第7話 朝焼けを背負い、出立の時
日の出と共に森全体がざわざわと蠢き出す。それは何も森を構成する木々が動いている訳ではなくて、日の出と共に活動を始める生物が居るだけのこと。それはこのオークの集落にもいえる事である。
「んんんん…………んっ! 朝かっ! 起床!」
がばっと寝床から勢いよく飛び上がるとリーナは周りを見渡した。宗一とセーニャは未だに寝息を立てている。
「……全く、弛んでいるな。二人とも、起きろっ!」
言葉と同時にリーナは二人を揺さぶった。その間も「起きろ、ほら起きろっ!」と声をあげているとやがてセーニャが「……うるしゃい」と眠気眼を擦りながら起き上がり、宗一も欠伸をしながら一言「……おはよう」と目を覚ました。
「はぁ……お前ら、世話になったとはいえここはオークの集落だぞ? よくもまぁそんなに無防備に寝られるものだな。もし襲われでもしていたらどうするんだ!」
リーナはまるでやれやれと言いたげに大袈裟に両手を広げるが、セーニャと宗一はお互いに顔を見合わせ笑い合った。
「良く言うよ、昨日一番熟睡していたのはリーナだろ」
「ついでに言うと、昨日一番ンポポを食べたのもリーナだ」
「なっ!? 私は寝てるように見えてその実、周りを警戒しているんだ! 例え寝ていても小虫が通った程度の音でも飛び起きる! ンポポは……ンポポはいっぱい食べた! 美味しかったぁっ!」
「……ふぁぁ……さいですか」
昨日の夕食でも思い出したのか、リーナは手を胸の辺りでぐっと握り締めて目を閉じて叫んだ。宗一はそれを見て言うだけ無駄だなと適当に相槌を打って起き上がる。
「おー、全員起きたか。ほれ、朝飯だ」
オークが一人で宗一達に近付いてくる。手には器を抱えており、中には色選り取りの木の実が見えた。
「すまないな、朝食まで世話になってしまって」
「なーに、これぐらいはどうってことねぇさ。それよりこっちこそすまねぇな、お嬢から聞いたよ。お嬢と一緒に洞窟へ行ってくれるんだろ?」
「あぁ、まぁな。そのつもりだ。それより昨日の深夜の事だが……」
セーニャは器を受け取ってそう続けた。昨夜に失踪したオークの事を聞くつもりだろう、宗一もオークに視線を向ける。
「……そうか、昨夜の事に気付いていたのか。あいつはもう随分前から呼ばれていたんだ、近い内に姿を消すだろうと思っていた矢先さ」
「一体オーク達は何に呼ばれているんだ? それにそこまで分かっているなら失踪するであろうオークを拘束でもして止めておいたらどうなんだ?」
オークは首を振って答えた。
「何に呼ばれてるかは俺も知らねぇ。俺はまだ見られてるだけで呼ばれてねぇからな。そんで、前におめーさんの言う通りに若いのを縛って動けなくした事がある。正気を失ってから暫くはもぞもぞと芋虫みてぇに動いていたが……それからはひでぇもんだったよ。噛むわ暴れるわ発狂するわでとてもとても……だから皆で決めたのさ、失踪する奴等はとりあえず放っておこうってな。そうすれば一先ずは殺さずに済む、逆もな」
「……それは……失礼な事を言ってしまったな、すまない」
「いやぁいいんだ、そうして放っておいた奴等があんたの里を襲ったんだろ? こっちこそ悪かった、いつか原因を究明すれば皆が戻ってくる、そう思っての事だったが……やっぱり……この手で……けじめをつけるべきだったんだろうな……」
オークの拳がまるで岩のように握り固められて、余りの圧力から拳からは血の気が失せて真っ白に染まり、その拳を見詰めるオークの顔は悔しさで歪んでいた。
「そうさせないために、私達は洞窟に行くですよ!」
ヴィルナがオークとは別の木の実を乗せた器を持ってきた。
「お嬢……そうですね、俺とした事がつい弱気になっちまって……どうもすいやせん」
「いいんですよ! さぁ朝御飯を持ってきたです! これを食べたら直ぐに洞窟へ出発しますけど、何か希望の武器は無いですか? そこまで良い武器は残って無いですけど、色々あるですよ!」
宗一はセーニャに目配せをした。何を求めればいいのか、またこの世界に何が流通しているのか分からなかったためだ。
「……ふむ、ならば私には短弓とそれに合わせた箙一式、それと可能ならば投げれる小型の平刀を頼む。宗一にはナイフと振り回せる獲物が良いな」
「あいあい、了解です! バッチシ用意するですよ! リーナは何か必要ですか?」
「ふはははは……っ! 心配御無用! 私にはほれ、この魔装具があるからな! この槍と鎧があれば何の心配も無いわ、あーっははははは……っ!」
朝も早くにリーナの笑い声が森を狭しと木霊した。しかし笑っているのはリーナだけで、他の四人は心配そうな目でリーナを見詰めている。
「いや、それ全然駄目だったじゃん。リーナはオーク相手に魔石の力が足りないからこの槍は鈍器と変わらんとか言って泣いてたじゃん……」
「うぐっ……な、泣いてなんかいないわ、あほ! バカ! すけべ!」
「おいおい、いくらなんでもあほとバカは言いすぎだぞ? 宗一はそこまでじゃない」
(そこまで言うのならすけべも否定しろよ!)
