スケープゴートの絆
宮条 優樹
スケープゴートの絆
まさに危機一髪だった。
「大丈夫か!?」
切羽詰まった声が背後の爆音にかき消される。
銃撃の音と混乱する悲鳴が入り乱れていた。
後ろを振り返ろうとする僕の頭上を、隠れた木の皮をはじけさせて銃弾が飛び去る。
僕を木の陰に引っ張り込んだ声の主が、へたり込んだ僕を無理矢理立たせた。
ひじをつかまれ、ほとんど引きずられるようにして僕はそいつととうに安全地帯でなくなったその場から逃げ出す。
曲がったヘルメットをかすめて銃弾が飛んでいく。
爆音と怒号で頭の中をかき回されて、僕はそのとき何も考えられなくなっていた。
使い古しの軍用ブーツでひたすら地面を蹴ることしか考えられなかった。
遠くへ。
とにかくこの場から離れて遠くへ。
僕もそいつも、それしか考えていなかった。
「――大丈夫か?」
突如の銃撃戦、その真っ只中から抜け出して、僕らは人気の絶えた森の中に隠れ場所を作った。
地面に穴を掘って枯れ枝と落ち葉で覆っただけのお粗末なものだったが、それでも身を隠せる場所ができるといくらか落ち着けた。
そうしてようやく、僕らはお互いのことを初めてまともに見合うことができた。
見知らぬ男だった。身につけた軍服と装備から、僕と同じ一兵卒だということがわかるくらいで、初めて見る顔の男だ。
別の小隊に所属している兵士だろう。
「助かりました」
「運がよかったな」
男の言葉にうなずいて、僕は即席の塹壕の中から首を伸ばすと、周囲の様子をうかがう。
「部隊は――」
「だめだな。ばらばらになってしまった。
こんなところでゲリラ部隊の奇襲に遭うなんて……これだから情報部は信用できない」
「本国と現地部隊の連携が取れていないというのは本当みたいですね。
各部署がまともに機能していない」
「そうだな、とんだ貧乏くじだ……俺はマクドガル隊所属だ。
お前は?」
「自分はケリー隊です」
僕の名乗りに、男は土埃で汚れた顔を皮肉っぽくゆがめた。
「悪名高いあのケリー小隊か」
「悪名?」
「隊長のな。部下に厳しい人だと聞いてる」
ケリー小隊長の評判が悪いことは有名だった。
僕は言葉に出しては何も言わずに、曖昧にうなずいて見せた。
男は気安げに僕の肩をたたいて、
「よかったな。この状況だ、隊長もきっと死んでる」
「……道連れになった奴らは哀れです」
「いなくなった奴らのことを考えるのはやめよう、今は。
俺たちは生き残った。次は生き延びることを考えないと」
「生き延びる……これから、どうするんですか」
「当初の作戦行動を続行する。
この森を抜けた先、味方の中継基地に向かおう」
そもそも僕らは、撤退作戦の最中だった。
前線基地から急遽の撤退指示。
途中、いくつかの部隊と合流して、中継基地へと撤退する予定だった。
作戦行動のための経路は全て味方の領内で、寄り集まった部隊の規模もあって、敵の襲撃を受ける可能性はない。
作戦を妨げる危険は何もない。
そういう話だったというのに。
「ここまで敵のゲリラ部隊が入り込んできているということは、基地は無事でしょうか?」
「さすがに、敵もゲリラ部隊だけで基地を襲撃しようとは思わないだろう。
だが、想像以上に敵の侵攻が進んでいるのは確かだ。
基地の連中、このことを知らずにいるかもしれない」
「じゃあ」
「知らせに行かないと。
悪くすると、敵の本隊が追いついてくるかもしれないな」
僕は頭上を仰ぐ。
枝葉を広げた森の木々のすき間から、中天に上った太陽が見えた。
「移動するなら、早くしないと」
「わかってる。
装備を確認させてくれ。お前、持ち物は?」
言われて僕は、軍服のポケットを探る。
だが、取り出せたのは、一人分の携帯食と飲み水、軍用ナイフ一本だけだった。
僕が並べて見せた持ち物を見比べて、男は視線を僕の腰に移動させた。
「銃は?」
問われて、僕はベルトに下げた支給品の拳銃に触れる。
「弾がないんです。補給品が、部隊全員に行き渡らなくて……」
「ふざけた話だよな、最低限の補給も受けられないなんて。
まあ、俺も同じような感じだが」
そう言って、男も自分の装備を取り出して並べて見せた。
言葉通り、男の持ち物も僕のものとほとんど変わらない。
「一応、銃には弾は残ってはいるけどな」
男は剽軽なふりをして肩をすくめてみせた。
二人合わせても、ゲリラ部隊に対抗するには装備品が心許ないのはごまかしようがない。
「こんな状態で敵に見つかったら」
不安を口にする僕に、男は大きくうなずいて見せた。
「最短ルートで基地を目指そう。
基地にたどり着きさえすれば、俺たちは助かる」
「どうして、僕を助けてくれたんですか?」
先に立って森の中を歩く男の背に向かって、僕は尋ねた。
