第16話 窮地の希望
「グオォォオオォォオォオォオォーーーッッッ!!!」
身体全体が震える程のオークの咆哮をを掻い潜りながら四人は一心不乱にひた走る。先頭を宗一とセーニャ、それに追随する形でリーナとヴィルナが続いていた。
オークの肩に居座る異形は既にアンテナの様な形ではなく、四人それぞれに数多の視線を振り分けて警戒しているようである。宗一は異形を睨み付けるが、そこに辿り着く為の道は無い。歯痒い思いを感じながら手にした棒を固く握った。必ず機は来る、いや、必ず機を作るのだ。
「ガァアアァァアーーーッッ!!」
オークの咆哮と共に岩石の様な拳を無造作に振り下ろす!
「皆、作戦開始だ……行くぞっ!」
しかし四人はそれに臆する事なく振り下ろされた拳を掻い潜り、各々の役目を胸にオークの足元へと向かって行く。地面に着弾した拳が背中を覆うような衝撃波を放つが、宗一は臆する事なく走り続ける。
「……どこかの無い乳が一々五月蝿いからな、もう下らん事は言わんぞ。ふんっ!」
「聞こえているぞ馬鹿乳っ!」
「ちっ……耳聡い奴め……まぁいい、では作戦通りに私から打つぞ! 用意はいいな!」
先ず最初に足を止めたのはセーニャである。拳を避けた後、素早く三人から大きく離れた所まで走り抜け、弓矢を構えると矢継ぎ早に二の矢、三の矢が放たれる。その何れもがオークの顔を的確に捉えていた。セーニャ以外の三人は足を止める事なく放たれた矢の行き先、いや、矢が的中する瞬間を見逃すまいと意識を集中している。
「グゴォォ……ッッ!」
セーニャが放った矢はまたしてもオークの頑健な皮膚を貫く事は叶わなかったが、四人は矢が当たった瞬間をその目で確認した。オークは矢が当たる瞬間、まるで矢が当たるのを避ける様に目を瞑ったのである。
「よし、やっぱり前に矢を受けた時と一緒だ、矢に対して目を瞑って反応している。きっと完全に正気を失っていても反射神経は働いていているんだ!」
「宗一の言っていた通りですぅ!」
「よし、では次は私だな。宗一、死ぬなよっ!」
「わかってる、二人も気を付けろよ!」
次に足を止めたリーナは、大股を開いて槍の石突部分を下に思い切り突き立てた。胸元の魔石が一瞬輝きを増し、辺りに爆風を巻き起こす。
「……俺はこの場所だな。リーナ、ヴィルナ……後は頼んだっ!」
爆風が巻き起こした土埃の中で宗一を残してリーナとヴィルナは更に先へと進んでいく。一方で残った宗一は先程集めて置いた手頃な石を布でくるんで振り回す、これは最も原始的で簡単な投石機である。布の片端は結び目が作られており、それを小指と薬指の間に挟んで固定し、もう片端を親指で確りと掴んで振り回す。それを振りかぶって適度な角度で親指を離せば石をより遠くへと投げる事が出来るのだ。
「ん……あれ? これ結構難しいな……」
誤算だったのは、生半可な知識だけでは石を目標に目掛けて当てることは難しいという事。
そして──
「ゴブフゥゥゥウゥゥゥウゥーーーーーーーッッッ!!!」
「うおぉぉっ!? なにしやがる!」
目眩ましのために巻き起こした土埃がオークの息で吹き飛ばされたという事である。
「え、ええぇぇーーーーーっ、嘘だろっ!?」
見上げた宗一を嘲笑うかのようにオークの顔が醜く歪む。左肩の異形とオークの視線全てが宗一に集まっている、宗一は背中に冷やりとした物を感じた。オークの攻撃が来る!
「落ち着け、落ち着け落ち着け! 拳が来る程度ならよく見れば避けられる、大丈夫だ! 何が来る、よく見ろ……っ!」
「ゴガアアァァァーーーーーッッ!!」
「来た、来た来た、拳を振り上げたぞ! 横に逃げろ、逃げ……?」
それは拳、ではない。オークは中々当たらない拳に業を煮やしたのか、両の手を開き滅多矢鱈に叩き始めた!
「冗談だろ!? おい、これやば、やっば! 死ぬ、死んじまう!」
宗一は襲い掛かる手の平を懸命に避ける、避ける。オークの狙いは大きく離れているのもあれば的確なものもあり、宗一はそれを必死に避け続ける。一歩間違えれば見るも無惨に圧死という状況が何回も続くが、それでもオークの手元から逃げなかったのはリーナとヴィルナを危険に晒さない為である。二人は土埃に紛れてオークの死角、オークの両足の踵へと辿り着いていた。
二人の場所はもしオークが地団駄でも踏めば大惨事になる場所であり、また少しでもオークが二人に注視すれば気付いてしまうかもしれない場所でもある。宗一はオークと異形の注意を引くために少しずつ下がりながらも死の危険に身を踊らせ続ける。
「うひぃ、石を投げる暇も無いな……っとぉ!?」
オークの手の平が宗一の数歩横に落とされる、そして逆の手が宗一を挟む様に落とされた。その両手は宗一を包むように開くと徐々に狭まっていき……。
「まずい、このままじゃ挟まれ──」
「グオォォォオォーーーーーッッッ!」
ガンッ! とまるで岩同士がぶつかる様な音を立てながらオークの両手は思い切り閉じられた。その衝撃で辺りに土煙が舞い上がる。
(((宗一ぃっ!!)))