宗一は腑に落ちない気がして、顔をしかめた。
「ん? 宗一……そんな顔をしてもな……君にはすけべな前科があるだろ?」
セーニャの白魚のような透き通った指が宗一の頬を撫でた。そうしてするりするりと二回撫でると、「な?」とセーニャは同意を促す。それは自他共に宗一自身がすけべであると認めさせる為ではあるが、湖で見てしまったセーニャの柔肌が脳裏に浮かび上がり、その心当たりが宗一に苦々しくも頷かせた。それは精神の屈服に近かった。
「宗一はすけべさんなんですねぇ……」
「ほら! ほらぁ! すけべはあってた!」
「ええい、全員だまらっしゃい! 男は皆ちょっとすけべなの! なぁおっさん! な!?」
「お、おう……そ、そうだな」
宗一はオークに無理矢理同意をさせると、「とにかく!」と仕切り直した。
「リーナはその魔装具? と他に何かを持っていくべきだ。大体今はその魔石やらは機能するのか?」
「ほう、疑うのか……ならば昨夜のように私の額を弾いてみよ!」
その自信満々な装いに宗一は躊躇したが、リーナの額には板金はおろか布さえも巻かれていない。その剥き出しの額に何を恐れるものかと宗一は指を構えて思いきり弾いた!
「どっせい!」
その瞬間にリーナの胸元に鎮座している魔石がキラリと瞬いたかと思うと、宗一の指は何かに阻まれて逆に押し返された。そしてその勢いは指だけに留まらずに宗一の身体全体を吹き飛ばした!
「え、ちょっ!」
宗一は吹き飛ばされた勢いでバランスを崩したが、宗一をセーニャが後ろからしっかりと抱き抱えて支えた。すると宗一の背中には自然とセーニャのそのふくよかな胸が当たってしまい、今度はそれまでとは逆の前方へ跳び跳ねる事になった。
「わ、わざとじゃない! 決して、そういう気持ちは無いから!」
「余り気にせずとも良いのに……そこまで過敏だと逆にすけべに思えるぞ?」
「宗一はぁ……本当にすけべですねぇ……」
「う、うるさい! それでリーナ、今のはなんだ! 危ないだろ!」
「んー? 宗一も見ただろぉ? これが私の魔装具の本領発揮という奴だぁーーっ! ご覧の通り昨夜とは違って私の魔石には魔力爛々、この宝石の如き輝きをとくと見よぉぉーーーっっ!」
成る程、確かに宗一は今もなおリーナの胸元で輝く魔石があの一瞬に何か力を発揮したのを感じた。つまり一晩経って魔力が溜まった今ならば、任意に障壁の様な物を展開出来るのだろう。それならばリーナの必要最低限な防具にも納得がいく。正しく魔石の本領発揮とはよくいったものであると宗一は頷いた。だがしかしと宗一はリーナに提言する。
「分かった、確かにその魔石の力は素晴らしいと思う。それでも尚更何か武器を貰った方がいい。セーニャ、そうだよな?」
「うむ、その強力な魔装具は大した物だがやはり短刀か何かを貰っておけ。昨日は魔力切れでその魔装具も役に立たずに全員が死にかけたんだからな」
「む、むぅ……わかった。それなら何か振れる得物をお願いする。ヴィルナ、頼めるか?」
「あいあい、それじゃ用意してくるですから、飯でも食べて待ってるですよ!」
ヴィルナとオークはそう言って集落の奥へと戻って行った。残された三人は渡された木の実をポリポリと齧りながら暫しの休憩に心を休める。いよいよ洞窟へと向かう時が近付いているのだ、言い様のない漠然とした不安が宗一の中に渦巻く。
洞窟、神殿、呪い、巨大なオーク、その一つ一つが宗一の不安を煽るが、ある意味で宗一が一番気になっている事、それが元の世界への帰還であった。
「なぁリーナ、王国では勇者について何か情報は無いか?」
「んぐ、いきなりなんだ? 勇者について……って、例えば?」
「例えば、そうだな……勇者って何?」
リーナは手を止めて「うーむ」と頭を捻った。
「勇者か。やはり前提としては光の資質を持っていること。そして悪逆な魔王を退け、この世界に共通言語という祝福を与えたのが伝わっている全てになるな……こうやって宗一が現れるまで光の資質を持つ者なんて実際に見たことも聞いたことも無いしな……宗一、お前……王国に行ったらきっと凄く持て囃されるぞ!」
