第二章 助言
祖母は三年前の2020年、当時75歳で胃癌と診断された。癌の進行度合を表すステージはIIIと担当医師が言っていた。
癌が発覚したのは、俺が成人を迎える前のことだった。
当時19歳だった俺は、20歳の成人を迎えるタイミングで家を出て一人暮らしをするつもりでいた。
高校を卒業しからは、大学へ進学せずに社会人になる道へ進んでいたおかけで、一人暮らしができるだけの稼ぎがあったから、すぐに家を出てもよかった。しかし、学生から社会人への変化に適応できず、慣れない環境で疲れきっていた俺は、一人暮らしで上手くやっていけるのか不安で、自分の行動を後押しできるきっかけを求めてしまった。
家を出ることに関して、俺自身は割と前向きな想いでいた。
十年前、望まない形で、俺の面倒を見るために、住み慣れた長野から移り住んでくれた祖母を、ここにきて独りにしてしまうという事実にネガティブな気持ちや、後ろめたさがなかったかと言われると嘘になる。だけど、その後ろめたい気持ちよりも、今まで祖母は自身の人生という貴重な時間を、俺に割いてくれたからこそ、早く俺から解放してあげたいという気持ちが、偽善などではなく至って純粋に俺の心に宿っていたのだ。
それらの気持ちを天秤にかけたとき、残るよりも離れるが勝った。そのときの俺は、祖母自身も同じ気持ちだろうと思っていた。自分が母親としてお腹を痛めて産んだ子供ではなく、あくまで祖母なのだから解放されたいだろうと。
そう信じて疑わなかった俺はある日、なんの前触れもなく、家を出ようと思っていることを伝えた。
あれは夕食の時間帯だった。いつものように祖母が作ってくれた夕食を口に運びながら、その日あった出来事を話す日常、それは学生から社会人になっても特に変わらなかった。変わったこととすれば、俺が話す内容が、渚沙のことばかりだった学生時代から上司や仕事内容、給料といった社会人の定番の話になったことくらいだった。
祖母は俺の話をいつも楽しそうに聞いてくれる。俺がどんな愚痴を言っても、まるで「あなたが話している出来事を私は全て経験済みだよ」と言われているような穏やかな目つきで相槌を打ってくる。これが大人の余裕というか、年の功というか、そういうやつなのかと思いつつ、俺は目の前のなんでも聞いてくれる存在に惜しみなく自分の人生を語り続けていた。
別にその余裕ぶりが嫌なわけではなかったが、全てを見透かされているような気がして、少しだけ悔しかった。
そんな祖母だからこそ、突然家を出る話を始めた俺に対しても、驚く素振りすら見せずに、穏やかな表情で最後まで想いを聞いてくれた。
ただ、話を聞き終わった後、一言「そうかい、頑張りな」と言った祖母の姿は、どこか小さく、その小ささは、昔ドキュメンタリー番組で見た、アフリカゾウの群れが仲間を失って悲しむ姿に似ていた。あの時も大きなゾウがどこか小さく見えた。言葉が話せないゾウと多くを語らない祖母が酷似していたからこそ、自分の意志を押し殺しているようにも思えた。しかし、それは今考えてみても、若干、祖母の雰囲気に違和感を感じた程度で、当時の俺は、その違和感よりも、自分の意志が正しいと思い込んでいたからこそ、突っ走っていて、周りの感情に心を傾けておらず、気にも留めていなかった。今思うと、あの時の祖母は俺のことを、お腹を痛めて産んだ子供、つまり母親のように大切にしていて、離れることが寂しかったのかもしれない。そうであって欲しいと俺は望んでいる。
家を出る話をしてから、祖母の様子は変わってしまった。
いつも通り、家事をやってくれて、一緒にご飯を食べる習慣は変わらないのだが、どこか力が抜けているような気がした。ご飯もいつも俺より少しだけ少ないくらいの量だったはずなのに、俺が食べる量の半分も食べなくなってしまった。