三人は直ぐにでも駆け寄りたい気持ちを抑えて成り行きを見守る。各々が今この場所を離れては元も子も無いからである、宗一を信じるしかないのだ。大丈夫、きっと大丈夫。胸が押し潰されそうな言い様の無い不安が三人を襲う。
オークの両手を囲んでいる土煙が徐々に薄くなっていく、宗一は……居ない、まだ見えない。土煙が晴れていくに従って三人の緊張が高まっていく。
「そう……いち……?」
セーニャの口から乾いた声が漏れる。居ない、宗一が見当たらない。目を皿にして探すが見付からない、駄目、駄目だ……失敗、したのか。
失敗、それは宗一がオークの両手に擂り潰された事を意味する。そう理解した瞬間、セーニャは身体中の血が目まぐるしく押し流されていくのが感じられた。沸騰しそうな血流に思考が支配されていく、血走る目に歯軋りの音が脳髄に響く。腹の底から吹き上がる憤怒が身体を震わせているのだ。セーニャは大きく息を吸って感情が昂るまま、声ならぬ声をあげようとした……その瞬間、セーニャにとっての死角、オークの手の影から石が一つ放たれた。それは吸い込まれる様に一条の軌跡を辿りオークの額へと向かっていくと、直にゴツッと当たって砕けた。
「おっらーーーんっ! どうだ、見たかこの野郎! 今のは完璧なスローポイントだったろ、やったぜわっしょい!」
両手を上げて小躍りしそうな声の調子で宗一がオークの手の影から現れる。三人は宗一の無事を確認すると心の底から胸を撫で下ろした。
「全く、宗一の奴め。心配を掛けてくれる……」
セーニャはそう独り言ちてから驚いたように口元を抑えた。先程の身体を震わせる怒りも、宗一の姿を確認してからの安堵も、他者にここまで感情が揺り動かされる事が自身には初めてであった。里での暮らしに個は無く群であることを余儀無くされており、またそれが当然と思っていた。それが根底から覆されそうな自身のこの感情に戸惑いと少しの恐れが入り交じる。ましてやそれが人間の男とあっては……。
「おりゃっ! おりゃっ! もひとつどっこい! ん、んむぅ……さっきのあれはまぐれ当たりだったのか?」
当の宗一はそんなセーニャの思いなど露知らず、先の投石の結果に気を良くしたのか何度も石を投げていた。結果は明後日の方へと二個三個と飛ぶばかりではあったが。
そして宗一の無事に安堵した三人とは対照的に、今まさに怒りを爆発させんとする生物がいる。いや、その汚泥に身を俏した呪詛の象形たる物を生物と呼んでいいものか。宗一の度重なる阻害に加えて、自身の分身体を踏み潰された異形はその身を震わせて怒りを露にする。真っ赤な汚泥は更に赤黒く染まり、数多の目は見開いて宗一を真っ直ぐに射抜く。
「……怒った、かな?」
何処か他人事な物言いだが、宗一は異形とオークの一挙手一投足を見逃さない様に身構えている。異形が己に怒りを向けて集中するのはむしろ望んでいる展開であった。投石も投げ掛ける言葉もその為の挑発であったと言える。そして次の瞬間、異形の憤怒がオークを通じて露になるが如くオークが強く吠えた!
「バオオオォォォオオォォーーーーーーッッッ!!!」
一際大きい咆哮の後、オークの両手がより高く振り上げられた。その憤怒を叩き付けるが為に背は限界まで反り返り、腕も目一杯に伸ばされている。もしその拳が地面に叩き付けられればその衝撃は計り知れないであろう。しかし宗一はこの千載一遇の機を逃さない、勿論他の三人も思いは一緒である。この瞬間を四人は待っていたのだ。宗一はセーニャの方へ声を投げ掛ける!
