第八十五話 バンブー公爵

「あの……俺の母さんの病状は?」


「もう諦めてくれ。私にはどうにもできないよ」


「でも! 母さんを治せる魔法薬があるって!」


「その魔法薬はとても高価なんだ。残念ながら、私では仕入れられないのさ」


「先生! なんとかお願いします! 俺が一生かけても代金を返済しますから!」


「なあデク。お前は先週、工房をクビになったばかりじゃないか。次の働き口すら見つかっていないのに、高価な魔法薬なんて買えるわけがないじゃないか」


「仕事はすぐに見つけるから!」


「たとえ仕事が見つかったとしても、日々の生活で精一杯のはずだ。魔法薬を買えるわけがない。なにより、今のライヒに働き口なんてないよ」


「宿とかお店とか……」


「デク、お前もわかってるだろう? そういう仕事はスラムの住民には回ってこないんだよ。以前は雇っていたんだが……問題が多くてな。次の患者のところに行く。親子二人きりの時間はわずかだ。それを大切にな」


「先生! お願いします!」


「すまないが、私ではその魔法薬は仕入れられないんだよ。お金がないし、スラムの住民を見ている医者に、ツケや月賦で魔法薬を売ってくれるお店がないんだ。じゃあ」


「先生!」




 お母さんが死んでしまう!

 俺が生まれたばかりの頃、父が工房の事故で亡くなってしまい、それから母は再婚もせず、苦労しながら懸命に俺を育ててくれた。

 おかげで俺は無事に成長し、とある大きな工房で働けるようになった。

 上を見ればキリがないが、それでも母一人子一人ならなんとか暮らしていけるだけ の収入を得ることができるようになったのだ。

 ようやくお母さんに恩返しができると思った矢先、長年無理をしていたお母さんが病気で倒れてしまった。

 不幸は重なるもので、それからすぐに不景気だからという理由で、俺はその大きな工房をクビになってしまった。

 他のスラムの住民たちの多くもクビになったそうだ。

 近所のベン爺さんが教えてくれた。

 昔から、ライヒにある多くの工房では、仕事があればスラムの住民を雇い入れ、仕事がなくなればクビにしてしまう。

 『雇用の調整弁』とベン爺さんは言っていた。

 俺たちスラムの住民は、ライヒのイメージを落とすからという理由で町に住む住民たちから嫌われ、 工房を営む金持ちたちからは都合よく利用されるだけの存在なのだ。

 頭にくるが、今はそれよりもお母さんの病気を治さないと。

 それにはお金が必要で、俺は一日でも早く次の仕事を得ようと毎日奮闘していたが、残念ながらそれも叶わず、もう蓄えが尽きかけていた。

 お母さんの病は、とある魔法薬があれば完治するものだとお医者さんが教えてくれた。

 だがその価格はとても高く、今の俺には到底買えなかった。

 医者の先生もその魔法薬を買うお金がないと、申し訳なさそうな表情を浮かべた。

 腹立たしくあったが、ベンの爺さんが前に言ったんだ。

 先生を責め立てるのはやめろと。

 今では、スラムの住民を格安で診療、治療してくれるのは先生だけになってしまった。

 以前は何人かいたらしいが、バカなスラムの住民が往診に来た医者の先生に強盗を働いたり、その際に大怪我をさせたり殺してしまったりして、今スラムの住民を診てくれる医者は先生だけになってしまったのだと。


『スラムの住民を診ているという理由で様々な不利益があるそうだ。他のお医者は診察や治療に必要な道具や魔法薬を月末払いのツケで仕入れられるが、先生は現金払いでないと購入できない。スラムの住民ばかり見てるから信用がないのだそうだ。そのせいで奥さんに出て行かれてしまったとも聞く。普通医者といえば高収入だ。それがほぼボランティアでスラムの住民ばかり診ていればな……。先生を責めてはいけない』


 どうしてお母さんを治してくれないのか?

