月照らす隘路

遠井 音

月照らす隘路

 とある満月の夜のこと。

 わたしは盗賊に誘拐された。


 盗賊はわたしの手首を胸の前で縛り目隠しをして猿ぐつわを噛ませ、わたしを抱きながら馬を走らせていた。

 誘拐されるのは初めてのことだけれど、わたしは落ち着いていた。

 いつかこんな日が来ることを、覚悟していたからかもしれない。


 ヴェルナー・フォン・ラムスドルフ。父の名だ。

 このシュヴァイツェン王国の貴族の一人であり、わたし、シャルロッテ・ラムスドルフは父の『理想の子ども』として何不自由なく育てられた。

 わたしは父に愛されて育った。

 溺愛といっても過言ではないほどに。


 生まれつき身体の弱いわたしは、一日のほとんどをベッドの上で過ごしていた。

 父はそんなわたしに嫌な顔ひとつしなかった。

 たまに元気のあるときは、こっそりと父の書斎に忍びこみ、本を読んでいた。

 父は勉強家で、たくさんの本を書斎に置いていた。


『お嬢様は旦那様に似て、聡明でいらっしゃる。

 それに、この世のどんな宝石よりも美しい。

 さすが、旦那様の【理想の子ども】ですね』


 使用人は微笑みながらそう告げていた。

 わたしは褒められるたび、心が冷えていくのを感じていた。

 宝物。

 美しく聡明な。

 父の、たった一人の、『理想の子ども』。


 馬が止まる。そっと降ろされ、担がれたまま移動する。どこかの建物の中に入って行った。

 床に座らされ、盗賊は気配を消した。

 わたしは縛られたままの手を使って目隠しを取った。

 目に飛び込んで来たのは聖女の像だった。

 大理石で造られたそれは、祈りの手が片方失われ、顔も半分ほど崩れ落ちている。

 朽ちた教会だった。

 今は使われていないのだろう。


 ぎ、と教会の床が鳴る。わたしが振り向くと、盗賊が一人で立っていた。

 女性の盗賊だ。日焼けした浅黒い肌。夜空のような黒い髪を一つに括っている。


「神に祈りを乞うなら今だぜ?」


 盗賊がわたしに向けるナイフは錆びていた。切れ味はよくないだろう。


「そうね。悪事を神が見ておられるとしたら、だけれど」


 わたしが淡々と返すと、盗賊は「へえ?」と笑った。


「盗賊さん。わたしを殺すの?」

「いいや。おまえの父親から身代金をもらうのさ」

「そう」


 ステンドグラス越しに光が差し込んでくる。月の光だ。

 神に祈りを捧げる場で、盗賊はわたしにナイフを向けている。

 もしも神がいるのなら、ここで天罰が下るだろう。


「ねえ、盗賊さん」

「ジアでいい」

「ジア。あなたはどうしてこんなことをするの?」


 くくくっ、とジアが笑う。


「決まってるだろ。金がねえのと、お貴族様が気に入らねえからさ」

「うち以外にも貴族の家はたくさんあるわ」

「ラムスドルフ家はここ数年で隆盛を極めている。金ならたんまりあるだろ?」

「家のことはわたしにはよくわからないわ」


 わたしがそう言うと、「そうかい」と笑いながら、ジアはナイフをくるくると手の中で弄んだ。


「泣いても喚いても家には帰してやれないぜ」

「構わないわ」

「……随分と肝が据わった嬢ちゃんだな」


 目を丸くし、ジアがしゃがみこみ、まじまじとわたしを眺めた。

 わたしの銀色の髪を、同じ色の睫毛と青色の瞳を、色の白い肌を、検分するように見つめる。

 ジアはわたしに触れはしなかった。


「さすが、ラムスドルフの『理想の子ども』だ」


 顔を歪めて、ジアが笑う。

 その笑顔はどこか寂しそうだった。


 教会の椅子の上で丸くなって眠った。

 ぼろぼろの毛布が掛けられていた。

 ふと妙な匂いを感じて目を覚ます。

 聖女像に寄り掛かりながらジアが目を閉じていた。眠っているのだろうか。

 わたしは起き上がり、ジアに近づいた。

 そろりと手を伸ばそうとすると、かっ、とジアの目が開く。


「!」


 わたしが一歩退くより先に、ジアが立ち上がった。


 バタン、と音がした。

 教会の扉が外側から開く。

 そこには父が立っていた。


「よく来たな、ラムスドルフ。金は持ってきたか?」


 ジアが訊ねると、父は返事もせずに、ジアに銃を向けた。

 ジアが息を飲むのがわかった。わたしも目を見開く。


「お父様、やめて!」

「シャルロッテ。このコソドロは、私の宝を奪ったのだぞ」

「宝、ね」


 くくっとジアが笑う。


「そうだよなあ。やっと手に入れた『理想の子ども』だもんな」

「……なぜ貴様が、……いや、貴様、何を知っている?」


 父が訝しげに顔を歪める。ははっ、とジアは笑う。


「忘れちまったのか!? なんて薄情な父親だ!」


 笑いながらジアはナイフを構え、父に向かって突進していった。

 父が銃を構えるが、ジアはものともしない。

 外したらわたしにあたってしまうから、父は銃を撃てないのだ。


「やめて、テレジア!」


 わたしはできる限りの大きな声で、そう叫んだ。

 ジアが足を止め、わたしを振り返る。

 わたしは、やっぱりそうなのだ、と思った。


「テレジア……!?」


 父が目を見開く。ジアは笑った。


「はははっ、そうだよ、ヴェルナー・フォン・ラムスドルフ!

