4.3.越境


 強い風をやり過ごすために一泊した村から出立し、既に十日が経った。

 毎晩眠る時に地伝と会話をしようと試みたが……どうしたことかあれから一度も会話をすることができずもやもやとしている。

 どうやらあちらの同意がなければ声を聴くことは不可能の様だ。

 こうなると一度死んで直に聞きに行くしかないのだが……無暗に死ぬのは御免である。


 だが十日も経てばチャリーは無事に歩けるようになっており、今は自分の足で地に立っていた。

 改めて魔法とは大したものだと感心する。

 治癒速度が尋常ではないのだから。


 とはいえ流石に万全ではないらしく、以前のように素早く動いたりすることができないのだとか。

 これはしばらく動けなかったことが原因で鈍っているだけだろう。

 ゆっくりではあるがチャリーは体を鍛え直しているので、しばらくすれば戦力として数えられるほどになるはずだ。

 それまではまだ無茶をさせることはできないのではあるが。


「んで? あとどれくらいだ」

「もう少しでダネイルの領地から抜けるはずですよ。この辺りは検問とかもなかったはずなので容易にテレンペス王国の領地に入ることができます。馬車を使う場合は検問を通る必要がありますがね」


 木の枝にぶら下がりながら上体を上げ下げして鍛錬しているチャリーが簡単にそう教えてくれた。

 街道を使う場合は検問を通る必要が必ず発生するのだが、普通に徒歩で移動する場合は検問を無視できる。

 ザルもいいところではあるが、広大な領地を全て監視するというのは到底無理な話だ。

 目立った侵攻を確認するくらいしかできないのが現状だろう。


 刃天たち一行はその検問を無視するために森の中をひたすら進んでいた。

 ドリーが何処かで待ち伏せしているということは地伝から聞いて知っていたが、どうして知っているのかと聞かれると面倒だし説明もできそうにないのでこの二人には教えていない。

 それに、はち遭う可能性は限りなく低いだろう。


 ある程度行動ルートを把握できたとしても、たった一人の人間が広範囲のルートを把握できるはずがない。

 それに、刃天が気配を辿っても特に気になるような存在はいなかった。

 せいぜい鹿やら熊やらといったある程度図体のデカい獣のみである。


 刃天はふとアオが抱えているロクを見やった。

 ロクはキョロキョロと周囲を見渡しているが、特に強い反応を示してはいない。

 敵意をこちらに向けている存在はやはり近くにはいない様だ。


「んじゃ、そろそろ動くか」

「そうです……ねっ!」


 チャリーが木の枝から飛び降りて綺麗に着地する。

 肩を回して軽く体を動かし、調子を確認して満足そうに頷いた。

 どうやら刃天が案じる必要もないほど本調子に戻ってきている様だ。


「アオ様~! いきますよ~!」

「うん!」

「その呼び方も慣れてきたか」

「さすがに慣れないとマズいですからねぇ……」


 照れくさそうに頬を掻きながら苦笑いを浮かべる。

 五日間ほどはエルテナ呼びがまったく離れなかったが、アオにダネイルの領地から離れる前に呼び方を定着させてほしいとお願いされてからは、意識してアオという名前を使うようになった。

 数年間続けていたエルテナ呼びを変えるのは非常に苦労しただろうが、なんとか様になり始めている。

 まだふとした拍子に本名が飛び出す時はあるが……これも続けていれば定着することだろう。


 出立の準備を簡単に整え、一行は森の中を再び歩き始めた。

 周囲の気配に気を配りつつ前進し、小川やら洞窟やらを素通りして起伏のある道を歩いていく。

 小休憩を挟みつつ数時間森の中を移動すれば、いつの間にかテレンペス王国の領地に侵入していた。

 

 しかし目に見えて周囲の風景が変わることはない。

 三人は暫く越境したことに気付かずそのまま森の中を進み続け、ふと発見した街道を目にしてようやくダネイルの領地から脱したことを理解した。

 いち早くアオがそれを発見し、指をさす。


「あ! 街道!」

「あら、いつの間にかテレンペスの領地に入ったみたいですね。とりあえず一安心……でしょうか?」

「一先ずは、な。追っ手もそう簡単には接触できないはずだ。まぁ、例外はあるやもしれんが」

「なんにせよ目的の一つは達成しました。長旅でしたし、どこかの村で一泊したいですね。それから今後のことを考えましょう」

「まぁそうだな。時間はある」


 ここからはゆっくり考えていけばいい。

 どうやってお家復興をするかは……この世なりのやり方があるはずだ。

 刃天はそれを知らないので、ここはアオとチャリーに任せる方がいいだろう。

 己は暫くの間、世を理解するために二人の動きに合わせた方がいい。


 一行はそのまま歩き進め、暫くしたところで歩きやすい街道に出た。

 獣道を歩き続けていたからか、舗装された道はいつもより歩きやすいと感じられる。


 この辺りはダネイルの領地から訪れた旅人や行商人のために、宿泊施設などが多く揃えてある街が近くにあるとのこと。

 確かに長旅の疲れを癒すにはよい場所だ。

 だが……刃天は話を聞いて足を止める。


「……もう一つ隣の村はあるか?」

「え? ……あー、はい。ここから二日ほど馬車で向かった所に小さな農村があります」

「ではそこまで行こう」

「「えっ!?」」

「シュイ」


 刃天の提案に、ロクだけが強く肯定した。

 アオとチャリーはその意図が読み取れないらしく、目を見張ってただ驚いている。


「な、なんで?」

「経験の差が出たな。いいか? 敵はなにもダネイルの領地だけでお前を探している訳じゃねぇ。先を見越して越境することも考えているかもしれん。それだけの時間は多くあったからな」

「つ、つまり先回りをした敵は私たちが入るであろう街で待ち構えている……ということですか?」

「まぁ可能性の話だがな。とはいえ、用心するに越したことはない」


 そう言い、刃天は再び森の方へと足を向けた。

 二人も顔を見合わせてから頷き合い、刃天のあとを追いかける。


 追っ手もまさか一つの街をすっ飛ばして隣の村に赴くとは思わないだろう。

 これで完全に追っ手を撒くことができるはずだ。


 さて、隣の村までは馬車で二日ほど移動した先にあると聞いた。

 だが今回、一行は馬車を使っていないので移動は完全に徒歩になってしまう。

 チャリーに確認してみると徒歩だと四日見積もっておいた方がいいとのことだった。

 街道ではなく森の中を進むのだから、確かに倍程度の時間がかかると考えておいていいだろう。


 しかし、ようやく休めると思っていたアオは少し疲れの色が顔に表れていた。

 それに気づいたチャリーが心配そうに顔を覗き込む。


「アオ様、大丈夫ですか……?」

「うん……。でもロクを持ってくれる……?」

「ええ、喜んで」


 丁寧に六足の兎を受け取ったチャリーは、ロクを肩に乗せる。

 器用に足を使って服を掴み、振り落とされないようにしてくれているようだ。


「シュイ」

「では、行きましょうか」


 アオは一つ頷き、ようやく森の方へと足を向けた。

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