第12話 ンポポの狩り方とその見本

 ──それから時は暫く進み、辺りは完全に闇に閉ざされ深夜を迎えた。焚き火も若干弱まり、寂しげな音を出し始めた頃、宗一の側に這い寄る影が一つ。その影は宗一の寝顔を確認するとその身体を目掛けて、静かにゆっくりと覆い被さっていく。


(……ん? 何かが上に乗ってる……?)


 宗一はそれを確認するかのように身体をもぞもぞと動かすと、確かな存在をその重みから感じた。存在の認識と共に意識が急速に覚醒していく。


(え? だ、誰だ? 敵……敵か!? まずい、とにかく声を出して皆を起こさないと──)


 宗一は反射的に息を吸い込む、感じる感触から相手は小柄だ。弾き飛ばしながら助けを呼ぶ事も容易に思える。


「──しっ! 私です、ヴィルナです。大声出しちゃダメなのです!」


 叫ぶ寸前の宗一の口を手で抑え、圧し殺した声で注意をしたのはヴィルナであった。宗一が目を開けると確かに焚き火に照らされたヴィルナの顔がそこにはあった。更にもぞもぞと身体を動かすとヴィルナは「んっ……」と、声を漏らす。どうやら変な所をさわってしまったようである。


「す、すまない……それでどうしたんだ、何かあったのか?」

「……宗一の……側で一緒に寝てもいいですか……?」


 絞り出したかのようなその声が如何にも心細さを物語っていて、宗一は返事の代わりに両手を開いて「勿論いいよ、おいで……」とヴィルナを受け入れた。


「うぅ、ありがとです……」


 ヴィルナは宗一に改めて覆い被さり、抱き付く形になると宗一をぎゅっと抱き締める。すると必然的にヴィルナの控えめとも言えぬ膨らみが宗一の身体と密接して、否が応でも女性を強く感じさせた。宗一はそれを嫌がるでもなく、受け入れるようにそっと抱き返した。


「……ここに来てから、変なのです」


 御互いに抱き締める形になり、宗一の耳元でヴィルナが言う。


「集落でも感じていた視線が、ここに来てからずっと強く感じるです……」

「視線、か……もしかして、ヴィルナも何かに呼ばれそうなのか?」


 これは昨夜にヴィルナから聞いた話である。オーク達は正気を失う時、何かに呼ばれると言っていた。これもそういう話だろうか、宗一の胸に不安が沸き上がる。


「呼ばれては……いないと思うです。でも、昨夜よりもっと強く視線を感じるんです……確かに見られているという感触だけが身体に突き刺さるように……っ!」


 ヴィルナは宗一の胸に顔を埋める、その言葉の端から微かに泣いているように思える。宗一は優しくその身体を抱いた、親が子をあやすように、または兄が妹を慰めるかのように。


「宗一……私、私……怖いです……っ! 神殿に近付く度に得体の知れない何かが浮き彫りになるように存在感だけが増して……私、明日が来るのが怖いです……っ!」


 胸の上で踞るようにヴィルナが泣いている。その震える小柄な身体を受け止めながら宗一は出す言葉を決めかねていた。


(俺だって……正直に言えば怖い。得体の知れない何かだってそうだし、そもそも俺にとってはこのネイゲアという世界自体が何が何だか分からないものだらけだ。でも、それでも今ヴィルナが求めている言葉は分かっている。俺は勇者ではないけど、それでも……今は少しくらい勇者ぶってもいいのだろうか……?)


 それは、迷いを打ち払う少しの勇気。例えるなら雨に濡れた少女に傘を差し出す僅かな一歩。ヴィルナ、俺は君の心に降る雨から君を守ることが出来るのだろうか。恐怖も不安もその胸に、宗一は確かな一歩を踏み出した。


「俺だけじゃない。セーニャもリーナも側にいる。頼りないかもだけど、一緒に歩いていく事は出来るから……だから、泣かないでくれ……」


 宗一は尚も強く胸に抱き付いているヴィルナに「それと……」と続ける。


「ヴィルナは……お姉さんだからな。だから、俺からもヴィルナを頼りにさせてくれないか。頼りない弟かもしれないけど、頑張るからさ……」


 宗一の言葉にヴィルナはぴくりと反応する。そして「ふふふ……」と小刻みに笑いを堪えたかと思うと、胸に埋めていた顔をガバッと上げて、破顔一笑とした様子で「ふふ……変な励まし方です……でも、そうですね。お姉さんですからね!」と言った。そこには先程までの悲壮感は見当たらない、どうやら少女の雨は上がったようである。