流石におかしいと思い、尋ねても、大丈夫の一点張りで病院には行こうとしない。
後から知ったのだが、祖母は昔から、周りにどれだけ勧められても健康診断や風邪で病院には行かない人だったと、長野に住む祖母のご近所さんが言っていた。
頑なに病院へ行かなかった真意はわからないが、きっと祖母のことだから、自分の病気を恐れていたのではなく、病気が発覚することで周りから過度に心配されたくないと思っていたのだろう。
ただ、だからといって、目の前で見るからにやつれていく祖母を、放っておけるはずもなく、すぐに街の大学病院へ連れて行った。
丸一日、色々な検査をしている祖母はすごく疲れていた。普段弱音を吐かない祖母が珍しく「もう帰りたい」と言い出したので、少し驚いたのを覚えている。
血液も採取したので結果は後日まとめて知らされると看護師から言われ、その日は病院を後にした。
年も高齢だから、なにかしら悪いものは見つかるだろうと思っていたが、俺は精々、薬でなんとかなるくらいの病気だろうと高を括っていた。
数日後、祖母と病院へ診断結果を聞きに行った。診察室で待っていると、奥から少し慌ただしそうに看護師へ指示をしている医師の声が聞こえてきた。社会人は大変だよなと、知ったかぶりの共感をしてる俺の前に、少し早歩きで医師が現れた。
「ごめんなさいね、鮎川さん、お孫さんもご一緒されているんですね」
「担当させて頂きます、加藤です。よろしくお願いします」
そう話してきた医師の加藤さんはとても穏やかそうな40代後半に見える人だった。こんな穏やかそうな人も裏ではきつい口調をするんだなと思い、人の裏表に俺は少し萎縮してしまった。
加藤さんは撮影したCT画像や血液のよくわからない数値などを俺たちに見せながら、はっきりとこう言った。
「鮎川さん、落ち着いて聞いてくださいね、あなたは胃癌です。ステージはⅢです」
「Ⅲと言われてもわからないかもしれませんが、かなり進行しています」
俺は自分が構えていた病気を遥かに凌駕する病名が告げられたことに脳の処理がおいつかなかった。癌と聞いて、真っ先に過ったのは死だ。
祖母は自分のことではないかのように振舞っていて、加藤さんの話を淡々と聞いていた。俺はそんな祖母の姿を見て「もっと焦ってよ、自分のことだよ!死んじゃうかもしれないんだよ!」と言いたかった。だけど、それを言ったところで現実を変えることは出来ないとわかっていた俺は、特に騒ぎ立てることなく、心のざわつきを抑えられないまま、話を聞き続けた。
俺は学がないから正直言っている意味が分からなくて、断片的なことしかわからなかったが、どうやら、胃癌の早期発見は難しく、進行するまであまり症状が出ない人も珍しくないらしい、食欲不振も癌の影響だったみたいで、検査でリンパ節への転移も確認されため、年齢も相まって完治は難しいそうだ。
余命宣告はされなかったが、数年後の生存確率は五分五分のようだ。今後は、癌の摘出手術と抗がん剤治療を併用していく方針と言われた。
癌に携わる医師からしたら、こんな通告をするのは日常茶飯事だろう、加藤さんはこちらに気を遣っているように振舞いながらも、饒舌かつ冷静に全てを語った。
祖母は全てを聞き終えた後、予想もしなかった衝撃的なことを言い始めた。
「加藤さん、色々調べてくださりありがとうございました。私は治療もなにもしなくていいですよ」
そう言った祖母は諦めているというより、まるで自分が癌だったことがわかっていたかのように、悟った面持ちをしていた。
俺はその言葉を聞いて、自分の中で我慢して耐えていた言葉が溢れ出てしまった。
「おばあちゃん、なに言ってるの!なにもしなかったら死んじゃうんだよ!」
