第10話 ンポポ、激昂!

 開かれた森の一画、丘とも言えぬなだらかな平地にヴィルナの置き土産の焚き火を背に、宗一とリーナは緊張した面持ちで眼前の動物──ンポポと対峙していた。

 恵まれた現代社会、その中でも特に恵まれたといえる日本に生を受けた宗一にとって動物とは基本的に観賞か愛玩、そして自分の預かり知らぬ所での食肉加工による食材としてであり、現在置かれている状況はそのどれもが該当しなかった。お互いを隔てる檻も柵も無く、数歩も足を進めれば衝突してしまう距離であり、己の背丈程ではないが胸元には届きそうなその体格は宗一の身体を強張らせるには充分な威圧感を放っていた。


「これが……ンポポ……」


 駝鳥に似た姿形をしているが、その身体は極彩色の民芸品のような色合いで思わず目を疑ってしまう程である。


「リーナ、どうする……? 逃げるか……?」


 宗一は隣のリーナに小声で言った。但しそれはリーナの方に顔を向ける事も視線を送ることもせず、ンポポを刺激しない為に細心の注意を払いながらである。鶏程度の大きさならいざ知らず、これ程の大きい鳥が暴れまわるのは想像もしたくなかった。


「リーナ? ねぇ、ちょっと聞いてる?」


 リーナから返事が無いので宗一はちらりと視線を送ると、リーナはンポポを注視しながら腰を据えて堂々たる構えで槍の穂先で牽制しているように見える。しかしリーナの口角から涎が一筋、つーっと線を描いているのを見て宗一は言った。


「……なぁ、お前もしかしてンポポを食べようとしてないか?」

「ん……あ、あぁ! 今から食事が楽しみだな!」

「おい、おい! 頼むから正気に戻ってくれよ! あんな大きい鳥が暴れたら手をつけれないだろ? 大人しくここから退くか、ンポポを追い払わないか?」


 宗一はリーナに幸い二人の後ろには焚き火がある、槍や棒で威嚇するより火を使えばンポポを追い払う程度ならできるだろうと提言した。しかしリーナは昨夜の肉の味と食感を思い出すようにしては涎を拭い、頑として首を縦に振らなかった。それどころか逆に「宗一、お前は食べたくないのか!? 昨夜の食事を思い出せ、あの旨味と食感を思い出せ! 私は……私はもう一度食べたい! あのンポポを食べたーいっ!」と宗一を説得をする始末である。


「大声を出すな、落ち着け……っ! ンポポが興奮するだろ!」


 宗一は慌てて手で制してンポポの様子を伺うが、当のンポポは然程気にした様子も無く、足元の土の感触を確かめる様に二度、三度蹴って遊びながら時折「んぽーっ?」と間抜けな鳴き声を出しては首を傾げている。


(なんか……間抜けな鳥だな)


 体格やその風貌から小柄な駝鳥を思わせるが、その間の抜けた鳴き声と行動が宗一に安堵の息を吐かせる。一先ず咄嗟に襲われるということは無さそうに見えたからである。


「ほら宗一、ンポポのあの馬鹿そうな面を見てみろ。あれなら我々でも容易に仕留める事が出来る」


 ンポポの面はともかく、あの惚けた様子を見るに仕留めるのは確かに容易に思える。しかし宗一は簡単に頷くことは出来なかった、例えンポポと言えども、この手にした棒を相手に振り下ろす覚悟は未だに定まっていないからである。


「だけどリーナ、俺にはまだ相手を仕留めるとか、そこまで覚悟が出来た訳じゃ……」


 宗一のその煮えたぎらぬ態度にリーナは鼻で笑うと「まるで覚悟が出来たら仕留めれるとでも言いたげだな」と吐き捨てるように言った。


「相手を仕留めたければ武器を振ればいい……なんて言うほど戦闘は簡単な事じゃない。相手との戦闘が始まれば武器を持ってようがいまいが死に物狂いで戦うものだ……かつての私のようにな」