男は足を止めることも振り返ることもせず、僕の質問に答えた。
「お前は運がいい。
あの混乱した状況で、周りではばたばた味方がやられているのに、お前は一発も銃撃を受けなかった。
戦場では、運のいい奴のそばにいるに限る。おこぼれにあずかれるからな」
「あなたは、一人でも戦場を生きていけそうに見えます」
僕は思ったことをそのまま口に出していた。
知り合ったばかりだが、この男の頭のよさ、行動力はこの短い間によくわかった。
だからこそ、僕は確かめたくて、思ったことを素直に口に出して尋ねていた。
「下手に連れがいると、かえって足手まといになるとは考えませんか」
「いざというとき、仲間の存在は助けになる。
こんなところでつまらない死に方はしたくないだろう?」
「そうですね……その通りです」
何のてらいもなく言ってのける男の言葉に、僕は足元をじっと見つめながら応えていた。
「もうすぐだ」
休みなく歩き続けて三時間は経った頃、男の足がようやく止まった。
最短距離を選んで道なき道を進んできたせいで、足は疲れて息も上がっている。
それでも、先の見えなかった道行きが開けてきたと思うと、あと一息、踏ん張れる気力もわいてきた。
「ここを抜ければ、基地は目の前だ。
見張り台が見えるところまでいければ、向こうからもこっちを見つけてくれる」
「はい……待ってください」
僕は男を制して、背後を振り返る。
じっと耳を澄ます僕に怪訝そうな顔をした男も、静かな森の中でかすかに聞こえたその音に気づいたらしかった。
「足音……敵が、こんなところまで」
「急ぎましょう。ここで追いつかれるわけにはいかない」
駆け出そうとする僕の前に、しかし男が立ちはだかった。
「いや、ここまでだ」
「えっ」
「お前とはここまでだ」
「……どういうことですか」
速まる動悸を押さえて尋ねる僕に向かって、男は最初に見せたような皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「一緒に行けたらよかったな。
だが、敵の追跡が近い。
二人ともつかまるわけにはいかないだろう?
……お前はここでおとりになれ」
そう言って、男は僕に向かって銃を向けた。
僕は顔をこわばらせる。
男の顔からは表情が消えた。
「いざというとき、仲間の存在は助けになる……今がそのときだと思わないか」
「はじめから、そのつもりで」
「まさか。
お前はいい奴だ。一緒に助かるなら、それに越したことはない。
だが、どちらかしか生き残れないなら……俺は仲間を犠牲にしてでも生き残る」
「……やめてください」
訴える僕に、男は銃口を真っ直ぐに向けたまま酷薄な選択肢を突きつけてくる。
「選べよ。
ここで俺に撃ち殺されるか、俺のためにおとりになって敵の前に飛び出すか。
俺としては、おとりになる方をおすすめするね。
捕虜になっても、必ず死ぬとは限らないからな」
「――どちらも、いやですね」
僕は素早く腰の拳銃に手を伸ばす。
訓練通りに構えてためらうことなく引き金を引いた。
銃声が響く。
弾は狙い違わず男の足を貫いた。
呆気に取られた男の顔が苦痛にゆがみ、その手から銃が滑り落ちる。
「戦場で銃を放したらいけませんよ」
撃たれた足を押さえて地面に崩れ落ちる男に近づいて、僕は銃を拾った。
「……弾は、ないと」
「信じたんですか? 意外とお人好しですね。
あなたは僕を信用してくれたようですが、僕はあなたを信じていませんでした」
所属していた部隊が壊滅したにもかかわらず、作戦行動を続行できる非情な冷静さ。
率先して行動方針を推し進められる強引な指揮力。
何より、奇襲を受けた混乱の中、自分を見出して助けるという、ずるがしこく働く頭のよさ。
自分自身が助かるために、生け贄にできそうな、取り入りやすそうな人間を見極める目のよさ、勘のよさ――ケリー小隊長にそっくりだから、すぐにわかったのだ。
この男は信用できない。
「今の銃声で敵はすぐここに来ます。おとりになるのはあなたです」
「お前――」
「いざというとき、仲間の存在は助けになる。
教えてくれてありがとうございました――さようなら」
僕は駆け出す。
背後で罵声に似た声が聞こえたが、僕の心には響かなかった。
男に引きつけられて、こちらへの追跡は少なからず遅れるだろう。
そのわずかに稼いだ時間で、基地にたどり着けるかどうかは僕次第だった。
こんな。
こんなくだらないところで。
死んでたまるか――。
僕はひたすらに森を駆け抜けた。
了
スケープゴートの絆 宮条 優樹 @ym-2015
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