいう近世の西洋に似ているような気がするものの、魔法や精霊といった明確な違いが存在する。


 そして、ケーキ作りに必須のオーブンや冷蔵庫が発達していない。

なんならケーキの型も存在しない。



 魔法や精霊なんてわくわくするものがあって、どうしてケーキがないのか。

レミアはがっくりしたり憤ったりしたが、結局ない物はないという結論に至る。


 そしてその状況を打開する一歩として、炎の精霊へ協力を仰ぎに来たのだった。



「……これも全てケーキを焼くため。

 一回断られたくらいで諦めるわけにはいきません、すなわち三顧の礼!」


 しばらく肩を落とした後、頭を左右に振ってもやもやした気持ちを追い払う。

そして、両手をぐっと握りしめて気合を入れ直した。



「ケーキ屋さんになって、みんなに美味しいケーキを食べてもらう。

 私の使命はまだ始まったばかりです!」




◆ ◆ ◆




 その翌日、炎の精霊はレミアから十枚ほどの紙を見せられていた。

精霊は呆れて言葉を失っていたが、レミアは意に介さない様子でケーキの意味を説明しに来たことを告げた。


 満ち溢れている自信だけは撃沈していった魔法使いたちと大差ない。

が、他があまりにも違いすぎて、彼の理解できる範疇を超えている。


 紙芝居でも始めるのかと思ったが、どうやら違うらしい。

プレゼンだかプレゼントだか、勧誘に使う小道具ということだけは分かった。



 紙の中央には、大きな平たい円柱の絵が描かれている。

その上に8つ載っている、赤い雫型の物体。

それぞれの合間にろうそくが刺さっていて、どこか物々しい。

さらに、円柱の真ん中に置かれた長方形の板に文字が書いてある。


 この円柱全体を指して、ケーキと呼ぶらしい。

そして、でかでかと描かれたそのケーキに、丸と線をくっつけただけの人らしきものが無数に群がっている。


 お世辞にも上手いとは言い難い絵だ。

それも相まって、ますますケーキが何なのか分からなくなった。


 焼きたいと言っていたから料理か、あるいは陶器や土器か。

焼いて作るものには幾つか心当たりがあるが、いずれにも当てはまるように見える。



 つまり、判断材料とするには全く役に立たない資料だった。


 それでも口頭で補足する算段なのだろう。

彼女は堂々と胸を張ってケーキの説明を始めた。

栄養やら、甘いものを食べる有用性やら、食事を摂らなくてもいい精霊にとっては聞いても仕方のない情報だ。



「すなわちケーキを食べると、みんなが幸せになれるんです!」



 レミアが言いきった後、炎の精霊はもう一度プレゼン資料へ目を向けた。


 彼女の言い分をまとめると、無数の棒人間は幸せになるべくケーキに集っている。

顔すらない人間の絵が、なぜだか信仰心に溢れているように見えてきた。


 加えて、8本のろうそくと得体の知れない装飾。



「……新手の宗教か何かか?」


「違いますよ!?

 お菓子です、美味しいお菓子!」



 怪しい儀式の一種かと困惑する炎の精霊に、レミアは必死にお菓子だと主張する。



「……で。結局どういう菓子なんだ」


 プレゼン後の質問タイムで、炎の精霊はさらにもう一つ問いかけた。


 彼女が言う謎の言葉、ケーキ。

人の世で新たに流行り出したものだろう、とアタリはつく。

しかし、具体的にどういうものかは全く見えてこない。


 甘い物、食べると幸せになる。

そんな漠然とした情報ばかりで、彼女の説明には根本的な所が抜け落ちているのだ。



「えっとですね、ふわふわで、クリームたっぷりで、フルーツを載せたりなんかしたりして……あ、ふわふわにするには窯で焼きます。その後冷まして飾りをつけます」


「菓子を焼く程度のことに、なぜ精霊の力がいる」


 重ねて質問すると、レミアは前のめりになる勢いで目を輝かせた。


「ケーキは! 温度調節が!

 とーっても大切なんです!」


「やかましい。静かに話せ」


 即座にたしなめられ、しゅんと小さくなるレミア。



「だって……180℃くらいなんですよ。ここには温度計ないですし、設定温度になったら教えてくれるオーブンなんてないですし……」


「180℃とは……? 人間が決めた基準か?」


 彼女は感情の浮き沈みが随分と激しい。

しょげているからといって優しい言葉をかける気にはならないが、どうも調子を狂わされる。


「そうですよね、セルシウスさんいないから、温度の単位もないですよね……」

「誰の話をしている……。

 せめて会話が通じるようになってから出直せ」


 全く聞いたこともない言葉ばかり出てくる。

だんだん頭痛がしてきたので、炎の精霊はその日の会話を切り上げることにした。

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