「持て囃されるって……」
宗一はそう口ごもったものの、内心では悪くないなと心の隅で思った。だが直ぐにその考えは打ち消される事になる。勇者と呼ばれるべきは宗一では無くセーニャだからである。
「いや、それは置いといて……そうだな、異世界とかそういう類いの話は聞いたことは無いか?」
「異世界? こことは別の世界って事か? いやぁ、私はそういう方面にはとんと疎くてな。気になるのなら、王国に行ったときにでも専門の人に聞いてみろ。勇者であれば無下にもすまい」
「そうか、分かった。ありがとう……」
軽く頭を下げたまま、宗一の脳裏にはリーナの言葉が引っ掛かっていた。
(いや、今……リーナは魔王を退けたって言ったよな? それってもしかして……魔王は、まだ……)
「皆もう飯は食い終わったですかー!? とりあえず色々な武器は用意できたです。防具も探してみたのですけど、皆に扱えそうな物は無かったのです……」
宗一の考えを遮るようにしてヴィルナは抱えてきた武器を広げたが、言葉尻の調子を落とした通りにそこに防具は入っていなかった。オークの逞しい体つきを思い出すと、確かに宗一達が扱えそうな防具は考え辛い。胴巻き一つでも三人がすっぽり入ってしまいそうな程に身体の大きさに違いがあったからだ。
「防具は仕方あるまい、しかし武器はとても良い物を持ってきてくれたな。よし、私が頼んだ短弓と平刀はあるな。む……これなど素人でも使いやすそうだ。宗一も一度これを持ってみろ」
セーニャは短剣、いやその刀身の反り具合からそれは短剣よりもナイフに近く思える物で、赤いながらも透き通った刃が宗一の男心を擽った。
「おぉ……これ、格好良くないか? こんな色のナイフは初めて見たよ」
宗一は手に取ったナイフを軽く振ってその具合を確かめる。それは柄の握りやすさに加えて適度な重みを持っており、宗一の手に吸い付くような感触を思わせた。
「それは私達が採掘する鉱石から作った鉱石ナイフです! この刃に使われている赤いのが売れるんですよ、こうやって色々な物に加工したりして使われるんです!」
「へぇ……綺麗な鉱石なんだな、しかしそうなると少し脆そうだ。鍛錬されたわけではないだろうし……玉鋼とかに比べると砕けそうで怖いな」
「玉鋼はわかんないですけど、宗一の言う通りなのですよ。このナイフの切れ味は凄く良いんですけど、固いものと打ち合うと思いの外簡単に砕けてしまうです。でもこの赤い鉱石は魔除けになるとも言われていて、魔力の触媒にもよく使われるんですよー」
「……良い、これ良いな。それじゃ俺はこのナイフと……」
宗一は広げられた武器を目移りしながら物色する。弓、短剣、ナイフに手斧や手槍に真っ赤に煤けていてよくわからない鉄の棒等と使い古したであろう武器が所狭しと並べられているが、探せど探せど宗一が手にしたい目当ての武器は見付からなかった。
(うーん、折角異世界に来たのなら……色々な漫画やアニメみたいに剣とか大剣とか太刀を持ちたかったな……)
「んー、そうですねぇ……宗一ならこれとかが便利だと私は思うのですよ」
がくりと肩を落とした宗一に、ヴィルナは「はいっ!」と一つの武器を差し出した。それは武器というには余りに無骨な、腰より少し長い棒に柄として滑り止めを付けた物であった。
「……なんだこれ?」
「これはですね、中に固い鉱芯が入っている棒です! 私達オークが乱暴に使っても壊れない優れもので、道中の杖代わりにもなるんですよ!」
宗一は受け取った棒をぶんぶんと振ってみる。
(うーん、思ったより手に馴染むな。この棒は元の世界でいうと柳生杖に近いものだろう。尤も、本物の柳生杖は鉱芯ではなく鉄や鉛を入れてあったみたいだが。よし、ヴィルナが言うならこれにするか……)
「うん、これにするよ。頑丈そうで使い勝手も良さそうだ。ありがとう、ヴィルナ!」
