4.6.読まれた動き
バチリ、とロクから小さな静電気が発せられた。
刃天の顔の真横だったのでピリリとした痛みが襲ってきたが、瞬きすらせずに刃天は老人を睨み続ける。
「……なぜ分かった」
「最も近い国は……テレンペス。生き永らえ動くなら、ここしかないと思った。検問を越えた先にある街は数名の仲間が待機しているため、ワシは……念には念を、とここへ」
「皆殺しする必要があったのか?」
「全力を出す必要があるからな……君に」
その言葉を聞いて、刃天は眉を顰めた。
どうやら以前から己のことを知っていたらしい。
いつから知っていたのだろうか。
「何故に己のことを知っている」
「大地は私を味方する。ダネイル王国での冒険者ギルドマスター殺害。森でエディバンと戦い打ち勝ったその手腕……。非常に危険だ」
「……そりゃどうも」
栂松御神に手を置きながら、すり足でゆっくりと抜刀して構えを取る。
この老人……十中八九ドリーという名前だろうが、彼は誰も見ていないはずのエディバンとの戦いを知っていた。
これだけで彼の情報収集能力が高いことがわかる。
これが土魔法なのだろうか。
だとすれば相当な驚異である。
「……貴様、その力……元主には使わなんだのか」
「気付くのが早いな」
「だが……己らの位置は把握していたはず。何故に野放しにしていた」
「手柄がほしいからな」
その回答に刃天は納得した。
この老人の情報収集能力があれば、ゼングラ領での水質汚染問題の真犯人はすぐに発見できたはずだ。
だが告発しなかったということは……既に敵側へ寝返っていたことに他ならない。
敵は彼の力を知っていて一番最初に取り込んだのかもしれないが、なんにせよ裏切り者であることに変わりはないのだ。
手加減は……不要そうである。
今回の相手はエディバンとは違う。
彼は弱みに付け込まれて命令に従いはすれど最後まで忠義を重んじる男であった。
しかし……こいつはもっとも早い段階から裏切っており明確な殺意をありありと感じられる。
手柄を独り占めするためだけに単独でこの場に留まり続け、己らが来るのを待っていた。
動きを完全に読まれている。
旅慣れている老人ということもあり、様々なことを経験してきたのだろう。
そのせいか、彼の気配は陽炎のようにぼんやりとしていた。
刃天であればこの村に入る以前から気配で分かりそうなものだが、そもそも魔法使いの気配は剣士と違って一般人に近い。
肉体から発せられている覇気のような物が薄いのだ。
これは弓兵が人を殺す感覚と、剣士が人を殺す感覚に違いがあるのが原因だろう。
弓兵などの遠距離武器を使用して人間を殺す者は、主に視覚を用いて相手を仕留めたかどうかを判断する。
だが……刀などの近距離武器を手にして人を殺す者は、五感のほとんどを使って相手を仕留めたかを判断するのだ。
手に伝わる肉を斬る感触、鮮血が飛び散り臭いが鼻孔を突き上げ、斬撃音が鈍く耳に届く。
技術、経験、そして覚悟。
やはり近距離武器を得意とする者たちと、遠距離武器を得意とする者たちとではその差は歴然である。
さすがに殺意を向けられれば敵意が在るかどうかくらいは簡単に感じ取れるのではあるが、その時にならないと分からないというのは厄介だった。
(さて、どう仕留めたものか)
栂松御神を丁寧に握り込み、下段に降ろして相手の動きを待つ。
この村を単身で崩壊させる力がある相手だ。
魔法に疎い刃天が先手を打てるとは思えなかった。
とりあえず、もう少し会話を試みることにする。
「貴様、名は」
「ドリーだ」
「随分耳がいいんだな。聞こえにくいと聞いていたんだが」
「よく知っていたな。エルテナから聞いたか。まぁ魔法で補助しているだけに過ぎんよ」
「ほう……?」
刃天は目を細めて今し方の会話を噛み砕く。
名前がドリーであることは予想がついていたが、どうやら彼の情報収集能力をもってしても“会話を盗み聴く”ことはできないらしい。
と、いうことは……ドリーは“視る”ことに特化しているのだろう。
どういったカラクリで情報収集をしているのかは分からないが、攻め手に転じる際に役に立ちそうではあった。
どのように役に立てるかは、分からないが。
すると、肩に乗せていたロクが急に服を握る力を強めた。
この事を疑問に思っていると、刃天は大きな気配を感じ取ってその場を一気に飛び退く。
その一秒後、刃天が元居た場所を縫い付けるかのように細く硬質化した土の針が幾本も飛び出した。
「おいおい待て待て……なんの冗談だ?」
初見殺しもいいところだ。
一本でも突き刺さってしまえばその場から見動きが取れなくなり、瞬く間に串刺しにされてしまう未来しか見えない。
しかし発動速度は遅いようだ。
刃天が気配を感じてすぐに飛び退くことさえできれば、問題なく回避することができるだろう。
「シュイッ」
再びロクが右足の力に籠める。
またか、と思っていると右側から細い気配を感じ取った。
半歩身を引けば一本の土の針が飛び出してきたようだ。
これも危なげなく回避する。
「……ロク。お前俺より気付くのが速ぇな」
「シュイッ!」
「流石悪意を感じ取れるだけのことはある。んじゃ、任せるぜ。しっかり掴まってろ」
栂松御神を片手に持った刃天は、一度空を斬ってからドリーに向かって猛進した。
その瞬間、ロクは前脚に力を入れる。
この意味を瞬時に理解した刃天は右側に飛び退いて隆起した土の壁を回避し、走る速度を緩めることなく前進する。
「ぬ!」
ようやく目を瞠ったドリーは手を地面に向けて大地を操る。
連続して土の針を繰り出していくが、どうしたことか一切当たる様子はなく、なんなら掠る気配もなかった。
様子見で簡単な魔法を使ってみたが、やはりこれだけでは勝てないらしい。
「そうでなくては」
美しいステッキで地面を叩く。
それと同時に刃天の動きが止まった。
(これも見破るか!)
