第8話 姦しさの落とし処

 オークの集落を出てから数時間は経ったであろうか。進む度に濃くなっていく緑に辟易としながら宗一達四人は歩いていた。前方にセーニャ、宗一、ヴィルナの三人が横並びに歩いており、その後ろをリーナが殿となって着いていく形である。


「おい、おい!」


 リーナが苛立った様子で前方に声をかけた。三人はそれに反応して立ち止まり、身体を後ろに向ける。但し、宗一だけは思うように身動きがとれないので、首だけを後ろに向ける形になった。


「どうかしたか? 休憩するにはまだ少し早いぞ、日が落ちる前にもう少し距離を稼がなければな」


 セーニャは諭すように言ったが、リーナは首をぶんぶんと振ると「お前らな……」と槍の柄を三人に向ける。


「その体勢は何とかならんのか、見苦しい! 二人して宗一と手を繋ぐなどと……宗一、お前は子供か! あほ!」


 子供ではない、と言いたいのを宗一はぐっと堪えた。子供ではないが、子供の様な扱いを受けているのは確かだからだ。そもそもの発端はオークの集落を出て歩き始めて暫くしてからである。

 そう、あの時……。


「……宗一、さぁ手を出すです」

「え? いいけど、急にどうした?」

「ふふふ、ここから先は平坦とはいえ何があるかわからないです。だから手を繋いであげるですよ! 昨夜も手を繋いであげたですから恥ずかしがらず、さぁ!」

(繋いであげたって……ヴィルナからするとそういう意識なのか? まぁいいか……)


 昨夜はどちらかと言うと宗一がヴィルナに対して手を差し出したのだが、ヴィルナから言わせるとその優位性は真逆で、つまり昨夜に手を引いてあげたお姉さん役は自分だと言っているのだ。宗一は心に詰まる所があったものの、差し出された手を掴むとヴィルナは手をぶんぶんと振って嬉しそうに笑った。これではどちらが年上役なのだか……すると、宗一の空いている左手側にも柔らかい感触が現れる。気になって左に顔を向けると……。


「おほんっ! 確かにこの森にはどのような危険が潜んでいるかわからんからな。転んではいけないから、此方側は私に任せろ!」


 セーニャがわざとらしく咳払いをしながら宗一の左手を掴んでいた。


「あーっ! セーニャ、その手を離すですよ! 宗一は私が守るです!」

「いや、私に任せてヴィルナは気にせずに辺りの警戒でもしててくれ。こうして私が手を支えてる限り、宗一が足を滑らす危険も無い。安心してその手を離すがいい」

「もーっ! 私が先に手を掴んだのですからセーニャこそ手を離してください! ていっ! ていっ!」


 ヴィルナは空いている右手で猫パンチをセーニャと宗一の重なっている手に向けて何度も繰り出した。


「む……ほっ! よっ!」

「いてっ、いてぇっ! 痛ーい! ちょっとセーニャ、それじゃ俺の手にだけ当たってるって!」


 セーニャは間髪を入れずに繰り出される猫パンチから己の手を守るために動かしたり、または器用に捻ったりして宗一の手を身代わりにして上手く避けていた。しかし如何に小柄だとはいえ、ヴィルナのオークという種族が為せる技なのかその猫パンチはペチペチ等という可愛らしい音は出さずにベチンベチンと重厚な音を響かせてそれが当たる度に宗一の顔は苦痛に歪み、その手は次第に真っ赤な色を帯びた。


「ふふふ……やるなヴィルナ、しかしこの私がいつまでも守勢に回ると思うなよ! よっ、はっ、ほっ!」

「あっと……や、やるですね……ほっ、ほっ!」

「えっ、ちょ……セーニャまで……って、痛い痛い! おい、どっちも俺にしか当たってないぞ!」


 ヴィルナの猫パンチを避けながらもセーニャは負けじと空いた左手でヴィルナと宗一の繋いだ手を素早い動きで叩き始めた。スパン、スパンと小気味良い音が響くが、ヴィルナもまたセーニャと同様に宗一の手を盾にして防いでいるので、そうなると当然ながら赤く染まっていくのは宗一の手の甲だけである。


「……隙ありですっ!」

「いたぁーーい!」


 バシンッと宗一の手が叩かれる。


「くっ! 今のは危なかった! しかしまだまだ……今だっ!」

「いったぁーーーいっ!!」


 ベチンッと宗一の手がまたもや叩かれる。


「っとぉ! ふふふ、セーニャの攻撃の癖は読みきってるですよ!」

「ほう、ヴィルナめ……小柄ながら中々どうして……やるじゃないか」


 ニヤリと口角を上げてお互いに睨み合う二人を置いて、宗一は両手をぶんぶんと振って無理矢理二人の手を引き剥がした。


「あっ! 宗一、何の真似だ!」

「そ、そうですそうです! 手を離したら駄目ですよぉ!」 

「やかましいわ! この真っ赤になった俺の手を見ろ! 二人ともよってたかってぶっ叩いてくれて……というかそもそも杖代わりがあるから支えもいらないし、もう禁止! 手を繋ぐのは禁止にします!」


