3.12.さらば、ダネイルの土地よ


 刃天のその言葉に、チャリーは頷いた。

 だがアオは驚いた様子でこちらを見る。


「な、なんで? まだ仲間がいるかもしれないのに……」

「その仲間にどれだけ裏切り者がいるか分からないんだぞ? それに、エディバンはダネイルの国で一夜を過ごした。そうだな?」

「ええ、その通りよ……」


 刺客は今も尚、己らの命を狙おうと探し回っているはずだ。

 仲間だと思っていた人物が裏切ったことで、これから出会う者たち全員を疑ってかからなければならなくなった。

 もう少しすればアオの故郷であるゼングラ領にも知らせが届くはず。

 生きている、と分かった時点で刺客を更に放って来ることは目に見えていた。


 更に、エディバンはアオが生きていると知っていた状態でダネイル王国で一夜を過ごしたのだ。

 この時間は情報を共有するにあたって十分すぎる時間であり、チャリーがこの場を教えていなくとも追跡されていた可能性がある。

 もしかすれば魔法で探知されているかもしれないし、エディバンが道中に目印として何か残しているかもしれない。


 更に更に、刃天はダネイル王国から絶賛指名手配中。

 冒険者や騎士団がいつ動き出してもおかしくない状況である。


 今この現状、己らはどうしたって移動しなければならない立場にあった。

 この場からすぐにでも移動して追っ手から逃げることを優先した方がいい。


「……今僕を探してる人たちは見捨てるって事?」

「再起を望むなら、別の国に行って何かしら功績を立て、いつしか来る戦の為に力を貯えるべきだ。己らに力が戻った時は名も知れているだろうし、なにより元居た者たちが戻って来る可能性は格段に上がる。……いいかアオ、よく聞け」


 腕組をしたまま空を仰ぐ。

 刃天はいつしか鷹匠から聞いた台詞をそのまま口にする。


「“他人に合わせて己の道を曲げる必要はない”。お前を探してる奴らに合わせてそいつらを拾おうとするな。アオ、お前がやりたいことをまずは成せ。そのために歩け。さすれば自ずと仲間は集うものだ」


 刃天も鷹匠に合わせて過ごそうとしてきた時がある。

 だが彼からしてみれば、それは鬱陶しかったのかもしれない。

 そんな時にこんな言葉を投げられたものだから、一時はどうしたものかと頭を悩ませたが、結局刃天は鷹を飼いならすことを止めて刀を握った。


 この言葉には何度か救われたことがある。

 多くの仲間が後ろを付いて来るようになった時『ついて来られる者だけついて来い』と堂々と口にする事もできた。

 集まった仲間を失うことを覚悟していたが、結局彼らは誰一人欠けることなく刃天の後ろにいたような気がする。


 人に合わせてしまったら、それは己の本当の意志ではない。

 長たるもの、長になる者たるもの、己の決定を間違っていると思ってはいけないし、疑ってもいけないのだ。

 それについて来られぬ仲間など不要。


「お前は長になる男だろう。背を伸ばせ、前を向け。合わせ従うのは、己らで充分」


 視線を空からアオへと向けてみれば、ようやく引き締まった顔をする様になっていた。

 どうやら覚悟は決まったらしい。


「ほれ、貴様の主は顔を上げたぞ。そろそろ起き上がったらどうだ小娘」

「だーーーーれが小娘だ! もうれっきとしたッ!? いーだだだだだだだ!!」

「ハッ、痛みに慣れろ。しらたばもう少しましになるだろう」

「キー!」


 勝手に動いて体を痛めている奴は放っておいて、刃天は息を吐く。

 大方治療が終わったようなのでチャリーを片手で掴んで持ち上げ、肩に担ぐ。

 この間も相当激痛に見舞われていたようだが、この女にはこれくらいが丁度いいだろう。


 さて、向かうべき先はどこがいいだろうか。

 アオに視線だけで問うてみれば、西の方角を指さした。


「ダネイル王国から西にずっといくと、テレンペス王国に行ける」

「また妙な名前だな。したらば向かうとしようか。ああ、そうだ……。ロク、お前もこい」


 そう言って刃天は偽兎を見た。

 最初は誰に向かって言っているのか分からず首を傾げていたが、視線に気づいて偽兎は大きく跳ね上がる。

 これにはアオも喜んだ。


「いいの!?」

「ああ。こいつ、敵意を感じ取れるいい奴だ。世話は任せるぞ」

「やった!! ……あれ? ロクって……?」

「名だよ」


 それだけ告げて、刃天は西へ向かって歩き出す。

 アオとロクはしばらく見つめ合っていたが、アオが抱きかかえてくすくす笑う。


「んじゃ行こ! ロク!」

「シュイ!」


 元気よく鳴いたロクの声を聴いて、アオは刃天の後を追ったのだった。



 ◆



「……死人を斬っても幸は減らぬ、か」


 地獄の粗茶を飲みながら、地伝はそう呟いた。

 ある程度予想していた結果ではあったがこうして確信となったのは大きい。

 刃天に下された沙汰である『幸喰らい』の力を理解するにはもう少し根気が必要になりそうだ。


 とはいえ『幸喰らい』という沙汰を下されていることを知っているはずの刃天だが、迷いなく刃を振るうのは流石というべきか。

 戦闘に一切の迷いを持ち込んでいない。

 これが彼の強い要因の一つなのだな、と地伝は少しばかり感心する。


 水晶を手に取って布で磨き上げ、そっと元に戻す。

 刃天に助言を施した地伝ではあったが、やはりあの行為は異なる世の神々からすれば警戒に当たる行為らしい。

 全く、無知な者に対して容赦がないことだ。

 今回は与えた情報も比較的少なかったことが幸いしてお咎めなしのようだが、次は何か手を打ってくるかもしれない。

 もう少し別の策を考えねばならなさそうだ。


 次に刃天が死んだ時にでもこの事は共有しておくべきだろう。

 夢の中で伝えられることも無くなってしまいそうだが……身内の安否くらいは教えられる筈だ。


「……ふうむ……。妙だ。やはり妙だ」


 湯呑を爪で叩いて音を出す。

 刃天を異なる世に投げた一件。

 確かに非はこちらにあるが、向こうの神々はこれを利用しようとしているのではないだろうか。

 今のところ核心となる根拠は一切持ち合わせていないが、地伝の勘がそう訴えかけてくるのだ。


 まず、刃天をこちらに投げ返さなかったこと。

 事前説明をしろと地伝が叱られた時、罰も縛りも何もなかったこと。

 邪な連中がいるのは知っているが……。


「……本当にこれに対処するつもりなのか?」


 まだよく分からない。

 だがこれを直接聞きに行くことはおろか、噂すらも流れてこないので何もできないもどかしさがある。

 すべては推測の域を出ない。

 もしかしたらもっと大きなことが起こっているかもしれないのだが……。


「刃天を見ているしかないか」


 地伝ができる事と言えば、今のところこれくらいしかない。

 一つため息をつきながら茶をすする。

 地獄の粗茶をコトリと置くと、立っていた茶柱が静かに沈んでいった。

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