「セーニャ! 準備はいいか!?」
「ふん、とうに準備は済んでいる……この瞬間を待ちわびたぞ!」
セーニャは矢を番えて弓を引き絞る。先程までの簡単な出来の矢尻ではない、煌々と燃える特別製の矢尻である。最初の矢を射った後、この矢を準備するために暫し身を隠していたのだ。ゆっくりと息を落ち着けながら独自の感覚を頼りにオークの顔へと照準を合わせる。その最中、セーニャはオークに挑む直前の会話を思い出していた、それは宗一が作戦を説明した時の物である。
──宗一は三人を落ち着かせる様に手で抑えながら作戦を説明していた。
「えーと、それで皆、良く聞いてくれ。仕掛けはセーニャ、作戦実行はリーナとヴィルナ。そしてそれまでの囮は俺がやる」
「待て待て、作戦は理解できるが宗一だけを囮に使うというのもな……それは余りにも危険すぎるだろう、せめて囮は二人にしないか?」
「そうですよぉ……」
「うむ、一人は止めておいた方がいいだろう。まかり間違って転びでもすれば懺悔の間も無く殺されるぞ? おーそうだそうだ、代わりにセーニャを囮にしようじゃないか。ついでにその腫れた物も潰して貰おう! うんうん、これは名案だな!」
ぽんっと芝居掛かった動きで手を叩き、リーナがセーニャを見た。正確にはその豊満なその胸を見たのである。
「やれやれ、まーた無い乳の嫉妬か? 本当に仕方のない奴だな。いいか、その目でよーく見ておけよ……」
余裕たっぷりな態度でセーニャはリーナに見せ付けるように両手で胸を下から撫でるようにゆっくりと持ち上げ、ぶ……るんっと揺らした。宗一はその余りにも唐突で扇情的な光景に思わず吹き出した、この状況の中では眼福なのだが目に毒でもある。一方で見せ付けられたリーナはわなわなと震えて「おま……っ」と絶句していた。
「おい無い乳、そんなに震えてどうした? 何かあったのか、ん?」
セーニャは尚もぶるん、ぶるんと乳房を手で持ち上げたり揺らしたりしてその豊乳振りをアピールした。リーナはそれをまざまざと見せ付けられ、「ぐぎぎぎぎ……っ!」と顔を真っ赤にして歯軋りを鳴らす。悲しきかな、その目には少し涙を溜めていたのであった。
そのまま二人が馬鹿乳だの絶壁だの言い合っているのを余所に宗一の服がくいっくいっと引っ張られる。顔を向けるとそこにはヴィルナが「えへへ……」と微笑んでいる。ヴィルナはそのまま宗一の耳朶に甘い吐息が掛かる所までゆっくりと近付いた。
「私はぁ……セーニャのあれ、ギリできますぅ❤️」
「へ、へぇ……ど、どうしてそれを俺に言うの?」
「宗一がぁ……したいかと思って、ですぅ❤️」
うん、したいっ! とは言えない状況なのが宗一を落胆させた。オークと異形の驚異は未だ目の前にあるのである。
「ぐっぐぐぐぎぃ……宗一ぃ! おま、お前はどうなんだ! これを見てどう思うんだ、言ってみろぉ! 勇者であるからには当然、ふしだらで下劣なお荷物にしか見えないよな? な!?」
セーニャとの言い合いの最中に発せられたそのリーナの苦し紛れの言葉に宗一は大いに困った。自慢気に乳房を揺らすセーニャの痴態の一部始終は只々えっちにしか見えなかったからである。
「宗一ぃ! まさかあんな品性の欠片も無い阿呆馬鹿乳エルフに対して興奮しているんじゃないだろうな! 勇者なのに、勇者なのにそんな事は無いよな!?」
返答に詰まる宗一にリーナは詰めよって畳み掛ける。このままでは胸倉を捕まれそうな勢いだったので、宗一は手でリーナの興奮を落ち着かせる様に宥める。
「おいおいリーナ、男で、しかもまだ若い宗一を責めるのは酷というものだろう。それに、悔しいのならリーナも揺らしてみればよかろう、ん? んー、出来ないか、そうかそうか……」
「……や、やってやるわぁぁーーーっっ! 少しでも揺らせばいいんだろ揺らせばぁっ! ばっか、お前この……よっく見ておけよこの馬鹿ぁ!」
度重なる挑発にリーナは堪えきれなくなったようで、あろうことかいそいそと服を脱ぎ始める。それが乳の揺れと関係するかは不明だが、宗一は慌てて二人を大声で諌めた。
「とにかく! とにかく俺が囮になるから! 三人とも、どうか頼むぞ! 特にセーニャとリーナ! 本当にしっかりやってくれよ?」
「や、やるけどぉ……だってセーニャの馬鹿が私を虐めるぅ……ぐすっ」
「作戦はわかっている、抜かりは無いさ。しかし、やはり宗一を一人で囮に出すのはな……」
「はい、それに兄上がどういう動きをするか予想も付かないですぅ。宗一の場合、あの指先が軽く擦るだけでも危ないと思うですよ……」
泣きべそをかいているリーナを含めた三人は心配そうに宗一を見る。しかし宗一はその視線を一身に受け止めて頷いた。
「覚悟の上だ。俺はセーニャの様に弓を射つ事も、リーナやヴィルナみたいに力も技も無いんだ。それに──」
そこで宗一は口をつぐんだ。先程までのオークとの対峙で異形は数多の瞳で此方側の全員を監視している様であった。そうなるとオークと共に異形の注意を完全に引いたと確認出来るのはやはり宗一自身しか居ない。それを説明する時間は無いのだ、宗一は覚悟を決める。
「……それに?」
ヴィルナがこてんと首を傾げて聞き返す。
「いや、とにかく囮は俺だ。あと、セーニャには少し難しい事を頼みたいのだけど……オークが吃驚する物、例えば爆発する物を弓で射つことは出来ないだろうか? 殺傷力は無くてもいい、とにかく目の前でぶわっと火が拡散する様な仕掛けは作れないだろうか? そしてそれをオークが目一杯手を振り上げた時に射って欲しいんだ」
──セーニャはその宗一の言葉を思い出していた。正に今、眼前の巨大なオークが手を思い切り振り上げた所だ。耳の隣で引き絞った弓の弦がキリキリと音をたてて発射の瞬間を今か今かと待ち構えている。そして弓の先、矢尻にはある仕掛けが取り付けられており、それが激しく燃え盛っている。
そしてオークが全力を目の前に叩き付ける為に両手を限界まで振りかぶったその瞬間、セーニャは弓の弦を離した!
放たれた矢はヒュンッと鋭い風切り音を鳴らしながらオークへと向かっていく。燃え盛る矢尻が宗一にも見て取れる。やがてその炎は身体を限界まで仰け反らせて力を溜めているオークの眼前に迫ると、ヒュバッと炸裂音を響かせてオークの顔を炎が包んだ。それは一瞬の仕掛けに過ぎなかったが、オークは目を見開いて反射的に身体を更に仰け反らせた。オークの重心が体幹より大幅に後方へとずれているのがわかる。宗一はオークの踵部分で待機していた二人に合図を送る!
