10.16.被害


「どういうことだ!」

「で、ですから今言った通りです! ダネイル王国から水が流れてこなくなったのです!」


 経典を強く握りしめながら怒りを露にする男が一人。

 煌びやかな格好を好んで身に付けており、白く清潔感のある衣類に加えて金を多く使用した装飾品が取り付けられている。

 細身で背が高く、片眼鏡をかけて眉をきつく顰めている。


 今まで水を教会の力で管理してきたジルードは、この異常現象に動揺していた。

 水がなければ今まで継続してきた優位が消えてしまう。

 彼はそれを恐れていた。


 すると、報告に来た水売りの一人が口を開く。


「い、今は貯め込んでいる水があるので問題はないのですが……! 一週間もすれば枯れてしまいます!」

「原因はなんだ! まさかダネイル王国の者が故意に止めたわけではあるまいな!」

「そんなことはないはずです! 現在調査に向かわせておりますので今しばらくお待ちくださると……!」

「一週間以内に何とかしろ!」

「は、はいぃ……!」


 その場から逃げ出すようにして退出した男の背中を見送った後、苛立たし気に綺麗に磨き上げられた床を蹴った。

 カツーンという音が虚しく教会の中に響き渡る。



 ◆



 テレッド街を出発して数日。

 馬車を使っていないということもあって移動はそこそこ早かったのだが、それでも時間はかかってしまった。

 ようやくたどり着いたヴィンセン領だったが……。

 一言で言ってしまうと酷い有様だった。


 ヴィンセン領は村が街になったような場所であり、石材を使った建築物は少ない。

 外壁も柵が並べられている程度であり、まともな防御設備はなさそうだった。

 それでも人の往来は多い。

 しかし……その誰もが汚れたような服を身に付けていた。


「……」

「今まで見た来た中で最もひどいな。日ノ本よかまだましだが」

「いやこれだけで異常ですよ。村ではなく名前のある領地なのにこんなことになってるなんて……」

「水が少なくて使えないんだよ。だから水浴びもできないんだと思う」


 ローブを目深に被ったアオの回答に二人は頷く。

 恐らくその通りなのだろう。

 ベレッド領を見てきたチャリーは、二つの領地の違いに困惑しているようだった。


 それでもヴィンセン領は大きな街だ。

 今も狩猟から戻って来た一団が大量の収穫物を肩に担いでいる。

 だが全員が疲れ切っているということがわかった。

 まだ春だが……冬と違って水分を補給する方法が極端に少なくなってしまうのだ。

 体力の消耗が激しいのだろう。


「領主の所へ向かいましょう。四人がいるはずなので」

「そうだね」


 すぐに移動を開始し、ヴィンセン領領主の元へと向かった。

 始めてきた場所ではあったが、良く目立つ建造物があったのでそちらを目指すことにした。

 すると案の定そこが領主の屋敷だったらしい。


 木造建築群の中にポツンとある石材で作られた屋敷。

 見事なものではあるが、あまり手入れはされていないらしい。

 そこまで裕福な領地ではないということがそれだけで分かる。


 街を歩きながら刃天は疑問を抱く。

 何故こんなにも住みにくい場所に多くの領民が住んでいるのだろうか、と。

 領主の人徳だけでは限度があるだろう。


「何故だか分かるか?」

「行く場所が無いんだよ」

「……なるほどな」


 誰でもこの土地を離れる権利は持っている。

 だが旅をするにも知識がなければ危険を伴うし、水がないとなれば長旅は無謀だ。

 わざわざ危険を賭して領地を脱するより、最低限でも生活が保障されているこの場に留まるということが正解なのかもしれない。


 水の豊富な日ノ本と違う。

 この世界は山を歩けば水気に当たるような場所ではないのだから。


 短い会話を終えると、アオはすぐに館の扉を叩いた。

 背後には刃天とチャリーが控えており何があってもいいように準備をしている。

 しばらく待っていると、扉がゆっくりと開かれた。


「待ってたぜ」

「デルクさん」


 見知った顔を見つけてチャリーは安堵する。

 デルクも約束を守ってくれたチャリーに心底安堵したようで、大きな息をついて胸に手を置いた。


 そして背の低い子供を見る。

 しゃがみ込んで視線を合わせると、優しく語りかけた。


「初めましてだな。名前はなんて言う」

「アオです」

「……アオ? ……おお、この子が……! 子供だとは聞いていたが……こんなに幼いとは……」

「まぁ驚くのも無理はないですよね」


 パッとフードを取っ払って素顔を見せる。

 綺麗な蒼玉眼を見てデルクは目を丸くした。

 すると恐れ多いと言わんばかりに後退して膝を折る。


「やっと……やっと報われる……」

「まだ安心しちゃだめですよ。一応僕たちは侵略って言う形でここに来てますし……」

「構うものか。何もしてくれねぇダネイルよかよっぽどマシよ」

「領主さんとお話がしたいです」

「分かった。付いてきてくれ」


 デルクは立ち上がり、三人を案内する。

 廊下を歩いているとこちらに振り返って来たので、刃天は『なんだ』と声をかけた。


「いや、妙な奴だなって思って」

「俺からしてみりゃお前らの方が妙な奴さ」

「ハハ、異国の人間らしいな」


 するとデルクは扉に手をかける。

 意外と玄関から近いところに領主は居たらしい。

 子気味の良い音を立てて開かれた扉の先に進むと、そこにはリタン、そしてメックとレックが座っており、中央の席に領主と思わしき人物が座っていた。


「「エルテナ様!」」

「メックにレック。久しぶり」

「「お久しぶりです!」」


 二人はすぐに駆けよって来た。

 この双子は普段は仏頂面で過ごしているが、嬉しい事などがあればしっかり顔に出す。

 最初は喜んで接しようとしていたのだが、刃天を見て硬直した。

 ススッ……と静かに後退する。


「……んん?」

「刃天さんが怖いみたいですよ」

「どうしろと?」


 チャリーにそう言われるが、本当にどうすればいいのか分からない。

 だが怖がられるというのは慣れ切っているので、大したダメージはない。


 そんな様子を見ていた領主が小さく笑い始める。

 しかしすぐに咳き込み始め、リタンがその背中をさすった。


「……はぁ……。すまないなリタン」

「これくらい大したことないですよ。お話、できそうですか?」

「せねばなるまい」


 のそりと立ち上がったのは、意外と大きな老人だった。

 灰色の髪の毛に長い髭、額から右頬にかけて一本の大きな傷がある人物であり、少し暖かい格好をしている。

 毛皮で拵えられたマントは重そうだが、暖を取るのには打ってつけだった。


 見るからに体調の悪そうな顔をしている。

 深い皺は具合の悪さを更に際立たせているようにも感じられた。

 しかしその目に宿っているのは確かに希望の炎だ。

 老人は手にしている杖に体重をかけながら、アオと面向かって挨拶を交わす。


「ヴォロゾード・ズゥ・キランドルケ。ヴォロと呼んでおくれ」

「エルテナ・ケル・ウィスカーネです。訳あってアオという偽名を使っています。覚えやすいと思うのでアオと呼んでいただけると嬉しいですが、どちらでも構いませよ」

「……今、この場で真面目な話をすることになる。エルテナ君と呼ばせてもらおう」

「分かりました。ヴォロさん」

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