ドリーは大地に罠を張った。
敵がこれを見破るためには同じく土魔法を得意とした魔法使いの存在が必須なのだ。
魔力で支配下に置いた地面に足が触れれば、対象を飲み込む落とし穴式の罠。
刃天の十歩先にこの魔法が張られているのだが……彼はそれが見えているのか、見事に迂回してこちらに接近してくる。
こちらの攻撃が読まれている。
小細工は効かないことが分かった今、やはり全力をぶつけるしかないらしい。
幸い、標的とその護衛は未だに後方で待機している様だ。
気分の悪くなっているエルテナの背をさすり続けているチャリーの姿がよく分かる。
ドリーの魔法は、魔力の届く範囲であればどの様な場所でも視ることができる。
正確には感じ取ることができるものだ。
条件としてその対象が地面に足を付いている必要があるが……空を飛ぶような人間などいない。
これで刃天がダネイル王国でやらかしたことも把握したし、エディバンとの戦いを制したということも把握していた。
無論……ゼングラ領で起こっていた事件の真相も、最初から気づいていた。
だが元領主、ディセント・ケル・ウィスカーネはドリーを頼らなかった。
なぜなら、ドリーはこの力を誰一人として教えていないのだから。
(忌々しい力だ……)
ドリーは胸の内で本心を零す。
これだけの強い力を欲さない者はいない。
過去に旅をし続けたのは、この強大すぎる索敵魔法が大きな原因だった。
だから秘匿し続け、ウィスカーネ家に仕えることになった時も隠し続けた。
ウィスカーネ家はドリーが今まで欲し続けていた定住の地を与えてくれた張本人だ。
恩がないわけではない。
むしろ恩しかない相手であり、数年の生活は本当に豊かで初めてな事ばかりで新鮮だった。
歳を取ると時の進みが速くなるというが、それは新しいことが発生しないから、と言われている。
旅をしながらどこかでくたばるのだろう、と勝手に考えていたドリーだったが、ウィスカーネ家のお陰で余生を過ごす月日は本当にとても緩やかだったように思う。
本来であればあの戦いの中に参戦すべきだった。
だが……あの男は何故か知っていた。
ヴェラルド・マドローラは……ドリーの強大すぎる索敵魔法を知っていたのだ。
これを弱みに、ドリーは従う外なくなった。
ようやく手に入れた定住の土地……。
さらに力を隠していたとなれば、ウィスカーネ家からの信頼も墜落してしまうのではないか、とその日から怯えて生活することになった。
だが……力を隠していたことは事実。
これは言い逃れができない真実だ。
ウィスカーネ家の者とすれ違う時『言わなければ』、『伝えなければ』と何度胸の内で呟いたか分からない。
しかしその度に震え、言葉を発することはできなかった。
この力が露見すればまた追われる日々に逆戻りだ。
長旅はもうしたくない。
このゼングラ領から離れずにいる方法は……マドローラ家の悪事を黙って見ているしかなかった。
(……私は自分が可愛かったのだ。頼む異人よ。私を殺せ……!)
ステッキを持ち上げたドリーの手の甲に、目玉を模した刻印が見えた。
これは契約魔法の刻印であり、目的を達成するまで監視されるものだ。
今ここで戦わなければ……ゼングラ領にいる使用人たちがどうなるか分かったものではない。
(こんなことになるならば……追われる身に落ちた方がましだった……)
持ち上げたステッキを振り下ろし、地面に突き刺す。
大地が大きく揺れるが刃天はそのまま接近し続ける。
この揺れの中で戦えるのか、と目を瞠って感心したドリーだったが、すぐに顔を引き締めて魔法を発動する。
最後に会話をすることは許されるだろうか。
そんな淡い期待を抱きながら。
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