子供みたいに目頭に涙を浮かべながら俺は訴えた。
加藤さんも医師として、俺の意見に同意し、祖母を説得してくれた。
祖母は最後まで納得して治療を受けようとはしてくれなかったが、ある条件で承諾してくれた。それは、地元、長野の病院で治療を受けることだった。
俺は、なんで愛知じゃなくてそんなに離れた長野にするんだろうと思った。
離れられては、俺がすぐお見舞いに行けないじゃないかと考えたが、祖母からするとそれが狙いだったのかも知れない。
俺が20歳で家を出ていくということは、祖母から離れるということ、きっと祖母は、安易に発言した俺の言葉が原因で、離れることを望んでいると感じてしまったのかもしれない。
もし愛知で治療をしたら、自分に縛り付けてしまうと考えたんだと思う。
とことん他人優先な人だ。その優しさと人情を自分の娘に向けられていれば、そもそも俺はこんな人生を歩まずに済んだのかもしれないのに。
その頃の俺は、祖母が死んでしまうのが怖くて焦っていたので、長野だろうと、どこだろうと治療してくれるなら構わないと思い、祖母の条件を了承した。
加藤さんからは地元に近い長野の病院へ紹介状を書いてもらった。
俺は働いていたから、長野に移り住むことはできず、祖母もそれを望んでいなかったので、祖母が長野に帰るタイミングで計画とは違う形となったが、一人暮らしを始めた。あれほど余裕がないからと先送りにしていた一人暮らしだったが、いざ始めてみるとお金や生活のことなど、そこまで不安は生まれなかった。それよりも祖母の病気が頭の中を埋め尽くしていて、余計なことで不安になる余裕がなかったのだ。
祖母に兄弟はおらず、夫は俺が幼稚園のときにはすでに他界していたため、長野に戻っても血縁者はいなかったが、流石は義理人情の厚い人だ、戻っても近所の人が当たり前に病院へ行ってくれていたので、俺が頻繁に通えない分、少しだけ安心できた。何年経っても、感謝がもたらす縁は途絶えないらしい。俺と渚沙みたいだなと思った。
仕事が休みの日には、ほぼ必ず長野の病院へ向かった。
祖母は来なくていいと、よく言っていたが、俺は無視していうことを聞かなかった。ここで無視したことは、今でも後悔していない。少しでも多く祖母との時間を作れたのだから。
しかし、祖母は長野に戻ってから、俺を育てるという緊張の糸が一気に解けたのか、治療をしても癌の進行は止まらず、回復の兆しは見られなかった。その進行速度は速く、祖母が自ら死を望んでいるように思えてしまうほどだった。
あまりにも抵抗なくやつれていく祖母を見て、俺も心のどこかで別れが近いことを悟っていた。ただ、俺に捧げてきた人生で、本当に良かったのかと心に違和感が残り続けていた。
闘病の日々が一年ほど続いていたある日、そのときはきてしまった。
病院から連絡をもらった俺は、冷静さと慌ただしさを持ち合わせながら、急いで長野の病院へと向かった。病院へ着くと、祖母はベットの上でぐったりしていた。脳裏に別れを過らせながら、祖母のもとへ近づいたが、酸素マスク越しの息遣いは思っていたよりも穏やかだったので、少しだけ安心した。
周りには、ご近所の北島さん夫妻と片平さん夫妻がいた。両夫妻とも祖母の実家のお隣さんだ。北島夫妻は夫の
片平夫妻は夫の
昔祖母の家に行ったとき、家にいたのも、この夫妻とその親戚だった。
別れではないことに安心して、安堵の汗を流す俺に対して、里美さんが話しかけてきた。
「慶太君、平日なのにこんな早くにきたの?まだお昼の12時よ、お仕事はどうしたの?」
俺は勤務中だったが、病院から容態が悪化したとの連絡を受けて、早退していた。