「おぉーーい、二人とも今だぁーーっ! 思い切りぶっ叩けぇぇーーーーっっっ!!」
「合図が来たっ! ヴィルナ、やるぞぉっ!」
「了解ですっ! それじゃ、いっくでっすよぉーー!」
各々二人は素早く目の前の踵に向かって武器を構える。リーナの胸元の魔石が輝き、その輝きが身体を伝って確りと握られた魔装具へと移っていく。一方でヴィルナは腰を落として全身に力を込めると、やがて身体を淡い土色の光が包み込んでいく。その光は嵌められた腕輪を介してヴィルナの拳を輝かせた。二人はお互いに一瞬だけ目配せを送ると、眼前の踵に向かって思い切り力を奮った!
「はぁぁーー……獣閃衝哮、横押しぃぃぃーーーーーっっ!!!」
「兄上……お覚悟ぉぉーーーーーーっっ!!!」
二人の声と同時に凄まじい音と衝撃が辺りを襲った。宗一は咄嗟に目元を腕で覆い、土埃が舞う中で必死に作戦の成否を伺っていた。
(ど……どうなった!? オークを作戦通りに転ばせる事は出来たのか!?)
土埃に覆われた視界の中で宗一は上空を浮かぶ影を見付けた。先程まではそこには無かった物である。空を横たわる大樹の様な影、宗一が目を凝らしてそれをよく見ると徐々に影ははっきりと姿を現していく。
「やった、あれはオークの足だ! 二人に吹っ飛ばされたん──」
宗一はそこで言葉を詰まらせた、影が更に姿をはっきりと見せたからである。確かに上空に浮かぶ影はオークの足であった。しかしそれは片足だけだ、オークの片足だけが宙に浮いて留まっている。
直ぐに宗一はオークの足下に目を向けた。そこにはオークの片足を吹き飛ばして姿を露にしたヴィルナと、オークの踵に槍を突き立てたまま硬直しているリーナの姿があった。オークは片足ながらも大地に根を張るが如く確かに立っていた……作戦は失敗したのだ。
「あわ、あわわわわっ! あわーーーっ! お、乙女神掌っ! 乙女夢幻爆裂掌っ!」
リーナはその状況に気付き、慌てた様子でオークの踵をペチッペチッと叩き始めたが、オークの足はピクリとも動かない。
「ヴィルナ、逃げろぉぉーーーーーっっ!!」
宗一の声が響く、オークと異形の視線がヴィルナを捉えているのに気付いたからである。ヴィルナは直ぐに逃げようと体勢をととのえたが、身体が上手く動かない。それは元々少ない自身の魔力を絞り出した渾身の一撃を放った反動も少なからずあったが、ヴィルナの身体を縛り付け「あ……あぁ……」と恐怖を吐露させたのは、彼女を上から覗き込む邪悪に染まり醜悪な笑顔を張り付けた実の兄の顔。
「グッググギギギギグゥゥ……ッッ」
オークの下卑た笑いの口の端から抑えきれぬ唾液が漏れ出る。このオークは、実の兄は私を踏み殺すのだとヴィルナは直感した。逃げろと発する危機感を丸ごと塗り潰す様な恐怖の圧迫感が身体を石に変えていく。私は動けない、逃げられない、その視線から隠れる事すら出来はしない。ヴィルナの視界が涙で滲む、やがて滲んだ世界を覆い尽くす様にオークの巨大な足が影を作り、全てが無慈悲に踏みにじられていくのだ。
「たす……け……」
ヴィルナが伸ばした手も、投げ掛けた言葉も宙に彷徨わせたまま、オークは恍惚ともとれる表情でその全てを思い切り踏み抜くっ!
「ガアァアァァァァーーーーーーーッッッッ!!」
「させるかぁぁーーーっっ!!」
もう助けられない、間に合わない。誰もがそう思ったその瞬間、宗一はヴィルナの寄る辺無く彷徨う手を確りと固く握り、まるで大根でも引っこ抜く様に思い切り引っ張った!
「ふっざけんなよ、おらぁーーーーっっ!」
誰に宛てるでも無い言葉を吐きながら、歯を食い縛り全力で引っ張ったせいで宗一自身もヴィルナを抱えながらゴロゴロと転がる。次の瞬間、ドズンッとオークの巨足がヴィルナの居た場所を踏み潰す。間一髪で二人は助かったが、オークと異形は二人から視線を外してはいない。
「宗一ぃ! 立て、逃げろぉぉ! 次が来るぞぉーーっ!」
「うおぉぉぉーーーっ!? 畜生、わかってるよ!」
セーニャの叫びに弾かれる様に立ち上がり、未だにふらついた様子のヴィルナを抱えて走り出す。あれだけの力を発揮するオークの少女は驚く程に軽く、これならば抱えながら逃げられる。宗一は気合いを入れて走り出した!