「ふふふっ! 宗一が気に入ってくれて私も嬉しいです! それじゃ後武器を選んでいないのはリーナですね、何にします?」
「……そうだな、私はこれにするか」
リーナは特に迷うそぶりも無く乱雑に置かれた武器からひょいっと一つ取り出した。それは宗一が目にした武器の中でも最も血に煤けていて、見るに耐えないと思えた……一振りの剣であった。
「…………っ!」
それを見たヴィルナの動きが一瞬強張った。だが直ぐに微笑みを浮かべてリーナへと顔を向ける。
「それはご覧の通り血で汚れていて余りお勧めできないのです……他のにされてはどうです?」
張り付いた笑顔のままでヴィルナはそう言った。その重苦しい空気の中で、宗一はじっと真っ赤に煤けた剥き出しの刃を見た。あれだけ剣が欲しいと武器を物色したのに、何故この剣を選ばなかったのか、何故それから視線と意識が逸れたのかを自身でも理解できなかったからだ。
「いいや、これにしよう。刃を見るに研いでもまだ充分使えるだろう。それに他の三人を見ても大柄な武器は私以外には使わないようだし……ヴィルナ、もう一度聞く。お前が持ってきたからにはここから選んでいいのだろう? ならば私はこの剣にする、いいな?」
「……わかったです、ではそれは改めて研がせるので此方に渡して欲しいです」
リーナは剣を剥き出しのままヴィルナに手渡した。そしてヴィルナは何も言わぬまま、剣を持ってまた集落の奥へと向かって行った。
「……ヴィルナ、なんか怖かったな」
「あんな露骨な武器を選ばれれば思うところがあるだろうに、リーナも余りヴィルナを虐めてやるな」
「何を言うか。私には寧ろ背中を押して欲しかったように思えたがな、そうでなければあんな状態の剣を態々持ってくるなんてしないだろう」
「ふむぅ……そうともいえるが、それでもやはり割り切れんだろうよ」
「……えっと、つまりどういうことだ?」
宗一は自身だけが話についていけてない事に気付いて二人に尋ねた。あの剣を選ぶことに何か意味があったのだろうか、と。
「いいだろう、しかしその前に一つ尋ねるが……宗一、お前はあの剣から視線を外していたな? まるであの血で煤けた剣を選びたくないみたいに」
リーナは落ち着いた口調で淡々と続けていく。宗一の返答は待たず、まるで全てを知っているかのように。
「最初は当然ながら意識はしていた筈だ。あの刀身は目を引くには充分な存在感があったからな。しかしお前は敢えて視線を外し、あまつさえ手頃な棒を渡されてほっとした顔を浮かべただろう」
宗一が固唾を飲んだ。ヴィルナに棒を渡されたとき俺はほっとした顔を浮かべたのだろうか。そうだとしたら何故、どうして……自身にはそれを説明できなかったが、今宗一の目の前にはそれを説明している者がいる。
「ほっとしたのは宗一だけじゃない、隣のヴィルナもだ。もしかしたらセーニャもしていたかもしれないが……それはきっと違う理由だろう」
セーニャは何も答えない。息が詰まりそうな空気の中で時折聞こえてくる木々の葉切れの音だけがやけに耳に残る。
「……ではここで改めて一度聞こうか。宗一は何故あの剣を選ばなかったんだ? 目や意識を逸らそうとした自分にはその訳が分かっている筈だ」
「そんな事を言われても俺には説明できないよ…… 」
宗一の喉が張り付いたのように乾いている。ヴィルナが武器を広げたあの時、その赤黒く煤けた刃を見た瞬間に強烈な血の残滓が宗一に明確な死のイメージを彷彿とさせたのだ。皮を裂いた痕か、肉を斬った徴か、骨を断った為の刃溢れか、それとも生命を刈り取った証なのか。刃先から根元を超えて持ち手の柄までも赤黒く染めたその剣を持つことで、宗一は自身が何かを斬る事になる。また、その覚悟を持たされると宗一は何処か心底の片隅で考えたに違いない。
(そうだ、俺は見えなかったんじゃない……自分で見ないようにしていたんだ……でも、それならリーナは……?)