「──そういえば、ヴィルナに聞きたい事があったんだけど……」


 それから二人は取り留めの無い会話を続けていたが、宗一が不意にそう切り出した。


「なんです? 私に分かることでしたら、何でも答えるですよ!」

「……ヴィルナはンポポをどうやって仕留めているんだ?」


 その疑問は宗一達が仕留めたンポポを食べた時から気になっていた事である。不本意ではありながらあれだけ怒らせたンポポは鳥より牛の赤身に近い肉質へと変貌していた。それならば昨晩オークの集落で御馳走になったンポポはどうやってあの味を出したのか、また、あそこまで強くなるンポポをどうすれば一人で仕留めれるのか。宗一にはおよそ想像出来ない事であった。


「あぁーそれはですね……本当なら私達オークにとって門外不出、秘中の秘になるですけど……他ならぬ宗一の頼みですから、教えてあげるです!」


 そう言うとヴィルナは「先ずはですね……」と宗一の両手を腹の辺りに押し込むように抑えさせ、更にその上に乗って宗一の自由を奪うように足でガッチリと挟み込む。


「……手が動かせないんだけど?」


 更に言うと君のお尻に俺の手が当たっているのだけど、と口が滑りそうになるのを宗一は寸での所で堪えた。手を封じられたマウントポジションは本当に危険なのである。その代わりではないのだが、両の掌に当たる柔らかな感触は小柄ながらも確かに瑞々しい果実を思わせた。


「あんっ! こーらっ! 手を動かしちゃダーメーでーすぅ!」


 宗一はどうやら無意識に手を動かしていたようで、照れくさそうにごめん、と謝った。ヴィルナは「んもぅ……」と仕切り直す。


「えーと、本当は荒縄とかでしっかり縛るのですよ! 最初の内に動きを封じておかないと、とっても危険ですから!」


 確かに、と宗一は感心した。始めに何かで縛ってしておけば大幅にリスクを減らせるだろう。しかし完全に怒髪天となったンポポにはその荒縄ですら引きちぎられそうだが、そこは怒りの匙加減でもあるのだろうか。


「そーれーでぇ……こうして……」


 宗一のお腹の上に跨がっているヴィルナがそのまま宗一の胸に身体を預けるように倒れ込む。ヴィルナと顔同士がぶつかりそうな程の至近距離、赤い瞳と目が合う。野性味を帯びたその瞳との交差は僅かで終わり、ヴィルナは宗一の耳元に口を近付けた。


「身体の自由を完全に奪ってからぁ……」


 熱が込められた甘ったるい声が耳元で囁かれる。まるで耳元に口付けされているかのような距離に宗一はまんじりとしていると、ヴィルナは「ふふ……っ」と悪戯する子供のように微笑む。


「ンポポに……こう言ってあげるんですぅ……」


 宗一は死闘を繰り広げたンポポを思い出す。先ず言葉を理解していた事、鳥頭と言うと怒り狂った事、そしてリーナの悪口では微動だにせず聞き流していた事である。ヴィルナがどんな言葉を投げ掛ければあの様な肉質、味に変化するのか。身体と身体を密着させたまま、その言葉をじっくりと待つ。そしてヴィルナは宗一の頭を撫でながら、そっと耳打ちをした。


「…………ざぁーこ❤️」

「あひぇ!?」

「ざぁーこ❤️ ざこざこ❤️ 負けちゃえ負けちゃえ❤️」


 すっ頓狂な反応の宗一を置いてきぼりにして、ヴィルナは尚も小悪魔のように甘く囁く。


「よわよわ❤️ よわぁーい❤️ さっさと狩られちゃえ❤️」

「あ、あわわわ……」

「ほぉーらほら❤️ 早く抵抗しないと負けちゃうよ?❤️」

「あ、あぁぁあぁ、俺のドルックがトゥンクしちゃうぅぅ……っ!」

「ちょ、ちょっと宗一。声が大き──」

「うるっさいぞ宗一ぃ! 一体何を騒いで……」


 そう言って二人の布を剥ぎ取ったのはセーニャであった。二人が折り重なるように密着しているのを目の当たりにしたその顔はまるで能面である。


「──出ろ」

「あ、えーと……これは違うんだ!」

「出ろ、立て」

「ちょっと二人で話し合ってただけで……」

「早くしろ」

「……はい、すみません」


 有無を言わせぬセーニャの迫力にばつが悪そうに立ち上る宗一とは対照的に、ヴィルナは悪びれも無く頭に手を組みながら立ち上がった。


「さて、申し開きがあれば聞いてやる。言ってみろ」

「……セーニャさん、違うっす、誤解っす。これは僕がヴィルナさんにンポポの仕留め方を聞いていただけっす……」

「ほう! ンポポの仕留め方! あれがンポポの仕留め方だと!? オークは随分と破廉恥な狩り方をするものだなぁ! しかも明日には神殿に赴き生死を分かつやもしれぬというのに! 二人とも気が緩みすぎではないのか!?」