 それはどういう意味だと宗一が聞き返す間も無くリーナは勢いよく飛び出し、ンポポに槍の穂先が届く場所まで接近すると大きく息を吸った。


「あ、あほぉぉーーっ!」

「…………んぽぉ?」


 リーナの精一杯と言える罵倒が辺り一面にまで響き渡る。ンポポは首を傾げて反応したが、己に向けられた言葉だとは思っていないのかしれない。


「いきなりどうした、なんでそんな大声で……」


 宗一は注意をンポポに向けたままリーナに近付き、真意を訪ねる。


「……宗一も知っているだろ、ンポポは怒らせると強く、美味くなるんだぞ? だから宗一もほら、何か言って怒らせろ!」

「そんな事言われても、まだンポポと戦う事にも了解してないのに……」

「あのな、私はンポポを仕留める気でいるんだぞ! 勇者ともあろう者が、かよわい乙女である私を一人で戦わせるのか! それでも勇者か! ばか!」


 勇者はセーニャなのだから、俺は勇者では無い、そう言えればどんなに楽か……宗一は頭を抱えそうになった。


「あほー! ばかー! 間抜けー!」


 宗一がもたもたしている間にもリーナは次々と罵声をンポポに浴びせる。


「給金泥棒! 無い乳! で、でか女! うぐっ、ひぐ……っ! む、無駄飯喰らい……っ! ふぐぅ……っ!」


 言いながらリーナの口調はどんどんか細くなっていき、果てには嗚咽を混じるようになる。


「それってもしかして普段リーナが言われてる事じゃ……?」

「た、たまにしか言われてない!」

「言われてるんじゃないか……そんな自分が傷付くような言葉を選ばなくてもいいだろ!」

「うるさい! うるさーい! それなら宗一がンポポを怒らせればいいだろ! ほら、何か言ってみろ!」

「えぇ……そんないきなり言われても……そもそもンポポって言葉を理解しているのかな。えっと、鳥頭ー、とか? なんて、ンポポにはやっぱり通じないよなー」

「は? 貴様、今この我に向かって鳥頭と言ったか?」

「え?」

「アアアアァアァアアアァァァーーーーーッッッ!!」


 一呼吸置いてからの絶叫に近い咆哮。宗一とリーナは咄嗟に耳を塞いだが、それを劈く程の声量に思わず顔をしかめた。


「な、なにが起きて……っ!?」

「クケエェエエェェェーーーーーーッッ!!」


 ンポポは尚も絶叫し続けると、その体躯に変化が直ぐに現れた。ドスドスドスドスと身体を揺らして地団駄を踏む足は見る見る内に太く、大きくなり、いつの間にか両の羽の下からは丸太の様な腕が生えている。それは先程の駝鳥を思わせる体躯とは完全にかけ離れており、鳥を模した屈強な化物というのが宗一の第一印象である。


「フーッ! フーッ! 再度……再度貴様等に問う……っ! この、我を鳥頭と申したかっ!?」


 怒髪天の怒りを辛うじて圧し殺して絞り出したようなその声に、宗一は呆然と見上げるしかない。この奇想天外な事態に想像も理解も追い付いていないのだ。しかし固まる宗一を置いて、リーナは大声で叫んだ。


「この宗一という男が言いましたぁ!」

「リーナ、おいリーナ! ふっざけんな、ばか!」

「あと他の言葉も全部宗一に言えって言われましたぁ! 全部この男の責任ですぅーーっ!」

「リーナァァーーッ! おい、止めろぉーーっ!」

「……ほう、うぬが全ての元凶か!」


 ずいっと身体を宗一の前に移したンポポは握り拳を胸元に寄せて言った。宗一はその迫力に圧されるように数歩後ずさりをする。

 ずり、ずりり……と土を擦る音が嫌に響くが、大胆に後ろを向いて逃げる隙はンポポには見当たらない、背を向ければ忽ちその拳を振り下ろすのは明白だった。

 全身が思わず震える程の明確な敵意の受け、宗一は藁をもすがる思いでンポポの影に隠れているリーナを見た。そこには今まさに腰を深く落とし、渾身の力で槍で放とうとしているリーナの姿があった!


「所詮は鳥畜生のお仲間よ……大人しく……美味しいお肉さんになれぇぇぇぇーーーーっ!!」


 リーナの全体重が乗った踏み込みはズシリと土を沈ませる程に凄まじく、その力を乗せた槍の一撃はンポポの横腹を一直線に突いた!


「どっせぇーーーいっっ!!」

(そうか……リーナはンポポの隙を作り出す為にわざとあんな物言いをしたんだな……やられるンポポには悪いが、た……助かったぁ……)


 確かに先程のリーナの言い分は正しい。武器を振れば相手を仕留められる等とは生殺与奪を握っている側が言える事である。事実、宗一が力の限り仕込み棒を振っても今のンポポは倒せまい。宗一はそういった自身の不甲斐なさ、そして先程までの己の烏滸がましさを感じていた。

 リーナの槍の刃先がンポポの脇腹を捉えると宗一は来るであろう血飛沫に備えて手を構えた。遂に刃先が脇腹を突いた瞬間、ガツンッ! と想像とはかけ離れた音が辺りに響く、辺りに血飛沫が撒かれた様子もない。宗一が手の隙間から様子を伺うと、槍はンポポの脇腹を貫くどころか刃先さえ刺さってはいなかった!


(嘘、だろ……っ?)


 そう思ったのは宗一だけでは無かったのだろう。全体重を乗せた一撃は相手を傷付ける事すらできず、その結果にリーナは目を見開いて固まっていた。身体を硬直させる二人を余所にンポポはリーナの方に身体をゆっくりと向けながら手を振り上げていた!


「リーナ、危ないっ!」


 言葉と同時に宗一が仕込み棒で思い切りンポポを叩いた! ガキンッ! とまるで鉄を叩いたかの様な手応えに宗一は顔を歪ませた。ンポポは衝撃で少しよろめいたかに見えたが、それでも振り下ろす手は止められない!


