第5話

 ウラハは服を持って戻ってくるなり、ラルカを奥の部屋に押し込んだ。そして、立ち尽くしている俺に、「かーくん、面倒見は良いけど、服のセンスは壊滅的よねェ」とため息混じりに吐き捨てた。

「そういえば、拳銃を入荷したわよ。必要なら安く売るけど、どう?」

 そんな高価なものは買えない。俺が使うのは弓とナイフで十分だ。

 確かに拳銃があれば、遠距離から高威力の攻撃が可能で、標的を確実に仕留められる。だが、音が大きすぎるため、暗殺には向いていない。

「拳銃なんて金持ちの自衛用だろ。俺には買えねぇよ。最近仕事を邪魔されてばかりで稼げてないしな」

「あら、そうなの? 大変ねェ。ほとんど市場に出回ってない珍しい品物だから、欲しくなったら来て頂戴」

 星が飛んで来そうなほど綺麗なウィンクをしてきた。ウラハの機嫌は、かなり良いようだ。感情表現が豊かで羨ましいが、ウラハの場合は過剰にも思える。

 ラルカが着替えている間、お互いの近況を話し合っていた。俺の方は変化がない、と伝えると、街で流行り始めている思想について教えてくれた。不老不死の思想。人々は永遠に生き続けることに関心を持っているようだった。しかも、街一番の権力者のスレイという人物は不老不死に関する研究をしているらしい。

「不老不死なんてアタシたちが触れていい域じゃないのにね」

 ウラハはスレイの所業に呆れて笑っていた。だが、その後に、こんなこと言ってるのバレたら殺されちゃうから黙っていてね、と口元で人差し指を立てた。集団の圧力が持つ、一種の盲目さに恐れているようだった。

「ウラハ、街にいたルミラー教ってなんだ?」

「ン? ルミラー教はこの街にずっとある宗教団体よ。知らなかった? 鏡には真実が映るって考えの宗教で、鏡の神ルミラーを崇拝してる。街の人で鏡のペンダントを身に付けてる人がいたら信者ね。最近になって活動が活発になってるのよ。なんでかしらねェ」

「変わった宗教だな」

「あら、そんな言い方ないじゃなァい。この街の半分くらいルミラー教なんだから、悪い言い方はしないほうが良いわよ。結構過激派もいるみたいだから、気をつけて。ラルカちゃんみたいな可愛い子は狙われちゃうかも」

「ラルカが?」

「大切なラルカちゃんが傷つけられたら怒る?」

「どうだろうな」

 怒るどころでは済まされない。そんな気がしている。

 出会って一日も経っていない彼女が傷つくことに、どうして俺は怒りに似た感情を抱こうとするのか。似ているから? 誰に? 分からない。

 胸の奥に残る、俺を縛り続ける記憶。手の上に積もる砂の山、それだけの記憶。それを思い出すたびに、大切な何かが欠けていることに気付き、何年も探し続けている。それでも見つからない。諦めれば良いのに、俺が求めてしまう。 

 しばらく話していると、奥の部屋からラルカが扉を少しだけ開けて顔を出した。

「えっと、着方これで合ってる?」

「ンーー!! すごく良くなった!」

 ラルカは藤色のワンピースに、葡萄の皮のような(ウラハ曰く、本紫)色のエプロンを着けていた。ラルカの夜空色の髪に似合う良い色合いだ。ウラハは嬉々として服の説明をしてくれたが、お洒落に詳しくない俺には全く分からない話だった。要約すると、街の女性の間で流行っている服、らしい。

「ねぇねぇ、ラルカちゃん。髪の毛整えても良いかしら?」

 どこから取り出したのか、ウラハは手に櫛を持っていた。確かに、ラルカの髪はボサボサで、服が小綺麗なのに対して不釣り合いだった。

「うん、いいよ」

「良いよって言ってもらえて良かったわ。アタシって、ホラ、体が大きいでしょ? だから、色んな人に怖がられちゃって。この前なんて、店の前に立ってたら、五歳くらいの子を泣かせちゃったの。別に取って食おうとしたわけじゃないのよ」

「おじさんが、ここにいる人は良い人だって教えてくれたから」

「あらやだ嬉しい」

 さらに上機嫌になったウラハは、ラルカを椅子に座らせると、鼻歌混じりに髪をとき始めた。決して上手くはないが、心が落ち着くような歌声。酒を片手に気持ち良さげに歌う時とは大違いだ。

「ラルカちゃんは、かーくんのことも怖くないのね」

「おじさん、こわいの?」

 最初に会った時から、ラルカは俺を怖がる様子はなかった。周りにいた人間が少なかったからなのか、俺がまともな人間に見えたのか。

「怖いわよぉーーー。アタシと最初に会った時なんて」

「それは言わない約束だろ!」

「やだ怖ーい。またアタシのこと、熊だって言うんでしょ?」

「ぐっ」

 青年時代のことを話されそうになると、どうも弱みを握られた気分になる。

 思えば、出会った時からウラハには世話になってばかりだ。怪我の治療、手袋や仕事道具の修理、情報提供、そして今。事情を詳しく説明しなくても、手を貸してくれる。俺はウラハに恩を返せているだろうか。