「……リーナ、は……? それならリーナは何であの剣を選んで、且つ態々ヴィルナに剣を研がせに行かせたんだ?」
コヒュッと喉元を上擦った空気が通り抜けた気がした。今……自分は上手く口を動かせただろうか、と宗一は緊張した面持ちでリーナと視線を合わせる。
「勿論、ぶった斬る為だ。獲物を刺して、剥いで、裂いて切り刻む為の剣なのだろう? あの刀身に残った痕がそれを示している」
「獲物っていっても……一体何を……」
宗一にはリーナが言わんとする事は聞かずとも理解できていた。しかし理解していたからこそはっきりと断言して欲しかったのかもしれない。ふと、自身の口角が俄に上がっているのに気付いた。先程の微笑の仮面を張り付けたヴィルナが己の身が重なる。
「……これより相対する敵、全てだ! 世話になった方の仲間であろうとも、肉親であろうとも私は全て切り伏せる! その覚悟を私は剣を選ぶ事で今しがたヴィルナに表した!」
そうだよ、そうだろうとも。セーニャが選んだ短弓も平刀も腕次第ではあるが一撃必殺とはいくまい、俺の選んだナイフと柳生杖も同様である。これから先、もしも自我を失ったオークを相手に武器を振るった時は当然相手は無事では済まないだろう。しかしそうして傷付けば己のが身に危機を感じて退いてくれる可能性も出てくるはずだ。しかしリーナが選んだ剣は違う、眼前の敵を一撃で屠る為の刀身だ。食らい付いたが最後、退く事すら許すまい。いや、昨夜までの何処か抜けていたリーナならいざ知らず、今目の前に居るリーナは敵を決して逃さない。そう思わせる気迫を彼女はその身に携えている。
「……でも、何も殺さなくてもいいじゃないか! 兄だけじゃない、失踪したオーク達はヴィルナにとって同じ集落で暮らした仲間なんだぞ!?」
「だからなんだ! 敵は敵でしかない、そこに恩も情もあってはならんのだ! 下らん感情で剣先が鈍れば己のみならず仲間の死を招く……何故それがわからん!」
リーナの言っている事はきっと正しい。騎士団として活動をしているリーナと、のほほんと現代社会で暮らしてきた自分ではその言葉の重みも違うだろう。宗一は歯痒い思いを感じたが、それでもヴィルナの事を思うと口を出さずにはいられなかった。
「だけど……っ!」
「もういいですっ! もう、いいですから……宗一も落ち着いてほしいです。リーナ、刀身を研ぎ直して来たので確認して欲しいのです」
いつの間にか間に入ったヴィルナのその声は悲痛な響きを持っていて二人の諍いを止めるには充分であった。リーナに差し出された剣は先程までの血に煤けた刃とは見違える程に鈍い輝きを放っている。リーナはそれを手に取り、じっくりと剣先から樋、剣身、柄に至るまで注視した後、ヴィルナに向かって軽く頭を下げて「……感謝する」と礼を言った。
リーナは近くにあった鞘に刃を納めると手慣れた様子で腰にかけ、数歩進んで三人を振り返った。
「……私は先に向こうで待っている。余り待たせるなよ」
「……あぁ、私達も準備が出来次第直ぐに向かう」
言葉を返したのはセーニャだけだったが、リーナは気にする様子もなくスタスタと去っていった。残された三人は何処か重苦しい雰囲気の中で準備を進める。
「さ、さぁとっとと準備するですよ! 向かうは洞窟、準備は入念にしとくです!」
「そうだな……宗一、ほら……手伝ってやるから」
「……悪いな、ありがとう」
(リーナは覚悟を示したと言ったが……二人はどうなのだろう。ヴィルナに向かって仲間のオーク達を殺すなんて事は言えないし、出来ればしたくない。どうにか助ける事はできないのだろうか……)
「……一つ聞いてもいいか? この先、オークに出会ったとして、二人はどうするんだ?」
「どう、とは……? いや、愚問だな。当然戦う事になる、加減はできないし容赦はしない」
セーニャははっきりとそう口にした。リーナと同じように戦う意思を示したのだ。その言葉を聞いた宗一は何も答えない、黙ってヴィルナに視線を移した。
