1.8.夜襲


 目が覚めた。

 周囲は未だに暗く、朝日は昇っていない。

 音を立てないように静かに起き上がり、愛刀である栂松御神を手に取った。


 なにかが近づいて来ている。

 森の中で長い年月を過ごしている内に、刃天は鋭い野生の勘を手に入れることができた。

 油断していても、寝ていても、敵の襲来は森の空気が教えてくれる。

 そのおかげで奇襲には無縁となっていたのだが、ここでもこれが発揮されるとは思っていなかった。


 アオを見てみると、ローブを枕にして眠っているらしい。

 しかし少し寒いのかもそもそと体を丸めていた。

 子供なのだから風を引いたら面倒だと思い、刃天は羽織をそっと被せて立ち上がる。


(……この感じ、人間か?)


 数は二人程度だろうか。

 群れで動くゴブリンとは違うだろうし、大きなゴブリンほどの強い気配も纏っていない。

 どちらかというと可能な限り気配を消して移動してきているように思う。

 このままやり過ごすのが一番なのだが、どうにも彼らはまっすぐこちらに向かってきている様だ。


 この世の来てから早々面倒ごとに首を突っ込みそうな気がする。

 こちとら人を殺せないのだ。

 いや、実際殺せないわけではないのだが殺してしまうと幸が減ってしまう。

 多くの道を残すために人間の殺傷はしたくないのだが……。


「……二人くらい、問題ないか?」


 そもそも一人殺すとどれ程の幸が減るのか分からない。

 不運が続く可能性もあるのだが、ここで一つ試しておこうと舌なめずりをした。

 駄目だ、と分かっていたやってしまうこの背徳感。

 刃天はこの感覚がたまらなく好きだった。


 覚悟を決めたならば速戦即決。

 一つ試してみようではないか、と栂松御神の鯉口を切った。

 可能であれば一人生け捕りにしてこの世について詳しく尋問したいものだ。


「さて」


 森の空気が敵の居場所を教えてくれた。

 彼らは既に目視できる範囲まで接近しているらしく、疾走する足音も聞き取ることができた。

 足元にあった小石を拾い上げ、まずは挨拶代わりにそれを投擲する。


 夜に行動をしているということは忍びの類なのだろう。

 さすがというべきか、殺気を感じて咄嗟に伏せたらしい。

 背後にあった大木にカツンッと小石がぶつかった。


「ッ!」

「おお? やっぱ人間か」

「……!」


 口を開かず突っ込んでくる様は、やはり忍びだ。

 しかし世が違うということもあってその姿は見慣れないものだった。

 顔を隠していることに変わりはないのだが、大きなローブで体を隠しており、少しばかりの防具を身に着けている様だ。

 あれは動物か何かの革で作った鎧だろうか?