「俺は何か君に返せているのか?」

「何言ってんのよォ。日々の目の保養にさせてもらってるわ」

「は?」

「まず、程よく付いた筋肉でしょー。銀髪は狼の毛みたいでカッコ良いし、緑色の目なんて宝石みたいで羨ましいわね。口元を隠しててミステリアスで好きだけど、アタシはマスク外してる方が好き。あと、褐色の肌ってのも唆るわァ! 本当に好き!」

 今まで言わずに隠していた宝物を見せびらかすように、気持ちを曝け出していた。人から好きと言われるとむず痒く感じるが、ここまで真っ直ぐに言われると、むしろ嬉しく思える。大嫌いな自分を受け入れてもらえている嬉しさもあるのかもしれない。

「すきって何?」

 ラルカは不思議そうな目をしていた。知らない感情が溢れている会話に、彼女は触れた。

 その言葉を聞いたウラハは、髪をとく手を止めて、ラルカの顔を覗き込んだ。そして手を取り、両手で優しく包み込んだ。

「好きを知らないの? ハートを知らずに生きるなんて勿体無い!!」

「……本では主人公が誰かをすきになって、物語の最後に一緒に笑うの。それを他の人は『幸せそうだ』って言うけど、私には分からない」

 彼女の知る「好き」は、あくまで文学上のものだ。誰かが持った感情を作者が書き留め、読者は第三者として作品に触れて、擬似的に感情を得る。それは経験が多い者ほど、誰かの感情を忠実に感じられる。対して彼女は、世界を知らない。空でさえ新しいものとしていたのだ。これまでの会話や様子を見ると、感情を得た経験は少ない。

「好きって感情はね、相手のことを大切に想うことよ、きっと。その人のことを考えるだけで心が温かくなるし、その人のためになるなら何でも頑張れちゃう。それくらい大切で、支えになってくれる人。これは人に限った話じゃないの。アタシはこの店が大好き。大好きだから、ここにいるだけで明日も頑張れるのよ。ラルカちゃんは好きなものはある?」

「ウルドゥゲの花がすき。匂いがすき。あと、ウルドゥゲの物語もすき。何回も読んだ」

「素敵! 他にも探してみるといいわ。好きなもののことを考えるだけで、悩みとか辛い気持ちなんて吹き飛んじゃうんだから!」

 最後にラルカの髪をひとつ結びにすると、満足そうに笑った。

「もンのすごく可愛くなった!」

「髪も服も、ありがとう」

「良いのよ! 服屋で一目惚れして買っちゃっただけだから。アタシじゃ着られないし、似合う子に着てもらえて嬉しいわ!」

「私、ウラハのことも、この服も、すきだよ」

「あッ、アタシも好きよーーー!」

 ウラハはラルカに抱きつこうとしたが、少し堪えて店の裏に走って行った。歓喜の叫び声が聞こえ、数分後、野菜や小麦などが入った木箱を幾つも持って戻ってきた。息を切らしながら俺の前に山のように積むと、これ、あげる! と言って、ニコっと笑った。

「買い出しに来たんでしょ?」

「こんなに貰って良いのか?」

「本当はラルカちゃんのこと、ぎゅーーってしたかったけど、アタシの素晴らしく鍛え上げられた筋肉じゃ、ラルカちゃんが呼吸困難になりそうで……。でも、好きって言ってもらえて嬉しかったからァ、そのお礼よぉ! 受け取って!」

「お、おう」

 荷車に食料を乗せると、買い足す必要が無いほど満タンになった。

 ラルカには行きと同じように荷車の隅に乗ってもらい、ウラハは街の入り口まで見送りに来てくれた。すっかり二人は仲良くなっていて、二人の会話に俺の入る隙はなかった。いや、俺のことを話していたから会話に入りたくなかった、というのが本心で、ウラハが変な話をしていないことを祈るばかりだ。

「ウラハ、食料も分けてもらってすまない。服の代金は次来るときに持ってくる」

「良いのよ。お金に関しては気にしないで。アタシが着れない服をプレゼントしただけだから。何かくれるなら、お金より時間が欲しいわ。今度お酒でも飲みましょ」

「ああ、そうだな。また今度」

 ガラカラガラと荷車を引き、住処への道を進んでいく。白い光を放っていた太陽は傾き、橙の筋を溢している。街に長居しすぎたな、と思いつつも、服の袖に縫われた小さなレースをずっと眺めているラルカを見ると、そんなことはどうでも良いように思えた。

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