「リーナも早く逃げろ! 急げ急げぇーーーっっ!」
「うわぁぁーーーーっ! 皆すまん、本当にすまーーーんっ!」
文字通り蜘蛛の子を散らすように三人は逃げ出す。セーニャはその間もオークへの牽制として絶えず弓を放っていたが、一瞬だけ目を瞑らせて視界を奪うのが精々であり、歯痒い思いに顔を苦々しくさせていた。
「グオオォォオオォーーーーーーッッッ!!!」
オークは三人……特に宗一に対して執拗に狙いを定めており、宗一は限界が近い身体に渇を入れながら兎に角走った。しかし何度もオークに叩かれた地面はこの短期間で著しい程に荒れており、宗一は迂闊にも足を取られて転んでしまう。
「へぷっ!」
びたん、と転んだ拍子に胸に抱えたヴィルナも「あうっ!」と悲鳴を上げて転がってしまう。宗一は急いで立とうとするが、オークが怒号を吐き出しながらの左の拳を此方に向かって突き出しているのが見えた。まずい、ヴィルナを拾う時間が無い! 急がないと! 宗一に焦りが滲み出た時、セーニャがヴィルナの方へ駆け寄り、さっと抱えると「宗一も急げ!」と走り出す。宗一も「あぁ、今行く!」と走り出した瞬間、また悪路に足を取られて転んでしまう。
「ガアアァァァァアァーーーーーーッッッ!!」
その瞬間、宗一の目の前にオークの拳が迫る!
「し、死んでたまるかぁぁーーっ!!」
体勢を建て直さずに転んだ勢いのままゴロゴロと更に転がり、宗一は何とか拳との距離を取ることが出来た。その間は僅か一歩程の距離である。宗一がガバッと立ち上がりオークと異形を睨むと、相手側もまた睨んでいるのがわかった。宗一はオークと異形、其々に何か言い様の無い怒りが込み上げているのを感じた。その瞬間、宗一は反射的に走り出していた。オークと異形から距離を取る方向ではなく、オークと異形に対しての最短距離を脇目も降らず走る!
それは数分前までは存在しなかった道。宗一を狙う余りに、中腰で限界まで伸ばされたオークの左腕が真っ直ぐに直線で宗一と異形を結ぶ道となったのである。そこに宗一は飛び乗って走り出したのだ。
「さっきからさ、洞窟だか神殿だか知らないけど……」
宗一は痛む身体も忘れて走り続ける。
「色々と好き勝手してくれてよぉ……」
息が上がる。更に走っているのはオークの腕の上だ、道路の様に舗装されている筈がない。凸凹な悪路を足が滑らないように細心の注意を払いながら走っていく。
「宗一、馬鹿な真似はよせ! 落とされるのがオチだぞ!」
セーニャの言葉通り、もしオークが立ち上がり腕を地面に向けて垂らすだけで宗一は落下してしまうだろう。それでも優に十メートルは下らない高さがあり、充分に致命傷に成りえる。しかし現在オークに立ち上がる様子は無い、不気味に笑っているだけである。
「こっちもいい加減頭にきたぜっ! そこで待ってろ馬鹿野郎がぁ!」
異形との距離は既に半分を切っている。心配そうに見守る三人を嘲笑う様にオークが「グガハァ……!」と顔を歪め、異形がぐじゅり、ぐじゅりと蠢いた。オークが仕掛けてくるのだ、宗一の緊張が高まる。
「ゴゥアァァァアーーーーッッ!!」
「か、掛かって来やがれぇーーーーっ!」
オークは立ち上がるでも無く、また宗一を腕で振り落とす事もなかった。しかしオークの左腕を駆け上がる宗一の頭上にはオークの右手が置かれていた。逃がす気はない、ここで蚊でも殺すかのように俺を潰す気だ。だが宗一は危険を感じながらも走るのを止めない。
「駄目だ宗一、オークに狙われているぞ! 無茶だ、逃げろぉー!」
分かっている、無茶かも知れない。既に俺の頭を狙ってオークの手が迫っているのが分かる。しかし勝機はこの瞬間にしかない、オークの一撃を避けて異形を打ちのめす。もう宗一にはこれしか策を思い付けなかった。疲労困憊の四人ではこれ以上戦う事は難しい、だからといって逃がして貰えるとも思えなかったのだ。ここだ、ここで決着を付ける。宗一は振り下ろされる手を見ながらタイミングを計っていた。
宗一は頭の中で何度もシミュレートをしていた。オークの手をやり過ごすには叩かれる瞬間に速度を上げて振り切るか、逆に一度速度を落として避けるかのどちらかしか考えられない。だが既に宗一は全力疾走の最中であり、ここから振り切る為に更に加速するのは難しい。よって宗一は寸での所で急停止する事を決めていた。既にオークの手は振り下ろされ始めている、勝負は一瞬である。
「くっ、宗一はあのまま行くつもりだ! いくら何でも無茶だ!」
セーニャは直ぐに矢でオークの右手を狙い打つ。数発が的中するが、その程度では勢いを殺す事すら叶わない。
「駄目だ、止められん! こうなったら、目を……っ!」
更に続いてオークの目に狙いを付けて矢を打ち続ける。しかしオークは既に宗一の動きは捉えたと言わんばかりに目を閉じ、そのまま右手を力の限り振り下ろした!
その速度は予想よりも早く、また宗一の姿を完全に捉えていた。急停止も間に合わない、だからといって加速しても振り切れない。そして、ここから飛び降りてもおそらく助からない。宗一の視界の奥で異形が此方を見詰めている、宗一が擂り潰されるのを今か今かと待ち望んでいるのか。宗一の中に奮える怒りが沸き上がるが、それを叫ぶ間も既に残されていない。
「そ、宗一、逃げろぉぉーーーーーっっ!」
「兄上、お願い止めてぇーーーっ!!」
二人の声が辺りに響いた。しかし、その中でも宗一の背中を後押ししたのは二人とは別の声であった。
「宗一、止まるな行けぇぇーーーーっ! オークをぶっ叩けぇ!!」
宗一はそのリーナの声で腹をくくり、全力で走った!