 俺は次の患者のもとに向かう先生になにも言えなかった。


「お母さん、じきによくなるから」


「もういいよ、ベン。自分の体は自分が一番よくわかる。私はもう長くないから、私が死んだらあなたはこのスラムから出て行きなさい」


「お母さん……治る人を置いてはいけないな」


「私は小さなあなたを抱えてスラムを出る勇気がなかったから……。私が死ねばあなたは一人なのだから、いくらでも自由に生きられるはず。ここに住んでいる人たちには様々な事情があるから悪し様には言えないけれど、ここにいる限り、苦しさから逃れられないよ。だから……ううっ……」


「お母さん!  お母さん!」


 無理をして沢山喋ったようで、その後お母さんは様態が急変して意識を失ってしまった。

 俺は職探しを中止して、お母さんの看病を続けたが……。


「デク、お母さんは天国に旅立った」


「嘘だ!」


「私も出来る限りやったのだが…… やはりあの魔法薬がなければ……。すまない。私には一括で買うことができなかったんだ……」


「先生……ありがとうございました」


 俺は、先生を責めることはできなかった。

 先生は、スラムの住民など診なければ奥さんに逃げられることもなく、医者として豊かな生活を送ることができたというのに、スラムの住民のため毎日頑張ってくれているのだから。

 それに、この前聞いてしまったんだ。

 町の住民たちが先生のことを『せっかく医者になったのに、スラムの住民になんて関わったがばかりに、俺たちよりも貧しい暮らしをしている愚か者』だと噂していたのを。


「デク、君が喪主となって葬儀をあげなければいけないが ……残念だが教会は……」


「そうですね……」


 医者は先生がいるだけまだマシなのだ。

 それよりも酷いのは、スラムの住民が死んだあとの話だ。

 人が死ねば葬儀をしなければならないが、残念ながら教会は……ライヒの教会はスラムの住民の葬儀をあげてくれない。

 なぜなら、 葬儀代金とお布施が払えないからだ。

 今では、教会の信者だと公言するスラムの住民は一人もいなくなった。

 神は……その代弁者である神官は、すべての人間は平等だと言う。

 だが現実はこんなものだ。

 埋葬場所も、あそこしかない。

 町の墓地では、スラムの住民を埋葬してもらえないからだ。


「今夜、お別れをしてからお母さんを埋葬します」


 母一人子一人で最後の夜を過ごし、俺は亡くなった母さんを背負って町外れのとある場所へと向かった。


「ここは、いつ綺麗になるのだろう……」


「ワシもデクも生きてはおるまい」


 葬儀には近所の人たちや、ベン爺さんも参加してくれた。

 スラムの住民の葬儀に神官は来ず、この町外れの汚染された場所に埋葬して終わりだ。

 かつてここには、多くの大規模な工房が軒を連ねていた。

 だがあまりにも汚染が酷くなり、この地は放棄されたのだ。

 現在では、ここに入り込む人間といえば、町の墓地に遺体を埋葬できないスラムの住民だけであった。

 お母さんをこんな汚れた土地に埋葬するのは嫌だけど、スラムの住民には他の手段が存在しないから仕方がない。

 みんな泣く泣く、ここに亡くなった家族を埋葬するのだ。


「デク、これからどうする?」


「 仕事を探して金を貯めて、スラムを出るよ」


「それがいい。ワシはもう年寄りなのでな。スラムで死ぬしかないが、デクは違う。新天地で一からやり直した方がいい。ただ、今はこの町は不景気なのでな。 工房の求人はほとんどない。商会や観光の仕事は、我らスラムの住民には回ってこない。職探しは大変かもしれないな」


