3.11.最後の水魔法


 アオは妙に乾いた周辺の空気に違和感を感じていた。

 恐らくエディバンが戦闘に使用するため、ここに来る道中で周囲の水分をかき集めていたのが原因だろう。

 それが分かっていたから、アオは対処することができた。


 刃天が戦闘に参入して来てから、アオは周囲の水を全て自分の支配下に置くように調整していたのだ。

 そして最後にはエディバンが使っている水も全てその手中に収めた。

 このような芸当は特別な水魔法を所持しているのが大前提で、更に魔力についてよく理解している必要がある。

 アオはその条件をクリアしていたので、時間はかかってしまったが水魔法は自分だけしか使えないように制限を施したのだ。


 元素は自然の力を頼りにしなければならず、元素が操れなければ魔法は使用不可能。

 水魔法限定の強すぎる強引な対処方法だ。

 しかし、これで刃天は動きやすくなる。


 肉薄した刃天は振り上げた栂松御神を渾身の力と今まで培ってきた技術全てをつぎ込んで振り下ろした。

 空を斬る音が鮮明に聞こえ、エディバンの左肘から先が宙を舞う。

 弧を描きながらまき散らされる血液。

 エディバンは激痛に顔を歪めたが、すぐに睨みを利かせて杖を振る。


「ッ……!!? ッ! ブラッド……ナイフ!」

「ん!?」


 飛び散った血がナイフに姿を変えた。

 それが三本飛んできて、刃天を掠める。


 エディバンの肉体から流れ出る血液は止まり、流れ出た血液は自我を持ったように持ち上がって肉体へと近づいていく。

 彼は激痛に顔を歪ませたまま、杖を自分に当てた。


「……血の傀儡」


 両断された傷を中心に体の半身を血が覆い、鎧の様な姿へと変わっていった。

 この時鎧を形成した血は流れ出たものだけでは足りなかったらしい。

 傷口から更に血が出て完全に血の鎧を体に纏った。


 剣をも血で形成し、失った腕にも血の鎧だけが作られている。

 液体であるはずなのに金属のような音を立てながら動き、こちらにゆっくりと視線を向けて握っている剣の切っ先を向けた。


「……おいおい待て待て。……死んでねぇか?」


 明らかに人間が流していい血の量を越えている。

 四百人以上人を斬って殺し続けてきた刃天だから分かることだ。

 もう肉体は、死んでいるのではないだろうか。


「アオ! ありゃなんともならんか!」

「む、無理……! 自分を犠牲にする魔法なんて……!」

「ハッ! んじゃ……やるしかねぇか」


 刃天も血の鎧に栂松御神を向けて敵対する。

 敵意を感じ取ったのか、血の鎧は低くかがんで剣を背負い、こちらに引っ張られるようにして突っ込んできた。


 剣を肩に担いでからの斬撃。

 間合いを潰す必要はあるが柄を肉体の近くで振り下ろすとなれば、火力は高くなり一気に押し込まれる可能性があった。

 そのためこの一撃は躱す。


 右足を一歩引いて左足を軸にし、半回転してその攻撃を見事に躱した。

 やはりというべきか繰り出した一撃は重く、地面を簡単に抉り取ってしまう。

 一時的に背後を取った刃天だったがここで攻撃をすることはなく一度低く伏せる。

 血の鎧は攻撃を回避され、尚且つ後ろに回られて視界から外れたことで焦っていた。

 振り向きざまに大きく水平切りを繰り出して後退したが、その攻撃は刃天の頭上を通り過ぎる。


「片手でその武器を扱うのは苦労しそうだな?」


 しゃがんだ状態から膝を伸ばして飛び掛かった刃天は手始めに血の鎧の硬度を確認するため愚直に切りかかった。

 片手で剣を振り回したこともあって防御が遅れてしまった血の鎧はそのまま攻撃を喰らってしまう。


 ガチンッと大きな音を立てたが、刃天の攻撃はやはり通用していなかった。

 血とはいえ魔法か何かで硬くなってしまっている様だ。

 ともなれば隙間を狙って攻撃をするしかない。


「刃天伏せて!」

「応」


 アオの声が聞こえた瞬間、足を大きく広げて地面を手に突き、胸を地面すれすれまで下ろして耐久する。

 一見寝そべっている様にも見えるが、すぐに起き上がれる態勢だ。


 刃天の上を、水の塊が通過する。

 金属の甲高い音を立てながら血の鎧は吹き飛んでいき、地面を転がってから立ち上がった。

 血の鎧を殴り飛ばした水の塊はアオの下へと素早く戻って来る。

 刃天は立ち上がって顎をさすった。


「ほぉ、打撃の方がよさそうだな」

「僕ならいける!」

「よしよし、であらば隙は作ってやろう。間違っても俺ごと殴るなよ?」

「頑張る……」


 いつの間にか真横に来たアオと簡単に会話をした後、刃天は間髪入れずに走り出して接近した。

 剣を持ち直して立ち上がった血の鎧も、同じように走り出す。


 両者接近したと同時に剣を振り下ろし、鍔ぜり合いへと持ち込む。

 この一瞬の隙を見逃さず、刃天の足元から作り出した水の塊を血の鎧の顔面に直撃させて大きく仰け反らせた。


「ええぞアオ!」

「うん!」


 そこから刃天が連撃を繰り出す。

 主に狙うのは頭部であり、鎧をしていたとしても刀で殴られれば怯み続ける。

 しかし相手は鎧だ。

 三連撃目まで見事に頭部を攻撃できたが、四連撃目は腕の鎧で攻撃そのものを防がれた。


「まぁそうだよな」


 血の鎧が足を上げた。

 刃天を蹴り飛ばそうとした刹那、真横から水の塊が飛び込んできて吹き飛ばされる。


「ええぞええぞぉ!」

「──!」


 刃天は短剣を取り出す。

