4.4.Side-地伝-思案
杓子が空を切って沙汰を下す。
亡者に鋭く向けられた杓子は髪の毛を揺らす程度の風を引き起こし、沙汰を受けた亡者は目を瞠って絶望の表情を露わにした。
この者は地獄行き。
八寒地獄へと落とされることが決定した。
鬼に連れていかれる亡者を見ながら、地伝は書物に亡者の罪を記していく。
それが終わると巻物を巻き上げて盆に置いた。
ようやく一仕事終えた、と閻魔は肩を回して息を吐く。
大きな体躯を揺らして立ち上がり地伝を見た。
「なにか問題は?」
「特にありませぬ。明日はもうしばし数が増えそうではありますが……」
「そうか……。ならいい。して、亡者刃天はどうしている」
その問いに地伝は筆を止める。
様々な疑念を抱えている今、閻魔にすべて聞いてみようかとも思った。
だが疑念が一つとして明確になっていない今大きく踏み込むのは時期尚早だ。
筆をコトリと置き、向きなおる。
「幾度か死に戻りをしておりますが、特には。今も尚罪を償っている最中でございますな」
「そうか。いつまで耐えられるか楽しみだな」
閻魔の言葉に眉を顰めたが、ここで口を開くようなことはしない。
目を反らして筆を手に取り本日最後の仕事を終わらせてしまう。
この間に閻魔は沙汰の間から立ち去った様だ。
それを確認した後緒、地伝はいつものように沙汰の間を箒で掃きはじめた。
ある程度掃き掃除を終わらせたあと、茣蓙を敷いて座る場所を作ってから粗茶を入れてぐいと飲む。
酷い苦みが舌を縮こませたが地伝は眉を顰めることもせずにこれをゆったり味わう。
舌の中で転がせばさらに鋭い苦みが口の中を支配した。
「……ふぅ……。さて……思案するか」
本日の業務を全て終わらせた今、地伝は胡坐をかいていつもの席に座った。
刃天が死んでこの場に出現する際、最も早く対面できる位置である。
地伝は刃天と夢の中で話をした日から、業務を終えるとこうして今までのことを頭の中で整理していた。
今の段階では考えを巡らせても答えに辿り着くことはできないと分かってはいるのだが、考えずにはいられないのである。
なにか見落としているのではないか、早く気付かなければならないのではないか。
そうした焦りが地伝を急かしていた。
まず、地伝は大きな疑念を頭の中で作り出す。
一つ、幸喰らい。
一つ、刃天がいる世の神々の思惑。
大きく分けてこの二つだが、これらはいくら考えてもいいほどに謎が詰まっている。
幸喰らい……。
地伝が知っているのは決まり事を破ると幸が大幅に減り、数多くの道……つまり未来が出現しなくなる他、大きな不幸が訪れるというものだ。
刃天で例えるならば、決まり事とは“不殺”であり、人を手に掛けるとその幸が大きく下がる。
だが刃天は二度も人を殺しているのにも拘らず、幸は減っていない。
エディバンという死人を切った時が一回。
そして、ダネイルの国にいる冒険者ギルドマスターを切った時が一回だ。
死人を切って幸が減らない、ということであれば納得はできる。
だが生きている人間を切ったのに幸が減らないとなれば首を傾げることになるだろう。
『幸喰らい』は審判の力を有している。
閻魔でも知らないこの沙汰の本当の力……。
だがその審判の判定が未だに曖昧だ。
詳しく調べるために地伝は刃天を使っているのではあるが……これをすべて把握するためには刃天が人を手に掛ける必要がある。
これに関しては案外早いタイミングで結果が出るのでは、と地伝は思っていた。
なにせ、刃天は人を殺してはならぬという沙汰を下されても、気にはするが禁じることはしていないからだ。
もし『幸喰らい』が発動したらどうなるのかも気になる。
気の毒ではあるが、刃天は亡者だ。
どれだけ辛い目にあったとしても獄卒である地伝が手をさしのべることはない。
だが……刃天は勘づいているはずだ。
地伝が今懸念している事柄について……。
それは『神々の思惑』。
刃天もさすがにここまで辿り着いてはいないだろうが、地伝の台詞から多くを読み取り、なにかに監視されていることくらいは把握しているだろう。
だが……刃天は別に監視されているわけではない。
異なる世の神がこの地獄に顔を出すことはできないはずなのだ。
ではどこで……?
それは地伝が刃天に干渉したとき。
つまり夢の中で会話をすると、向こうの神々に地伝が介入してきたことがばれてしまう。
話をした内容までは分からないようなので、恐らく“把握”できるだけだ。
この干渉を神々はひどく嫌うらしい。
その理由が、わからないのだ。
(神々は亡者刃天を世に居座ることを許した。代わりに大きな難題に直面させる出会いに遭遇させられ、三つの内最も過酷な道を選んだ……)
今思い返しても、ここがよくわからない。
交換条件としては……譲歩され過ぎているように感じるのだ。
(何か、利用されようとしている……。だが、何に? ふうむ……)
ここまで来て思い出すのは、三つの道だ。
一つ、『商い人の荷馬車』。
一つ、『水の子を狙う女二人組』。
一つ、『水の子と老人』。
だがこの内の二つは既に収束していた。
アオを狙う女暗殺者二人は緑の小鬼に永遠に弄ばれている。
水のことはアオのことで、老人は既に死んでおり道は既に示された。
残されているのは一つのみ。
この『商い人の荷馬車』は、邪な輩と結託しており、その輩共が計画を進めていくと神々が維持している世の人間を大量に虐殺するという大きな戦争が待っている。
これは他ならぬ神々から聞いた話だ。
未来視など彼らにとっては簡単な物なのだろうが、それらを阻止するために他の世の人間を使うだろうか。
(……私に一を知って十を知る力はない。刃天なら……何とかなるだろうか)
他の獄卒に話をする訳にもいかないのだ。
まっこと不甲斐ない話ではあるが、相談できる相手は刃天しかいない。
「……待つほかあるまいか」
これ以上夢の中に入り込むのは危険だとして、刃天に何度呼びかけられても無視を続けた。
目を付けられている。
それだけで相手の警戒心は大きくなるという物。
それだけ、邪魔されたくないということでもあるが。
「クク、楽しゅうなってきおったな」
恐らく、いや十中八九この謎を追い続ければ己の身に危険が及ぶ。
しかし細い糸程度の関係性を有してしまったこの地獄と向こうの世。
これを手掛かりにして相手が何かをしようとしているのは明白であり、こちらにはそれが何か教えられていないことも事実。
要するに、信用できない。
こちらが止められなくなる前に、相手の計画の全てを探り出してやろう、と地伝は悪い顔をする。
はた、と己の顔が鬼らしくなってしまったことに気付き、片手で顔を覆って撫でた。
沙汰の間でこの表情は避けたい。
だがこれから謎を解く楽しさに心を躍らせ、地伝は小さく口角を上げたまま茶をすする。
茶柱が、湯呑の底から浮かび上がった。
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