 お母さんが亡くなった悲しみに浸る余裕もなく、俺はスラムを出ていくために必要なお金を貯めるため、職探しに奔走することとなった。

 だが、なかなか次の仕事が見つからなかった。


『うちは間に合ってるから』


『今は不景気でね』


『新ラーベ王国が好景気になってきたようでね。徐々に仕事は増えてきているんだが……もう少し待ってくれ』


 なかなか仕事が見つからず、ついに蓄えが尽きてしまった。

 町の噂だと、北に勃興した新ラーベ王国の景気がとても良くなったそうだが、思っていた以上に仕事が増えなかったそうだ。

 なんでも、国内の人たちに優先して仕事を回しているとか。

 そして、もう一つ衝撃的な情報が入ってきた。


「少し日雇いを入れることにしたんだが、町の住民が結構応募してきてなぁ。最近観光客も減ってるらしくて景気が悪いみたいだ。だからスラムの住民はねぇ……」


「そんな……」


「この前、またスラムの住民が夜中に工房に入り込んで強盗殺人をやらかしたらしいからな。なんでも、その工房をクビになった腹いせで仲間たちに情報を提供したそうだ。だから暫くは、スラムの住民を雇う人はいないんじゃないか?」


「仕事がないと俺は!」


「お前さんはそんなことしないかもしれない。だがな、お前さんの家族や知り合いはわからないだろう。悪いが諦めてくれ」


「そんな……」


 それでもどうにか仕事を探そうとしたのだが、雇用主全員から同じことを言われてしまった。

 スラムの住民は信用ならないと言い放ち、これまでは自分たちの都合で安く扱き使っておきながら、必要がなくなれば切り捨てる。

 トボトボとライヒの町を歩いていると、不景気とは言いながらも楽しそうな観光客と、家族連れで買い物や食事を楽しむ町の人たちが沢山いた。


「俺と、彼らはなにが違うんだろう?」


 生まれた場所なのか。

 だがそれでは、俺にはどうしようもできないではないか。

 人は生まれを選べない。

 なにより腹が立つのは、亡くなった母は貧しさに耐えながら、犯罪に手を染めることもなく真面目に俺を育ててくれたんだ。

 そんな母が馬鹿にされているような気がして俺は……。


「おいっ! 土下座をして頭を下げろ!」


「えっ?」


「早くせんか!」


 突然、貴族の私兵と思われる連中に槍の石突で強く小突かれ、地面に這いつくばる羽目になってしまった。


「ザクセン王国の宰相にして財務卿であらせられるヘーゾー・バンブー公爵様がお通りだ! 平民どもは土下座をしろ!」


「顔をあげたら叩き殺すぞ!」


 まるでチンピラのような口を利く私兵たちにより、俺のみならず道を歩いていた全員が道の端に土下座をすることになるてしまった。

 これまで、こんなことをさせた貴族たちは一人もいなかったというのに……。

 そんな風に思っていたら豪華な装飾の馬車が走ってきて、いかにも高級そうなお店の前に止まった。


「今日は、私が気に入る品があるといいがね」


「バンブー公爵様ぁ、私、新しいアクセサリーが欲しいですぅ」


「いいぞ。なんでも買ってやる」


「公爵様、大好きぃ。今夜はサービスしちゃうから」


 あれが、ベン爺さんの言っていたヘーゾー・バンブー公爵か……。

 ザクセン国王のお気に入りで、実質彼がザクセン王国の国政を取り仕切っているという。

 随分と若くて綺麗な女性を連れているが、バンブー公爵は六十歳前後くらいに見える。

 愛人なのであろう。

 俺は貧しくて、結婚どころか、女性ともあまり話したことがないけど……。


「しかし、この町も景気が悪くなったな。再開発するか」


「再開発ですか?」


「ああ、ゴミどもが巣くっている場所があるだろう。臭くて溜らん! あそこを再開発して安い料金で泊まれる宿を作り、他国からの観光客を呼び寄せよう。工房の方は……もっと賃金が安い地方に移させるか。まったく、このヘーゾー・バンブー公爵がいなければなにもできない穀潰し共が」