社会人二年目で早退しますとは言い辛い社会人も多くいると思うが、このときの俺に、人の目なんか気にしている余裕はなく、とにかく焦っていた。幸い上司はすぐに行くようにと、快く早退を受け入れてくれたが、仮に受け入れてくれなくても早退していたと思う。
「はい、会社は早退して、急いで来ました。とりあえず安定していて良かったです」
俺は少し深呼吸してから、自分の状況と祖母の容態について答えた。
「まだ、どうなるかわからない状態だけど峠は越えたらしいってさっき先生が言ってたのよ」
「俺たちは自営業だから割と融通が利くけど、慶太君が来てくれて良かったよ」
「今は意識がないけど、きっと万智さんも喜んでいるだろうな」
片平夫妻が俺と全く同じ顔をして言ってきた。こういう時は誰もが安堵の表情を浮かべるものなんだと思う。
それからしばらく祖母を中心にして談笑をしていた。
頻繁にお見舞いに行っていたから、この両夫妻とはよく顔を合わせていたし、世間話する仲にはなっていたから、俺は人見知りな方だが、この空間ではそこまで気を遣っていなかった。
1時間程経ってから全員帰っていったが、俺は祖母の容態が気がかりだったので、しばらく一緒にいることにした。会社は土日休みで病院に行ったのは、11月23日の木曜日だったから、上司には金曜日と念のため月曜日も休むと連絡を入れて、4連休にしてもらった。
祖母のことで頭が一杯で考えていなかったが明日は俺の20歳の誕生日だった。
20歳というのは成人だし、結構めでたいのかもしれないが、自分のことより祖母が優先だった俺にとってはどうでもいいことだった。
その日は午後6時頃までいたが、看護師から今日のところは大丈夫だと思うのでと言われて、少し納得はできなかったものの、病院を離れて、近くのホテルに泊まった。
その日は気がかりで一睡もできず、気づくと時計の針は午後12時を回っており、俺は不安に満ちた成人を迎えた。
次の日は早朝から祖母の元へ行き、昨日から意識が戻らない祖母の隣で丸椅子に腰かけて、見つめ続けていた。丸椅子は背もたれがないから、地味に背筋が疲れる。そこに寝不足も相まって瞼が小刻みに痙攣していた。
目を休めるために瞼を閉じていると、目の前から声が聞こえた。
「大丈夫かい?」
酸素マスク越しに、息が反射してこもってしまっている掠れた声は、祖母の声だった。
半目の更に半目といえるくらい細く開けた隙間から見える眼球は確かにこちらを向いていた。
「おばあちゃん!」
一瞬、なんでこんなときまで俺の心配なんだよと思ったが、嬉しさのあまり、大きな声を上げてしまった。
祖母は口でシの形を表現して、静かにしなさいと伝えてきた。俺は直ぐに看護師と医師を呼んで容態を確認してもらってから、北島夫妻と片平夫妻のメールアドレスを知っていたので、目覚めたと連絡を入れておいた。
一通りの検査が終わって、医師たちがいなくなった後、祖母はフルマラソンを走った後の選手かのように疲れている息遣いで俺に話しかけてきた。
「成人おめでとう」
今日が誕生日だとどうしてわかるのか不思議だったが、恐らく意識を失う直前まで覚えていて、自分が大体一日くらい眠っていたと感じたのだろう。凄い人だと思う。
俺はありがとうとは言えなかった。
「そんなこといいよ」と言いながら涙が溢れて止まらなくなった。
母や父と別れた時でさえ泣かなかった俺が、こんなにも涙脆いとは思わなかった。
それだけ祖母を愛していたからだと思う。
まるで、赤子に戻ったかのようにぼろぼろと止まらない涙腺を抑え、震える口角を食い縛ろうとし続ける俺に、祖母は続けてこう言った。
「あんたはあそこでやるべきことがあるでしょ」
「渚沙君とはまだ会ってるのかい?」
言葉の真意を確かめる前に、なんの脈略もなく表れたその話題に俺は動揺した。なぜ、今渚沙の話が出てくるんだ?