「私は……いえ、私も戦うです! 種の存亡が懸かっている今、例えそれが兄上であっても躊躇いはしません!」
「そうか、皆は覚悟を決めているんだな……」
「そういう宗一はまだ決まっていないのか? 洞窟に行ってヴィルナ達を助けると言ったのは君だぞ?」
宗一は押し黙って深く息を吐いた。セーニャの言葉至極最もであり、反論の余地もない。それでも宗一が何も言わなかったのは、オーク達を助ける為にオーク達を殺す。自身にそれが出来るとはどうも思えなかった。
「よし、それなら宗一、少し立って此方を見ろ!」
「……ん、どうした?」
「どっこい!」
掛け声と共にセーニャは宗一に思い切り平手打ちを放った。バシッと容赦無く振り抜かれた平手に宗一は思わず尻餅をついた。そしてぽかんと呆けた口でひりひりと痛む頬を擦りながらセーニャを見上げる。
「え? な、なに?」
「宗一が迷うのも無理はないのかもしれない、しかし敵を前にして迷えば答えを出す間もなく殺されてしまうだろう! だから宗一は自分で言った『ヴィルナを助けたい』という思いだけを胸に動けばいい! リーナはリーナの考えで動く、私達もまた同上だ。だから宗一も宗一の考えで動け!」
セーニャなりの激励なのだろうか、その言葉自体は有難いもので宗一の悩みを多少なりとも晴らす助けになった。
(そうだよな。オークを斬る、斬らないじゃないんだ。俺はヴィルナを助けたい、先ずはそれだけを考えて動こう。少し過激な激励だったけど、セーニャには感謝しないとな……でも……)
「セーニャの言葉で何となく俺がするべきことがわかった気がするよ、ありがとう。でもこれって普通は背中を手で張るとかじゃないのか? すっごく頬が痛いんですけど!」
「……わ、私の里では平手打ちが主流なんだ! つべこべ言わずにさっさと立て!」
「うふふ……宗一、頬が真っ赤に腫れてセーニャの手の痕がくっきりと残ってるです! あと私達オークの場合、こういう時は背中を叩くですよ」
「でしょ!? ほら、ヴィルナも背中を叩くって言ってるし、平手打ちなんてセーニャ達エルフは絶対におかしいよ! そりゃ手の痕も残るだろ、思い切り振り抜いてたもん! 顎が取れたかと思ったわ!」
「おかしくないっ! 私達エルフの正式な作法、エルフ式気合いビンタなのだ! さっさと立て! それとも……もう一回気合いを入れ直すか?」
サッと手を上げた笑顔のセーニャの手はパーの平手ではなくグーの拳である。誰が好き好んで殴られないといけないのか……宗一は苦い顔でいそいそと立ち上がろうとした。
「はい、宗一。さぁ手を出すですよ」
途中で差し出されたヴィルナの手を握ると、宗一は一気に引き起こされた。オークにしては小柄なヴィルナだが、やはりしっかりとオークの血を引いているのかその身体からは考えられない程の力を宗一は感じた。
「ありがとな、ヴィルナ。よし、それじゃそろそろ行こうか。リーナも待っているだろうし……」
「そうだな、私も準備はできてる。いつでもいいぞ」
「それじゃ、集落の外れまで行くですよ! リーナもきっとそこにいるです!」
宗一は腰に付けられた鞘に納まった鉱石ナイフと背中に背負った柳生杖を確認する。杖は背負った筒に刺す形で納められており、少し不格好で納まりも悪く揺らすとカタカタと音が鳴るのだが、これなら杖を背負ったまま両手が使えて、尚且つ不意に背中を狙われた時に身を守れればと二人に勧められてこの形になった。
セーニャは短弓と箙をそれぞれ背負い、腰にはいくつかの平刀を提げている。隣のヴィルナは武器になりそうな物は身に付けておらず、代わりに身の丈程の大きな籠を背負っている。中を覗くと保存食とおそらく飲み物が入ってるであろう筒がいくつか入っていて、それなりの重さにはなるのだろうが、ヴィルナは涼しい顔をしてひょいっと持ち上げている。
(……オーク達への迷いが完全に消えた訳ではない。だけど俺は『ヴィルナを助けたい』の言葉だけを胸に進んでいこう。それがどういう結果になっても、後悔しないように……)