 己の手を見せ付けながら説教する宗一に二人はぶーぶーと口を膨らませて抗議をする。


「それはおーぼーですよ、おーぼー!」

「そうだそうだ! 我々なら例え宗一が転倒したとて必ず支えられる。その棒切れ一つでそれができようか……いや、できまい!」


 各々の言い分好き勝手に言い続ける二人に辟易したように宗一は大きく溜め息を吐いた。


「そうは言ってもこう二人に両側で喧嘩されてはちょっとな……」

「喧嘩は……もうセーニャと喧嘩はしーなーいーでーすーかーらーっ!」

「仲良しだからぁ! 私とヴィルナは仲良しこよし、喧嘩なんてしないしない! ほら、ヴィルナとも手を繋いでこの通り仲良しだろ! な、そうだよなヴィルナ!?」

「そうですぅ! ほーら、ほーら! セーニャと手も繋いじゃって仲良しです!」


 セーニャとヴィルナはお互いに手を繋いで宗一にそうアピールするが、宗一は先の事を手の痛みと共に思い出すと「でもな……」と渋った。


「宗一……お前……森、甘くみてる。森、危険。私達、お前、守る!」

「何でお前らはそう追い詰められると片言になるんだか……わかったわかった。でももう喧嘩は止めてくれよ?」

「やったです! セーニャ、いぇーいっ!」

「うむ、これで良い。ヴィルナ、いぇーいっ!」


 二人は小気味良くパチンッとハイタッチを決めるとまた宗一の両側に添って歩き始めた。当然ながら二人の手は宗一の手をしっかりと握っている。


 それからというもの、宗一は二人の庇護下で森を歩いて行ったのだが、やれぬかるみであるとか、大きな石が落ちているなどと言っては二人とも大いに宗一を甘やかしたと言っていいだろう。そして遂にリーナの感情が爆発して冒頭の言葉に繋がるのである。


「ええい、いい加減一旦二人とも離れんか! ほれ、ほれ! しっしっ!」


 リーナは槍の柄でセーニャとヴィルナを突っつく素振りを見せた。


「もー今度は何ですか! 私達が宗一と手を繋いでいても別にいいじゃないですか!」

「そうだそうだ! 大体見苦しいだの何だの言うのならばリーナが先頭を歩けばいいだけだろう!」


 二人がやいのやいのと騒いで抗議するが、リーナはふんっと鼻息を鳴らしてずいっと二人を押し退けて宗一の隣に陣取った。


「あっ、ちょっと勝手に何なんですか!? もう、リーナのバカぁ!」


 そう叫んだヴィルナの声もお構い無しに宗一の隣に立ったリーナは、宗一からすると多少見上げる形になるが、何処か緊張した面持ちで声をあげた。


「そ、そろそろ私の番だろっ!?」

(……そうなのっ!?)


 と、宗一はその言葉を寸での所で呑み込んだ。何故なら言い放ったリーナがまるで林檎の様に真っ赤になっていて、此方をまるで見向きもせずに明後日の方向を見ながらプルプルと手を差し出していたからだ。今、リーナは気恥ずかしさを圧し殺して手を差し出している、それを考えればとても茶化す気にはなれなかったのだ。


 いつの間にかセーニャとヴィルナは騒ぎを止めて、事を見守るかのように宗一達を見ていた。宗一はリーナが差し出した手を見ているが、以前としてリーナ自信は唇をぐっと閉じながら明後日の方向の視線を向けていた。やがて宗一はゆっくりと手をリーナの手に重ねていく、近付くにつれてリーナが固唾を呑み込んだのが聞こえた。宗一にはリーナの緊張が手にとって判る、いや、直にそれは実際に手を伝って判るであろう。そして今、二人の手は確りと重なった。


「…………ッッ!」


 触れた、宗一の手が確かに自身の手に触れた。リーナはビクンと身体を一瞬硬直させて天を仰ぎ見た。自分でも瞳孔が開いたのが判る、脳髄に電気が走ったかの様なその刺激にリーナの心は高揚した。やがてその視線が天から隣の宗一へと移ると……当の宗一は悶絶していた。


「アアアァァァァァーーーーオッ!」


 宗一のそれは絶叫に近く、思わずリーナは繋いでいた手を離した。


「宗一!? どうした、何があった!? まさか敵襲かっ!? セーニャ、ヴィルナ……構えろっ!」


 きょろきょろと周りを見渡すリーナにセーニャはふるふると首を振ると肩をぽんっと叩いた。


「違う違う、あのなリーナ……お前は手を思いきり握りすぎだ、ばかもの。おい宗一、大丈夫か?」

「え……わ、私か?」

「そうですぅ。幾ら緊張してたからといってやりすぎです!」

「あわわ、す、すまん宗一! わざとじゃないんだ! 許してくれぇ!」


 そういった一連の騒ぎの渦中にあっても宗一は踞って呻き声をあげるだけで周りを見る余裕も無かった。そして漸く宗一が立ち上がれるまで回復するとセーニャとヴィルナは心配そうに宗一を見ていたが、リーナは少し離れた所で膝を抱いて指先を弄って気を落としていた。