急に出た、その突拍子もない名前に驚いたが、少しでも祖母と会話がしたかった俺は、すぐに答えた。
「月に一、二回会ってるよ」
そう言うと、祖母は安心したような表情を見せた。そして、息苦しそうな口を開いて、再び語りかけてきた。
「あの子は昔からよく家にきてたからね、あの子はあんたに必要な子だよ」
俺は正直、今は渚沙の話ではなく、祖母と話がしたいのに、祖母のことだけを考えていたいのにと、なにも悪くない渚沙を煙たがってしまった。
だけど、そんな表情は一切見せずに「どうして?」と問いかけた。
しかし、祖母はなにも語らず僅かに首を横に振ってみせた。
俺には理解ができなかった。まるで渚沙と話しているときのように頭の中が疑問で埋め尽くされる感覚だった。だけど、祖母の表情から言葉ではなく、なにか確かに伝わるものがあった。具体的に理解できたわけではないが、それは自分で知る必要がある、ということが。
そんな不思議なやりとりの後は、一人暮らしはどうしているか、仕事の調子はどうかなど、話すことが辛い祖母の代わりに、俺が一方的に報告した。祖母がその報告を聞いていたかはわからない。たまに目を閉じていたから、断片的にしか聞こえていなかったと思う。だけど、俺は伝えたかった。たとえ聞こえていなかったとしても、一人前に育ったのはあなたのお陰という意志を伝えて、安心させたかったから語り続けた。
そんなたわいもない会話を最後に、11月27日、俺の誕生日をおめでとうと言ってくれてから丁度3日後、ご近所さんやその親戚など、大勢の人に看取られながら、祖母は安らかに、まるで大草原でうたた寝をしているかのような安静に満ちた表情のままこの世を去った。
丁度、俺が有休を取っていた最終日に亡くなったので、最後まで他人のことを考えてくれる人だったなと感じた。だけど、そんな祖母のおかげで、俺は死に際に立ち会えたから幸運だったと思う。
病室で泣いている大勢の知人の中に母はいなかった。当然父も。
だけど、そんなことは考えたくもなかったし、この瞬間は祖母だけを見ていたかった。
唯一の血縁関係者だからこそ、俺が最後までそばにいることで、本当の意味で祖母を独りにはさせたくなかったから。
みんなの啜り泣く声が聞こえる中、俺は泣いていなかった。悲しさもあったし、あの不思議な出来事が起こらなければ泣いていたと思う。
あの出来事は今でも鮮明に覚えている。
亡くなった祖母の顔を見ながら俺は走馬灯のように今まで歩んできた祖母との時間を思い返していた。すると、祖母の顔が一瞬微笑んだ顔に見えた。俺は見間違いかと思い、もう一度見返したが、口は半開きで力が抜けていた。当然亡くなった後の人間が微笑むわけがないから、ただの見間違いかと思い驚くこともなかった。だけど、あの顔は見たことがある顔だったから、余計に頭から離れなかったのだ。渚沙がよくする微笑む顔と似ていたせいで。
人が微笑む顔なんて、少し口角が上がって、目元が細くなるだけだし、似ていると言いだしたら、全世界の人が共通なのかもしれない。だけど、俺が思った、似ているは、そんな単純なものではなく、もっと深いところだった。俺は、この似ているを今でも説明できないでいる。
「こんな瞬間でも渚沙か」
病室にいるみんなには聞こえないほどの小さな声で俺は呟いた。
人生の大半に渚沙がいたとはいえ、こんなにも過ってしまう自分が恥ずかしかった。俺は渚沙が男だけど好きなのかと勘違いするほど考えてしまっているように思えたからだ。多様性は否定しないし、男が男を好きでも本人たちが幸せならそれでいいと思うタイプだ。
だけど、俺は男性が恋愛対象ではないはずだから、なぜこんなときまであいつが思い浮かぶのかわからなかった。