 ないよりはマシなのだろうが、この程度斬り捌けないようであれば獣を相手にする事はできないだろう。


 しかし籠手には鉄の鎧を付けているらしい。

 刃天でも鉄を両断することはできない。

 刃を傷つけてしまう可能性もあるので、なるべく狙わないように相手の急所を探り出す。


 敵が取り出したのは二振りの短剣。

 もう一人は片手で扱えるほどの細い剣を取り出した。

 見たこともない形だったが気を付けるべきは二振りの短剣を握っている人物だろう。

 細身の剣を握っている人物には気を配る必要もない。


 視線を短剣の人物へ向け続けると、接近しているのにも拘らず見向きもされないことに眉を顰めたらしい。

 まず先手を打ってきたのは細身の剣を握っている人物だった。


 つま先で移動しながら軽やかなステップを持って接近する。

 軽い武器という特徴を生かした突き技を繰り出してきた。

 確かに攻撃速度は速かったが……刃天は栂松御神を片手で振り上げてその一撃を両断した。


 そう、細身の剣を両断したのだ。


「な……!?」

「ああん? お前女かよ。細い鉄は俺でも斬れるぞ。そんな武器使うなどお前あほか?」


 あれだけの細い剣。

 受けることを想定していないのは明らかだ。

 鉄のくせにしなやかだったのは確かだが、根元で固定されている箇所を狙えば簡単に両断できる。

 先端の細い箇所でも可動域を越えれば折れてしまうだろう。


 邪魔な女はもう戦えないだろう。

 スッと目線を二振りの短剣を持つ人物に向けた。

 刃天の周りをぐるっと駆けてから木を蹴り飛ばしてこちらに接近してくる。

 面白い戦い方だ、と口角を上げた刃天はまずはその攻撃を見てみることにした。


 低く肉薄した人物は短剣の片方を下から切り上げる。

 どちらも正手で短剣を握っているので動きが分かりやすい。

 見たところ、こちらの短剣は簡単に折れることはなさそうだ。


「だが」


 短剣を持った手首を片手でどかした刃天は懐に入って即座に肘で鎖骨を打つ。

 この一連はほとんど一瞬の出来事だった。

 そもそも相手が突っ込んでくるので己は半歩前に出て相手の目測を誤らせ、短剣の軌道を片手で反らせばいいだけ。

 あとは肘を相手に向ければ勝手に突っ込んでくる。


 本当は喉元を狙いたかったのだが鎖骨付近に直撃した。

 しかしこれでも肉体は悲鳴を上げる。


「おぐ……!?」


 相手が後退した時に振り回す短剣に切られないように、ぱっと飛んで事なきを得る。

 どうやら残していた片方の剣で腹を突く予定だったらしいが、それくらいはお見通しだ。


「お前も女なのか……。どーなってんだこの世は」


 確かに女の忍びはいるだろうが、二人で組んで行動するというのは初めてだ。

 大きな屋敷を狙った時から忍びに付け回されたことを思い出したが、女の割合は低かった気がする。


「ま、いいか」


 特に深く考えることなく、刃天はようやく切っ先を向けた。

 間合いの差、力の差、力量さすべてで上回っている刃天は、いつでもこの二人を手に掛けることができる。

 若干邪な考えが頭をよぎったが、これで沙汰が重くなったら面倒だ、と思い直した。


 さてどうしようかと考えていると……背後で女が喋り出す。


「お前は……何だ!」

「え? え、すげぇな。忍びが口を開くとは……」

「答えろ……!」


 懐から取り出した小さな短剣を逆手に持って警戒している。

 得手としている武器が破壊されたことで積極的に前に出られなくなっている様だ。

 そういう時の為に多くの武器を扱えるようにしておくのが普通なのではないか、と刃天は再び呆れた。


 ちらりと二振りの短剣を持つ女を見てみるが、先ほどの一撃が相当堪えたらしい。

 膝をついて喉を押さえている。

 背後から奇襲を仕掛けるために時間を稼いでいるわけではなさそうだ。

 最も、彼女が回復する時間を作っているのは確かではあるが。


「仲間想いなんだなぁ~。結構結構」

「突然私たちの前に現れて……! 何が目的だ!」

「いや目的があるのはお前らだろ? 真っすぐ俺のいる場所に向かって来たんだから出向いてやっただけじゃねぇか」

「感知魔法を持っているのか……」


 何か聞き慣れない単語が聞こえたが、全力でスルーする。

 敵である相手に無知であることを知られるのは良くない。

 どこかで露見するかもしれないが、可能な限り合わせておいた方がいいだろう。


「さぁ俺は答えた。次はお前の番だ。何が目的だ?」


 答えなければ斬る、と圧だけで訴える。

 それに当てられたのか、彼女はびくりと肩を跳ね上げて二歩下がった。

 脆いものだ、とまた呆れていると、背後から呪詛のような物が聞こえてきた。


 なんぞ、と思って振り返る。


「あ?」


 またかよ、と刃天は胸の内で呟いた。

 再び世界が遅くなり、鋭い牙が欄列している獣が目の前で口を開けている。

 視界の隅に捉えたそれは先ほどまでしゃがみ込んでいた女が地面から何かを出現させたようだったということしか分からない。


 顔面に鋭い激痛が走る。

 骨が軋む音が聞こえたところで、刃天は目を覚ました。


「はぁ!?」

「おお、少しは持ったようだな。亡者刃天」


 床に座って茶菓子を楽しんでいる地伝が声をかけてきた。

 彼がいるということは、どうやら自分は死んでしまったらしい。

 苛立ちを隠すことなく床を叩きつける。


「くっそなんだあれ! 気配も何もなかったぞ!」

「どうやらあれは『召喚魔法』と呼ぶらしいな。獣を呼び出すことができるらしい」

「ずるくねー?」

「刀を持つ相手に対し槍で相対するのを『ずるい』と申すか? 決め事も何もない仕合にずるいなどという言葉を使うな」

「へーへー」


 至極まっとうなことを言い返されて刃天は口を尖らせるしかなかった。

 しかし己がやられる時はすべてに対して初見だけ。

 地面から獣を出現させるということは分かったのだから、それを知っていれば対処法は幾らでもある。


 そこでふと気づいたことがある。

 地伝に顔を向けた。


「なぁ地伝よ。なんでお前今俺がいる世について少し詳しいんだ?」

「本来戻るべき魂を無理言って沙汰の為に別の世に送る。別の世の神々にこれをどう説明し、説得すればよいか貴様に分かるか?」

「難しいことは分からん」

「まずは別の世を理解する必要があった。つまりだ」


 地伝は立ち上がり、巨大な杓子を握った。


「……え?」

「閻魔が無茶な仕事押し付けたってことじゃあ!!」

「おいまッ──」


 八つ当たりすんな、と大声で口にしたかったがそれは鈍い音にかき消されてしまったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る