「……うぅ、私はガサツだなぁ……こんなお姉ちゃんでごめんな、ルゥ……」


 ルゥ、弟の名前であろうか、そう言いながらもリーナが今度は地面をいじいじと指で弄り始めたので宗一は優しく声をかけた。


「えぇ……と、リーナ。ほら、立てるか?」

「そ、宗一ぃ……ごべ、ごべんなぁ、手は大丈夫か……?」

「あぁ、無事だとも。それよりほら、手……繋いでくれるんだろ?」


 思い切り握られた左手が本当に無事なのかは未だ確かめていないが、動く感触もあるのでさほど心配はいらないだろう。と、宗一は残った右手を差し出した。先程までは少し見上げる程度に上背の差を感じたが、今のリーナは小動物の様に背中を丸めていて、そこかいじらしく思えた。


「ぐずっ……しゅ、しゅまん……」


 リーナは鼻を鳴らして宗一の手を掴んだ。触れた掌は先程自身の左手を粉砕した物と一緒とはとても思えない柔らかさにじんわりと暖かさを感じさせた。ヴィルナとセーニャともまた違うその感触に、宗一は少し頬が熱くなった。また、それはリーナも同じように見えた。


 二人は繋いだ手を通じてお互いの心音が聞こえるような錯覚をしたが、軽く顔を降るとお互いに顔を見合わせて頷いた。


「よし、行こう!」


 二人は声を掛け合って正面を向いたが、そこには行く手を遮るようにセーニャとヴィルナが立ち憚っていた。腕を組み、眉間に皺を寄せ不機嫌を隠さないままである。


「な……なにかありましたか?」


 その二人の明らかな怒気を孕んだ出で立ちに宗一は思わず声は上擦り、敬語で後退りをしながら聞いた。


「……それで、その残った左手はどっちにするんだ?」

「勿論このお姉さんに任せるですぅ! はいはーい、さぁ繋ぐですよぉ!」

「あの、左手は痛い痛いなので無しでお願いします」


 宗一は左手をひらひらと振りながら答えた。女性であるリーナのどこにそんな力があったのか、暫くは力も入りそうに無かった。


「くっ……仕方あるまい。では順番に交代でいいな? そうなると距離はどうする、五歩ずつくらいで交代するか?」

「あ、それいいですぅ! どうせなら遊び心を加えて一人一人単位を変えてみるですよ! 例えばぁ、リーナは五歩、セーニャは五分、私はぁ……五年で」

「却下だ却下! なんで私が五歩なんだ! そんなの秒で終わるわ、むしろもう過ぎたわ!」

「そうだな、時間も曖昧なので却下だ。私達は時計なんて持っていないし、かといって一々数字を数えていたら警戒に穴が出る……というか五年とはなんだ五年とは。長すぎるだろう!」

「えー別にいいじゃないですかぁ! というかそろそろ交代じゃないです? ほらほら二人とも手を離して!」

「ふむ、ヴィルナの案……採用! ほら、二人とも手を離すんだ」

「離すかぁ! この手は絶対に離さん! 貴様等も下らん芝居は止めろぉ!」

「うぅ……はーなーすーでーすぅ!」

「そうだそうだ、はーなーせぇーっ!」

「絶対にいーやーだーっ!」


 三人がよってたかって宗一の右手を我先にと手を伸ばす。次第に宗一の右手にはぐぐぐっと尋常では考えられない圧力が掛かっていく。宗一は額に冷や汗が出るのを感じた、このままでは直に左手と同じ運命、いや三人であるから左手より酷い惨状になるのは間違いなかった。


「や、やめろぉーっ! もう手を繋ぐの禁止、右手が潰れちゃうでしょ! 喧嘩は駄目って言ったばかりだし……」


 宗一は渾身の力で右手から三人を振り払うとそう叫んだ。握られていた右手はじんじんと赤みを帯びており、もう少し遅ければどうなっていたのかは考えたくも無かった。一方、その叫びを聞いた三人は少し俯いて反省したかと思うと各々口を開いた。


「けん……か? 私達、喧嘩なんてしていたか?」


 リーナは小首を傾げて言う。


「いや、そもそも初めて聞く言葉だ……野蛮な種族ならいざしらず、誇り高きエルフである私には似合いそうもない言葉だな」


 セーニャはやれやれと手を広げる。


「ふむふむ、ということはつまりこれは喧嘩の可能性は無さそうですぅ!」


 ヴィルナは顎に手をやりうんうんと頷く。


(下らん芝居はとか言っていた口でそういう事をするのか……まったく、俺の手なんて繋いで嬉しいのかね……)

「わかったわかった。手を繋ぐのは順番に一人ずつ、距離とか時間は俺が勝手に決める。皆もそれでいいな?」


 三人が渋々といった様子で頷いたので、宗一は肩を撫で下ろした。いつの間にか左手の痛みも消えていたが、それは野暮というものであろう。やがて三人の内から一人が宗一の側に寄ってくる、静かに差し出された手を宗一はぎゅっと握り返す。目指す洞窟へは幾許かも宗一には分からない、しかしまた一歩近付いたのは事実である。

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