不思議な体験をしたあの日から祖母の葬式まではあっという間だった。
葬式の手配や段取りなどその全てを北島夫妻と片平夫妻がやってくれた。当初、俺は自分がやります、と言っていたが、正直、人の葬式にいくらかかるとか、どんなことを準備したらいいのか、なんてことはわからなかった。
だけど、血縁者という責任感から、勢いで言ってしまったところがあった。
しかし、俺がなにも知らないことを悟ったのか、両夫妻は「葬式の手配や準備は私たちがやるから、慶太君は相続や契約関係のことで私たちと一緒にいてくれればいい」と言ってくれた。
とても心強い提案だったし、断る理由もなかったのでお願いすることにした。
葬式の準備に関わっていく中で、面倒だと思うことや、以外にお金がかかることを知って、こんなことを血も繋がっていない他人が引き受けるなんて、俺がこの人たちのことを知らなかったら怪しむだろうなと思った。しかし、祖母とこの人たちの関係性を見てきたからこそわかる。利益やメリットのような概念でできた繋がりではなく、もっとシンプルで、だけど固く揺るぐことのない大地のような関係性だということが。
4連休だけのつもりだったが、通夜や葬式などがあったので、結局火曜日から金曜日まで一週間追加で休みをもらった。祖母を失い、闘病の不安から解放されて、少しだけ冷静になれた俺は、追加で会社に休む連絡を入れるのに気が引けていたが、どうしようもないことなので、なるべく申し訳なさそうに声を低くして電話をした。
上司はこういった状況に慣れているようで、大体、危篤状態で休んだ後はそのまま葬式となり追加で休むのがよくあるケースらしく、随分とあっさりしていた。
「気持ちの整理も必要だろうから、今週は休んでいいぞ、来週からまた会おうな」
そう言ってくれた上司の言葉はどっしりとしていて、ここでもまた大人の余裕を感じさせられた。ここ最近で、大人の余裕を感じる場面が多かったからか、早く大人の余裕が欲しいと憧れのを覚えている。まあ今でも引き続き憧れ続けているのだが。
俺は母の連絡先も父の連絡先も知らなかったから、当然祖母の訃報を伝える手段はなかった。
それに、これをきっかけとして会いたいとも思わなかったから、北島夫妻に連絡手段を探して、葬式に来てもらうか相談されたが、そこだけは意地でも断った。
俺の強い意志に圧倒されたのか、それ以上、なにも言ってこなかった。
恐らく、こんなに息子から嫌われている親が、自分たちではなくて良かったと、安堵する気持ちはあったように思える。
親に連絡しないとなると、あと連絡する人は一人だけだった。
祖母のことを知っている渚沙だ。一応連絡しておこうかなと軽い気持ちでメールを入れたら、急な出来事にも関わらず、わざわざ仕事を休んで、長野の葬式に参列してくれた。まさか来てくれるとは思わなかったが唯一、愛知で祖母と親しく面識のあった渚沙が来てくれたことは嬉しかった。
葬式の日、俺には気がかりなことがあった。
それは、不思議ちゃんの渚沙が葬式でどんな顔をするかということだ。普段はなにがあっても微笑んでいるような渚沙だが、人が亡くなったことを弔う葬式では、微笑みというのは時として不謹慎に思われる可能性もある。
俺自身は渚沙のことを知っているから気にしないが、ご近所さんは渚沙のことを知らない。いきなり愛知から俺の友達が来て、微笑みながら祖母に線香なんてあげた日には後から俺がなにか文句を言われるかもしれない、と考えてしまった。
ただ、俺から来てくれるのを了承した手前、せっかく来てくれるのに今更ごめんなんて言えるわけがないので、少しだけ不安を抱いたまま葬式に参列した。