 血の鎧が吹き飛ばされた方へと走って行くと、その横から水の塊が追従してくれた。


 先に水の塊が血の鎧にのしかかる。

 アオはすぐに魔力を込めて水を硬質化させ、地面に張り付かせた。

 しかし血の鎧は思った以上に力が強く、アオの力ではいつしか根負けしてしまいそうだ。


「んぐぐぐぐ……! 刃天……はやくぅ……!」

「任せな」


 血の鎧に近づいて刃天は、短剣で頭部を守る鎧の目にそれを突き刺す。

 短剣の柄を頭の方へグイと押し込むと、自然と相手の顎が持ち上がって首が見える。


「ハッ、真っ白じゃねぇか。じゃあな死人よ。しっかり眠れ」


 右手に持った栂松御神の切っ先を、隙間の空いた首に差し込む。

 明らかに肉質ある物を貫いた感覚を感じ取り、強引に引っ張って肉を斬り、最後に頭部を蹴り飛ばして転がした。

 ガランガランと音を立てながら転がっていき、ようやく止まったところで鎧が溶けていく。

 本来の血液に戻ったようで、真っ赤な液体が死体を濡らし、血の海が地面に広がった。


 首を斬ってしまったということも勿論あるが、やはりエディバンは既に死んでいただろう。

 刃天があの時見た首の色には生気が宿っていなかった。

 これは死人を斬ったことになるので幸喰らいは発動しないのだろうか?

 体には特に変わったこともないし、考えても分からないので刃天は早々に思考を放棄した。


 エディバンを拘束していた水が消えていく。

 どうやらアオが魔法を解いたらしい。

 そちらを見てみればゆっくりとこちらに歩いてきている姿が見て取れた。

 偽兎も一緒に近づいてきたようだ。


「……エディバン……なんで……」

「さぁーな。だが、こいつが言っていた事が全てなんじゃねぇか?」


 裏切った人間に同情する必要などない。

 刃天は素っ気なくそう言い切って栂松御神に付着した血を拭い、納刀した。


「そういえばチャリーはどうした」

「あ!」


 エディバンに魔法で攻撃されてから姿を見ていない。

 アオはすぐにチャリーを探しに走って行くと、偽兎もそれについていった。

 その間に刃天は骸漁りをする事にする。


 体中が血だらけだが貴重な物資を持っている可能性は充分にある。

 それに敵側に寝返ったのであれば何かしら情報を持っている可能性もあった。

 服の内ポケットやバッグなどを入念に調べていけば、色とりどりの液体や紙切れ、魔法袋などが見つかった。

 物資については後でアオに選別してもらう事にする。


「ん?」


 やけに綺麗に保管されている木箱があった。

 何重にも巻かれている紐をほどき、蓋を空けてみると手紙のような物が入っている。

 気になって開いてみるが、やはり読むことはできなかった。

 しかし何かしらの秘密文書である可能性はある。

 蓋をして簡単に紐を巻き、アオが走って行った方へと足を進めた。


 気配を辿ってみればすぐに発見できた。

 アオが懸命に回復させているらしいが、チャリーは目を開けて笑っている。

 痛みより安堵の方が大きいのだろう。


「おう、無事か」

「ど、ども……。そっちこそ無事だったんですね……」

「あんま喋んな。傷に触るぞ」


 それを聞いてチャリーは苦笑いを浮かべる。

 本人は気付いていないだろうが、はたから見ればかなりの重傷だ。

 足の骨が折れており、更に骨が飛び出してしまっている。

 腹部は真っ赤に染まっており、内臓と骨に大きなダメージが入っているのは一目瞭然だ。

 よく己らがエディバンを仕留める間生きていたな、と感心してしまう程である。


 さて、骨が飛び出したままでは始末が悪い。

 刃天はしゃがみ込んで未だに開いている傷口を目がけて骨を押し込んだ。


「歯ぁ食い縛れ」

「ンッ……!? ぐうぅうぅうう……!!」

「よしよし、上出来だ。どうだアオ。治りそうか?」

「何とかする……!」


 アオは『回復水』を幾つも作り出し、それをチャリーに触れさせた。

 大怪我になると一瞬で治癒することはできないらしいが、刃天が骸漁りをしている間に腹部の出血へ止めたらしい。

 足に関しては刃天が来るまで出血とこれ以上傷が広がるのを止めていただけだったようだ。


 とはいえ『回復水』での回復も限界があるらしい。

 傷を塞ぐことはできるが完治させるには自然治癒も必要なのだとか。

 やはり便利すぎる魔法という物はない様だ。


「傷は塞げる……歩けるようになるのは時間かかるかも……」

「そ、その歳で……回復魔法を、使える事の方が凄いですよ……」


 そりゃそうだ、と刃天もそれに同感した。

 そもそも元居た世にはなかった力なのだから、そう思うのは無理のないことかもしれないが。


「……ん? おいアオ、なんで傷を癒せるのにヴィルソンだったか? あの男を癒さなんだ?」

「あ、ああ……。あの時は……僕、魔法を封じられてたんだ。それこそヴィルソンに」

「へぇ?」

「国を潤せる力がある水魔法使いにはバレちゃうんだよね……。だからゼングラ領から遠く離れるまでは封印されてたの。逃げるために」

「ふうん。そうなのか」


 だがまぁ……なんにせよ三人生き残っただけで御の字としよう。

 しかしこうなってくると……もう、進まなければならない。

 刃天はその場に胡坐をかいて座り、頬杖をつく。


「隣国、行くか」

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