15 藤野 波美
藤野 波美①
「景さんが帰ってきたら、お父さんに会いに行こうと思ってて」
「うん。いいね、それ」
みどねえは続けた。
「お父さんのようすはどうだった? 最近、行ったでしょ?」
「いつもと同じ。なにもわからないみたいだった。でも、短い時間だけ……燃やせって、あたしに」
「なにを?」
「たぶん、窩ヶ森のこと。根井の家を燃やせって言ったんだと思う」
「それで、どうしたの?」
「燃やしたよ。家も庭も、木も全部燃えた……」
「そうしたら? どうなった?」
「どうなった……あたしは景さんと、メイちゃんとここで暮らして、みどねえにも会えて……それから……」
あたしは腕にふたたび芽生えはじめた若葉を見つけ、そのうちの一本を引き抜く。一本、また一本。ティッシュにくるんでくずかごに捨てる。それから。みどねえはほほえんでいる。その指が示したテーブルで、スマホの通知が点滅している。
折戸くんから、いくつかのデータが届いていた。
それは航空写真や新聞記事であるらしいが、その意図はわからない。写真は山地と森、おそらくは古い窩ヶ森近辺のものだと思われるが、説明を添えてくれるわけでもないのだ。記事にも目を通すものの、日本語で記されているはずの文字がどうしてか未知の言語に見えてしまい、内容がまったく頭に入ってこない。
そんななかで、映像だけがあたしに理解された。
見覚えのある、集落へ続く緑道からその映像は始まっていた。
「懐かしいなあ」
と、みどねえが画面を覗き込む。
窩ヶ森の眺めは、あたしたちが訪れたときとすっかり違っていた。道沿いに家々のあった場所は、好き放題に伸びた植物たちの占める草叢になっている。根井の家は、焼け落ちた残骸の消えた大地には新たに芽吹いた青葉が、そして家守のあった場所には、人間樹たちの織り上げる奇妙な門が建造されていた。
「みどねえ、これって」
隣に視線を送り、息を呑む。
みどねえが、号泣しているのだ。
みどねえは目のきわに溜まった涙を次々にこぼしながら、「始まる」とささやくと、突然あたしを抱きしめた。それは乱暴なくらいだった。息がむずかしくなるほどの強い力で抱きしめられ、苦しさとともに深い安らぎや、大いなる慈愛の流れ込んでくるのを感じた。
「諦めないで」
とささやいて腕の力をゆるめると、みどねえはあたしを正面に見据えた。
「つらいことがあると思う。きっと、死にたくなるくらいの、死んだほうがましだって思うようなこと。でもね、なみ。諦めないで。わたしはあなたのそばにいる。あなたを見守っている。信じている。だからね、なみ。絶対に、最期まで諦めないで」
涙を拭おうともせず、みどねえははっきりとした声で話し続けた。その表情が、銀にぼやけて見えなくなるのは、あたしも涙を流すからだった。
「わかった。うん。わかったよ、みどねえ。あたしやる。ちゃんとやるから、見ててね。約束だよ。諦めないよ」
あたしは続けた。言うべき言葉はいつまでも途切れず出てくるようだった。しかし、みどねえが突然はっと顔を上げてあたしを手放す。なにかに気付いたような仕草だった。
「あいつが来る」
そう言って、玄関の扉に視線を送る。
明かりをつけない廊下は暗い。リビングのドアはひらいているが、窓の光がそこまで届かないのだ。廊下の向こうにはまっ白な扉があった。鍵は。かかっている。ドアハンドルがひとりでに動くのが見えた。がちっ、と閉ざされた扉が固い音をたて、するとインターホンがうっすら音割れのするチャイムを室内に響かせた。
モニターに映るのは、見知らぬ男性の姿だ。
玄関の外に立った男性は、普通をかなり逸脱して大きな体に、人受けの良さそうなまるまるとした輪郭をもっていた。
「あのう」
彼はささやく。
「私、白井さんの同僚で、羽村という者です。突然ですみませんが、藤野波美さんに用事があって参りました」
そして、やわらかくほほえむ。
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