集落の外れにはリーナが木に身体を預けながら空を見ていた。鬱蒼と生い茂る森の中なので、木漏れ日を垣間見る事しかできないのだが、その横顔はどこか寂しげに見えた。
「リーナ、待たせたな」
「……ん、待たせすぎだぞ……っと?」
リーナは驚いた顔をして宗一を見た。
「……俺がどうかしたか?」
「くくくっ……いやなに、随分と男前になったじゃないか。もしかしてセーニャに何かしたのか?」
宗一は苦虫を噛み潰したような顔で頬を擦った。未だヒリヒリと痛む頬を省みるに、まだくっきりとセーニャの平手打ちが残した痕が残っているのだろう。
「おいおい、知らないのか? エルフ達はこうやって気合いを入れるんだよ、リーナも一発やって貰ったらどうだ? ぐっと気合いが入るぜ?」
「いーや、私はいつでも気合い充分だから結構だ。気合いを入れたかったら自分でするしな。しかしそれとは別に……多少はマシな面構えになったな。こほん……宗一、迷いを捨て去り……オークを斬る覚悟はできたか?」
リーナはわざとらしく咳払いをして真っ直ぐに宗一を見た。皮膚にひしひしと突き刺さる視線の強さが挑戦的にも思えたが、宗一はわざと大袈裟に首を振った。
「いや、どうも俺にはオークを殺すとはっきり断言するのは無理そうだ」
「なにぃ……?」
怒気を孕んだ暗い声と共にリーナの眉間に皺が寄っていき、槍を持った手に力が入っていくのがわかる。その剣呑な雰囲気にセーニャが堪らず二人の間に割って入ろうとするが、宗一はそれを手で制してはっきりと言った。
「だけど、ヴィルナを助けたい。この言葉に迷いは無い! もしリーナがそれでも気に入らないというなら煮るなり焼くなり好きにしろっ!」
宗一とリーナがお互いに一歩も退かずに睨み合う。リーナがじりじりと迫りお互いの額が当たりそうな程近づいても宗一は動じない。言葉も発せずにリーナの沙汰を待つのみである。それから暫くはリーナも睨み付けていたが、やがて眉間の皺を解いて鼻息を軽く鳴らした。そしてふわっと頭を軽く引いてそのまま宗一の額を目掛けて頭突きを繰り出した。
「あっだぁっ! な、なんでぇぇ……っ?」
「ふふ……まぁ、誰かをぶった斬ると豪語するより、誰かを助けると言った方が勇者らしいかもな。好きにするがいい、だが……私の邪魔はするなよ?」
「邪魔するなって、それはこっちの科白だ! それにしても、いきなり頭突きするなんて……いってぇ……っ!」
「私からも気合いを入れてやったんだ! セーニャからだけでは気合いが足らんかもしれんだろうが!」
「そんなことあるか! 気合い充分だっての!」
二人にはもう諍いの欠片も見当たらない、セーニャもそれを見て安堵の表情を浮かべた。しかしその隣ではヴィルナが不満気に頬を膨らましていた。
「……どうかしたのか?」
セーニャが聞くと、ヴィルナは「だって……」と口を尖らせた。
「私だけ宗一に気合いを入れていないです……」
「ふふふ……なんだそんなことか。簡単な事だ、今すぐに宗一に気合いを入れてくればいい。オーク達はが気合いを入れる時は背中を張るんだったな? それなら此方に背を向けてる今が好機だ、行ってこい!」
「い、いいですか? 思い切りやったら……宗一は人間ですから……背中……弾けちゃうかもしれないですよ?」
その言葉には流石のセーニャも苦い顔をした。小柄ながらも怪力を誇るオークであるヴィルナが言うのであれば、それは冗談に聞こえなかった。
「分かっているなら、少しは加減してやれ」
「そ、そうですよね……よーし、それじゃ……行くですっ!」
言うが早く、ヴィルナはタタッと駆け出した。宗一までの数歩を木枯らしが吹き抜けるように素早く詰める。当の宗一はリーナとの会話に集中していて、ヴィルナが駆け寄った事にはまだ気付いていない。宗一が背負った杖を納めた筒を避けるように狙いを定めてヴィルナは手を大きく振りかぶり深呼吸をした。そしてその一瞬、宗一の背を越してリーナと視線が合う。するとリーナは何かを察した様にニヤリと口角を上げると、宗一の肩にポンッと手を置いた。
「宗一……私はやはりお前にはまだ気合いが足りていないと思う」