 いいや、こう呼んでやるよ。

 ――お父様」


 数十年前。

 若きヴェルナーは旅先でとある絵画を目にした。

 その絵画には、美しく可憐な天使が描かれていた。

 聞けば、その絵に描かれているのは愛の天使なのだという。

 雪原のような銀色の長い髪に、宝石のような青い瞳。

 その愛の天使に、ヴェルナーは魅入られてしまった。


 大人になり、ヴェルナーはたくさんの女性と夜をともにした。

 ヴェルナーには数え切れないほどの婚外子がいた。

 ヴェルナーは、愛の天使にそっくりな子どもを作ろうとしていた。

 いや、あるいは――愛の天使そのものを、作ろうとしていた。


 テレジアは、愛の天使の『なりそこない』の子どもの一人だった。


「テレジア、生きていたのか……まだ……」

「そうさ。あんたを殺すために生き延びた」


 どこか楽しそうにジアが告げる。ジアが一歩近づくと、びくっ、と父が震えた。


「生きるためなら泥水さえすすった。なぜかわかるか?」


 ジアは恐ろしい空気をまとっていた。


「お父様、愛しい愛しいあなたを殺すためよ」


 ジアは優しく優しく告げた。父は脚を震わせ、床に膝をついた。


「なぜ……なぜ……」


 父が床に手をつきながらぶつぶつと呟く。わたしはジアのもとに近づいた。


「シャルロッテ。なぜおまえが、私の秘密を知っている?」


 銃口は確かに、わたしの額を向いていた。

 わたしは少しだけ目を丸くしてから、ふ、と微笑んだ。


「お父様ってば、書斎の日記になんでも書いてしまうのだもの」

「日記だと!? あれは金庫に……」

「ご自分の誕生日を金庫の番号にするのは、よしたほうがいいわ」


 とある昼下がり、たまたま身体の調子がよくて、父の書斎に忍び込んだ日のこと。

 書斎にはたくさんの本があった。そして本棚の奥には隠し金庫があり、思いつきで父の誕生日にダイヤルを回すと、いとも簡単に金庫は開いた。

 金庫の中には数十冊に及ぶ日記帳が置かれていた。

 その日記帳に、父の秘密が、罪が、すべて仔細に記述されていた。

 他でもない、父自身の筆跡によって。


「悪い子だ、シャルロッテ」

「お父様ほどではないわ」


 ゆっくりと、父の指が引き金を引こうとする。

 わたしは父をじっと見つめていた。

 死ぬのは怖くない。

 だってわたしは、こんな日が来ることを、覚悟していた。


「お別れだ。シャルロッテ、残念だよ」

「させるか!」


 ぐいっ、と勢いよくジアがわたしの腕を引く。

 父が引き金を引くのと同時だった。

 父の放った弾丸は、背後にある聖女像に命中した。


 ジアが父に向かってナイフを投げる。そのナイフは、父の太腿に命中した。


「ぐあっ……!」


 父が膝をつき、苦しみ悶える。

 ジアが「こっちだ」と言いながら、わたしの手を引いて、教会の扉を開けた。


「待て! こんなことをして……! 天罰が下るぞ!」


 叫ぶ父をジアが一瞥する。冷めた瞳だった。


「神なんざいねぇよ。この世にも、あの世にも」


 ばたん、と教会の扉が閉まる。外からジアは鍵を掛けた。

 それからわたしに、マッチ箱を渡す。


「怖いか?」


 ジアの問いに、わたしは首を横に振った。

 マッチを擦って火をつける。教会に向かって放り投げると、火はすぐに立ち昇った。

 妙な匂いで目を醒ました、あの匂いは、火の回りをよくするための薬剤だったのだ。

 薬剤を撒いたのは、父だ。

 父は、わたしとジアを殺して、証拠隠滅のために火をつけるつもりだったのだろう。


 馬のもとまで戻り、わたしはジアに向かって手を差し出した。


「ジア、ナイフはまだある?」

「ああ」

「貸してくれないかしら」

「変な気は起こすなよ」

「大丈夫よ」


 ジアからナイフを受け取り、わたしは自身の長い髪を片手でまとめ、ざんっ、とその髪を切り落とした。

 ひゅう、とジアが口笛を吹く。

 長い、長い、銀色の髪。それを肩の上まで切り落として、わたしは首を振った。ぱらぱらと髪が落ちる。

 父の夢見た『理想の子ども』は、もうどこにもいない。


「嬢ちゃん、これからどうする?」

「あなたと一緒に旅をさせて。それから、その呼び名はやめてちょうだい」

「そうかい。じゃあ、ロッティでどうだ?」


 ジアにナイフを返す。わたしは小さく笑った。


「いい呼び名だわ」


 ジアとともに馬に乗る。

 わたしはきっと地獄に落ちるだろう。

 けれどもしもジアの言う通り、神などどこにもいないのならば。

 神なき世界で、わたしたちも、幸福になれるだろうか。


 馬が駆けていく。

 満月がわたしたちを照らしている。


 この道がどこに続いているのかさえ、わたしは知らない。

 今はまだ、それでよかった。

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月照らす隘路 遠井 音 @oto_toi

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