「ガウォォォォオォオォォォーーーーーーッッッ!!!」
次の瞬間オークの右手は完全に振り下ろされて、ガンッと岩同士がぶつかるような音が鳴り響かせた。更にオークはそのまま右手を擦る様にして動かした。手の中の宗一を擂り潰して完全に殺す為である。
オークの上がった口角の端から泡を含んだ涎がぶじゅじゅと聞くに耐えない音をたてながら止めどなく溢れる。右手を何度も何度も擦ると、やがて満足したのか恍惚の笑みを浮かべながらオークは目を開けた。
「──よう、随分と御機嫌な所を悪いけどさ……とりあえず一発ぶっ叩かせて貰うぜぇっ!!」
擂り潰した筈の宗一が、己の左肩に立っている。その怪奇現象にも近い出来事にオークは虚を付かれつつも直ぐに手で振り払おうとした。しかし宗一はそれを許さない、既に手にした棒を異形に向けて力の限り振っている。
オークの右手が宗一を潰そうとしたあの瞬間、宗一はリーナの声を聞いて全力で走った。その瞬間リーナは残り僅かな魔力を使い、宗一を風で思い切り押したのだ。それは言葉と一緒に文字通り背中を押す事となった。そうしてオークの右手を振り切った宗一は直ぐに異形を叩く体勢へと入っていた。それは振り上げ気味のフルスイングの様な体勢であり、振り切れば異形だけではなくオークにも当たる程の踏み込みで宗一は渾身の力を込めて棒を振った!
「くたばれぇぇーーーーっっ!」
宗一の攻撃が遂に異形へと届く。異形は恨めしそうな視線を送るがそんな物は意にも介さない、何があろうとここで異形を叩く。貰った、誰もがそう確信した瞬間、異形が身体を萎ませながら濃い煙を吹き出した!
「な──」
一瞬で宗一の目の前が暗闇で覆われる。色合いは辺りを包む瘴霧と似ているがその濃さは比較にならない程の濃度である。触れば掴めそうな程の質感を持ったその瘴霧が宗一の手に触れると鋭い痛みと肉が焦げる臭いが立ち込める。これは異形の攻撃なのだ。気付いた時には宗一は瘴霧に包まれており、逃げ場はもう無かった。
「む……いきなり宗一が瘴霧に包まれたぞ! ど、どうする!? 私の風で吹き飛ばすか!?」
異形が見えない者からすれば突如として宗一を包むように瘴霧が現れた様にしか見えない。リーナは直ぐに槍を構えるがそれをセーニャは手で制して抑えた。
「駄目だ、あの状態からリーナの風を起こしたら宗一を落としてしまう可能性がある。それにあの濃さ……触ると危険なのかもしれん、私達は下手に手を出さない方がいいだろう」
「おま、セーニャ! あの瘴霧が危険ならば尚の事吹き飛ばすべきだ! 宗一の命が掛かっているんだぞ!」
「わかっている! だけど宗一ならきっと大丈夫、大丈夫だ……」
三人とオーク、更に異形の視線が宗一を包んだ瘴霧の塊に集中する。するとその刹那、瘴霧の塊を突き破り一振の棒が異形の身体を捉えた。異形は身体を打たれながらも棒の先を見る、瘴霧を割って現れたのは淡い光を身に纏った宗一であった。
「──今のは危なかった、対抗策を教えてくれたセーニャに感謝だな! そしてこれで終わりだ……砕け散れぇぇーーーっ!!」
宗一の手にべちゃっと濡れた砂を叩き割る感触が伝わってくる。真っ二つに割れた異形はやはりどこか恨めしそうな視線を送ってくるが、それも長くは持たずに汚泥の様な身体と共に霧散して消えていく。目的は達した……が、それでも宗一の気は収まらない。
「……操られてんだかなんだか知らねぇけど、お前も兄上って呼ばれてんなら……可愛い妹を泣かせてんじゃねぇぇーーっっ!!」
宗一は異形を砕いた勢いをそのままにオークの頬をもぶっ叩いた。それはオークに少しの傷も付けられるものでは無かったが、そうでもしないと宗一の気が済まなかったのだ。ヴィルナの手を引いた時に彼女が見せた一筋の涙が宗一を突き動かしたと言えた。
「グゥアアァアアァァアァーーーーーッッッ!」
一呼吸置いて、オークは叫びながら頭を抱え、身体を振り乱しながら苦しみだした。異形を倒したからであろうか、これでヴィルナの兄が正気に戻ればいいけれど、と宗一は願う。そして──
(ところで、俺はどうやって降りればいいんだ……!?)
