22 白井 景

白井 景①

 長い旅になった。


 サービスエリアの片隅に設置された喫煙所で、そんなことを考えた。


 なにしろ人間樹は一方通行の路地だろうと高速道路のインターだろうと構わずにつっ立っていて、ときには寄り集まって道を塞いでいることもあった。そのたびに折り返して、慣れない紙の地図で探したルートは車列で埋まっていて、とにかく回り道ばかりの旅路だったのだ。


「景さん、アイスいります?」


 建物の物色から戻るなり、波美はクランチアイスを差し出してくる。モカチョコ、もしくはキャラメルチョコ。私は手前にあったほうを受け取った。冷たいものを味わうには、すこし合わない春の夕暮れだった。


「寒いだろ」

「でも、すぐ食べれるおいしいものってこれくらいでしたよ」

「たしかにな。一応、宿にもなんか持ってくか」

「おみやげ、いいですね」


 休憩と食料の調達を済ませ、サービスエリアをあとにする。駐車場は、置き去られた車とおもいおもいにたたずむ人間樹たちとで、賑やかなしずけさで満ちていた。荒涼とした景色ではあるが、寂しくはない。西の空を降りていく日が、篝火のようにかれらを照らしている。


 高速道路を降りると、今度は宿を探した。いくつかのホテルや旅館を通り過ぎて見つけたのが、峠の頂上にさみしく立つ温泉旅館だった。客室からは青白くかがやく海を見渡すことができ、直近ではあまり人も泊まらなかったらしく衣類や寝具もきれいに保たれている。なにより、天然の温泉が湧いているのだ。


 そうやって、あたりが暗くなった頃、窩ヶ森からそう遠くない場所に私たちの最後の宿は決まった。


 さらに喜ばしいことに、宿には食事の用意があった。冷凍庫の食材が充実していたのだ。しっかりと脂の乗ったホッケに、作り置きの冷凍惣菜、慣れないながらに釜炊きをしたごはんや乾物を放り込んだ味噌汁を漆器に並べると、思いがけないほど立派な旅の夕食ができあがった。広々とした調理場で、あれこれ言いながら料理をするのも楽しかった。


 空腹を満たすと、いよいよ旅館自慢の天然温泉へ向かう。客はもちろん、人間樹でさえ足を踏み入れないそこはさながら貸し切り温泉だった。さいわいにも手入れも行き届いている。

 丁寧に洗った体を内風呂で温めて、森に囲まれた露天風呂を楽しんだ。オレンジ色の常夜灯の下、くたびれた足を熱い湯舟に伸ばし、そばを流れる川のせせらぎや、夜の鳥、南風……揺れる木々のたおやかな重奏に耳をかたむける。目を閉じれば歓待の響きさえ感じられ、私たちは野の旋律に夢中になるあまりのぼせかけてしまうくらいだった。


 脱衣場の冷水でほてりを冷まし、ひととおりのスキンケアを済ませると互いの髪を乾かす。それもまた、ひとつの流れなのだ。波美は手でつくる櫛で私の髪をととのえてくれ、私もまた同じおこないでこたえた。


 波美の頭部は破損から快復していたが、修復された皮膚には植物が混じっている。髪もまた灰色をした蔓で一部が補われており、メッシュカラーでまだらに染めたようだが、時間をかけてととのえるとそれは人と植物とを編み上げた美しい織物に変わるのだった。


 私たちは白紺の浴衣を着流して部屋へ戻った。四、五人で泊まるような広い畳間だ。せっかくだからと選んだ部屋だったが、その広さを持て余し、ワンルームで暮らすみたいに並べた二揃えの布団で横になった。


 そうして、旅が終わる。


 明かりを落とすと、障子戸越しにぼんやりと霞んだ月の光が降りてくる。それはなにかを照らすというよりも、ほのかな影の明暗を室内に降らせている。私からは波美がこちらを向いていることはわかるのだが、その表情、どんな心で私をまなざしているのかはわからない。


「景さん」


 ゆっくりと、波美が手を伸ばしてくる。


「見てください」


 その手をとると、ふれあったてのひらの蔓にかすかな熱を感じる。そしてあざやかな映像が、思考が、記憶を遡るかのように私の頭の中に浮かんでくる、いや、あらわれる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る