第3話

 ガラス玉は少女の手のひらの上で光を呑み込み、やわらかな七色の光を放ち始めた。掴めないはずの虹の光で部屋は包まれ、暮らし慣れた場所なのに、どこか知らない所にいる感覚。屋敷で感じた刺すような冷たさではなく、頬を撫でられる温かさがあった。

 少女は光に目を細め、ポケットにそっとガラス玉を仕舞い込んだ。

「おじさんは私の知っている人たちと違うみたい」

 それは俺を変だと言っているのか? それとも、ジェイドよりまともな人間だと言っているのか?

 どちらにせよ、俺は少女を屋敷に帰すつもりはない。誰も生きていない屋敷だ。それに、心の奥でぽつりと、他の誰かに少女を奪われたくないという欲が芽生えていた。彼女の差し出した宝石が目的ではない。彼女自身に興味がある。

「どうして屋敷に帰してくれないの?」

 そこまでして屋敷に執着するのは何故だ。閉じ込められていたにも関わらず、逃げずに再び戻ろうとするのは何故だ。

 屋敷の人間全員が死んだ事実を伝えるか否か。いや、嘘を吐く理由は何もない。

 俺は二言分の息を吸った。

「ジェイドは死んだよ。あそこにいた衛兵も全員」

「そっか、死んだんだ。そっか……」

 少し俯いた後、顔を上げた少女は俺の目を見て、無表情のまま問い詰めてきた。

「どうして私を助けたの? あのまま放っておいてくれたら、私は死ねたのに。私は自由になれたのに」

 言葉に少しばかりの力が宿っていた。心からそうであるように願っていた祈りであり、ここに来て初めて見せた感情。目の奥の暗がりが深さを増して揺れ動く。

「じゃあ、今死ぬか?」

 ほんの少し脅かすつもりで、左手の手袋を外してベッド横の壊れかけの椅子に触れた。さらさらと枯れた椅子は、木の床に塵山をつくり、室内に入り込む風で崩れていく。

 少し脅かせば、枯らされることを恐れて、「帰りたい」「どうして助けたのか」と、くだらないことを言うのを止めると思っていた。だが、少女は恐れるどころか、想像もしなかった言葉を口にした。

「綺麗」

「あ?」

 少女はいきなり俺の腕を掴んできた。その細い腕のどこから力が出ているのか、簡単には振り解けなかった。

「綺麗。それで死ねるなら、私は、私はきっと……!」

 手袋をつけたままの右手で少女を引き剥がし、慌てて手袋を付け直した。少女は後ろに数歩下がったが、何もなかったように、ゆらりと立っていた。

 バランも少女も、この能力を美しい、綺麗だなんて言うんだ。

「違う、本当に殺そうなんて、思っていない」

「そう、なの? おじさんは誰? 何者?」

「俺は枯らし屋だ」

「からしや?」

「まぁ、そういう名前の仕事をしているだけだ。ただの狩人とでも思ってくれ」

 複雑な話をしたところで、何も意味はないだろう。

「お嬢さんこそ、何者だ?」

「ラルカ。多分それが私の名前」

 立っているのに疲れたのか、ラルカはベッドに腰掛けた。隣をとんとんと叩き、俺に座るよう促した。

「多分?」

 隣に座ると、ラルカは独り言のようにぽつぽつと話し始めた。

「大人たちは私を『石の子』と呼ぶの。でも、幼い頃にジェイドや衛兵に連れ去られた時、母親らしき人物が『ラルカを連れて行かないで!』と叫んでいた。私の中に残る一番古い記憶で、私を縛るような記憶」