巨大なオークの肩から振り落とされないように俯せに寝そべる宗一からは景色が一望できた。先ず目に入るのは新緑に覆われた大森林、中でも崖の上にも続く森の奥に一際大きな大木が見える。宗一を肩に乗せたままオークが踠き苦しむ度にぐるぐると景色が変わる。向こうには砂漠が、向こうには町が、彼方には海が……見渡すだけで感じる宗一の住んでいた世界との隔たり、違和感、しかしそれ以上に感じているのは今ここにある危機感であった。
「だ、駄目だこれ落とされるぅ! あの、お兄さんちょっといいですか!? お兄様!? 兄貴ぃ! あっちょ、これやば……っ!」
「ゴガアァ……ッ」
巨大なオークが大きく仰け反った瞬間、宗一をふわっとした浮遊感が襲う。「……ん、ん!?」と視線を上げるとそこには先程までしがみついていた筈のオークの左肩が見える。自身の状況を理解する時には既に浮遊感は段々と底に引きずり込まれる様な感覚にすり変わっており、それが落下しているのだと気付いた時には加速度的に速度が上がり地面が凄まじいスピードで接近しているのが見えた。地面と衝突するのに幾分の時間も無い、対策も思い付かなかった。
「し、死ぬぅぅーーーーーーっっ!!」
「……ふぅぅぅ……おりゃあぁーーーーーっっ!!」
宗一が地面に衝突する寸前、リーナは胸元の魔石から魔力を引き出し宗一を暴風で包んだ。またしても宗一は柔らかな浮遊感を感じたが、先程とは違い直ぐに硬い地面へと降ろされた。
「宗一、大丈夫か?」
セーニャが宗一を上から覗き込むようにして声をかけた。
「あぁぁぁぁぁ……本当に死ぬかと思ったぁ……いや、今のは危なかったな……」
「ん、おっほん! おっほおっほん! ほら、宗一の危機を救った将来は最高栄誉騎士間違いなしの私にお礼とかあるんじゃないか!? 私が居なければ宗一は落下して死んでいたのだぞ?」
「……あぁ、助かったよ。ありがとうリーナ」
「…………んむっふぅ!」
「ほら、手を貸そう」
リーナの満足気な返事は置いといて、宗一はセーニャの差し出す手を取り起き上がる。
「それで、あのオークはどうなった?」
「うむ、あっちを見てみろ。宗一を振り落とした後、身体が急激に萎んでいってな……あそこで倒れているよ」
セーニャの視線を追いかけると、先程までの巨体は幻の様に萎んでしまったオークが横たわっていた。ただ、それでも集落で見たオーク達よりは大柄に見える。
「宗一……兄上はどうなっちゃったですか? また、目をさましてくれますか?」
ヴィルナは心配そうに横たわるオークを見詰める。
「……ごめん、それは俺にも分からないんだ」
宗一は軽々しく返事をするのが躊躇われた。肯定も否定も断定するには情報が足りないからである。オークに取り憑いた異形を倒すと宿主であるオークにどんな影響が出るのか、完全に正気を失う前なでのオークならヴィルナという例に則った言葉を伝えられるが、完全に正気を失ったオークに憑いた異形を倒すとどうなるのか……。
「ごめんなさい、宗一は出来る事をしてくれたですのに……こんなことを聞いちゃ駄目ですよね」
申し訳なさそうに俯くヴィルナの手を宗一はそっと取る。慰めの言葉は掛けられずとも、少しでも勇気付けたかったのだ。その思いが伝わったのか、此方を見上げるヴィルナは「……ありがとです」と微笑んだ。
「……ところで、さっきからリーナは何をしているんだ?」
リーナは自分の両手を見ながら時折感触を確かめる様に手を開いたり閉じたりしながら、重々しく口を開いた。
「いや、ヴィルナには申し訳無いと思ってな……」
「……えーと、何がです? リーナの言っている意味が私にはちょっと……」
「だからだな、私の乙女夢幻爆裂掌が思いの外オークに効いてしまったようで本当に申し訳無い! まさかここまでの威力を持っていたとは……やはりあのお方の言う通りにこの技は封印しておくべきだった! すまない、皆!」
「……はぁ?」
頭を抱えて懺悔するリーナに三人は理解が追い付かないまま頭を傾げる。宗一とヴィルナは手を繋いだままであるが、お互いに顔を見合わせてリーナの真意を計りかねていた。
「もしかしてリーナの言っている夢幻爆裂掌ってあれか? オークの足をペチペチしていたやつか?」
「先程からそうだと言っているだろ! あとな、乙女夢幻爆裂掌だ。あくまで乙女のみが使える由緒正しき技なのだからきちんと乙女を付けろ!」
「え、と言うことは……お前まさかオークを自分が倒したと思ってるの!? しかもあんなペチペチで!?」
「……違うのか? だって宗一はその棒でオークの頬を叩いただけだろ? そんな事であの巨大なオークを倒せる訳が無い! となると、やはり私の乙女夢幻爆裂掌が覿面に効いたという事に……っ!」
「そんな訳あるかぁ! リーナのペチペチが効いたとか、それならオークの足を吹っ飛ばしたヴィルナの拳の方がまだ可能性を感じるわ! そもそもリーナの技が効かなかったから作戦を変更する羽目になったんだぞ! 無茶な作戦をたてた俺も悪いけど、リーナが申し訳無さを感じるのならむしろそっちの失敗についてだろ!」
「……効いてたもん! 私の獣閃衝哮でオークの足はバッキバキのメッコメコだったもん! 大体私が居なければ宗一は三回、いや百回は軽く死んでいたんだぞ! 勇者とはいえそこのところの感謝を忘れるなよ感謝を!」
「くっ、こいつ……ま、まぁ助けられたのは確かだからな、そこについては感謝はしている。ありがとな、リーナ」