 当て付けのようなセーニャの声に宗一は平謝りである。異世界での謝り方は知らないが、それでもペコペコと頭を下げて精一杯の誠意を示している。


「……別にいいじゃないですか。むしろ明日に生死を委ねるからだと思うですよ! もし宗一にその気が起きたなら……私は……構わない……ですよ……?」


 伏し目がちに宗一を見るヴィルナの誘うような流し目が何とも婀娜で、ついつい宗一は視線でヴィルナの身体をなぞってしまう。先程まで密着していたせいでその身体の隆起がより立体的に感じられて、そのまま目を瞑ればヴィルナの張り付くような吐息までもが緻密に思い出せてしまう。宗一は思わず固唾を飲んだ。


「宗一、貴様……反省してないだろ?」

「う、海よりも深くしています! すみませんでした!」

「あん、もう! セーニャは邪魔しないでほしいです! さぁさぁ宗一ぃ……一緒に寝るですよ。約束……ですもんね?」

「え、えーと……うん。まぁ一緒に寝るって言ったもんな。よし、寝よう寝よう! セーニャも明日に備えて寝ようじゃないか、あははは……」


 誤魔化しながらそそくさと床に就く宗一の隣にヴィルナはすっと潜り込むと、セーニャに満面の笑みで「それじゃ、お、や、す、み、ですぅ!」と手をひらひら。セーニャはその挑発とも取れる行為に青筋が立ちそうな程の怒りを抑えて「……おい」と宗一を手で小突いた。


「……なんでしょうか?」

「もっとそっちに詰めろ」

「え、なんで?」

「貴様等が下らん事をしないように見張るためだ。ほら、もっと詰めてくれ。それとも私が一緒に寝たらいけないのか?」

「そんなことはないけど……」

「だったらもっと……詰、め、ろぉ……っ!」


 セーニャはぐいぐいと宗一を押すと自分のスペースを確保して横になる。図らずも三人で川の字になり、二人に挟まれた宗一は重苦しい空気を存分に感じていた。左を向けばヴィルナが優しい笑みのまま宗一の顔を愛しげに撫でる。その頬の心地好さとは別に宗一は臀部に鋭い痛みを覚えた。誰かに思い切りつねられている……宗一はその手の主を確認する為に今度は右を向く。そこにはセーニャが不満げな顔を此方に向けていた。


「宗一ぃ……いきなりか? 顔を撫で撫でされたら直ぐその気になっちゃうのか? 全く……宗一のすけべさんは中々治らないなぁ……」


 言いながらセーニャは宗一の頬を軽く摘まんで左右に伸ばす。それは決して痛みを伴うものでは無くて、ある意味甘噛みに近い力加減であった。「ひゃめてくれ……」と宗一が言ってもセーニャはその手を止めない、決して離さない。それは宗一の奥に居るヴィルナへの牽制と言っても差し支えなかった。しかし、また宗一の臀部がぎゅっとつねられた、今度の手の主は当然ヴィルナである。宗一は大きく溜め息を吐くと「……そろそろ寝ないか」と陳情した。


「……こっち向くですよ、宗一ぃ……」

「いや、向かない。仰向けで寝るから大丈夫だ」

「ほら、こっちを向け。締まりのない顔をしてないか確認してやる」

「両方のお尻をつねられたせいで今だかつて無いほど締まっている、そっちを向いてセーニャに見せられないのが残念なぐらいだ」


 二人の願いも聞く耳を持たずに宗一は仰向けの姿勢を決して崩さなかった。収集が付かなくなる前に寝てしまおうと思ったのだ。しかし宗一の思いも無慈悲に終わる。不意に焚き火が何かに遮られるのを感じたのだ。「ん……?」と薄目で宗一はそれを確認した。


「ふむ、それで私は何処で寝ればいいんだ? 宗一の左にはヴィルナが、右にはセーニャが……と来たら……私はぁ……っ」「わっ、馬鹿! やめ──」

「上だぁぁぁーーーーっっ!」


 いつの間にか起きてきたリーナが叫びながら宗一を目掛けて飛び掛かった。「げふぅっ!」と余りの衝撃に宗一は身体をくの字に折れた。両隣の二人は寸前で避けていたようで、やれやれといった表情である。


「もー、危ないですよー」

「それは逆に寝辛いのではないか? やはり褥は二人でないと……」

「うるさいうるさい! これでいいんだ、平等だ! ではおやすみぃーっ!」

「ね、寝れるか馬鹿ぁーーーっっ!」


 そんな宗一の叫び声も、誰かの不安も、いつかの希望も、皆の祈りも何もかもが折り重なっても朝日は昇るのである。全ては過去の些事に収まり、更けた夜は直に明ける。誰かが望めど望まねど朝日が全てを平等に照らすその時が来るのを止められる者は誰も居ないのである。

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