「いや、セーニャの場合は仕方ないとして、今は気合い充分だっての。あ、もう頼むから頭突きはするなよ?」
「うんうん、分かっているとも……」
「……おいリーナ、何で俺の肩を掴むんだ。そして何でにやにや笑っている」
「宗一ぃ……気合い……ちゅーにゅーですぅっ!」
「んああぁぁぁぁぁーーーーーーーっっっ!!」
ヴィルナが宗一の背中に向けて平手を振り下ろすと、バチンッ! と乾いた音が鳴り、直ぐにそれを覆い隠す程の宗一の叫び声が辺りに木霊した。そしてそのまま背中に手で擦りながらごろごろと所構わず転がり始める。
「わははははははッ! だ、駄目だ! 宗一……それはちょっと面白すぎるぅ……っ! あはははははは……っ!」
背中に手をやる宗一とは対照的にリーナはお腹に手を置いて笑い転げている。そして宗一の背中を打った張本人ヴィルナは本懐を遂げてご満悦といった表情である。
「なっ、え、ちょ……なんでぇ!? 俺は気合い充分だよぉっ! どうして背中を打つのぉ!?」
宗一が尚もごろごろと転がりながらヴィルナを見ると、ヴィルナは少し申し訳無さそうに謝った。
「うぅ……ごめんなさいです。でも、私も宗一に気合いを入れたかったんですぅ!」
「それならせめて別の日にしてよぉ! 朝から頬を打たれて頭突きに背中も……もうボッコボコじゃないか!」
「まぁまぁ、宗一も落ち着け。これで一通り気合いは入れた。もう出発に何の憂いも無いな?」
「あるよ! むしろ憂いしかないよ! 何で俺だけこんな目にあうんだ!」
「くひひ……っ! そ、宗一に気合いが足りてないからじゃないか?」
リーナが未だに地面をばんばんと叩きながら笑っている姿を見て、宗一も流石に頭に来た様子で「こんにゃろ……っ!」と口走った所で、集落からぞろぞろとオーク達がやってきた。
「お嬢……せめてお見送りぐらいさせてくだせぇ……」
オークの集団から一歩出てきたのは、宗一達とも面識のあるあのオークであった。周りのオーク達は皆不安を隠せない様子でヴィルナを見ている。その不安が呪いからくる恐怖の為か、それとも見通しのたたない未来への悲観からか、または何処へもやりようの無い怒りからくるものなのかは宗一にはわからない。
「……皆、先も話したですけど、もう一度言うです」
オーク達は大人しくヴィルナの言葉を待つ。
「私はこの三人の協力を得てもう一度あの洞窟へと向かうです。皆も知っての通り、また感じている通りに私達オークに残された時間はきっと多くは無いのです。ですから、もし数日経っても私達が戻らず、更に異変に変わりが無ければこの集落も捨ててとにかくあの洞窟から離れるのです。それがどれほどの効果を持つのかはわからないです。でも、伏して種の終わりを待つより、皆には少しでも抗ってほしい。でもそうする事でもしかしたら苦しみが長く続くかもしれないです。だからこれは私の勝手な願いかもしれないです。それでも可能性があるなら、皆には生きて欲しいです……」
ヴィルナが一気に言葉を絞り出すようにして吐き出すと、オーク達は皆思い思いの表情を浮かべた。悲観する者が居れば逆に希望を持つもの目に見えた。
「お嬢! 私はお嬢が信じたこの三人を信じます。ですからどうか必ず無事に帰ってきてくだせぇ、いや、必ず無事に帰ってくると信じます! お気をつけて……」
「あい……私の居ない間、皆を宜しくお願いするですよ! では行ってくるです! 宗一、セーニャ、リーナ……いざ出発です!」
くるっと身を翻してヴィルナは歩き出した。地をしっかりと踏み込んで歩くその様に希望を見ずに何が見えようというのか。やがて宗一達もヴィルナの後を追うように歩き始めた。後ろからはオーク達が手を振ったり、お辞儀をしたりして四人を見送っていた。それはオーク達から四人が見えなくなっても続けられて、その尾を引くような名残惜しさが正にオーク達の不安の象徴でもあるのだ。
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