「母親は今どうしているんだ?」

「分からない。もしかしたら、その時に殺されたかもしれないし、今も私を探しているかもしれない。何年も前のことだから、母親の顔も忘れたけれど」

 ラルカの年齢は十六、七歳といったところだろうか。小柄だが幼すぎず、大人と言えるほど成熟していないように見える。

「流暢に話せるんだな」

「可笑しい?」

「いや、閉じ込められていたから、てっきり断片的にしか話せないものだと」

「ジェイドが文字を教えてくれた。発音も話し方も」

 俺は資産家ジェイドのことを知らなかった。ただ依頼されて枯らそうとしただけ。

 バランが言うには有名な資産家で、裏で政治家への賄賂、宝石の違法採取を行なっている人物。人攫いをしたことを善いとは言えないが、ラルカに文字を教えているあたり、少しは善人であったのかもしれない。

 少し、宝石の違法採取という言葉に引っ掛かった。ラルカが差し出したガラス玉、あれはラルカ自身が取り出したものじゃないか? 加えて、ジェイドはラルカを『石の子』と呼んでいた。きっとラルカは、俺と同じ部類の人間なのかもしれない。

「でも、ジェイドは私を傷つけた」

 瞳の中の暗がりは一段と深みを増した。相変わらず無表情だが、ラルカの中にある感情は熱を帯びている。これを彼女は怒りと理解しているのだろうか。粒になって湧く一つ一つは痛いほど熱いというのに、心が揺れ動く様子はない。

「逃げようとは思わなかったのか?」

「逃げたところで居場所がないから」

 あまりに穏やかな口調だった。居場所がない現実を話すには淡々としていて、先ほどまでの熱を静かに消し去っていた。

「しばらくここに居ればいい」

「いいの?」

「怪我人を追い出すほど、俺は非情じゃない」

 ラルカが少し落ち着いたのを見て、俺は朝食の準備を始めた。普段は日が昇る前に朝食を済ますが、今日は部屋全体が明るくなるほど日が昇っている。

 材料を取りに台所の床下倉庫を覗くと、新鮮な野菜はほとんど無く、芋などの根菜しか残っていなかった。

「しまった、昨日ほとんど使ったんだ」

 屋敷での任務を終えたら、しばらくは別の場所で身を潜めるつもりだった。だから昨日、残っている食材を使ってしまったのだ。

 保存のきく物は残っていたので、二人分の食事を作るには十分な量であるが、ラルカは怪我人だ。何か栄養のあるものを食べさせなければならない。そもそも、今まで何を食べてきたんだ? 留守番させて、何か適当に買ってくるか。いや、ここに一人で残してバランにでも見つかる方が危ない。他の奴らに指一本触れさせてたまるか。いっそのこと、どこか遠くに隠してしまおうか?

「今から街へ行くが、どうする?」

 街という言葉に興味を示したのか、「行ってみたい」と口にした。しかし、今のラルカの格好はあまりにも痛々しい。所々千切れ、深紅に染まったワンピース。この格好で外に出たら、ただの怪我だと誤魔化すことはできない。

「あー、服も買わないといけないな。とりあえず、服を貸すから、それを着てくれ」

「うん」

 貸すと言ったものの、洒落た服なんて持っていない。街の雑貨屋のウラハなら洒落た服をいくつも持っているだろう。手袋の修理の代金を持っていくついでに、何か貸してもらえないか頼んでみよう。

 ラルカには俺が持っている服の中で、シンプルかつ小綺麗なものを渡した。薄灰色の麻のシャツに、ヨモギを潰したような深い緑色の作業用ズボン。小柄なラルカにはかなり大きいが、裾をまくればどうにか着れそうだった。

 住処の裏から荷車を引き出し、いくつかの木箱と木綿の袋を乗せた。その一角にラルカが乗れそうなスペースを作り、乗り込んでもらった。街まで小一時間かかるが、ずっと歩かせるわけにはいかない。

 荷車を引き始めると、ガラゴロガラと重たい車輪の転がる音がした。

 丘の麓にある住処から街までは、小さな森を抜けて、荷車がすれ違えるほどの広さの道をまっすぐ進んでいく。今日は雲がほとんど見られない快晴だ。どこか置き去りになっていた気持ちが自然と晴れていく気さえする。

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