「……」


 スラムを取り潰すだと……。

 怒りのあまり、俺はバンブー公爵に殴りかかりたかったが、今それをしたら確実に殺されてしまうであろう。

 ただ我慢しながら土下座をするしかなかった。


「(こいつが……)」


 こいつのせいで俺は仕事をなくし、母は亡くなり、ついには住処まで奪われてしまうというのか……。

 今すぐにでもこいつを殺したいが、残念ながらバンブー公爵には多くの屈強な私兵たちが守っていた。


「今日は、まあまあの品揃えだったな。よかったじゃないか、ベティー」


「バンブー公爵様ぁ、大切にしますね」


「その程度のアクセサリー、いつでも買ってやるぞ」


「ありがうございます。バンブー公爵様って男らしいですぅ。五百万リーグもするのに」


「その程度、私からすれば端金さ」


 五百万リーグが端金だと!

 その金額で、俺の母は治ったはずなんだ!

 俺からしたら五百万リーグは途方もない金額だというのに、大貴族というだけで同じ金額のアクセサリーを愛人に……。


「早く屋敷に戻ってなぁ」


「バンブー公爵のエッチぃ」


「ははっ、早く馬車を屋敷まで走らせろ」


 バンブー公爵と愛人を乗せた馬車はその場から姿を消したが、俺は怒りのあまり土下座をしたままそこから一歩も動けずにいた。


「許せない……あの野郎……」


 愛人に軽い気持ちで買ってやったアクセサリーよりも、俺のお母さんの命は劣るというのか?

 ただスラムに生まれたというだけで、俺たちを安金で扱き使い、いらなくなれば厄介払いして、困窮して犯罪に走った仲間がいれば全員をゴミ扱い。

 そんな政治をしている大貴族は、こんな時に愛人にアクセサリーを買っていやらしい笑いを浮かべている。


「こんな国は間違っている……」


「そうね。間違ってると思うわ」


「えっ?」


 まさか自分に賛同する人がいるとは思わなかったので、俺は驚きのあまり顔を上げた。

 するとそこには、一人の冒険者らしき若い女性が立っていたのだ。


「この国は一見とても綺麗だけど、一枚皮をめくればとても汚いわ。言わば偽りの綺麗さよ。それをなんとかしたいと思わない?」


「思う! だが……」


 残念ながら、俺にはその力が……。


「力が欲しいのなら、ここにあるわよ。手に取れば、あなたは力を得られるわ」


「力を?」


「そう、あなたを、スラムの住民を、この国を不幸に陥れているバンブー公爵でも簡単にひねり潰せるほどもね。あなたは力が欲しい?」


「欲しい!」


 力があれば!

 力があれば、俺のお母さんは死ななかった!

 力があれば、俺は仕事を失わなかった!

 力があれば、たとえスラムの生まれでも普通に暮らせた!


「ただそこで這いつくばって嘆くよりも、力を手に入れれば、あのどうしようもないバンブー公爵を殺して世を正せるわよ。彼こそが、この国の格差を生んでいる戦犯なのだから。怖いのなら別にいいけれど」


「怖くなどない!」


 俺は彼女の手の平からひったくるようにして、青い玉を手に取った。

 するとその青い玉は、すぐに体の中に入っていく。

 不思議と全然痛くない。


「大丈夫なのか?」


「大丈夫よ。すぐに大きな力を得られるわよ」


 彼女がそう言った直後、俺の体がまるで燃えるかのように熱くなり、続けて自分の体が大きくなっていくのを確認できた。


「力とは、こういうことなのか!」


「ええ。機械大人となり、圧倒的に増した戦闘力によって、 バンブー公爵も、ライヒの町も、ザクセン王国も……そして……」


「うぉーーー!」


「所詮は低能なスラムの住民ね。もうほとんど知性は残っていないでしょうけど、恨みとは本能なのよ。きっとバンブー公爵は悲惨な最期を迎えるはずだわ」


 お母さん……俺は必ず、このクソみたいな世界をすべて破壊してやる!

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