葬式当日、会場にはご近所さんの親戚や、地元の知り合いなど多くの人が参列していた。俺は血縁者として、来てくれた方々に挨拶をして回っていた。
これでも20歳になったからには、こういった礼儀は恥ずかしがらずにやるべきだと思っていたから、そこまで抵抗はなかった。
来る人来る人、全員俺の家庭環境を知っているのか、「立派になったね」と会ったこともない人から言われた。
祖母の性格上、色々な人に話していただろうし、ご近所さんが一人でも知れば噂なんて、すぐに広まるものだから特に気にしなかった。母の万引きや父に捨てられたことが学校中ですぐ広まった経験から俺は案外、肝が据わっていた。
そんな人込みの中、奥の入り口から、よく見た小柄な人影が向かってきた。
渚沙は俺のところへまっすぐ向かってきたが、近づくにつれて、思わず渚沙かどうか疑ってしまった。あのいつでも微笑んでいる渚沙が、その日だけは人並みに悲しそうな顔をして、いつもより静かで、不思議ちゃんの言動を出していなかったからだ。
俺は思わず第一声で「そんな顔するんだ」と失礼なことを言ってしまった。
俺の言葉が聞こえていたかはわからないが、渚沙は一言「最後におばあちゃんと過ごせて良かったね」と言ってきた。
「ご愁傷様です」みたいな堅苦しい言葉ではないが、その一言を聞いたとき、心を縛っていた糸が切れたような気がして、思わず泣きそうになってしまった。
渚沙は最後まで悲しそうな顔をしたまま、参列していた。
葬式が終わり、どこか肩の荷が下りて、ため息をつく俺の背後から「慶太のおばあちゃんが過ごした家が見たい」と渚沙が話しかけてきた。
振り返るとそこにはいつもの微笑んでいる渚沙がいた。その顔を見て、渚沙は渚沙だよなと心の中で少しだけほっとした。
俺は、「帰らなくて大丈夫なのか?」と尋ねたが、どうやら、次の日まで有休を取ってきたらしく、それなら祖母の家で一緒に泊まらないか提案してみた。
渚沙はとても嬉しそうにしてついてきた。
祖母の家は田舎のほうだったから、夜には二人で田んぼ道を散歩した。まるで小学生に戻った気分だった。田舎は静かで空気が澄んでいて、なにもないから、邪念が消え去り、浄化されていく気がした。渚沙も心地よさそうな顔をしていたのを覚えている。
その日、渚沙は、俺と祖母の話を聞きたいと言ってきたので、一日中、今までの人生を渚沙に語っていた。渚沙は自分の話は一切しないで、ひたすら俺の話を聞いているだけだった。
夜になり、辺りは寝静まって、冬だからか、虫の声も聞こえず、風で木々がざわめく音のみが響き渡る中、俺たちは川の字で布団を敷いて寝る準備をしていた。ここまでずっと、俺と祖母の人生を語ってきたから、このときには最近の話まで進んでおり、祖母の入院という終盤へと向かっていた。
そこで、毛布にくるまって眼だけを出す小動物のような渚沙から、祖母とは入院中にどんな話をしたのか聞かれた。だけど俺はあのとき祖母から「渚沙が俺にとって必要な人」と言われたことは、話せなかった。必要というのが、どうも小恥ずかしくて、本人には伝えられないと思ったからだ。
それともう一つ言えなかったことがある。
それは死後に見た微笑みのことだ。
死者の微笑みがお前と似ていたなんて不謹慎だし、逆に俺がそれを言われる立場だったら傷付くと思ったから言えなかった。
一部秘めた内容を残したまま、俺は全てを語り終えて、二人とも眠りについた。
そして、時は経ち今に至る。
二年前話せなかった二つの出来事が最近になって急に気になりだした。
今なら時間も経ったし、次ファミレスで会ったら話してみようかな。
俺はそう心に決めて、眠りについた…
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