「くっ……宗一、身構えておけ! くたばれぇぇーーっ! 獣閃衝哮ぉーっ!」


 その瞬間、キラリとリーナの胸元が光ったかと思えば槍の先から凄まじい風が吹き荒れる。それはかつてオーク達を纏めて葬った荒業であった。宗一は身構える間も無く吹き飛ばされてゴロゴロと何度も転がり、リーナ自身も技の反動で大きく後方へと吹っ飛んだ。


(いってぇ……ど、どうなった?)


 宗一はそこらかしこを痛めた身体を無理矢理引き起こすと、先程の衝撃の中心地を見て驚愕する。そこにはンポポが先程と寸分変わらない無傷の身体のまま此方に顔を向けていた。


(傷一つすら付かねぇのかよ!)


 宗一は慌てて体勢を立て直したリーナに駆け寄り、小声で「ど、どうする!?」と聞いた。


「……まぁそんなに慌てるな宗一。ふふふ、ふふふふふ……」


 この絶望的な状況に於いても余裕を感じさせるリーナの態度は頼もしさを感じさせたが、それから言葉を待っても一向に解決策は出なかった。それどころか、「ふふふ……」と言いながら震えるだけでその目尻には涙が溜まっているようにも見える。


「……一応聞くけど、解決策は……無いんだな?」

「ふふ、ふぇ……」

「泣くな! 泣きたいのはこっちだ!」

「だ、だってぇ……あんなに強いなんて聞いてないもん!」

「俺だってそうだよ! とにかく逃げるぞ、立て! 走れっ!」


 二人は素早く身を翻して走ろうとしたが、ンポポが身を屈めてグッと弾けるように跳躍するとあっさりと二人の進行方向を塞いでしまった。


「我を鳥頭と揶揄したのは……小僧、貴様だったな?」


 確認をするように宗一の顔を睨んだンポポはそのまま勢いよく右足を踏み込み、宗一の腹部を目掛けて拳を放った。その驚異的な身体能力、更に肉体的硬度から繰り出される拳は宗一が咄嗟に構えた仕込み棒をまるでものともせずに宗一の腹部に深く突き刺ささった!


「おっごぉ……っ!」


 強烈な嘔吐感が込み上げて思わず宗一は声を漏らす。


(死ぬ! むしろもう死んだっ! こんなの絶対に腹を貫通してる……っ!)


 宗一がそう思ったのも無理はなかった。いや、ンポポの拳の勢いからもそうなって当然の事に思えた。しかしそれを既の所で止めたのはリーナが仕込み棒と宗一の腹部の間に己の槍を素早く挟んだからである。槍を挟み、更に胸元の魔石の力を借りて衝撃波をンポポ側に起こす事で拳の威力を減少させたのだ。


「……小賢、しい、マ、ネを…………っ!」


 額に欠陥を浮き上がらせながらンポポは怒りにその身を震わせる。そして己の憤怒を体現するかのようにンポポの身体は更に肥大化して宗一達を恐れさせる。


「宗一、おい宗一! 大丈夫か!? 立って走って逃げれるか!?」

「ごっほ、ごほっ! む、無理っ! ぐっ……いいからリーナだけでも逃げろっ!」


 リーナは腹部を抑えて踞る宗一の背中を擦るが、宗一はそれを手で振り払った。せめてリーナだけでも、という思いからなのだがリーナは「でも、でもぉ……」と離れない。それでも宗一は苦痛に顔を歪ませながら「早く……逃げろっ!」と叫ぶ。こうしている間にも……と、考えてから宗一はハッとしてンポポを見上げた。そこには頭上より遥か上に腕を上げて、今にも振り下ろさんとしているンポポの姿があった!


(もう勘弁してくれ! ま、間に合ってくれえぇーーっ!)


 宗一は素早く隣のリーナを巻き込みながら転がりその場を離れた!


「あんっ! もう、ちょっと大胆っ!」

「バカな事を言ってる場合じゃないんだよ! 行けっ早く逃げろ!」


 後ろを見るとンポポの拳は地面にずぶりと埋まっていた。ンポポはそれをずぼっと引き抜くと宗一達の位置を確認して、身を屈めた。はち切れんばかりの丸太のような両足がギチギチと沈み、力を溜めている。こっちに跳ぶ、いや、体当たりする気だ……と宗一は直感した。それは轢き殺すといった方が近いのかしれない。


「ガアアァァァァァアアアアァァァーーーーーーッッッ!!!」


 咆哮をあげながらンポポは二人に向かって弾けるように跳んだ。


(ま、間に合わねぇ……っ!)


 自身が逃げるにも、リーナを逃がすにも為す術が見当たらず、宗一は迫り来るンポポを呆然と見上げた。


(最後に出来ること、駄目だ……何も思い付かねぇ。セーニャ、出来ればもう一度君に、会いたかった……)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る