「……んむっふぅ! そうだろぉ? そうそう、宗一のそういう素直なところ、好きだぞ」
宗一が「俺は勇者では無いけどな」と心の中で付け足しながら感謝を伝えると、リーナは鼻息を荒くして満足気味に頷いた。
「おい宗一、余りリーナを調子に乗らせるなよ。五月蝿くなるばかりだぞ」
「まぁまぁ、セーニャもそう言わないでくれ。助けられたのは事実だし、それに説明し辛い事もあるしな……さて──」
目に見えぬであろう異形については言わずに置いといて、そこで宗一が言葉を区切って一呼吸を入れた。三人の視線が宗一に集まる。
「皆、きっともう俺達には余り時間が無い、恐らく増援のオーク達が此処に向かっているだろう。早く神殿に向かおう」
トーンを若干落とした宗一の声が三人にそれだけ状況が逼迫しているの伝える。リーナも先程までの態度も改めて、緊張した面持ちで聞いている。四人は直ぐに切り立った崖へと向かった。
オークがその巨体で守っていた場所は、かつてはオーク達が使って生計を立てていたというが今は只の崖にしか見えない。切り立った茶色の土の崖から瘴霧が今も滲む様に出続けている。
「……入り口が見当たら無いな。ヴィルナ、オーク達は鉱石を掘る為に穴を掘っていたのではなかったか?」
「前は見渡す限り穴だらけになるほど掘っていたですよ。でもここから逃げる時に少しでも呪いが収まればと思って全部塞いでしまったです」
「ふむ……ではどうするか……」
セーニャは腕を組んで崖を睨む。この世界に発破やドリルといった物があるとは思えない、宗一も頭を悩ませた。
「何か掘る道具を探すか?」
「道具があっても掘る時間がな……リーナの技で掘れないか?」
「私の技は便利な道具ではないのだぞ! 無茶を言うな!」
「……いえ、掘る必要は無いのです。宗一、その棒で崖をつついてみてみるのです」
「こう、か……?」
宗一がヴィルナに言われた通り、手にした棒で何度か崖をつついた。するとボロボロと抵抗も無く土が崩れていき、まるで最初からそこに誂えてあった様に洞窟が姿を表した。暗い洞窟の奥からは淀んだ空気と瘴霧が開いた入り口へと這い出る様に押し寄せている。
「……ここには初めからこういう穴があったとか?」
ヴィルナは力無く首を振る。
「何処を掘っても全て同じ様な洞窟に繋がってしまうのですよ……」
宗一は確かめる為に少し離れた場所にも棒を突き立てたが、そこも先程と同じ様にボロボロと土が崩れだして洞窟の入り口へと繋がった。覗き込むと中には淀んだ空気と瘴霧が漂っている。先程の洞窟とは確かに別の位置にあるのだが、これはきっと同じ洞窟だと直感する。宗一は全身に悪寒が走るのを感じた、確かに不気味である。
「……どちらに行っても同じ所に繋がっている気がする」
「そして行き着く先が神殿、か……」
四人は洞窟の入り口の前で中々一歩を踏み出せずにいた。洞窟が醸し出す異常さが皆の足を止めていたのだ。宗一もまたその一人であったが、やがて意を決して一歩を踏み出した。ここまで来たのだ、引き返す気は毛頭も無い。
「──ちょっと待て、宗一!」
「っと、とと……え、どうした?」
宗一は足を踏み出した瞬間にセーニャの声に止められて出鼻を挫かれるが、気を取り直して振り返る。
「いいか、ここから先は私と宗一だけで行く」
「な、何を言うんです! 私も行くですよ、ここで引いてはオークの名折れです!」
「皆が行くなら私も行くわい! だ、大体ここで一人で待ってる方が怖いわ! あ、これは臆病風に吹かれた訳では無いぞ。私を抜いた三人では心許ないからであってだな……」
「……私の目も節穴では無いのでな。二人とも先程の戦闘で相当の魔力を使ったのだろう。リーナの魔石は枯渇寸前だし、ヴィルナに至っては立つのもやっとに見えるが?」
セーニャの言葉に二人は「うっ」と言葉を詰まらせた。
「それに二人にはこの入り口の護衛を頼みたい」
「入り口ですかぁ?」
「あぁ、宗一が見せてくれた通り此方側の何処を掘っても洞窟に繋がるのは理解出来た。しかし逆はどうなんだ、我々が中に入った後にオーク達が現れて入り口を崩壊させたとする。そうなると外からなら幾らでも入り口を作れたとしても、中から出口を作れるとは限らんだろう。それもこんな洞窟なら尚更だ」
「……言われてみれば確かにそうだな」
「うぅ……でもぉ……」
尚も返事を渋るヴィルナの手を握って宗一は言った。
「大丈夫、こっちは任せてくれ! だから……入り口は俺達の為に開けといてくれよな!」
「……わかったです! 宗一もセーニャも気を付けるですよ、何か危険を感じたら直ぐに引き返すのです! 私達は何があっても二人が帰って来るまでこの入り口を守ってみせますから!」
「ふふーん! まぁこの王国騎士団辺境調査隊隊員補佐見習いのリーナ様に任せておけ!」
「まーたリーナの肩書きが伸びてるよ……それじゃセーニャ、行こう!」
二人は各々が用意した松明に火を灯して歩き出す。洞窟に足を踏み入れた瞬間、強烈な違和感が二人を襲う。宗一は思わず振り返って入り口を見た。そこには先程と変わらずにリーナとヴィルナが心配そうに此方を伺っているのが見えたが、差し込む光も二人の気配も何処か頼り無く、とても薄い物に感じられた。
二人が足を踏み入れた場所は入り口でしかないのだ、そこが出口とは限らない……。
異世界の果て、その始まり @kokukosetsu
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