第7話 鏡磨

 双子に言われたように、俺たちは教会に向かった。教会は街の中心部に位置する趣のある石レンガ造りの建物だ。入り口のすぐ上の大きな鏡が、先ほどいた市場と朝日をちりちりと反射している。

 昔からこの街に来ていたが、教会を訪ねたことはなかった。信者でもなく、神に興味がなかったうえに、中心部から離れたウラハの店にしか用がなかったからだ。近くで見ると、街で一番大きな建物とあって、改めて教会の存在感に圧倒される。

 立ち尽くしていると、白い外套を着た信者が、あの二人の紹介ですね、と教会の中に案内してくれた。中は集会用の長椅子が整然と並べられ、入り口のものよりも大きな鏡が正面に掲げられている。

 最前列に座っておくよう促され、しばらく待っていると、一人の男が現れた。深い紫色の外套を纏い、紅い宝玉が埋め込まれた杖を手にしていた。周りにいる信者たちが頭を下げて身を退く様子を見ると、この男はルミラー教の最高位の人物と思われる。いや、そんな簡単に会えるのか? もし最高位だとしたら、想像していたよりも若い人物が出てきた。深く皺の刻まれた高齢の人物が現れると思っていたのに、目の前にいる男は三十代後半のように見える。

鏡磨きょうまのスレイだ。ルミラー教に興味を持ってくれたのは君たちかな」

 人を包み込む優しい声で話しかけてきた。鏡磨というのはルミラー教の最高位の人物を指す言葉で、鏡を磨くことを最も清く正しい行為としていることが由来らしい。

「ここなら居場所をくれるの?」

「ああそうさ、ルミラー様は誰にも平等に幸せを与えてくださる。だから、みんなの心の居場所になるんだ。お嬢さん、君は若いのに居場所を求めているのかい?」

 ラルカは少し俯き、途切れるような声で「居場所」と繰り返した。

「分からない。私はきっと、暮らしたいだけ。普通になりたいの」

「そうか、冷たく暗い世界に生きていたのだな。可哀想に。だが心配はいらない。ルミラー教はみんなが家族だ。誰一人取り残しはしない」

 家族、か。きっとそれは温かいものなんだろうな。

「私でもルミラー教に入れる?」

 スレイは深く頷いた後、俺の方を向いた。

「そちらの男性はどうお考えですか?」

 ラルカが入ると言ったなら、俺はそれに従う。神を、ルミラーを信じるつもりはない。神は願っても何も叶えてくれないことは自分が一番分かっている。

「彼女の判断に従う」

 それでも宗教に身を染めようと思ったのは、ラルカの行末に興味を持ってしまったから。希望を探して彷徨う彼女の瞳の暗がりに、光が差すのか、深きものに攫われるのか。叶うならば彼女の生き様を見届けたい。この目で。

「ルミラー教、いや、私たち家族は貴方たちを歓迎します」

 後ろに下がっていた信者らが一斉に拍手をし始めた。まばらだった音は次第に波のように大きなものとなり、俺たちを包み込んだ。一部の人は歓迎し、残りの人は周りに合わせて手を叩く。真顔で。ただひたすらに叩く。

 叩くのに疲れたのか、外套を纏っていない信者らが手を止めると、一気に音は小さくなった。

「お名前を伺っても?」

「私はラルカ」

「俺に名前は無い」

「無い?」

 本当に名前など無いのだ。いや、あったはずだ。俺を名前で呼ぶ人がいなくなったからか、自分でも思い出せない。どうして俺は自分の半身とも言える名前を忘れたのか。

 気がつけば周りの人間は俺を枯らし屋と呼んでいた。面倒なものを枯らして小銭を稼いでいた俺にぴったりの名。名乗るのは自由だ。この場ではカラでいいじゃないか。

「カラとでも呼んでくれ」

 家族として認められた俺とラルカは、鏡入りという儀式を行なった。大層なものではなく、信者らの前で鏡のペンダントを首にかけ、その姿を教会の大鏡に映すだけのものだ。なぜか鏡入りのときにスレイの姿はなく、代表と思われる幹部がペンダントを差し出した。手のひらで包めそうなほど小さな鏡に特別な力があるようには思えず、その枠の中に映る一つの目をじっと見る。細かく揺れ動いていた。入信する現実を受け入れていない不安の目。ペンダントを身につけ、大鏡に自らを映し出したとき、もう戻れないのだと確信した。

 鏡入りが終わると、数十人いたはずの信者はすぐに去っていった。ざわめきは消え、最初から何もなかったかのような静けさだけが残る。

 スレイは再び姿を現し、「二人とも、おいで」と、教会の入り口付近に立っていた双子を呼び寄せた。双子はスレイに呼ばれて表情が緩んでいたが、俺たちを見るとすぐに貼り付けたような笑顔に切り替える。

「新しい家族のカラとラルカだ」

 家族、と聞くと、双子の目から警戒の色が無くなった。

「入ってくれたんだ」「嬉しいね」

「ラルカ、この二人とは気が合うはずだ。仲良くしてあげてくれ」

 スレイはラルカの頭をそっと撫でた。指に夜空色の髪を絡ませる仕草がどうも気に障る。

 にかっと一寸違わない笑みを見せた双子は、ラルカの方に歩み寄った。

「僕はエスペル」「ボクはシューゲル」

 淡い紫色の髪を右に流しているのがエスペル。左に流しているのがシューゲルらしい。二人の違いは髪型以外に特になく、背丈も声も瞬きのタイミングも全く同じだった。同じ人間が二人いて、目印として髪型を変えているようにしか思えず、気味が悪い。

「私はラルカ」

「よろしく」「よろしく」

 双子と握手を交わしたラルカは何か思い出したのか、ポケットから一本のペンを取り出した。先ほど街で拾ったものだ。双子が落としたのは確かだが、どちらが落としたのかは分からない。しかし、ラルカは迷うことなく、シューゲルにペンを差し出した。

「これ、あなたのペン?」

「えっ、あっ……」

 シューゲルは驚き、ポケットをひっくり返して中を探った。何も入っておらず、ペンが自分のものであると分かると、ペンを丁寧に受け取り、ポケットに仕舞った。

「ひ、拾ってくれてありがとう」

「大切なもの?」

「うん。す、スレイ様が誕生日のお祝いにって。こ、こんな大事なもの、お、落としちゃダメだよね。ほ、本当にボクってダメな人間だなぁ。あはは……」

 自虐の笑みを見せるシューゲルに、エスペルと共にいる時の言動の欠片もなかった。人見知りで気弱な人間。

「シューゲルはダメな人間なんかじゃない! もっと自分に自信を持ちなよ」

 下を向くシューゲルを励ますようにエスペルは声をかけた。

「私も、そう思う」

「ら、ラルカちゃんって優しいんだね」

「やさしい? ありがとう」

 この日を境に俺たちは街に移り住んだ。とは言っても、拠点の荷物はそのままで、必要なものだけを教団が所有する建物に運び込んだ形だ。俺は街に住むつもりはなかったが、ラルカがそれを望んだ。家族と近くに住みたい、と。

 街での生活に何一つ不自由は感じなかった。命をかけて金を稼ぐ必要も、追っ手を気にする必要も無い。ぬるま湯の中で生きているような毎日。穏やか故に退屈だった。だが、ラルカは平穏な生活を喜んでいた。感情も以前に比べて表に出すようになり、友人も増えた。ウラハとも定期的に女子会と称して出かけている。幸せそうで何よりだ。

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