白井 景③
波美の記憶を思い出しながら、私はすべてを受け入れるような心地だった。
それが私の心なのか、私に根を張っている草樹の心なのかはもうわからない。しかし、それがなんだというのだろう。それらはすべて不可分なものだ。私は草樹であり、草樹でありながら波美だった。そうやって、私は波美のすべてを受け入れたのだ。ああ。受け入れるというのは、なんて気持ちのいいことなのだろう。
「わかったよ」
と私はこたえた。
「波美。ぜんぶわかった」
すると波美は私の手を握った。あえて蔓を絡めるのでなく、重ねたてのひらを強く握り、「あたしにも、わかりました」と続けた。
「ずっと、あのひとのことを悔いていたんですね」
それは、友人のことを言うのだった。
首をくくって自死をした、私の“友人”。
そうだな、とこたえようとして口をつぐむ。もうその必要もないのだ。波美は私を知っている。波美は私の心を知りながらすべてを受け入れてくれている。
私は、こたえの代わりに波美の手を握り返す。
そうやって、永遠たる平穏に浸りながら朝を迎えた。
私たちはのんびりと宿を後にして、清らかな春の日を全身で受けながら車を走らせた。海辺の道だ。光は天からも地からもそそぎ、それはこの世界までもが私たちを受け入れてくれている、そのあかしだった。
窩ヶ森を知らせる標識は木々の合間に倒れ、熱く伸びた藪がその名前を覆い隠している。
私たちは車を降りると、後部座席の燃料缶に詰まった灯油を車内にぶちまけ、たばこに火をつけた。アメリカンスピリット・ゴールド。最後の一本だった。その煙をゆっくりと吸い込み、灯油に火を移す。またたく間に車を包んだ炎に吸いさしのたばこを放り込み、木々のトンネルをくぐり抜けた。
それもまた、ひとつの流れなのだ。
窩ヶ森へ続く山道は、美しい緑草や花果であふれていた。かれらは華やかにも色とりどりの姿を見せてくれながら、口々に語りかける。それはこの来訪、帰還を祝福しているのだ。私たちはかれらの息吹を全身で味わいながら、野を駆けるような足取りで緑道を昇っていった。
やがて日が天頂へ届く頃、窩ヶ森が見えてくる。
かつて集落だった平野では、白い畸形のかれらが向かい合って長い列を作り、いわば人体の花道となって私たちを迎え入れた。かれらはみな膝をついて顔を伏せ、かたちもさまざまなてのひらを空へ掲げている。それはほんとうの白い花々に見える。天への道を飾る、地上にはない白い花の園。
かれらの道を渡っていくと、その向こう、家守の存在していた場所には大樹があった。それは無数の人間樹が寄り集まっては折り重なり、家守よりも遥かに巨大な樹木を形成しているのだった。
樹木の腹には、人間大のうろ穴がひらいている。
それは巨大な門だった。
さまざまに描かれていた、人間樹の門。
門のかたわらでは、ひとりの花頭人がうやうやしく膝をついている。白いユリ。かれは切断された胴体から新たな花を咲かせたらしく、接ぎ木をしたように体の色や大きさが切断面の上下でわずかに違っていた。
私たちはすこし小さな花弁を撫でてユリに感謝をあらわすと、門へ入った。
樹木の中はぼんやりと赤い。
それはホオズキの花頭人が、かすかな赤光を放っているからだった。
私たちは樹木の胎内を奥へ奥へと進んだ。
そうしてうろ穴の最奥へたどり着くと、壁に背をつけて座り込む。その壁は樹木を構成する人間樹が密に凝集して構築されたものらしく、固い壁のそのさらに内奥には、脈動する生命の力強い流れが感じられた。
いつの間にか、門は閉じている。
私たちはこの暗い、赤い部屋に内包される。
私は波美を見た。
波美もまた私を見つめていた。
そのとき私たちは、同じ心を持つのだった。
どちらともなく手を取り合い、私たちは目を閉じる。
すべてを受け入れるのは気持ちのいい、すばらしいことだった。
わかっている。
私には、そのときわかっている。
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